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安倍談話について再び その2

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安倍総理談話に関して先の稿に書き漏らしたことを、記しておきます。

さっき、私もひところはよく出演させてもらっていた「バンキシャ!」を見ていたら、お二人のゲストがそれぞれ感想を述べていました。

お一人の感想に「冗長だ」という言葉があり、これはこの方のみならず指摘する人がいますが、行間で読まぬと冗長に感じるのかもしれません。

私など行間を読み取りながら、放たれる言葉の「気」のようなものを感じる者には、実に適切な長さだと思います。まさにあの長さであり、過不足がありません。

語弊があることを思い切って言いますが、人は嘘をつく時言葉数が多くなるのです。安倍総理の談話が嘘と言っているわけではないので、誤解の無きようお願いします。

嘘ではないが、心に秘めたこと全てを正直に語ったわけではないということで、何度も繰り返していますが、行間に込めた思いを読み取れる要素がその人にあるかないかで、評価が違って来ることと思います。

字面だけを追っていたら読めない何かがこもっている文章だと、私は感じました。「感じたとしか書けない何か」としか表現できず、極めて主観に属する感想ですが、しかし「行間」を言っている人は他にもいるので、あながち主観だけではないかもしれません。

非常に端的に言うと、あれ実は村山談話を継承すると字面で言いながら、心はきっぱりと否定している文章です。大変妙な言い方を承知で、そう言うのですが。

安倍談話に関しては、言葉の字義だけを読んでいては伝わりません。やはり、ご本人の声そしてあの表情、放たれる言葉の帯びている「気」としか私は表現の言葉を持たぬのですが、その「気」と共にワンセットで解読すべきものだと、私は思っています。そしてその「気」を十分表現するには、まさしくあの長さが必要でありました。

例えば日露戦争を最初に持って来て、ある意味肯定的に語り、実はそれが後に出て来る先の戦争への反省論を微妙にひっくり返している・・・・・
白人たちによる有色人種の奴隷化に歯止めをかけ、世界史の流れを変え有色人種開放の戦争で「も」あった、と「行間で」語っています(と、私は感じました)

 

以上、客観的説得力の薄い言語であることを承知しつつ、しかし私のように行間から感じる人も幾らかはいらっしゃるであろうかと、思い切ってごく主観範囲内にあることを、述べてみました。

もうお一人のゲストが言われたことにも私は肯んじません。

女性の人権について談話では、こう述べられています。

「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」

これは、慰安婦のことだと私は読みました。行間を読むということはそういうことでもあり、つまり慰安婦についてそれは今後あってはならぬと言いながら、しかし言外に「強制性などなかった」と言っています。・・・・・と、そのように私は読みました。そして、慰安婦のみならず戦地で女性であるがゆえに傷つけられた女性全て、それは日本女性を含めて語られた言葉だと思います。

もうお一人のゲストはこれを文字通り「女性の人権」一般論だと捉えられたようで、日本の女性進出が遅れていることを指摘、今後女性の進出を多くするように期待するという意味のことを述べられていますが、私は反対です。

1つはこれは主に性的に蹂躙された女性ついてであり、一般論ではないと私は読んだからであり、もう1つは女性の重用を重んじる余りに、新内閣で二人も登用した女性大臣が続けざまポカをして、ごく短期に止めさせざるを得ず、その分内閣に傷がついた過去があるからです。

「女性の登用ありき」だからです。それが先にあると「女性だから」選んだという要素が多くあり、しかし本来は男女に関係なくその役職に最も相応しい「人物」を選ぶのが筋ではありませんか?

女性がその能力にふさわしい場を得ることに、私はなんら反対はなくむしろそうあるべきと思っていますが、男女平等を看板に掲げる余りにあたかも員数合わせのような女性の登用は政治に関しては特に止めて頂きたく思います。
それは逆に女性への差別が発想にありませんか?

