http://www.mod.go.jp/msdf/formal/gallery/ships/dd/izumo/183.html
海上自衛隊HPより
「いずも」
垂直離着陸可能な戦闘機 F-35B、同じくオスプレイ
もっと勇ましい画像がいくつもあるが、著作権のありどころが不明で控えます。
これなど、一番おとなしい画像だが、どう見ても護衛艦というより戦闘態勢万全の
空母でしょう。
「空母」存在の賛否はさておき、空母を護衛艦と言わねばならぬ不自然さが日本の現在の
防衛です。
安倍総理が「わが軍」と言い、噛み付かれて訂正していましたが、
意識に「軍」とあるからこその発言で、然しながら「軍」ではないもので
国は守れはしません。
自衛隊は明らかに軍隊でしょう。
砂川事件で、自衛は憲法上合憲として判決が定着しましたがしかし、
自衛するためには積極的に戦闘できる軍でなくては、自国を守れないという
避けられない矛盾に遭遇します。
いつまでも、言葉の置き換えをしてごまかすわけにはいかないでしょう。
いずれは決着をつけねば。
軍隊(自衛隊)はなくてもよいとするなら、国の守りをどうするか対案が必要です。
対案無しの軍隊不要論は、攻めて来られたら殺されましょう、ということです。
大人の主義としてそれを選択する自由はあります。
しかし、まだ政治姿勢を持たぬ子供たちを巻き添えにします。
警察予備隊から警察保安隊へ、そして自衛隊へと変身して来たわけですが、
警察保安隊時点ですでに英訳では「National Safety Forces(国家保安軍)」。
明確に軍として規定されていますね。
警察の補完組織であった予備隊が、徐々に軍としての性格を帯びて現在に至ります。
何というかどうせ素人なので、乱暴な物言いを承知で言ってしまえば、GHQが
日本の軍事的無力化を意図して押し付けた憲法が、今度はアメリカが窮屈に
感じ始め、「持ってよし」ということになり自衛隊は限りなく軍隊化して、
今はもはや軍隊であるということでしょうか。
いずれにしても、占領した側が被占領国に憲法を押し付けるのは、
国際法に違反しますから、そのいわば「違反憲法」を弄りながら違憲だ、
合憲だと侃々諤々することを、私などはいささか滑稽な風景として眺めてしまうのです。
「どうしたら日本(の平和)が守れるか」ということを基軸に、いささか牽強付会であっても
解釈など変えてよし、とこれも素人の強みで思うのです。
あくまでも日本の平和を維持するためには、が基軸です。
皮肉に言えばアメリカの都合で成立した憲法が、その数年後朝鮮戦争を
引き金に、アメリカの都合で邪魔っけになったのだということでしょう。
安倍総理のアメリカ議会での演説好評をシナリオとして、アメリカの
風向きがいよいよガラリと変わり、アメリカの思惑という枷が緩くなった今、
解釈にしろ改憲にしろ、どう憲法と向かい合うか、というのが今の日本
の課題でしょう。
この領域に不案内の私が、あれこれ述べるより、山田順氏の
一文をお読みください。
「日本を戦争ができる国にしていいのか」論議の的外れ。言葉遊びはもうやめませんか?
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamadajun/20150505-00045421/
余談ですが、百田氏を講師に招いての自民党若手の談論風発ぶりが
さらされて、やり玉に上げられてますが、本来表には出ないはずの
うちうちの気炎みたいなものでしょう?
気心の知れた護国仲間ならいかにも言うであろう、他愛もない言葉です。
それを表に出して「言論弾圧」とは針小棒大。
そもそも、公の場ではない談論を表に出して弾劾するほうが
弾圧でしょうに?
どのみち「聞き耳を立てられている」のだから警戒心が薄かったという
責めはありますが、目を三角に言挙げするほどのことではありません。
実際に新聞社を潰したり広告を差し止めたりしたわけではなく
「その場の勢いでの半ば冗談、軽口」です。
主題に戻しますが・・・・・・言葉の言い換えで本質をごまかす事例としては、
「安保関連法案」を「戦争法案」と言い換えるのも、フェアではない言葉の
言い換えです。
法案の是非は別のこととして、本質を言葉の置き換えで糊塗するのがよろしくないのは、
軍艦を護衛艦と置き換えることと同じたぐいの不誠実さです。
安倍総理が「レッテル貼り」と言ったのはその通りです。
言葉の置き換えという印象操作ありきではなく、
法案の中身の是非で堂々と渡り合うべきでしょう。
軍隊持たずして国が守れるというなら、その論拠を明らかに。
スイスが国民皆兵制であること、またチベット、ウィグルの現実を直視しつつ、
安保抜きの九条のみで日本の平和が守れるという、その論拠を明確に述べたものに
まだお目にかかったことがありません。
北朝鮮による日本人拉致はなぜ九条で防げなかったのですか?
戦争は「心情」とは無縁のところで起こります。侵略も平和宣言や祈りなど
踏み潰して行われます。
現代の戦争は武器を用いないこともあります。情報戦です。
日本は、負けっぱなしで来ました。ようやく最近、言い返し始めています。
韓国や中国が日本の軍事に口出しするのも、片腹の痛いところであります。
日本に軍備するなというなら、中国の諺にいわく「隗より始めよ」。
安倍談話には、侵略という文言を入れよと説く「知識人」。
なら、中国のチベットやウィグルにおける振る舞いには触れなくてよろしいのでしょうか。
いったい、どの国の人だろうと訝しい人が大勢、日本のデモ隊の中にいます。
沖縄のデモにも。
防衛は不得手ジャンルなので、理路を尽くした整然たる文章は無理でしたが、
あらましこのように思っています。