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「朝鮮通信使」の大嘘

またもや、ユネスコ登録で日本が煮え湯を飲まされようとしているのに
気がつかないお人好しが多いので、今まで何度も書いてきたが、
再三再四、また言っておく。

朝鮮通信使

真実 朝鮮から日本への朝貢外交団であった。

韓国側嘘 文化の高い朝鮮から、低い日本へ文化を伝えに来た。

 

安倍総理の渡韓を機にまた、朝鮮通信使のユネスコ遺産登録に韓国が
熱心に動いているようだが、彼らが通信使が日本へ貢物を持って
ご機嫌伺いに来ていた一団だと、ユネスコに登録するかどうか、
考えるまでもないだろう。

彼らは嘘の登録しようとしているのだ。
軍艦島の愚をまた繰り返さぬように。今後慰安婦の大嘘も登録候補である。
日本がと言うよロ、外務省がポーッとしている間に南京大虐殺の登録も
さっさとされてしまった。

朝鮮通信使の大嘘は、困ったことに安倍昭恵さんはじめ
日本側に支持する人が多く、本当に無責任な気楽も、
いい加減にしていただきたい。

そもそも、朝鮮通信使の中身をお勉強してのことなのか。
「あら、友好使節団ね。いいんじゃない?」程度の認識ではないのか。

事実、韓国は「友好」を全面に押し出しているが、腹の中は
「文化の高かった韓国。そこにひれ伏して教えを請うた日本」という
構図のユネスコ登録なのである。

以下、私が説明するよりWikiに整理された文章がある。ななめ読みでいいので、多くの日本人に常識として心得ていて欲しい。ユネスコに登録されてしまう前に。

韓国では真逆のことが教科書で教えられているのである。このことにも、日本の政府は何もせず外務省も、相変わらず無能である。

以下 Wikiからの抜粋 青文字は井沢コメント。

 

1429年、日本に来た朴端生は、「日本の農人、水車の設けあり」として、学生の金慎に「造車の法」を精査させて模型を作り、鍍銀(銀メッキ)、造紙(紙漉)、朱紅、軽粉などの製造法を祖国に報告している。日本の貨幣経済の実態や、店舗商業の発展等にも及んだが、その中で技術にまで言及していたのは、渡航前に世宗から「倭の紙、堅籾、造作の法また宜しく伝習すべし」と、日本の技術を導入するように命じられていたからである。水車はその百年以上も前に、「徒然草」(第五十一段)に記されており、当時には農民達の手で取り付けられていた事を考えると、日本と朝鮮の間には相当の技術格差があったのではないかと考えられる[2]。

要するに朝鮮通信使の実態は「日本の技術と、貨幣経済を学ぶ」事にあったということに留意。

だが「造車の法」を彼らは結局、身につけられず水車は出来ぬまま、車輪を均等に作る技術がなく、一輪車のままであった。

 

朝鮮はまだ物々交換の時代で、貨幣や商いを知らなかったので、15世紀の朝鮮通信使は日本の乞食は銭を乞うと驚きをもって記録している。

 

通信使について当時の日本人らは「朝鮮が日本に朝貢をしなければ将軍は再び朝鮮半島を侵攻するため、通信使は貢物を持って日本へ来る」などという噂をしており[6]、幕府の公式文書では「来貢使」という用語は一切使われていないにも関わらず、民間では琉球使節と同様に一方的な従属関係を示す「来貢」という言葉が広まっていた[7]。

 

『朝鮮人来聘記』等においても三韓征伐等を持ち出して朝鮮通信使は朝貢使節であると見なしており、当初から日本人が朝鮮通信使を朝貢使節団として捉えていたことがうかがえる。また、朝鮮側も日本側が入貢と見なしていたことは認識していた。延享度の通信使の朝鮮朝廷への帰国報告では、信使の渡来を幕府は諸侯に「朝鮮入貢」として知らせており、それまでの使節もそれを知りながら紛争を恐れて知らぬふりをしていた旨が記されている[8]。こうした朝鮮観から、1811年以後通信使が途絶したことを「朝貢を止めた」と受け止める風潮が生じ、幕末の慶応2年(1866年)末に清国広州の新聞に、とある日本人が寄稿した「征韓論」の記事にも、征韓の名分として挙げられている(詳細は八戸事件を参照)。

