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菅原やすのり氏を悼む

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封書の差出人の「菅原」という見慣れた姓に続いて女性名だったので、

「もしや」という思いがよぎったのだが、嫌な予感はあたっていた。

奥様からで菅原やすのり氏が逝去され、その「お別れの会」のお知らせであった。

音楽関係の方に紹介していただき、2度ほどディナーショーにお招き頂いた。

私が脚本を書いたドラマをよくご存知で、いいドラマだなあと見ていると脚本家名が井沢満であることが多い、と有り難いことを告げて頂いた。

持っていらっしゃるラジオ番組のゲストに来て欲しいとお便りを頂戴し、嬉しかったがお返事をしそびれている間に逝ってしまわれた。

急性骨髄性白血病だったそうだ。

その異色の略歴はWikiで今日知った。

 

旧満州奉天市(現・瀋陽市)生まれ。その後引き揚げて、茨城県水戸市で幼少期を過ごす。

 1968年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。アメリカに渡り、サンフランシスコで歌いはじめる。その後、同大学院博士課程に進学、一級建築士資格取得。日比谷公園でパーク・イン・コンサート主宰。

満州のお生まれであることがいかにも当時の日本人でいらっしゃる。この年代は満州や、京城(朝鮮)での出生者が多い。

しかし、よもや理工科卒で一級建築士の資格をお持ちだとは。

今後、ますます訃報を聴くことが多くなるのであろうと改めて覚悟をする。

親しいある歌い手の方も、今年からめっきりステージ回数が減った。

菅原やすのり氏、享年70歳。

謹んでご冥福をお祈り申し上げる。


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