知人夫婦が「安倍政権が戦争をしたがっている、酷い」
と言うので、「私は集団的自衛権については、勉強が不十分で、断言は出来かねるけど」
という前置きで、GHQの日本弱体化政策に端を発したあれこれを話させて頂いたのだが、
食事の席であったので、十分伝わったかどうか。
憲法や防衛について思うとき、三島由紀夫が憲法改正案について書いた
文章の中の、2つの言葉が脳裏をよぎる。
すなわち、
「天皇は国体である」
「日本国民は祖国防衛の崇高な権利を有する」
防衛の「義務」ではなく「権利」と言ってのけたのが、三島由紀夫であった。
集団的自衛権の論議は、実のところ日本がその権利を持つか捨てるかの
話ではないのだろうか。
「天皇は国体」という言葉に関しては、肯んじながらもいささか現状に鬱屈する
思いがあるが、私は「国語は国体」であるとも思う。
と言うのは、戦後GHQは日本語の駆逐も謀ったので、「日本人の識字率を上げる」
という美名のもとに漢字追放そしてローマ字化が画策され、識字率テストが行われた。
ジョン・ペルゼルというハーバード出の若い将校の「日本語は漢字が多いために
覚えるのが難しく、識字率が上がりにくいために民主化を遅らせている」という発言が、
発端である。英語ごとき言語を操る者が、言霊のさきわう国の言語を評するとは笑止。
GHQジョン・ペルゼルが驚いたことには、「未開民族」日本人の識字率は、100点満点で
平均78.3点という大変な高得点。
というわけで、日本は漢字含めた日本語を失わずに済んだのであるが、
言葉を失った時点で、日本は「国体」をも失っていたであろうと、私は思う。
日本の精神性の、魂の、喪失である。
とはいえ、ジョン・ペゼルの思い上がった愚かしい関与のせいで、日本は多くの漢字を喪失し、
当用漢字という狭いエリアでしか言葉を使えなくさせられた。
しかし、ないよりは遥かにマシであろう。
志賀直哉がローマ字化やフランス語化を主張していたことへの
反感で言うわけではないが、私は高校の教科書で志賀直哉の文章「城崎にて」に
接しても、どこがいいのかさっぱり解らなかった。
なぜ「小説の神様」なのか、解らない自分悪いのだろうと思っていたが、
しかし、三島由紀夫の文章には震えが来るほど感動して、学校の図書室から
三島を借りては通学かばんをパンパンにして、家で読みふけっていたものだ。
ほとんど、その文章に陶酔しながら。
志賀直哉と同じく、教科書で知った芥川龍之介の「トロッコ」や「蜘蛛の糸」は
幼いながらに文章の一節を暗唱してみせて、中学の先生を驚かせていた
ぐらい好きだったから、私は単に志賀直哉と感性が合わないだけなのかもしれない。
日本語駆逐を言っていたおじさんだと知った今、むしろ好きにならず、どこか
胡散臭く思っていた、自分の幼いながらストレートな感受性を今はむしろ、
許容したい。