日本人ですら勘違いしているのが、「A級戦犯」という言葉です。他にB,CとあるのですがAが一番罪が重いと思い込んでいるので、会社において損失を出した一番の責任者を称して「A級戦犯は彼だよね」などという使い方をします。
日本人ですら多くの人びとが、そう思い込んでいるので韓国や中国の人が勘違いするのも、無理がないといえばないのでしょう。しかしながら、A級戦犯が最大に罪が重いというわけではないので、A級戦犯が祀られているから参拝してはいけない、などという言い分がいかに論拠のないことか解りますね。
中国や韓国人がそれを言うのも間違いですが、日本人の中にも平然と「天皇陛下が靖国を参拝されないのは、A級戦犯が合祀されているからだ」などと、いう人がいて驚かされます。
A級戦犯で死刑を免れた人もいる一方で、B級戦犯で処刑された人もいるという事実を知れば、罪の重さではないことが端的ですね。
A級戦犯にカテゴライズされた人々が、首相や大将という大物クラスだったので、そこから来る勘違いかもしれません。かといって、B,Cに幹部クラスがいなかったかといえば、そんなこともないので、要するにいい加減だと思います。処刑できりゃいい、というニュアンスではないかとさえ、思います。
A級戦犯は「平和に対する罪」
B級戦犯は「通例の戦争犯罪」
C級戦犯は「人道に対する罪」
という区分けですが、BとCにどれほどの差異があるのか、判然としません。どのみち「結論ありき」の裁判ですから、いい加減といえばいい加減なのでしょう。
BとCは、戦争の現場で行われたもろもろである、と区分けは出来るでしょう。
Bが命令したほう、Cは実行したほうという説もあります。日本では「A級戦犯」を筆頭に、残りは「BC級戦犯」と一括りに呼ばれます。
天皇陛下非参拝のお胸の内は存じ上げませんが、A級戦犯などという犯罪者扱いは東京裁判という、事後法でそれ自体が国際法にもとる一方的復讐裁判で、名付けられたにすぎません。
そして、国内法では戦犯という人々はとっくにいないことになっています。
そして、これも中国人韓国人のみならず、日本人も勘違いしている人が多いのですが「合祀」「分詞」という時、ご遺骨とかご位牌とか何か形のあるものをイメージしているようです。しかし靖国神社に、形としてお祭りされているものは何もありません。
あるのは神道の招魂法で招霊され、供養されたおみたまのみです。強いて言えばお名前のリストはあります。分祀というのは具体的にどうするのか、分かっていないまま分祀せよと言っている人が、ほとんどではないでしょうか。
何をどう分けるのでしょう?
目に見えて分けられるものは何もありません。
ある意味、茶番です。仮に分祀が現実になったとして、せいぜい靖国神社で出来るのは、名簿の名前に線を引っ張って消すことぐらいです。
これで分祀なったと、なるのだからいっそ「分祀しました」と言って、名簿の一部を他に移せばもう、靖国参拝に対しては何も言われなくなります。
簡単なことです。
でもその簡単なことをしないのは、日本の誇りのためであり、英霊の名誉のだめであるという、これも目に見えない世界のことです。
ということで、前振りが長くなりましたが、戦犯と騒いでいる韓国の人たちも道理に合わない、というのは戦争中は半島の人々も日本人で、戦争は日本人として戦った人々です。それも、いやいやだったというわけではありません。
現地で兵隊の募集があると、現地の青年たちは殺到して大変な倍率になっていました。朴槿恵大統領の父上も、そんな朝鮮人青年の一人で、日本政府に対して熱烈な志願書を書いて、感心な青年がいると新聞記事にまでなっています。
帝国陸軍には、朝鮮名のまま高官に上り詰め、日本兵を指揮していた朝鮮の人も複数います。
だからこそ、戦犯になった人もいるのは当然です。そこを、韓国の人々は見ようとはしません。
以下、「中央日報」の報道からです。
http://japanese.joins.com/article/990/203990.html?servcode=A00§code=A00
「インドネシア・シンガポールで朝鮮人慰安婦目撃」
1940年代初めインドネシアで旧日本軍の軍務員として働いて「朝鮮人慰安婦」を目撃した韓国人の生前の証言映像が公開された。
太平洋戦争犠牲者遺族会はシンガポールでBC級戦犯として裁判を受けた故ソン・ボクソプ(1916年生)さんの90年代初めのインタビュー映像の一部を3日公開した。慰安婦強制動員を認めた「河野談話」から22周年にあたる4日を前にしてのことだ。インタビュー映像でソンさんは、自身が勤務していたインドネシアのスマトラ島パレンバンにも朝鮮人慰安婦がいたと証言した。
彼は「パレンバンにいた慰安婦は『第1明月館』と『第2明月館』の2カ所に分かれていて、スマトラでもシンガポールでも近隣に朝鮮人慰安婦がいない所はなかった」として「旧日本軍は1回慰安婦を探すのに50銭(現在の価値4万ウォン)を出したし、門の前にも『一発50銭』という案内文があった」と話した。明月館は、旧日本軍に協力して慰安婦を管理する韓国人兄弟が運営していたという。ソンさんは40年代初めに強制徴用を避けようと旧日本軍の軍務員として入隊してインドネシアで捕虜監視員や補給兵などとして働いた。彼は日本の敗戦直後に連合軍戦犯裁判に回された末に劇的に無罪判決を受けた。92年にはある地域の日刊紙に、自身がいた部隊で運営されていた朝鮮人慰安婦の名簿61人を公開もした。
ーーー転載ここまでーーー
はからずも、慰安婦が有料であった、つまりビジネスとして行われていたので、性奴隷などではなかった、という証言にもなっていますね。
朝鮮の人の証言ですから、これはあちらも文句のつけようがないでしょう。