昨日、雨の中神田明神下のあさ野さんへお昼を頂きに
出掛けました。
私の行きつけの着物のメンズショップ、Y.・・・・・の
スタッフも、来るとのこと。私が店で紹介しているのですが。
その話から着物に話題が及び、いつしか園遊会のことへ。
やはり皇族の方がお着物を召さないと、華やかさが・・・・
というごとき話題になったのでした。
一度、ゴルフ帰りの華子さまを割烹料理店でお見かけしたことが
あるそうで、普段なら護衛が一杯で近づけないのだけど、
その日は他に客もいなかったので、入れてもらえたとのこと。
華子さまは、日本酒をくいっくいっといい飲みっぷり、
食事もさくさくっと済ませられ、姿勢よくすっくと立ち上がられ
一瞬の風のように、立ち去られたとのこと。
亡き上原謙さんが常陸宮さまともお付きあいがあったので華子さまの
気風の良さについては私も聞き及んでいます。
時に伝法な言葉遣いもなさるとかですが、あさ野のお母さんいわく
「気品のあるお方でした」
私は「あちらは、本物のお姫(ひい)さんですものね」と返したのですが、
ご挨拶も小笠原流と言うより、皇族本来の
立礼で毅然となさっています。和服を召されても、すっきり、
洋服でも、しゃっきり。民間の女性のようなモデルもどきの
シナをくねくねと作られないのも、媚びず皇族然となさって
いらっしゃいます。
巷では、妙な外国風挨拶が出回っていて鼻白みます。
それにしても、洋服だと園遊会から華やぎが失せ心が浮き立ちませんね、
と話はまたそこに戻ったのでした。
お一人、着物を召されるのが不得手なお方がいらっしゃるので、
その方が目立たぬよう、皆さん洋服を御召しなのかな・・・・と。
宮中の衣装コードに関しては、皇后陛下の鶴の一声で、皆様それにおならいだったと思います。
秋が洋服であったら、春は和服というほぼ交互体制が従来でした。
(年によりイレギュラーなことがありましたが)
率直にやはり、洋服のほうが格落ちするなあ、と思います。
招待客側の和服を拝見していると、そう思うのです。
着物の凄みというのはその華やいだ存在感もありますが、価格をいえば
身も蓋もありませんが、ダイヤをあちこち縫い付けるなど奇橋なものは
例外として、一千万円の洋服などいくら贅を凝らしても
ありませんが、着物は天井知らず。
そういう豪奢の凄みに加えて、まとうのに手間暇がかかる。だから
礼装として格も一段上がるのですが。
気付けが簡単な男物を着ている身なので、偉そうには申せませんが
男とて、気力体力がないときは着物は億劫です。
それは判るのです。女性の着物なら尚更に、とも。
しかし・・・・年に2回、功のあった国民を招いてのいわば
皇室がホスト側の公的イベントで、私的な場ではありません。
招待客にとってはほぼ生涯に一度きりの晴れの場です。
ご自分が楽をする場ではなく、少々おつらくとも無理をする場です。
そんなに何時間も続くわけでもありません。しかも、20分程度で
退出なさっていらっしゃるし・・・・
日本の伝統を最も守って頂きたい皇室の一画で着物が
消えていることに残念な思いを抱くので、私が酷なことを
申し上げているのでしょうか。
皇室からの注文で、たとえば御地赤他、命脈を保って来た
着物のお店もあるのです。それが皇室から着物が消えると
彼らも立ちゆかず店を閉ざし、伝統が息絶えます。
というごときことをあさ野のお母さんと喋っていたらお母さんが
「チャールズさんのお嫁さんに、エリザベス女王がもっと
きちんとするようにと、厳しく申し渡ししたんですってね」
唐突だったので、私はとっさに意味が解らず、
「ケイトさんのことですか?」と訊き返し、あさ野のお母さんは、
「ええ。あちらは厳しいのよね」と、そこで客が入ってきたので
話題は途絶えたのですが、あさ野のお母さんが言おうとしていたこと、
伝わりはしました。
被災地の方々が過酷な中、必死に生きていらっしゃる最中の園遊会
だったので余計、そのありようをぬるく感じたのかもしれません。
普通に暮らしていても、国民は経済の厳しい暮らし、対人関係の中、
つらきを耐えつつそれでも笑顔で懸命に努めています。
あさ野のお母さんや私のような感覚が一般的なのか、
そうでないのか、解らないのですが・・・・・・。
お可哀想と想いやる人々も多いのでしょう。