慰霊祭での語りの余りの出来の悪さに、自己嫌悪でふて寝していたらテレビに、V6の誰かが出ていて・・・・あ、三宅健くんだ・・・・。
私の仕事量が減り、一戦から遠のくにつれご縁も薄くなっていったのだが、一時期ジャニーズ事務所と親戚づきあいしていたことがある。
東山紀之くんが、鍋をやるから来てと言われて行ったらまるで軍隊のように規律正しく、挨拶に来てくれたのがV6の子たちだった。聞けばもう三十代だというので「子」はないだろうが、私が会ったときは無名な、文字通り子たちで、顔で覚えているのは岡田准一くんと、長野博くんだ。
坂本昌行くんは、東山くんのお使いで家に来てくれたことがあるので、その時顔を覚えた。感性が面白い人だったが、その内容は書くのにはばかる。(と思わせぶりなのは、いけないか)私が書いたドラマで、輪姦する男たちの1人をやってもらったのだが、その時の演技が凄くて、それを本人に言ったら、その時の嫌らしい手つきをしてみせてくれたのだが、手つきと裏腹に笑顔が無邪気でその対比が鮮烈で記憶に残っている。若い友達としてキープしておけばよかったなあと、今頃思っている。飲みながら話したら、一晩飽きないのではないかと思う。
料理も番組を持っているくらいで上手そうだし、もったいないことをした。
嵐以降が知らないのだが、私が書いたヒット連ドラで新人であった山口達也くんにやってもらった役名が「嵐」で、その後に結成されたグループなので、そこからジャニーさんが取ったのではないかなあ、と思ったことがあるが、確かめてない。その連ドラはジャニーさんもご覧になっていたと聞いたので、ひょっとして、と思ったのだが。世間を騒がせた連ドラで、当時の若乃花関もご覧になっていたと人づてに聞いた。岩下志麻さんもご覧になっていた、とこれはご本人から。
宝塚の人たちも夢中で見ていたそうだ。その頃世間には「嵐」と名乗る人たちも多かった。
事務所の子たちは私のことは「いざまん先生」と呼んでいたそうだが、オーナーの一人であるメリーさんは、私を「わがままん」と呼んでいた。
くださるファックスの名宛は必ず「わがままんへ」であり、ご自分のことは口うるさいので、「姑」だと名乗られていた。
私が、周囲がこれでもかと気を使っている時に、そのことに気づかず平然としていて、根の性格がわがままだから、というのが「姑メリー」の分析だった。
私は相応に周囲に気遣うという自己評価だったが、後にあるプロデユーサーが「わがままな人ですねえ・・・・」としみじみおっしゃり、私としてはどこに問題があるか、具体的にさっぱり解らず、でも多分そういう要素があるから言われるのだろうとなるべく謙虚に構えるように務めているが、どこがわがままなのか、ピンと来ないので、実のところ直しようがないのである。ところで、わがままの反対語は謙虚でいいのだろうか。
たまにだが、前世と思しき光景を垣間見ることがあるのだが、眼下に長い石階段があり、下の広場に民衆が群れ集っているところで演説をしているビジョンを見たことがあり「わが民よ」と呼びかけていたことだけ、「覚えている」。
前世を垣間見る時の言葉は具体的な言語ではなく、心象がテレパシーで伝わって来るという感じ。それを、そういうことが理解できる方に喋ったら「アメンホテフ二世」だと教えて頂いた。調べたらエジプトに生きていた実在の王だった。
それだけなら、まあそういうこともあるのかも、ぐらいで収まっていたのかもしれないが、その後マツケンサンバの振付師である真島茂樹さんと食事をしている席だった。真島さんが食事の手をふと止め、私をまじまじと見つめ、涙ぐまれているので驚いて理由を訊いたら、私が一瞬エジプトの帽子をかぶり腕を交差している姿が見えたのだという。と奇妙な出来事があって、本当にアメンホテフさんだったのかなあ、とそういう雲をつかむような怪しげな話を延々としたのは、私にわがままなところがあるのは、前世の王がまだ少し性格に残っているのではないかと、身近な人に言われたもので・・・・・。まあ笑い話なのだが。