能力の世界に男女の差異はありません。女性にとらわれて人事がされると、ユネスコ大使のような学校のお勉強はできたろうが、とても何といおうか、あのような方がその任についてしまいます。能力がありふさわしければ、男女性別は問わないはずです、本来。

稲田朋美さんは、姿勢の正しい意志の真っ直ぐな政治家だと思いますが、女性だから素晴らしいわけではなく、素晴らしい政治家がたまたま女性である、と私の捉え方はそうです。

総理の女性人権論では、こうも語られています。

「私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります」

これはやはり、原点に慰安婦ありきの文言であり、更にそこに性的被虐対象であった女性のことであり、慰安婦他具体的に示さないために述べた内容であり、そこを読み取らぬ人には「長い」と感じる要因の1つでしょう。

これを読めば、社会的な女性の登用など、何ら関係のない文脈だと私は思っています。慰安婦の強制性否定をこういう形で発信されたのだ、と。

女性たちの「心」に寄り添う国でありたいと述べているのであって、女性の社会進出と捉える文脈ではありません。

拙稿をしたためるにあたってネット内を渉猟していたら、桜井よしこさんの談話に遭遇しました。

私が迂闊に書き漏らしたことを桜井さんはお書きなので、引用させて頂きます。
桜井さんはさすがにジャーナリストでいらっしゃるので、私のように言外を読めやら、行間にこそ訴えたいことがあるなどと、「極主観」に属することはおっしゃいませんが、感じ取られてはいらっしゃるように私は思いました。(これもまた、私の主観です)

以下は桜井よしこさんの談話です。産経新聞より。

http://www.sankei.com/politics/news/150815/plt1508150004-n1.html

 ◇

第1に、戦後の日本に対する世界の支援に深く感謝し、子や孫たちに「謝罪」を続ける宿命を背負わせないよう明記している。「侵略」という言葉を使ったが、一人称ではなく歴代政権の姿勢として、国際社会の普遍的な価値観としての言及だったのは、非常に良かったと思う。

「侵略」「お詫び」という言葉が注目されていたが、日本国民が反省している気持ちを十分に表しながら、外の声に押され、安易な謝罪の道をとらなかったことは、日本のため、世界のためにも建設的だ。

安倍晋三首相の記者会見では、「『国策を誤り…』など抽象的な用語でなく、どのように針路を誤ったのか歴史の教訓を具体的にくみ取らなければならない」と述べていた。過去の談話の精神を引き継ぐ一方で、これは村山談話の批判と感じた。

第2に、歴史を振り返って、植民地支配の波がアジアにも押し寄せていたことに触れ、「日露戦争は植民地支配のもとにあったアジア、アフリカの人々を勇気づけた」とした。歴代首相で、そういうことを述べた人がいたか。歴史の事実として、人類の歩みの中に日本もあったと確認したことは良かっただろう。

 

また、経済のブロック化が進み日本が孤立感を深めたという指摘は、歴史を学べば学ぶほどそこに近づく真実だと感じる。安倍首相は歴史について日本の視点を忘れてはならないと、示したと思う。(談)

     ーーーーーーーー引用終わりーーーーーー

私とは趣旨が違い、あくまでも字義から述べられてはいますが「村山談話への否定形」であることは述べられていますね。

また安倍総理が先の戦争を完全否定しているわけでもないことを、桜井さんもまた微妙な言い回しで、お書きになっているように思います。

安倍総理がいかなる言語を敢えて使わず、いかなる言語を冗長とも批判される危険を冒してまで使ったか、それこそが村山談話への否定、継承断ち切りの試みだと私は受け止めています。
字面だけ捉えて継承すると言ったから継承だよ、ということもできるし、いや実はそうじゃないんだよね、とも言える文章でありそれが「芸」でしょう。

長過ぎはしません。どの文章も前後左右、相呼応しあって、一節でも抜くと言外に込めた意味が、毛糸が解けるように形を無くしてしまう、そんな繊細な文章でありました。

 

安倍談話に関して、過去に書いた文章を併記しておきます。

 

日本人であることを選ぶ

ほっと一息、安倍談話

安倍談話について再び

 


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