ある女性キャスターが放った言葉が、胸に小骨のように突き立っていた。
報道からそのキャスターの言葉を拾うと、
「あんたは僕の子じゃないんだよって言われる息子の気持ちになると切なすぎません?」
「厳密な法解釈と家族の形って違うじゃないですか。そんなに厳密に法的に『あなたと私は家族じゃない!』って言わなきゃいけないんですかね?」
「いったんは長男と新しい奥様もうまくいってたわけですよね。過去に結婚していたことも、子供がいたことも事実なわけじゃないですか。実子がどうかは別としても。それをいまさら決着つけなくちゃいけないんですかね?」
「生みの親より育ての親って言葉もあるくらい」
拾い上げてみると、それなりに理屈は通っていないわけでもない。私は与しないが、そういう考え方もある。特に西欧では、実子の他に多国籍の子供たちを養子にしているハリウッドスターもいるぐらいだ。
しかし・・・・ここは日本ではないか。「血縁」という縁で結ばれた家族というのが基本にあり、微弱ながら血を辿れば1滴分の血は天皇につながっている・・・・という国家も「家」としてみなす感性が日本にはある。そのことの是非は置いておくとして、日本人の感性の基本にある。(血縁にはない家族の否定論ではないので、念のため。その肯定的ドラマを大昔にNHKに書いたことがある)
女性キャスターの言葉に決定的に欠けている「母性」のごときものなのだけど。言葉に添う人としての情のなさ。
母性というと女に母性を押し付けるな、とかいうフェミニズムの言い方は勘弁して欲しいのだけど、父性と母性は歴然と異なるし、猿ですら母性を持っているから本能的に乳を与えるし、外敵から守るではないか。育児そのものは男猿の役目ではない。基本的な生物としての営みを言っているので、男の育児参加を批判しているわけではない・・・・と現代は何と色々言い訳をしないといけないのだろう。ほんと、めんどくさ。
しかし「あなたの子が出来た」と言われ、潔く責任をとって結婚したら離婚。男手で育て上げたら他の子だった。なんで騙されたほうが叩かれるんだ?
それはさておくとして、コメント欄に頂いた内容に、ああ私が感じた違和感はそれだったか、と目から鱗だったのだが「自分の息子に同じことがいえますか」ということなのだ、結局。
他人に対してならいくらでも一般論で、きれいごとが言える。本人の身になってみろ、という言い方は出来るが、自分なら黙っている、という人も選択肢としては皆無ではないだろう。
だが自分の息子がそういう目にあった時の母親は、許せるか?
「生みの親より育ての親って言葉もあるくらい」は、親のほうが少なくとも他人の子だと知っていること前提のことわざであろうに。そしてそれを知った子が感謝とともにいう言葉であろうに。
今回の一件とは事情が基本的に異なる。
私は、話題の渦中の彼とたまに会って遊んでもらっていたのだが、そういう時には彼の実家のお母さんが、彼の家に来ていたようで、しかしある時、お母さんに子供がひどい言葉を投げつけたとか、したとかで、お母さんが泣いていたことがある。
お母さんから泣きながら電話が来て、彼がそれに対してなだめ、それから
子供に電話して、こんこんと言い聞かせているのを、私はそばで聞くともなく聞いていたことがある。「おばあちゃんに、あんなこと言っちゃいけないよ。おばあちゃん泣いてたよ。おばあちゃんも、○○を一生懸命育ててくれてるんだよ・・・・」
その時は、やっぱり男手一つで育てるのは大変なんだなあ、よくやってるなあという程度の感想で、息子さんが心に問題を抱えていることを知らなかった。彼が再婚する前、文字通り男手一つで育てていた時期のことである。
ある時は子供が海外で発病して、大変だったようで私はそういう時の
父親の心理状態を物書きとして知っておきたかったので、細目に渡り
・メールで質問したら「まんさん、きっついなあ」と返事が来て、答えては
くれなかった。よっぽど大変だったのだなあ、とその時もそれだけの
感想であった。
彼もむろん私も子供が実子だと思い込んでいる時である。
彼のお母さんの話に戻る。面倒を見ている最中、違和感はなかったのだろうか? 何かが違う、と。言葉にするほどでもない違和感。
心に、ひずみを抱えているので扱いが大変だということの他に、センサーのごときものは作動しなかっただろうか?
彼が私と会うのに、お母さんには来てもらえない日だということで子連れでやって来たことがある。その子が「こんど、お母さんがけっこんするんだよ」と私に言い、私はとっさに返事できなかった。彼は穏やかに無言だった。
そして、駅に向かって手を繋いで帰る「父子」の後ろ姿を私はしばらく
見送っていたことがある。
父親と幼い息子が手を繋いで夜の家路を辿る光景はいいもんだなあ、と。
まだ少年めいていたアイドル時代からの付き合いなので、そういう感慨もあったのだと思う。
あの樹生がお父さんかぁ、と。記憶の中に高い背と小さな背と、父と息子の背中が影絵になって今もある。
・・・・ご自分がもし、彼の母親だとして、以下の言葉を言えるかどうか、くだんの女性キャスターに改めて問うてみたいのだ。
「あんたは僕の子じゃないんだよって言われる息子の気持ちになると切なすぎません?
「厳密な法解釈と家族の形って違うじゃないですか。そんなに厳密に法的に『あなたと私は家族じゃない!』って言わなきゃいけないんですかね?」
「いったんは長男と新しい奥様もうまくいってたわけですよね。過去に結婚していたことも、子供がいたことも事実なわけじゃないですか。実子がどうかは別としても。それをいまさら決着つけなくちゃいけないんですかね?」
「生みの親より育ての親って言葉もあるくらい」
‥‥‥‥‥‥・どうもしっくり来なくて、彼女の経歴を調べてみたら案の定、子供は産んだことがなくしたがって、育てたこともなく、他人の子供を預かって慈しんだこともなく‥‥・
子育てってきれいごとでは無論行かず、ある有名な女性から聞いたことだが「書いている最中に泣かれると、この、ぶっ殺してやろうかと思うこともあるよ」と。これは極端だろうが、子育てがいかに手間暇根気と忍耐がいるか、知らない女性に言って欲しくないのだ。
それに、言わせていただけば一度離婚していて、2度目は不倫じゃないですか。ひょっとしたら、一度目のそれも略奪婚だとか、そうでないとか。
それがいけないというほど、私は道徳家ではないけれど、あなたに上から目線で家族を語って欲しくない、とは思う。
夫や父を奪われた妻や、子供の気持ちがわかりますか、と訊き返したい。
自分の息子が騙されて、他の男の子を苦労して育てさせられて、仕事も
セーブせねばならず、そして自分は息子の子でもない子を長年育てる手伝い。
そしてその子はある意味健常児ではなく、あれこれ言われ、され傷ついた挙句、他人の子でした。
で、あなたは「生みの親より育ての親」と言っていられるのか。
いささか、むかっ腹が立ったので、これは当事者である彼の弁護であるというよりも、今回はかなり鬱憤ばらしの駄文である。私が渦中の彼と個人的に付き合いが仮になくても、同じことを言う。