穏やかなタイトルではありませんが・・・・
私は今まで、人を殺めたいと思いつめるほどの憎しみを持ったことがなく、
今後持つだろうとも思っていませんでした。
それが、今夜テレビで某氏の顔、そして話す声を聞いた瞬間、
鋭い殺意が一瞬ではありましたが、芽生えそのことに、たじろぎ
また驚きもし、そして同時にテロを行う犯人の気持ちを瞬時に悟りました。
むろん、自分と考えが違う相手を抹殺することや、テロリズムを肯定する
わけではありません。
つかの間、ほんの数秒現れた、自分の中に潜んでいた激しい感情に
驚いたのです。
個人的憎悪ではありません。公憤です。そのことも私には新鮮でした。
自分にまつわることでもないのに、激しく憤る自分に驚いたのです。
物事には、常に2つの側面があります。
侵略、植民地、その見方があるのは事実でしょう。
でも、そうでない見方も一方にあります。個人の一方的価値判断で
談話として出したその結果を反省するどころか、いかに
正当であったかを恥じることもなく語り、更には中国、韓国と出かけ
日本を貶めて歩く。
自衛隊を嫌いで、大地震の時に出動させるのを遅らせ、犠牲者をいたずらに
増やしたそのことへの、反省もなく。
談話を出したところで、その後の日韓日中関係が向上したわけではなく
その男が総理在任中はおとなしくしていただけで、辞めた途端、
男の発した言葉を武器に日本を責め立てて来ました。
憤りが収まってみれば、物悲しさというのでもない、索漠とした
何かに変わりました。
たった一個人のその時の思惑で、国の命運が変わることの虚しさ、恐ろしさ。
あの当時、自分の談話を出させなければ即総辞職で辞める、という
周りへの脅しでそれが出されたのだと、今日本人の言葉で初めて
知りました。脅しという言葉は使いませんでしたが、ていのいい
脅しです。
その時の大臣たちの顔も一緒に映りましたが・・・・ああやっぱり
あの人物がいるのか、ともう一人の許せない日本人の顔を
私は見つめたのでした。
そういえば、その人物と自衛隊大嫌いお爺さんと最近では二人でつるんで
日本貶めに励んでいるようです。
私は物書きですから、とりあえずどんな人物の心の中にも入り込み、
一抹でも共感できるものを探す性を持っています。しかし彼らの心だけは
解かろうとする努力が払えません。
おそろしく頑迷な何かを、見ようとするだけで憤りが頭を燃やすのです。
修行足らずです。
終戦記念日間近のせいか、関連番組が流されるようになりました。
インドネシアの慰安婦問題を取り上げている番組がありました。
韓国人のいう、総体としての国家関与の強制慰安婦はでたらめですが、
個別に何もなかったとは、私も言いません。
だが、インドネシア女性の被害を言うなら、一方で敗戦時の米兵たちによる
日本女性への大量の陵辱、朝鮮の男たちのレイプ、そして米兵たちの
ために開かれた慰安所、朝鮮戦争当時の韓国が開いた慰安所、
ベトナム戦争時に韓国兵が現地女性たちに行った残虐な行為。
それらを併せて報道せず、なぜ日本だけにうなだれさせるのか、という
のが私の主張です。見た子どもたちは、日本人だけが特殊に
悪いように思い込むでしょう。
東京裁判も取り上げられ始めましたが、A級戦犯が一番罪が重い、と
思い込んでいる日本人がまだまだ多く、中国韓国は勘違いしたまま
「A級戦犯が祀られているから」靖国参拝反対と言います。
マスコミも政府もそれに対して、勘違いを指摘する人がいません。
安倍総理の70年談話を、息を呑んで待ち構えています。
閣議決定で出された談話の覆しができないところを、どうやって
しのぐのか・・・・・。祈る思いで待っています。
もともと、某談話には否定的な総理ですが、総理という立場では
否定するわけにはいかないのは、解ります。
私ならこういう原稿をお渡しする・・・・と思いながら、
言葉を組み立ててみています。平和を看板に掲げつつ、しかし
反省とお詫びの文言は、出来れば入れず、入れるなら一般論として
さらっと流す程度にとどめます。前の談話を表向き継承しつつ、しかし
どれだけ微妙に巧みに上書き出来るか、それが勝負でしょう。
全部の上書きは不可能です。僅かに出来れば上首尾です。
今後微妙な上書きを、ずっと重ねていくしかありません。
・・・・・しかし、かえすがえすも偏った妙な談話を一個人に出されて
しまいました。その、ツケの大きさ。
話は異なりますが、岸田文雄外相と佐藤地ユネスコ大使は、今頃自ら
韓国に許した言葉の痛切さ、重大さを悟っていらっしゃるでしょうか?
政治家と官僚の言語能力の欠如を憂慮しています。