私が熊本の震災について余り言葉を発しないのは、偽善的なお座なりな
言葉を書きたくないことに加え、出来事が圧倒的で言葉にするには
軽過ぎるだろう、という思いがあるからですが・・・・
震災で私が思い起こしたのは、もう随分前のことになりますが
友人ら一行と、幣立神宮を訪れた時のことです。
阿蘇山の麓、九州という島の臍の部分に位置し、1万5千年の歴史を有すると
言われています。
何かあるなあ、という直感に導かれるように友人たちを誘ったのですが、
よく目撃されるというUFOには遭遇しなかったものの、不思議な現象は
ありました。
写真にオーブと呼ばれる光の玉が写り込んでいたのは、珍しい
現象でもありませんが、参加の全員が魂が宙に飛んだような
目つきで、踊っている写真には吹き出しました。
アメノウズメの尊が祀られている一画でのことで、要するに
天の岩戸に引きこもりになられた天照大神を外にお出まし
いただくために、裸踊りをして神々の哄笑を誘った神様を
お祀りした場所で、全員それとは意識せずに踊りのポーズを
取っていたのです。
これは奇妙なことですね。天岩戸は伝説、神話の域で従って
アメノウズメも創作された尊かと、思われるのですが。
しかし、神話も現実にあったことの象徴文であるかもしれず、
となると、何らかの出来事が、アメノウズメ的エネルギーを
感知させる場所が存在しても、おかしくないのかもしれません。
別名が「日の宮」「元伊勢」「隠れ宮」であり、伊勢神宮のご祭神、日の神・天照大神の御霊が鎮まっていらっしゃいます。この隠れ宮が実は、天照大神の本家本元であるように、うかがっています。
このくだり、我ながら悪文で上手く書けません。
なけなしの霊感の持ち主としては、確信めく書き方も出来ず、
こうかなあ、と想像半分で書くばかりです。
それでも、龍神さんがいらっしゃるという言い伝えの池に向かう細い坂道を
降りているときは、左にしきりに腕を引っ張られたのですが、
その方向に龍神さんの池はあったのでした。
私が不思議を感じるのは、出来事ばかりではなくその看板に
記された由来書の如き文言に唐突に「エジプト」という文言が
あることで、京都の鞍馬山のある立て札に書かれた
「金星より飛来」という文言と双璧です。
「650万年もの昔、地球人類救済のために金星から遣わされた、宇宙神霊(サナート・クマラ)がこの鞍馬の地に降り立ち、精妙なる人類救済・大調和の波動を常に発信し続けている」という文言です。宇宙神霊サナート・クマラは「魔王尊」とも呼ばれていますが、鞍馬山は標高584メートルなのに、海にしかない岩石が無造作に山道にあったりして、古代は京都ごとこの山は海底にあった可能性があり、となれば人類が認識しているはるか以前に別の日本史があるわけです。
幣立神宮の成り立ちは、神武天皇の孫である健磐龍命(たけいわたつのみこと)が、この地で幣を立て宇宙から降臨された神々を祀ったとの伝承あり、
京都の鞍馬山の宇宙サイズと、軌を一にし、また節目のイベントには、
世界各国津々浦々からいろんな人種が参集することも共通です。
幣立神宮の祭神は、神漏岐命・神漏美命・大御中主大神・天照大神と並んで
大宇宙大和神という壮大な神であり、古代の日本人の霊的インスピレーションの
壮大さに、めくるめく思いを致します。
天動説で大騒ぎしていた西欧に比べ、日本の神道のスケール感は
凄いです。もっとも大宇宙大和神というネーミングないしは
概念がいつのことからか、不勉強で存じあげないのです。
幣立神宮は高天原伝説とも、密着した存在なのですが、
これは微弱霊感の持ち主である私の勝手な感覚なのですが、
人はおそらく神と呼ばれるに相応しい光としての存在で
あった時代があり、徐々にその波動が粗く重くなって行き、
半神半人となり、そして人間というあまり上等ではない存在に
堕ちて現在に至る、と漠然と思惟しています。まあ、らちもない
妄想なのですが、かつて人間は自在に宙を飛んでいた、という
直感めく思いが抜けないのです。
「高天原に神留ります皇親(スメラガムツ)カムロギ・カムロミのミコトもちて…」と大祓祝詞の冒頭にある、言霊の聖地が幣立神宮です。このお二人が祭神なのですから。日本の開始がそもそも、宇宙の始まりなわけなので、壮大です。
日本は世界の雛形である、とも言われてきました。
学術的には、日本最古の歴史書は古事記だとされているかと
思いますが、私は読んだことがないので伝聞だけで言えば
竹内文書が更に古いと言います。トンデモ本という評価もありますが、
そこには、宇宙創世から神々の降臨・人類の誕生など三千億年前からの地球と人類の歴史が綴られているそうなので、
私の妄想的直感を補佐してくれる文書なのかも知れず、いずれは
読んでみたいと思っています。
私は、人類の歴史とは学問上知られているはるか以前に遡る、とこれも
半ば直感的に昔から思い込んでいます。オーパーツの存在など、
抜きにしても、むしろ何度も文明が生じ、そして滅びを繰り返しての
現在である、という考え方がすんなり納得できるのです。
幣立神宮には、ユダヤやエジプトにまつわる伝説もあり、そういえば
伊勢神宮にもユダヤの痕跡があるとも言われています。
エジプトといえば、私が時折垣間見る前世がエジプトが圧倒的に多く、
この世を去るまでにいくらかは過去世がらみで、伊勢神宮、幣立神宮、
ユダヤ、エジプトの不可思議な線が見えるだろうか、とぼんやり
期待していたりもするのです。
・・・・・こういう妄想的な延長であるかもしれないのですが、
このたびの地震に関して幣立神宮が皇祖神の根本を祀った
神宮であるところから、ある思いを
抱くものですから、それを漠然とでも書こうかと実は
思ったのですが・・・・
幣立神宮の由来を紐解けば、熊本に圧倒的に神武天皇をお祭りした
神社が全国でも群を抜いて多いことからも、ある感慨が胸をよぎるのです・・・・
曖昧模糊とした筆致で書いても
伝わらないか、いやたったこれだけの記述でも伝わる人には
伝わるかもしれないと思いつつ、結論の(一見)ない文章を終わります。