何を当たり前な、と言われそうですが竹島が日本の領土であることを、実ははっきりとは知らない人が、どうかすると地方自治体の中にもいて、驚かされることがあります。
竹島は120%、日本の領土です。
日本が敗戦後のどさくさにいるさなかに、あの日本に亡命さえ求めたことのあるヘタレの李承晩大統領が、勝手に李ラインと呼ばれた境界線を引いて、こそ泥していったのが竹島(韓国名・独島)です。
韓国人は教育による嘘で、韓国の領土だと信じこまされているだけです。
竹島が日本は、江戸時代から漁業で竹島の領有権を確立、1905年の閣議決定で正式に島根県に編入。まごうことなき日本領土である証拠は幾つかありますが、今日は端的に2つだけ書いておきます。基礎ですから出来れば日本人としてご記憶ください。
■サンフランシスコ条約において明記されている
同条約(1951年)において連合国側は日本に「済州島、巨文島、鬱陵島を含む朝鮮」を放棄することを規定。韓国は放棄地に竹島も入れるよう求めましたが、「竹島は1905年ごろから島根県の管轄下にあり、かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない」として、これを一蹴しています。
■韓国の古い地理の本「大韓地誌」で、否定されている
『大韓地誌』(1899年)帝制時代の韓国で編まれた地理書ですが、同書によると大韓帝国の領域は北緯33度15分から北緯42度15分、東経124度35分から東経130度35分までと明記。
ところが竹島の位置は、北緯37度14分、東経131度52分であり、大韓帝国の領域に入っていません。
韓国側では大韓地誌の経緯度表示は日本の地理書の内容をそのまま翻訳したからだと反駁していますが、この反駁には根拠がありません。
なぜなら、韓国におけるこの記述は1945年以降、日本の統治から離れて以降も採用されていたので、当時の韓国においても竹島は韓国領だとは見做されていなかった証拠です。
独島はわが領土、トクトヌンウリタン(독도는 우리땅)として歌われるあの歌でも、竹島(独島)の北緯と東経が歌われていますが、記憶に誤りがなければ大韓地誌に記された北緯と東経で、歌われていたと思います。
今、歌詞を調べたら「東経132度 北緯37度」となっていて、大韓地誌から改竄していますね。
これも記憶に頼るのですが、元歌詞では「対馬は日本領」と歌われていたのが、最新のは「対馬はどこの領土か知らないが」となっていたかと思います。(調べたらその通りでした)近年、韓国は対馬も韓国領だと言い始め「対馬の日」を制定した自治体もあります。
「トクトヌンウリタン」は一発で覚える耳に馴染みやすい旋律で、これを幼児期から繰り返し聞かされている韓国民の思い込みは、案外この歌にもあるのかもしれません。実際幼稚園でも歌われています。
Dokdo is Korea land(In the USA)
韓国内だけではなく、アメリカでもこういうヴィデオを制作、印象操作に励んでいます。
ちなみに、韓国は日本海呼称を止め「東海」と呼ぶべきと主張していますが、大韓地誌には日本海表記されています。
韓国の反日教育 子供に日本人役をやらせて韓国人を殺させる授業
日本人役の子に、韓国人を殺害させる。これが一体学校でなされる授業かと、物悲しくなるほどですが、実際は竹島を巡って殺害されたのは日本人の漁師のほうです。
4000人近くの漁民が捉えられ、韓国の強制連行され長期にわたり虐待されて、日本政府はこれらの漁民を救い出すための韓国側の無理無体な条件を飲まざるを得ませんでした。条件とは、現在収監中の、不法入国を含めた韓国人凶悪犯罪者472人を全て解き放ち、その上永住権を与えよというものでした。日本政府はそれに従ったのでした。こういう歴史背景を知るとなおさら「無理やり日本に連れて来られた」などと言われると、理不尽の思いに駆られますね。
政府は、漁民の手記を得るか聞き取りを詳しくして記録を残しておくべきでした。あるいは、あるのを私が知らないだけかもしれません。
日本が「竹島は我が領土」という歌を作り、幼稚園から教えこんだら韓国からは凄まじい非難の嵐でしょう。教科書に竹島が日本の領土だと記載されただけで、激しく抗議して来る国ですから。
その反面、日本は抗議もしません。黙っています。漁民が強制連行され、虐待を受けたことを抑留と言い換えられても黙っています。シベリア抑留も同じこと。GHQが日本を被害者国とするのを許さなかった時代背景がありますが、もはや戦後70年経ちます。
いまだに、日本人ですら日本は加害者である、他国が被害者だと思い込まされています。そして、何を言われても言い返さず黙っています。
そして喧嘩はおおむね、声の大きい下品が勝ち、上品が敗北を喫します。