明治神宮、至誠館の荒谷卓館長とお食事を共にさせて頂いたことは
記しました。
挙措にめりはりがあり、かといって動きはなだらかでお手本にしたい方なのですが、武道で鍛えられた腰の座り方があるので、しょせん模倣で届くことではありません。
母の趣味で6歳の6月6日から花柳流日舞を習っていたことがあります。
どのくらい続けていたのか、稽古終わりに「お師匠様、ありがとうございました」と挨拶したことを、床についた両手の感触まで鮮明に記憶しています。
体に芯が通るのは、武道の他には日舞か能、仕舞、狂言であろうかと
思われます。
日舞は父が嫌い止めさせられ、仕舞なら許すということでしたが
あいにく地方のその時代、仕舞を教授するところなどあるはずもなく、
早い時期に日舞を退かされたことが残念です。
日舞そのものをやりたかったということでもないのですが、
身体に腰が定まっていないのが、日本人として生まれたのに、
無念です。
花柳流の舞扇を幼い手に持っていた者としては、この度の
跡目問題は、さほど遠い世界のことのようにも思えません。
身体は踏んでいた六方を微かに記憶しています。
初めは、手練(てだれ)の老齢花柳寛氏より若手花柳貴彦氏の言い分に与していたのですが、よく話を聞くうち、どちらがどちらか解らなくなりました。
双方、首を傾げる点はあります。貴彦氏のほうが、もし流儀にはない舞をなさっていらっしゃるとすれば修行浅い身で言語道断だと思われるし、寛氏のほうは家元の血脈制度を批判なさったにもかかわらず、次の後継者氏指名を、これはまた実力も人格のほどもまだ定まらぬ二十歳台のお孫さんを指名なさったことには、説得力がありません。
正確な事情を知らぬ門外漢が勝手に思うこと、意見をお持ちの方がいらしたらお聞かせください。