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Channel: 井沢満ブログ
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雨の日に国歌について考えてみた

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梅雨という割に雨に遭うことがなく、すっかり梅雨だということを
忘れていたら、東京は2日続きの雨です。

犬達がいる頃は、散歩と排泄のことがあるので、しじゅう
空を気にかけていたのが、屋内にこもっていることが多いのも
梅雨を感じなくなった原因でしょう。

髪を切りに出かけるとき、ふと和服用に用意してあった
傘をさして見る気になりました。ビニール傘だと他とまぎれて
難儀するのが常なので、柄にハンカチを巻いて目印にしたりなど
していたのですが、和服用の傘は、紅に黒い縁取りとか鮮やかで、
間違えられることもなく、持って行かれることもありません。
今日は、紫に黒の縁取りの傘を開いて出かけたのでした。

歩きながら、この間テレビで見たはるな愛さんの君が代を
何となく思い出していました。
アメリカの球場に、歌いに出かけたのです。
その球場が日本週間のようなことで、そのイベントです。
はるなさんと国歌が結びつかず、不思議だったのですが、
サンフランシスコは、タキシード同士が結婚式を挙げている
ような街なので呼ばれたのでしょうか。

はるなさんが、振り袖でサンフランシスコの球場で君が代を歌うことよりも
遥かに驚いたことには、国歌独唱の予告アナウンスが流れた途端、スタンド席
いっせいに立ち上がり、中には手を胸に当てて敬意を示した人たちが
いたことです。
君が代独唱の間ずっと、そうでした。
そして、終わったらどよもすような拍手です。
かつて敵国であったアメリカで、整然と見事でした。

国旗国歌について議論があり、中には忌避する人もいるようですが、
おかしな話です。先の戦争を忌避の理由に言い立てるなら、中国もアメリカも、
ベトナム戦争に加担した韓国でさえひょっとしたら、国旗を掲げる資格がないかもしれないではありませんか。

そう言ったら「外国のことはどうでもいい」と答えた人がいて、
驚かされましたが、自国のみ打ち据えて反省している人は
もはや一種の病でしょう。

地球市民的考えは、「考え」として解らないではないのです。
もともと地球は誰のものでもなく、土地も人間が勝手に線を引いて
所有権を示しているに過ぎません。

空が誰のものでもないように、海も陸も誰のものでもありません。
でも、現実に国境線はあり、人は登記簿を持って所有権を
確保します。かつて鳩山さんが日本列島は日本人だけのものではない、
などと行った時、じゃああなたの家を皆に開放しなさいと、切り返されて
いましたね。

理想は理想として結構なことですが、人類の意識まだ低く
現実はまだ理想に程遠く、少しでも領土を拡大しようと虎視眈々の国、
戦後のどさくさに紛れて他国の島をこそ泥した国は、現実の存在です。
国境を無視して踏み越え、他国に侵入した国がいかに
残酷な仕打ちを相手国の国民にするか。それは昔の
話ではありません。現在進行中です。

国というものが実は概念でしかなく、バーチャルな存在であるがゆえに、
国を表す記号として国旗や国歌が必要なのです。
日本には旗と歌に加えて天皇の存在があり、それゆえに長きに
渡り国家解体の憂き目に合わず、延々と歴史を紡いで来られました。

中国の歴史など、分断を繰り返し現在の中共は孔子孟子の中国とは
縁もゆかりもない、そして漢字を発明した国でもありません。
別の人種、別の国の人達です。

はかないといえば、はかなく、実体のない国家というものを
結束させる手段が国旗と国歌です。

と、大上段にふりかざさなくても国歌が演奏されるときには、
他国のものであれ、立ち上がり敬意を示す。
それは思想以前に、世界共通のマナーであり教養ですね。

自国他国を問わず、国旗国歌を否定するのは、幼いことです。
国旗国歌への最小限の敬意は、世界共通の約束事であり、
礼儀です。国家というものが、この世に存在する限り。

約束とマナーが守れないのは、恥ずかしいことです。

 


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