神田明神下、男坂の側にある天麩羅料理の店に行って来ました。
口開け五時半の予約より、随分早く着いたので
神田明神さんにご挨拶することにしました。
お目汚しなので、以前は顔はカットして載せていたのですが、
なんとなく運勢的に悪そうで、「しゃっつら」さらしています。
恐縮です。
しゃっつら(しゃっ面)は、他人の顔を「しゃっつら、さらしやがってこのやろ」と
罵るときに使うらしいですが、顔というよりはしゃっつら、のほうが
ピンとくるので敢えて誤用しました。
羽織は黒のベルベットで、襟のブローチは金色の蜻蛉です。
草履は藤色。足袋は細かいドットの入ったブルーグレー。
天麩羅は評判どおりの美味しさでしたが、私がコースを予約するときに、
間違えたのか、少なめのコースで少々物足りなかったのですが、
ダイエットには上々でしょう。
いい天麩羅は塩が一番です。塩は三種が用意されていました。
フキノトウやタラの芽のほろ苦さが、きっとデトックスになるのでしょう。
あともう一軒、気になる店があるのでいずれ行ってみたいと思っています。
食後、行きつけの着物の店に足を向けたことは言うまでも
ありません。
ネクタイに着物、などという着方も教わりその自在な発想が好きです。
私はそこまではやりませんが、若者がパーティなどで試みたら
いいでしょう。蝶タイとブーツなんかもよさそうです。
伝統的な男物の和服を扱うお店の頭の硬さを、私はつまらなく、また普及という点から残念に思っていたのですが、美的感性の優れた柔軟な創り手や店が現れたのは、嬉しいことです。
それまで、男物といえば紺や黒、グレーの無地で裏地も同じく・・・といった
具合で、遊び心がなくつまらなかったのです。なので、私もそうですが女性物の反物から選ぶ男もいるわけですが、新しい店では男女こだわらず「いいから置く」というふうで、これも歓迎すべきことです。
いきなり目を引いた大島紬の芭蕉の柄が大胆、斬新で感心したのですが、
聞けば案の定元々は女物としての織物であったとか。
泥染めと言ったかなあ、不確かです。
男は下に着込めるので薄物も、ものによっては冬に
転用できるという柔軟さを教わったのもこの店です。
これは目からウロコで、それ以来私は仕立てるときに
袷にはしません。居敷当てをつけてもうらうくらい。
現代における暖房の発達を思えば、袷より単を袷ふうに
着るほうが効率よいかもしれません。男は、ね。
店長さんの羽織も、従来なら5、6月以降かなあ・・・と思われる
薄物をさらっと着てらして、私はまだそこまで飛べませんが、
感覚がついて行くようになったら、試してみたいことの
一つです。紗を真冬にまとうごときは、約束事以前に
感性に逆らうので、最初からやらないし・・・・・要は自分が納得できればよいのではないか、と。
どこまで約束事を破るか、線引きが難しいといえば、難しいのですが。
基本は自らが心地良ければ、よしということで。