Quantcast
Channel: 井沢満ブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1913

三島由紀夫の「在日論」

$
0
0

三島由紀夫が、そのエッセー集「裸体と衣裳」で、在日問題を「難民の問題」と書いています。

三島に関しては、高校生の時から10年間、戯曲から小説、エッセー、果ては
三島が書いた、と噂されていた男色小説まで、膨大な作品群を細大漏らさず読破したという自負があり、「裸体と衣裳」もその1冊だったのですが、在日論は記憶にないのです。

三島の政治外交、国家防衛論は全部目から滑り落ちていたようです。
わたくしが、関心を全く抱いていない領域でした。

今、それらを改めて読む返すほどのことはしていませんが、時々遭遇する
片言隻語が、正確に現代を予言していることに驚かされます。
天才の慧眼でしょう。

わたくしは三島の夥しい作品群を読破しながらも、最良の読者ではありませんでした。
今、やっと芸術面と共に三島の政治論を理解できるようになりました。
天才とは対極ののろまです。

ただ、高校生の時であったと思いますが、何の小説だか読んでいる最中「この人、ここまで張り詰めて生きていたら、末は自死しかないなあ」と
寸分の隙も見せない文章に、ふっとそう感じ、直感力だけはあったようです。

夏目漱石のある長編を読んでいる最中、あ、これ未完で放り出される・・・
と感じたら、案の定で勘だけはいいのです。
作品は今調べると「明暗」でしたが、長編小説の最後が近づくにつれ、
(これ、終わらない・・・・)と、ひらめいたのです。
今思うと不思議です。実際、漱石はその小説の連載をあと数回で
完結するという時に、胃潰瘍で亡くなっているのです。

文章の行間に漱石自身が無意識に感じていた死の予感があったのかも
しれません。
小説のページが残り少なくなるにつれ、唐突に、あ、これ終わらない、と思ったのです。
末尾の「未完」という文字を見た時は、いくらか呆然としました、
予感が当たっていたことに。

余談に逸れました。三島の「裸体と衣裳」です。

 

「戦後の日本にとっては、真の民族問題はありえず、在日朝鮮人問題は、国際問題であり、リフュジー(難民)の問題であっても、日本国内の問題ではありえない。

これを内部の問題であるかの如く扱う一部の扱いには、明らかに政治的意図があって、先進工業国における革命主体としての異民族の利用価値を認めたものに他ならない」

文章の全体を読み直していないので、三島がこの文章をもって何を主張しようとしたのか、解らないのですがただ「難民の問題」という言葉が、正鵠を得ている気がするのです。

数行のみ切り離して、主観に基づく感想なので読み違えをしているかもしれないことを前提にだが、在日の人々というのは結局は難民であったのではないかと考えます。

朝鮮半島の自国民粛清の大殺戮や貧困から逃れてきた人々が、圧倒多数であっていわゆる強制連行と言われる「戦時徴用」者は245名に過ぎず、それとて
彼らも当時は日本人であったので、「強制」というのは、いささかニュアンスが
違うでしょう。

史料を紐解けば、1941年から1944年まで日本政府が「確認出来ただけ」でも
543,174人もの人々が朝鮮半島から日本に密航して来ています。
わずか3年間で、54万3千人超の密航者です。

日本による差別がどうの、というのはおかしいかもしれません。そういう
ひどい国になぜ、これだけの朝鮮の人々が法を犯してまでやって来て、
住み着いたのか。日本側に何の落ち度もなかったとは言いませんが、
これだけの密航者の数を見るにつけ、現在の彼らの反日ぶりを
心外に思わざるを得ないのです。

救い上げるために差し出した日本の手が、土足で踏みつけられているのが
現在の状況だという気がするのです。強制の慰安婦、強制連行、日韓併合の
日本の横暴・・・・など事実ではないことを、在日の人々が本国が発信する
そのままに信じこんでいらっしゃる様子に、驚かされます。

祖国は在日の人々にとってそれほど優しいわけでもなく、時に
苛酷に当たるのに、世話になっている日本よりも祖国の発信する
「歴史」を信じこんでしまう在日の人々。

状況を単純化するために、3年間に絞って書いていますが、54万3千人超の
不法滞在の人々の犯罪件数が、9万1千件と記されています。
3年間で、です。

とかく日本が加害者として貶められる日韓問題ですが、上記の事実を知ってもなお、日本が一方的加害者であったと、言われるのでしょうか。

日本は、祖国の貧困や政変から逃れてきたボート・ピープル、朝鮮の人々を救い上げたのですが? この「日本が朝鮮の人々をおびただしい数、救い上げた」という事実が余りにも、日韓双方で認識されていませんね。

 

在日朝鮮人を優遇・利用する政策を取ったのはGHQマッカーサーです。
それが、物事を複雑にしました。
本来朝鮮の人々は敗戦前までは「日本人」であったのに、いつの間にか
「敵」という構図に置かれ「戦勝国」の仲間に組み込んでしまったのは、
GHQの策略です。

彼らは、原爆や大空襲などの「戦争犯罪」を世界の目からごまかすために、
日本を「戦犯国」として印象操作を行い、朝鮮の人々を奴隷にした
極悪日本としての刷り込みに成功して現在に至ります。

 