        ・・・・・・・・・・・・・ 以上・・・・・・

 

以下は、朝鮮通信使が「自分の国の文化の低さに比して、日本文化の高さと豊かさに驚愕し、妬んでいる記録文である。

 

朝鮮通信使、金仁謙の著書『日東壮遊歌』より

大坂での記述より (多くの船が)一斉に行き来する様は驚くばかりの壮観である。その昔、楼船で下る王濬が益州を称えた詩があるが、ここに比べてみれば間違いなく見劣りするであろう[17]。

流れの両側には人家が軒を連ね、漆喰塗りの広い塀には鯨の背のような大きい家を金や紅でたくみに飾り立てているが、三神山の金闕銀台(きんけつぎんだい:仙人の住処のこと)とは、まことのこの地のことであろう[18]。

本願寺に向かう道の両側には人家が塀や軒をつらね、その賑わいのほどは我が国の鍾絽(チョンノ:ソウルの繁華街)の万倍も上である[18]。

館所に入る、建物は宏壮雄大、我が国の宮殿よりも大きく高く豪華である[19]。

我が国の都城の内は、東から西にいたるまで一里といわれているが、実際には一里に及ばない。富貴な宰相らでも、百間をもつ邸を建てることは御法度。屋根を全て瓦葺にしていることに 感心しているのに、大したものよ倭人らは千間もある邸を建て、中でも富豪の輩は 銅を以って屋根を葺き、黄金を以って家を飾り立てている。 その奢侈は異常なほどだ[20]。

天下広しといえこのような眺め、またいずこの地で見られようか。北京を見たという訳官が一行に加わっているが、かの中原(中国)の壮麗さもこの地には及ばないという。この世界も海の向こうよりわたってきた穢れた愚かな血を持つ獣のような人間が、周の平王のときにこの地に入り、今日まで二千年の間世の興亡と関わりなくひとつの姓を伝えきて、人民も次第に増えこのように富み栄えているが、知らぬは天ばかり、嘆くべし恨むべしである。[21]。

 

京での記述より 沃野千里をなしているが、惜しんであまりあることは、この豊かな金城湯池が倭人の所有するところとなり、帝だ皇だと称し、子々孫々に伝えられていることである。この犬にも等しい輩を、みな悉く掃討し、四百里六十州を朝鮮の国土とし、朝鮮王の徳を持って、礼節の国にしたいものだ[22]。

 

尾張名古屋での記述より その豪華壮麗なこと大坂城と変わりない。夜に入り灯火が暗く、よくは見えぬが、山川迂闊にして人口の多さ、田地の肥沃、家々の贅沢なつくり、沿路随一とも言える。中原にも見当たらないであろう。朝鮮の三京も大層立派であるが、この地に比べればさびしい限りである[24]。

人々の容姿の優れていることも 沿路随一である。わけても女人が 皆とびぬけて美しい。明星のような瞳、 朱砂の唇、白玉の歯、 蛾の眉、茅花(つばな)の手、蝉の額、氷を刻んだようであり 雪でしつらえたようでもある。趙飛燕や楊太真が万古より美女と誉れ高いが、この地で見れば色を失うのは必定。越女が天下一というが、それもまこととは思えぬほどである[25]。

(復路にて)女人の眉目の麗しさ、倭国第一といえる、若い名武軍官らは、道の左右で見物している美人を、一人も見落とすまいと、あっちきょろきょろこっちきょろきょろ、 頭を振るのに忙しい、まるで幼児のいやいやを見ているようであった<[26]。

 

(将軍との謁見について)堂々たる千乗国の国使が礼冠礼服に身を整え、頭髪を剃った醜い輩に四拝するとは何たることか[28]。

 ・・・・・・・・・・・・・・以上・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これが実態であり、こうして証拠もしっかり残っているというのに、韓国の教科書で教えられている大嘘がこれ。

 

