桜が好きですが、好き過ぎてこの季節の風と雨に
心が乱されつらくなるので、関心がないふりをして、
花見にも事あらためては行きません。
ふと訪れた場所に咲いているのを一瞬見上げるだけです。
もう十分桜は見つめてきたので、もういい、と思うように
しています。人生の終わりに向かって執着を避けたく、執着を
伴う感情は手放したい、解放されたいという心理って人に
解ってもらえるものでしょうか。
後何回、桜を目撃するのか分かりませんが、
いや寿命を直感で知っているので、解ってはいるのですが、
さればこそ、死に至るその日まで心から執着を1つずつ
手放していきたいと願っています。愛着も憎悪も
重たいものを抱えてあちらへ渡りたくありません。
ところで、韓国が桜の原産地も桜にまつわる文化も韓国起源だと
言っていて、ノーベル賞の季節になるとノーベル熱に
浮かされて、日本ばかりもらってなぜ韓国がもらえないのだ、と
騒ぐのと同じ年中行事なので、放っておけばよさそうなものですが
桜ばかりは日本の心みたいな花なので、いささかうんざりしています。
万葉集は6世紀後半から7世紀の初めに編まれていて、
中に桜の歌が40首ほどもあります。
天皇から兵士、庶民に至るまで詩歌を綴る文化が
その頃の韓国にあったでしょうか。
桜の花を愛でる古い詩歌は存在しているのでしょうか。
また桜の花をモチーフとした着物はたくさんありますが、
桜を織り込んだチマチョゴリは見たことがありません。
というより、昔の朝鮮半島には染料が払底していたので、
人々は概ね洗濯の行き届かない白い衣装で過ごしていて、
それゆえ白丁(ペクチョン)と、下層階級の人々を
呼んでいた、と記録にはあります。
いちいち言い返すのも、大人げないのですがただ
韓国が勝手に言っている分には構わないのですが、
いちいちそこに、日本と比べ日本を貶める言葉が続くので
こういうこと言われたら、万葉集や着物の柄で
こう返すとよいですよ、という意味で綴ってみました。
それに韓国では桜は日帝の悪しき遺物として伐り倒していた時期もあり、
なんのことはない、桜を憎むことで桜も花見も日本のものであることを
証明していたこともあるのです。
ところで、米軍に対するヤンキー・ゴー・ホームがヘイトスピーチではなく、
コリアン・ゴー・ホームがヘイトスピーチになるという理屈が
私には分かりません。言うべきではない、という理由を読めば、
双方言うべきではない言葉に属していると思いますが?