「生前退位」に関するテレビ番組の一つに、今上陛下のご学友として
橋本明氏が出演なさっていました。
私がある時期親しくしていたジャニーズ事務所のメリー喜多川さんの
旦那さんが、作家の藤島泰輔氏で藤島氏も、天皇のご学友のお一人で
その時の体験を基に、「孤独の人」というタイトルで小説化、当時の
大ベストセラーとなり映画化もされました。
内容をよく覚えていませんが、映画の中の皇太子は常に、膝に置いた
白手袋の手で表現されて、顔は映さなかったのが記憶にあります。
逸話の一つに、今上陛下、当時の皇太子の学友たちが侍従を
ごまかして、皇太子を銀座に連れ出して遊ぶくだりがあり、
どうやらこれはフィクションではなく事実のようで、その中の
ご学友の一人が、橋本明さんだったとされています。
そのシーンは記憶にあります。まだ若い津川雅彦さんの
美しい顔立ちも印象に残っています。
モノクロスタンダード。日活映画でした。
学習院内の熱っぽい男同士の恋の描写もあったそうですが、私の記憶からは
抜け落ちています。あの時代の学習院なら・・・・・というよりあの時代の
男子だけの学校では、ありがちのことであったので驚きはしませんが。
(学習院は中等部から男女が分かれます)あるいは、映画では省かれた
くだりかもしれません。
橋本明氏が、番組の中で今上陛下が骨の髄まで平和主義者であることを
明かし、その最後のお仕事は韓国訪問だ、と語ったことで
ネット内は騒然としています。
若い世代が、その話題を唐突に感じ橋本氏が「左翼」であり
話をでっち上げた、と思い込んでいるようですが、我々世代は
話の真偽はともかく、週刊朝日などが「両国の平和のためなら、
訪問したい」などと、両陛下のお言葉として大きな記事に
していたのをオンタイムで承知しているので、それほど
荒唐無稽な話だとも思ってはいません。
お断りしておきますが、両陛下の韓国へのご意志が事実だと
言っているわけではありません。そういう「説」も、日常的に
あったので、若い世代が沸騰するほど衝撃ではない、という
ことをお伝えしています。
両陛下の韓国ご訪問がさほど、突飛な話題ではないと感じるのは
やはり両陛下の韓国ご訪問が実際に行われようとしていたことを
承知しているせいもあるでしょう。(それに対して現在の思考で、
どう思うかと、問われれば絶対反対と答えます。決してそれが
友好になどなり得ないのは、中国訪問と同じことです)
すでになされた中国ご訪問を考えれば、韓国ご訪問もさほど
奇矯な話題でもない、と感じる世代があるということは解って
いただけるでしょうか。
韓国訪問は、皇后陛下の子宮筋腫の手術で訪問中止となり、
そのことを皇后陛下が長く悔やまれておいでだった、という記事を
読んだ記憶があります。
物事を深く考えることをしない時期だったので、両陛下の
韓国訪問をとりわけ変だとも思わず、読み流しました。
その後、皇后陛下が韓国に想いを寄せられる和歌などを詠まれると
いささか困ったな・・・・・とは思いました。
対馬より釜山の灯(あかり)見ゆ といへば韓国の地の近きを思ふ
淡々としたお歌ではありますが、少なくとも韓国がお嫌いであれば
詠まれないでしょう。日本人を悪者に仕立て、韓国人の若者を
ヒーローにした映画にも出かけられ親身なご感想を漏らされたりなど
なさってはいらっしゃいます。それと皇太子殿下の交友範囲に、国連の
潘基文氏、それから竹島に首相としては初上陸の韓昇洙元首相が
いることも、お許しになっているご様子だったので、韓国に対する
感性は柔軟でいらっしゃるのか・・・・と率直に申せば困惑気味に
感じてはいたということもあり、橋下明氏の発言を若い世代の
愛国者とは異なり、とんでもないでっち上げとまでは思わなかったのです。
但し、誤解が大変困るので何度でも言っておきますが、両陛下の
お気持ちが事実だと言っているのはありません。
当時の報道からオンタイムで知っている身には、真偽の
ほどはともかくとして、さほど唐突には感じないという世代による
温度差を述べたまでのことです。
韓国ご訪問が万一、両陛下のみ胸のうちにおありなら、国民の
一人として、畏れながら反対させて頂きます。いらしたところで
中国の二の舞いという意味もこめて、です。
なんにしろ、領土を不法占拠されている国との友好は、欺瞞です。
上辺ばかりを取り繕っても、それは実態からの目逸しに過ぎない、と
これは外務省や一部自治体への懐疑です。
参考までに
小説「孤独の人」には、三島由紀夫が序文を寄せています。
そういえば三島の小説「仮面の告白」でも、近江という
同性の同級生に恋情を寄せるさまが描かれています。
序文
「作者は多くの学生を登場させて、あらゆる側面から照明を当て、皇太子に対する同級生の各種の反応を客観的に並べている。そして小説的に興趣のある点は、皇太子なる人物が、丁度故人を主人公にした『レベッカ』のやうに、小説の背後に淋しい肩を見せて立っているだけで、すべての登場人物に影響を与え、行動の動機を与えていることである。作者が小説家として皇太子を拉し来った企みは、まさにここにあったのかもしれない」