朝鮮通信使について

壬辰倭乱をきっかけに朝鮮と日本の外交関係は断絶していた。したがって、日本は経済的に困難に陥った。ために戦乱後成立した日本の徳川幕府は先進文物を受け入れるために、対馬島主をとおして交渉を許可するように朝鮮に懇請した。朝鮮では日本が犯した誤りを恨みながらも建国以来の交隣政策の原則に照らし、制限された範囲内での交渉を許した(1609年(光海君2年)、己酉約条)。そうして富山浦に再び倭館が設置され、そこで日本人は米、木綿、人参などを求めていった。

また日本は朝鮮を文化の先進国と考え、使節を派遣するよう要請してきた。これに対し朝鮮では通信使を派遣したが、その一行はおよそ400余人になり、国賓として待遇を受けた。日本は通信使の一行をとおして先進学問と技術を学ぼうと懸命であった。したがって通信使は外交使節としてだけでなく、朝鮮の先進文化を倭奴(日本)に伝播する役割も果たした[31]。

 文禄慶長の役と捕虜について

倭乱でわれわれが勝利をおさめることができたのは、わが民族がもっていた潜在的力量がすぐれていたためである。つまり、官軍次元のわが国防能力は日本に劣っていたが、全国民的次元の国防能力は日本を凌駕した。わが民族は身分の貴賎や男女老若を問わず、文化的な優越感に満たされて自発的な戦闘意識をもっていた。こうした精神力が国防能力に作用して倭軍を撃退させることができる力になった。(中略)そして東アジアの文化的後進国であった日本は、朝鮮から活字、書籍、絵画、陶磁器などの文化財を略奪し、多くの技術者と学者等を拉致していった。これとともに朝鮮の性理学も伝えられ、日本の文化発展に大きな影響を及ぼした[32]。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上・・・・・・・・・・・・・・・

これじゃあ、韓国の国民が「ウリが優れているに、蛮人の倭人が何を威張っているのか」

「野蛮な倭人が、なぜウリを支配したのか」

と火病を起こすのは当たり前であろう。だが教科書に書かれたこの大嘘を、いつ
嘘と自覚するのだろう。日本が政府レベルで是正を求めないかぎり永遠に彼らは勘違いをしたままであろう。

それにしても、だ。学校で教えられたことが事実なら、なぜ日韓併合時に
韓国は世界の最貧国として、人々は糞尿が溢れる泥道を裸足で
歩いていたのか。

貴族の乗る車が、石炭を運ぶごとき粗末な一輪車であったのはなぜか。
日本は遥か平安の昔に漆塗りの牛車である二輪車を所有していたのか、
考えてくれ。

そして、なぜ韓国起源の文化がキムチとオンドルと、マッコリしかないのかも。
そしてそれらは厳密に言えば、韓国オリジナルですらないのだ。

いずれにしても、もしこのまま朝鮮通信使が韓国の大嘘の内容で、ユニセフに登録されたら、安倍昭恵さんはじめ、朝鮮通信使イベントに協力した日本人は、大いに反省、以降韓国に無知な加勢をしないことを国民の前で誓って欲しい、と事前に言っておく。

 

追記 日本のお神輿のワッショイが、韓国語の来たという意味の「ワッソ」からだと
頭の悪いことを言っているところがある。

http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151101/4744541.html

なんで、朝鮮語の「来た」が日本の神事の掛け声に転化するんだ、アホらしい。これだけ突出して日本がなんで朝鮮語を使うのだ。他に幾つも日本語化されている朝鮮語があればまだしも、これ定期的に出る説のようだが、奈良という地名が朝鮮語の「平ら」から来ているというレベルの、阿呆説である。

ハロウィンの後のゴミの山が話題になっているが、こんなの本来の日本人ではないと、ややむちゃくちゃなことを言っているが、サッカーの熱狂の後でも
会場のゴミを片付けて帰るのが、ついこの間までの日本人ではなかったか。

ハロウィンなんて、仮装して騒ぎたいだけのアタマの悪い若者たちなんだろうと思うけど。サッカーの時の渋谷も混雑するけど、ゴミの山は残らない。

安保法制案反対を相乗りでやってる連中もいたそうで、あの連中並みのおつむをした連中か。

韓国人みたいになるな。

とこれは、普段謂れ無きことを韓国から日本が言われているお返しである。

しーらね、っと。


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