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古代より世界に秀でていた日本文化 仁徳天皇陵

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韓国のなんでもかんでも「ウリが起源」は、まともに付き合うのも馬鹿馬鹿しいものも

多いのですが、「朝鮮通信使は、文化の高い韓国が低い日本に

文化を教えに行っていた」という虚言は放置できません。

日本の優秀性を捏造で否定することだからです。

町興しの一環としての「朝鮮通信使」祭りには、反対はしませんが、

しかし、朝鮮通信使とワンセットでくっついてくる「文化の高い韓国が低い日本に

文化を授けた」という条項には明確に否定の意思を示さないと、

日本人も同意ということで、ユネスコに遺産登録されてしまいかねません。

実のところ、朝鮮文化が高かろうと低かろうとどうでもよいことで、

内側で高い自己評価をして嬉しがっているのも、自由です。

ただ、そこに日本を必ず引き合いに出して日本を貶め語るので、迷惑なのです。

今日は「お墓」を例に、話してみたいと思います。

仁徳天皇陵が世界最大規模の墳墓であることはご存知かと思います。

文化の低い日本に世界最大があり、朝鮮になぜないのか、で韓国側の

論調は一発論破かとも思われますが・・・・・世界で初めての長編小説も

日本であって、韓国ではないのだから「文化の高い朝鮮が、低い日本に

教えに来たのが朝鮮通信使」とは言えないはずですね。

そもそも、韓国人が誇るハングルがリャンパン(両班)という貴族階級に寡占されていたのを、

広く一般に広めてあげたのが、日本帝国です。

仁徳天皇陵は五世紀の建造です。

ピラミッドや秦の始皇帝の墳墓より巨大ですから、当時の日本の

底力が解りますね。

現代に換算すると運び込まれた土の量、ダンプカー25万台ぶん。

建造に要した延べ人数6百80万人強。

期間は15年8ヶ月。

工費 現代換算で796億円。

(以上は大林組プロジェクトチーム「よみがえる古代大建設時代」東京書籍より)

その規模の巨大さもさることながら、日本という国が一度も解体されることなく

連綿と連なってきたその要に、天皇という存在があったことを改めて

思わされますね。

もっとも、ピラミッドは石を高く積み上げねばならない別のスキルが必要であるし、

時代も異なるので単純な比較は出来ません。墳墓ではないと言われるピラミッドも

存在するし。

上記の大林組の試算によれば、クフ王の大ピラミッドは、現代の工事で換算するなら、

総工費1250億円、工期5年、最盛期の従業者人数3500人という数字だそうです。

 

仁徳天皇のお墓ではないという説もあるようですが、しかし当時これほどの

力を持った存在を、天皇以外に想定することは難しいですね。

ひとまず仁徳天皇陵であるということでよろしいかと思うし、

五世紀にこれだけの規模の墳墓を作る力が日本にあったということの

左証には違いありません。

縄文期の火焔土器なども、日本民族の文明度の高さを示したものでしょう。

世界で一番早い土器の出現は、日本です。(縄文時代前期。1万6千年前)

西アジアに、土器が現れるのはそれから8千年後のことで、しかも

日本の土器のように火にかけて煮炊きが出来なかったので、もっぱら貯蔵器としての

土器でしかありませんでした。

高温で焼き上げる技術を持っていなかったからです。

この間、テレビ局の人と話していたら、最近は日本上げの番組が多過ぎて

なんだかな、とその方はおっしゃってましたが、まあ上れば落ちるが世の習い、

いずれは、下火になろうかとは思うのですが、私はいい傾向だと思っています。

今まで日本は自国を自ら貶め過ぎました。

日本弱体化を狙ったGHQのまんまと思う壺です。

「日本いけない国。劣った国」という刷り込みに、中国と韓国が、やれ嬉しや、と

乗っかって来て、戦後70年間のていたらくでした。

おごり高ぶる必要はないし、また日本人はそのような気質も持ち合わせませんが、

不必要に低い自己評価からは脱する時が来ました。

実のところ私は、世界の行き詰まりを打破する鍵は日本の精神性の中にこそ

あると思っています。

古代よりしばらく続いた、やまとの精神性であって、昨今の浮薄な日本のことでは

ありません。

 

古代、と表題に打ってから、はて古代とはどの期間を指したのだっけ、と
念のため知らべたらこうでした。

西洋においては、古典的な三時代区分の一つであり、古代ギリシア・古代ローマを指す。歴史を語り始められるに足る資料がある時代。

諸説あるも、基本的に古代ギリシアにおける文明の成立から西ローマ帝国の崩壊(476年)まで。

中国では秦王朝の成立(紀元前221年)から、後漢王朝の崩壊(220年)または唐朝の崩壊(907年)まで。

 日本では、飛鳥時代から平安時代中期までの「王朝時代」。聖徳太子の政権掌握(593年)から。1080年代以降の院政期、1160年代の平氏政権の成立あるいは1185年の鎌倉幕府の成立まで。あるいは奈良時代と平安時代まで。

三時代区分法(three age system)は、石器時代、青銅器時代、鉄器時代に区分する。
しかし日本は、青銅器時代を持たぬまま、一気に鉄器に移行した。日本では、金石併用時代は石器、青銅器、鉄器の三者が併用されていた。

青銅器=銅と錫

 


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