お招き頂くのが恒例となった、美輪明宏さんの秋の音楽会に
行って参りました。
お見苦しくて申し訳ないのですが、傘と着物だけ見ていただれば。
白髪にしたくて、白いワックスを塗っているのですが画面では
よく見えません。
木綿の着物に、綿麻の絞りの羽織です。コンサートに綿は
失礼かと迷ったのですが、仕立ておろしに免じて
ご寛恕願うことと致しました。傘は美輪さんのテーマカラーである
紫にちなみました。
美輪さんの音楽界は歌もさることながら、トークも絶妙で
興深いのですが、今回の音楽界のテーマは「生きる」ということで、
選曲もそれに添ってなされていて、美輪さんが尊敬する
職種の1つがサラリーマンだそうで、サラリーマンの忍耐と
苦難を作詞作曲したのを歌われました。
そのトークと歌を聴きながら、サラリーマン社会の大変さを
改めて思ったわけですが、それと同時にある音楽グループの事務所
脱退劇のことが、頭をよぎっていました。
会社内の差別、いじめ、上司の横暴など普通に存在します。
給料は我慢料と言われます。
日々満員電車や社内の理不尽に耐えながら皆さん営々とやっているわけで、
何も芸能界がその意味で特殊だというわけではありません。
しかし、それぞれのファンにとっては「かばいたい」ので、社会通念や
働くものの倫理を逸脱したメンバーたちの選択ミスを認めたくないので、
「犯人」を他に求めるのです。
芸能の業界にいる人で、彼ら4人とマネージャーの行為を
よしとする人はいません。
音楽会の後、テレビ局のプロデューサーと食事に行ったのですが、
その席でも事務所とメンバーとの話が出て、私たち彼らと
共に仕事する身から見れば、例外なく残る選択が
正しいと口にします。生き延びようとするならば。
芸能の世界のみならず、仕事という形で日々忍耐で勤めている
人々にとっては、今回の出来事の理非曲直がどこにあるか、
シンプルに解るはずです。
仮に五人揃って事務所を出たからといって、そのグループが
芸能界に存在できるわけではありません。
何も事務所の横暴とか、芸能界の悪癖や歪みということでは
ありません。どの業界でも、そこには踏み外してはならないルール、「仁義」と
言ってもいい、が存在するのでそれを破る人たちに、風は甘くはありません。
それだけのことなのですが、伝わらない人たちがいることに
いささか、驚かされました。
時には事務所の、メンバーたちの車に同乗してその車を追いかけてくる
ファンの姿を車から見ていた私にすれば、その熱狂ぶりは
解らぬわけでもないのですが、思い入れが強く深いからと言って
世の中の掟が覆るわけもなく、逆らう者への掟は厳しいのです。
円満退社したタレントたちは、とりわけ妨害されることもなく
ちゃんとやっていけてます。
というごときことを書くとまた、一部ファンたちの反感をそそるのでしょうが、
事実は事実です。「公開処刑」と言われたあれに耐えてまでも
残ることを選択したのは結局4人なのだし、しかしそれが事務所側の
強権による人権問題だと言い立てるのはそれも少々違います。
彼らは、事務所側が懇願したファイナルコンサートを拒否する自由を
持っていたでしょう?
そして最終的には解散という事務所に多大な損失を与える自由も、
話し合いにより手にしたわけなので、一部ファンたちが思い込んで
いるように奴隷のように縛られていたわけでもありません。
ファンも概ねそこらへの常識は心得ている人たちが多いと思うのですが、
一部突出した人たちが騒いでいるのでしょうか。
独立するという言葉が使われていますが、それは違います。
事務所を出たからと言って、文字通りの独立はないので
やはり、芸能界に深く大きな足場を持つ事務所に依らざるを得ず、
船を乗り換えるだけのことです。しかし、彼らを受け入れる船は
ありません。そんなこと、最初から解っていることです。
となればマネージャーが会社を起こし、やっていくしかないわけですが、
グループ名にも著作権があり、使用できないのだから
グループはその時点でその意味では消滅。業界仁義に背いた
彼らを使うテレビ局もないので、その意味でも消滅なのです。
じゃあ個人でやろうかと言っても、それも同じことです。
その厳しい現実に愕然と気づいたから、彼らは戻ったのです。
戻る自由もあったし、グループの結成者であるオーナーの懇願にすら
耳を貸さずコンサートを拒否する自由も、グループを解散する自由すら彼らは手にしていました。
一部で言い立てられているほど彼らが、強権的に縛られている
わけではありません。私はオーナーの一人をよく存じ上げているので
一部ファンたちが悪者として血祭りに上げる部分が皆無とは
言いません。ただ、俯瞰で見れば上記に述べた如くです。
業界の人々がやはりいちように口にするのが、女房子持ちだと、
やっぱり慎重だよね、ということです。組織に所属していれば
サラリーマンと同じく、ギャラは我慢料なのだし、その我慢も家族のためと思えるので、慎重なのでしょう。
いずれにしても、それぞれのファンが誰かを悪者にして口を極めて
罵ったところで全てを決めたのは彼らなのであり、残った彼らの
肩身を狭くするので、もはや黙って個人としての、それぞれを応援をするのが
彼らのためでしょう。グループとしての作品は残っているのだし。
音楽会でたまたま、サラリーマンという機構の中で生きる人々のことが
語られたので、また要らぬことを書いてしまったのかもしれません。
美輪さんが歌われている間、舞台が上のほうにせり上がるのを
「見た」のですが、錯覚だろうと気にもとめずにいました。
しかし、その後の食事の席でそれを何気なく言ったら、
やはり見たという人がいて、それも2回と回数も一致したので、
霊的な視界では、舞台ごと何十センチか浮き上がったのは
「事実」だったのでしょう。
もう数十年ほども前のこと、美輪さんに夜中のある時間に、ある
方法で神々が会議しているのを見ることが出来るよ、と教わった
事があり、その時はへえと聞き流したことが、このところ
気になっていて、楽屋でうかがおうと思っていたのに
失念しました。来年春は三島由紀夫の「近代能楽集」をやられるそうなので
その時に、改めて伺おうと思っています。
神様たちの会議などということに何ら疑問を持たず、あ、見てみようかな、と
思う私が変なのでしょうか。数十年前にうかがって、耳を素通りさせていたのに、
このところ、急に見てみたくなったのです。
(文章上の遺漏は、後ほど加筆訂正します)