私も一度行ってみたくて、足を運んで行列の一員になったことがある
神田の蕎麦屋にトム・ハンクスが行ったとかで
自撮り画像がアップされていて、世界のあちこちで
その、溶け込み方が話題になっています。
h ttp://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-2069.html
本当の蕎麦好きではないので、味はどうだかよく分からなかったのですが時代を経た店の作りは、しみじみと素敵です。脳が江戸にワープします。蕎麦は回転が早いので、列もさほど待つわけではありません。大体相席になるのもまた味わいでしょう。
地方から来て、ふらっと一人で寄り手酌で板わさと蕎麦を楽しんでいるいなせな
お兄さんがいました。(いなせな、って江戸っ子以外の人に使ってもよかったんだっけ)
大辞林で調べたら、やはり江戸っ子限定ですね。
いなせ【鯔背】
( 名 ・形動 ) [文] ナリ 〔江戸時代,江戸日本橋魚河岸の若者が髪を鯔背銀杏いちように結っていたことから〕 粋いきで威勢がよく,さっぱりとして男らしいさまや,そのような気風。 「 -な若い衆」 「刺繡ほりものだらけの-な哥々あにいが/塩原多助一代記 円朝」 はてしかし「鯔」とは何であろうか? 「ぼら」ではあるのだが、それを「いな」と読む時に何が変わりがあるのかと思えば、ぼらはぼら、魚なのですが・・・・ ちょんまげを結う時に、ちょっと斜めになったら「あら、格好がいいじゃないの、お兄さん、あたしゃ岡惚れしちまうよ」となって、瞬く間に江戸市中に流行りだしたのが鯔背銀杏であり、銀杏は後頭部の膨らんだ部分「たぼ」・・・・・ともどかしく説明するより、図像が早いか。 そのちょんまげの形が、ぼらの泳ぐ背中に似ているので鯔背銀杏となり、不良っぽくてイカスお兄さんのことも転じて「いなせな」となったそうな。 ある時期は一昼夜で本を五冊読むほどの多読であったので、いささか語嚢は貧しくないはずと自惚れるも、まだ見知らぬ言葉が日本には一杯。まこと、言靈のさきわう瑞穂の国であるのでした。 わたくし、長命の手相で時々うんざりするのですが、しかし言葉の森に分け入って新たな言葉を採集するだけでも10年、20年はゆうに必要です。 言葉の追求、どこまでも。
生きていようっと。ぼけずに。(と、レシチンを飲み始めたのですが、忘れがち) ちなみに語嚢(ごのう)と書いて、これ確かに私の収集した言葉の中にあるのだが、正しく存在する言葉かな? と調べてみたら、ないですね。
でも、私の言葉の収集先はおおむね書物なので、どなたか先達がお使いになっていたのは事実なのです。 嚢は「ふくろ」ですから、言葉の袋という意味で造語としては間違いないとは思うのです。しかし突かれないためには、素直に語彙(ごい)という言葉を用いたほうが、無難でしょう。語嚢・・・・・実感があり、好きなんだけどなあ。 トム・ハンクスの蕎麦から、語彙に行き着きました。 落語も日本語の宝庫です。一度、聴きに行かねばと思いつつ新宿は
末廣亭の前をしじゅう通るのに、行ってません。上野にも確か あったはず・・・・。