全ての朝鮮人を本国に戻そうとしたのは、吉田茂元首相でGHQマッカーサーに
その旨の嘆願書を出しています。1949年8月。戦後ちょうど4年目のことでした。

費用は日本で持つから彼らを朝鮮に戻させてくれ、と。
しかし韓国政府は受け入れを拒否したのです。

当時日本の監獄には、凶悪犯を含めて朝鮮人犯罪者が7千人収監されていました。

そして、1952年6月、朝鮮戦争中に突然、韓国軍が竹島を攻撃占領し、日本人漁民が殺されその後漁船328隻、漁民3929人が人質に取られ虐待されました。
人質の開放と交換条件で、日本は監獄にいた朝鮮人犯罪者を解き放たねばならなかったのです。その上、犯罪者たちに特別永住権を与えさせられました。

その他、祖国から逃れ日本に救いを求めて来た朝鮮の人々に日本政府は、特別に年間の滞在許可を与えたのですが、25年経過しても彼らは祖国へ戻らず、日本に居続けています。
その正当化のために「日本に無理やり連れて来られた」。だから、いる資格があると虚偽を言いながら。

事情はこういうふうなのですが、いつの間にか日本が加害者になってしまいました。
元々は救ったほうです。三島の難民という言葉に、私が思わず呼応したのはそういう思いがあるからです。

まさしく在日の人々は、難民に他なりませんでした。

困った人たちを救いあげたのはよいことですが、そのために日本が悪者にされてしまうのは、切ないことです。

その間の事情を、よく説明出来ているとして、知恵袋でのやりとりが引き合いに出されます。

以下、コピペ引用が長く続きます。

 

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1251448547

 

韓国最大のタブーという動画を見たのですが、

1951年に韓国軍が二十万人を虐殺した国民保導連盟事件というのがあったそうですね。

詳しく教えてください。

日本には朝鮮戦争で虐殺から逃げてきた避難民がたくさん来たといいます。

 日本最大の朝鮮人街大阪の猪飼野は済州島から逃げてきた「アカ」の人たちだといいますね。

 助けてもらったクセに、何故、日本に敵対するようなことをするのですか?

 2010/12/400:28:31

.保導連盟事件は、共産主義を支持した人々が転向して国家に忠誠を誓うとした保導連盟というものがあり、それが朝鮮戦争でにわかに赤狩りをするようになった韓国政府にスパイ容疑での虐殺リストとして使われた事件です。

 保導連盟事件を中心に一連の事件で100万人以上が虐殺されたと言われています。

 虐殺の容疑はすべて共産主義のスパイということでしたが、実際にはちょっと疑わしい程度から、権力者(憲兵など)が気にくわないというだけでどんどん虐殺されるようになり、大規模な国家による国民虐殺に繋がりました。

この虐殺は、第二次世界大戦で亡くなった朝鮮人の数よりも遙かに多かったので、これをごかますために、1970年代に軍事政権から民主主義大統領制に移行した際、日本と日本の占領制度を責めるというような方向でのガス抜きをするようになっていきました。

 保導連盟事件が韓国内で口にできるようになったのは1990年ごろからで、それまでは関係者が口を開く気配があるだけで連行される時代でした。

 (韓国では、戦前の日本にあった治安維持法と全く同じ法律である国家保安法があり、怪しいというだけで証拠が特になくとも逮捕も拷問も出来るように法整備されています)

 

 済州島のは、その流れのうちでも初期の事件で、4.3事件と呼ばれるおよそ7万人が虐殺された事件です。

このときに逃げてきた人々が後の虐殺から逃れるために半島の人々を手引きしたことから、済州島出身者を中心として朝鮮人街が生まれているケースが多いのです。

 

 一昨年、公文書館から当時外務省と韓国政府の交わした文書が発見されているのですが、これによると日本政府はこの密入国してきた韓国人たちをもてあまし、まとめて逮捕して韓国政府に引き渡すと申し入れています。

そして、韓国外務省はそれを拒絶している回答を残していました。

つまり、二国間でもてあまされた政治棄民だったわけです。

そして、日本政府は虐殺からの逃れてきた半島の人々に対して25年の滞在許可を与える決定を出します。

これに過敏に反応した在日の人々は、知恵を絞った結果、「我々は戦前強制連行されてきた朝鮮人である」と名乗ることにしたのです。

これは、25年後に引き渡されて殺されることが明白だったために、生き残るための知恵でした。

 日本は、サンフランシスコ平和条約で「戦前から滞在している朝鮮人・台湾人に無条件で永住権を与えること」と定められているためです。

しかし、彼らには戦前から滞在していたと証明するものはありません(何せ、実際済んでいなかったのですから)。

だから「強制連行なんだから、証拠や書類なんて我々が持っているわけがない! 日本政府が無理矢理連れてきたのだから謝罪しろ!」と無理矢理な理屈でゴネたのです。

 日本政府としては、強制連行された朝鮮人は二百数十人しかいないことを知っていますから文句のひとつもつけたいところですが、敗戦後の国際世論の目が光っている状態で、「日本はサンフランシスコ平和条約にけちをつけた」と言って触れ回られたくないために、渋々黙認するようになったのです。

 彼らは日本政府を非難することで生き残る道を作ったので、その方針がそのまま引き継がれるようになっていきました。

 

ウソも突き通せば本当になると思ったのでしょうが、世の中の情報化社会への進化のほうが早くて、薄まりかけていた彼らの真実も、現在では明るみに晒されているのでした。

 

 虐殺に関してはTRC(真実和解委員会)という団体が調査をしていますが、昨年、李明博大統領は彼らへの予算は配分しないことを宣言しており、韓国政府はこれ以上この問題を公にしたくないという態度をとっています。

 

 韓国最大のタブー  The maximum taboo in South Korea

備考 リフュジー  (発音は、むしろレフユジーが近い)

refugee  発音記号/rèfjʊdʒí 【名詞】【可算名詞】 (国外への)避難者難民,亡命者; 逃亡者.

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1913

Trending Articles