私は、人は2度「日本人になる」と考えています。一度目はこの日本国で、日本人を親として生まれ落ちた時。
でもそれだけでは、本当の日本人とは言えません。人は歴史や世界の諸情勢を考察できるほど成長した後に、もう一度自らの意志で日本人たらんとした時、日本人になるのだと思います。
亡くなった親友が台湾の人で帰化して日本人になった人でした。彼が生前、日本を愛する心深く、また皇族とのお付き合いなど真摯であることが実は私には不思議でした。今なら解ります、彼は日本人であることを選び、そのことに覚悟を抱いていたのだと。
父上が元外交官で、李登輝総統とお付き合いのあるようなお家でしたから、家に盗聴器が仕掛けられていたような環境で育ったので、国と国との軋轢と争い、それに伴う外交を身をもって知っていた人でした。
そういう環境を経て、日本人であることを自らの意志で選んだ人なので、自らを律してもいたし、日本国を愛する心並々ならぬものがありました。
みたま祭りで初めて、奉納させていただいた行灯が李登輝総統の行灯のそばにかけられたことがあり、それまで縁の薄かった靖国神社に、亡き友人が道筋をつけてくれた、とそんな思いが致しました。総統の達筆の隣で、私の粗末な文字はより粗末に見えたのでしたが。
国境を地続きにしているわけでもなく、他国から侵略されたこともなく、それは日本に生まれたことの幸せではあるのですが、しかし自らの国籍を厳しく自分に問うことがないのが、日本人のある面の弱さだと思います。
とはいえ、私がようやく日本人であることを選んだのは、わずか6年ほど前のことです。そう、あの悪夢のような政権交代がきっかけです。新総理になられた方の奥様を実は存じ上げていて、奥様のキャラクターと共に、彼女を通じて新総理の人となりを察知していましたから、政治に無知無関心であった私も、さすがに慄然としたのです。
勘は発達しているほうで、大量得票で政権交代し、新総理誕生ということも感じていたので、これは危うげなことになるかもしれぬ、と思ったわけです。
と同時に、こんな人が仕切る党に大量得票させてしまう、衆愚の存在をほとほと思い知りました。
それから、新総理と党の発言と動きを観察しながら、なぜそうしたのか解りませんが、私はやおら日韓併合時代から、強制連行、慰安婦・・・・と勉強を始めたのです。無関心で過ごしたジャンルなので、無知蒙昧でしたが、凝り性なので勉強をするとなったら、日に2時間、3時間、時に5時間、連日。
そして、学んで愕然としたのです。今まで教わっていたこと、思い込んでいたことがどれほど誤った洗脳に満ち、日本が悪者にされていたのか、最初は目を疑うほどでした。
そして、学ぶうちやっと私は自分が日本人であることを意識、日本という国について考えるようになり、現在に至ります。私の勉強期間などたかだか6年に過ぎません。しかしそれ以来、能動的に日本人であらんとするようになりました。
日本人としての私の核にあるのは、日本語です。二十代の頃、まだ日本人がほとんどいなかった豪州に住んでいたことがあり、ワーキングビザも取得していましたから、そのまま一生居続けることが可能でした。
でも、2年ほどいただけで帰国した動機の1つは、英語だけの暮らしの中、あたかも喉が渇くような日本語への渇仰でした。
日本語という観点から見て、安倍総理の昨夜の談話は見事であった、と私は思います。事前に、侵略・植民地・反省・謝罪という言葉が入ると聞いていたので、期待はしていませんでした。しかし蓋を開けてみれば、巧みな言葉遣いと構成とで、言外に安倍総理が込めた言葉・・・・じかに語られた言葉より、じつはそちらのほうにエネルギーを感じさせる名文でした。ネガティブな4つの単語は、そのエネルギーの中に埋没して、存在が希薄でした。だからこそ、何に対して謝っているのか、解らないという村山元総理の感想になるわけですが、実のところ謝ってなどいません。反省も実はさほどしていません。
単に言葉だけのことだったら、肉声を通さずとも印刷物配布でよろしいはずですが、語ることにも意味がありました。放つ「思い」のエネルギーで、文章にはしていない言外の訴えが、しぶきのように放たれ、心に届きました。