喉元すぎれば・・・・で、次から次に起きる刺激的な事件の前に
現在は次々に過去になり、忘れ去られて行きます。
現代のテンポではそれもいたし方のない面もありますが、
しかし、将来に禍根を残すことに関しては忘れてはならないことも
あります。
ユネスコへの登録事件も、忘れず許さずいなくてはならないことの1つでしょう。
というのは、韓国の奸計にうかうかと乗せられ、端島が意志に反して
労働を無理強いさせられた島である、と登録と共に韓国側の
プロパガンダが世界に広まり、これは元には戻りません。
ボディブローは、じっくり後に効いて来てのちのち日本を苦しめることに
なるでしょう。
これだけのことを、しでかしておいて直接の責任者である岸田文雄外相、
もっと現場の責任者である佐藤地ユネスコ大使の、経過説明も
国民への謝罪と反省の弁もないまま、有耶無耶に終わらせられるのでしょう。
外務相に電話し続けていた私も、担当部署への余りのつながらなさに
根負けしてあきらめた格好ですが、しかし電話が殺到していたのは
よいことでしょう。今回は国民の怒りが甚だしかったのです。
ただ、敏感に事態のおおごとさを察知した国民と、気づかぬ国民と
極端に二分化しているようです。
ことの重大さを知れば、まずほぼ全ての国民は怒ると思うのですが。
特殊に無関心な人たちは除くとして。
無責任で反省しない人、けじめをつけられない人々というのは
新国立競技場の関係者もでしょう。醜い責任のなすり合い。
あれだけ不自然な金額、誰かが何かがうごめいたに決まっているのに。
森喜朗氏に至っては「国がたった2500億出せなかったのか」
「高い高いというが、何が基準なのか」
世界各国のスタジアムの建設費が500億平均程度なので
それが基準に決まっています。面積が違うといえばそうですが、
それにしても、単純計算で2倍。それゆえ当初はその計算で
募集をかけていたではありませんか。
それを、予算が膨らむことで有名、建たないこともあるのでアンビルトの女王とも
言われているザハ氏をなんでまた採用したのでしょうね。
しかし、ザハ設計が白紙になったとなると、今度は森元首相は
悪口三昧。私もあのデザインは幾つかの理由で受け入れがたいのですが、
しかし、外野の私とは立場が違います。森氏のお立場で悪口三昧は
下品でしょう。世界にまた発言が配信されます。
誰が品のない口の軽い森元首相を東京五輪組織委員会会長に、
起用したのでしょうか。
いずれにしても、ユネスコの登録問題と同じく、誰も反省せず、謝罪せず。
トップが責任を取るほどの腹をくくっていない組織は軟弱でダメでしょう。
ザハ・ハディド氏にはすでに監修料として(これは何なのか、賞金とは別に)13億円が支払い済みだというが、いったいこの巨額の根拠は何なのでしょう?
いずれにしても、選考に携わった人たちの浅慮が招いた無駄な支出であることに間違いはないでしょう。でもそこに誰も責任を取らないという不可解さ、気持ちの悪さ。
しかし思えば、新競技場はほぼお金の問題だとしても、ユネスコの
端島=強制労働の監獄島という烙印は、名誉に関わること。
そして、世界はそれほど親身に日本のことを考えてくれているわけではなく、
端島以外の施設も、旧日本軍の悪事の痕跡だぐらいの
「印象」で広まるのでしょう。むろん、韓国が広めます。国家が
お金を出してまで、広めます。
政治家を選ぶのは国民ですが、外交の素人を大臣に据えられたり、ユネスコ大使の任命までは預かり知りません。真面目に純粋に選んで頂きたいのです。
東京五輪組織委員会会長に、あの森氏がふさわしいと思う感性が不可解です。
顔から言動から世界に発信される人なのに。
内閣支持がまた下がったようで、危険な現象だと思っていますが、
しかし、安保法制に重ねての、ユネスコ、新国立競技場問題は
失態の度合いが大き過ぎるでしょう。
安保法制はともかくとして、ユネスコ登録問題も、新国立競技場問題も
人選大ミスと同時に、責任者不在の曖昧システムが問題なのかもしれません。
ちなみに私は日本人のさすが、周囲に溶け込む穏やかなデザインが好きでした。後はフランスからのエントリー、ドームを森のように樹木で覆う形を
いいと思います。
このてのコンピティションの常で、奇異な形が選ばれがちですが、
しかし、それも素人の選び方だと思うのです。
審査委員長の方の言い分も私には解りません。現場を長く踏んだ方なら
あの複雑怪奇なデザインを具現化したら、巨額になるぐらいは漠然と
お分かりにならないでしょうか。それを自分の責任は作品を選ぶまでのことで、金額以降のことはあずかり知らぬと。
私なら、ですが国民の一人として予算を気にします。知悉している
分野ならある程度予測はつくと思うので。
あと、選びませんね、あの造形は。日本人の一人として神宮の杜への
思いがあれば。
私が一連の出来事に索然たる思いを抱くのは、結局関わった人々の心に
日本大事の心が希薄なことを感じるからかもしれません。
溝に捨てるようなお金があるのなら、たとえばですが、国境最前線である対馬を
韓国資本がじわじわ買い取っています。対馬は韓国領だと主張する彼らです。
採用もしない英国在住の建築家に渡す13億円で、どれほど対馬が侵食から
踏みとどまる事ができるでしょうか。それが口惜しいのです。
責任を取らない反省しないは、石原慎太郎氏もです。
競技場建設に、都内に通う人たちから税金を徴収せよという意見に
呆れました。呼んでも来るはずもない時期の五輪招致にお金を使いまくり、
銀行を1つ作って放置、尖閣で集めたお金は集めたきり知らん顔。
どの口で税金徴収やら言えるのか、その図太い神経に
呆然とします。