日々、新たな言葉を収集して手持ちの語彙を増やしていきたく願っていますが、
長年多読で、そこそこの言葉数は持っており、毎日未知の言葉と出会うというわけにも行きません。むろん、自ら積極的に毎日辞書を読むということを
習慣にすれば、日々語嚢(これ造語ですが)は豊かになるのでしょうが、
日々の暮らしに辞書読みを義務化するのも楽しくはなく、また言葉は
それぞれの文脈に於いて生命を帯びるのであり、やはり書物で出会うのが
一番です。
ところが最近では、編集者さえ読めない漢字があるようで、作家も軒並み
平易な言葉を使うので、新たな言葉との出会いがありません。
三島由紀夫を読めば、未知の言葉との遭遇などしじゅうありました。
しかし今朝はテレビの、それも天気予報で新たな言葉を得ました。
それは「雲容煙態」(うんようえんたい。雲容烟態とも書く)で、
雲や霞などの空の様子が刻々と変化するさまを表し、不安定な
最近の空模様を指すに、ふさわしい言葉かと思われます。
社会の動きも、天候と同じく「雲容煙態」で、ちょっと報道から目を
逸している隙に事態が変化しています。
「生前退位」については、女性天皇(愛子さま天皇では結局、女系天皇になるわけですが)論が同時に論議されるようになり、生前退位とは本来、何の脈絡も
ないのに、テレビも当たり前のように女性天皇論を始めています。
NHKへの「リーク」やNHKの「スクープ」など皇室に関しては本来あり得ないことが起こり、女性天皇など悠仁親王殿下がいらっしゃるのに、これまたあり得ず無礼極まりない論です。
言えば、企みでことは運ばれています。
皇統が絶えることなど、まだ目前には存在しない危機感が必要以上に
煽られてもいます。悠仁親王が早婚で、複数の男子を生される可能性だって
あるのに。確率で行けば、必ずしも高くはありませんが、低いというわけでも
ありません。愛子さまお一人で、秋篠宮家にも女子ばかりという状況で、
すわ皇室典範改正で女性天皇可とされるか、というきわどい時に
大仰ではなく奇跡的に授かった親王なので、2度目の奇跡があっても、
おかしくはないだろうと、わたくしは実はこの点に於いては楽観的なのです。
微弱な霊感寄りの・・・・・・霊感未満、直感以上のアンテナでそうキャッチしています。
ただ、NHKのリークそれに伴って唐突に現れた女性天皇論、そして中身もないのにタイトルだけでかでかと全国にばらまかれた、あたかもプロパガンダのようであった「皇后は生前退位に反対だった」という文藝春秋のカラ文言。意図的に何かが動いていて、いかに奇跡の御子がおわそうと、危うい路線は敷かれつつあるとは感じています。
歴史上女性天皇はいました。しかし、一時的なことで血脈は全て男系へと戻されています。そして男系で2676年間(皇紀)つながれて来たのが現在の皇統です。
なぜ男系でなければならぬのか。
それは血脈をたどると神武天皇のY遺伝子に必ず辿り着くという、血統の安定感がそこで崩れてしまい、祭祀王としての男子の血の純度が、濁ってしまうのです。
血統とか血とか言うのは、現代の平等論から著しく逸れる概念ですが、
しかし皇室は、世間一般の価値観の遠く埒外にあることで、その最も良い意味に於ける純粋性と特殊性を保って来たのであって、世間一般の風に吹き晒された途端、瓦解してしまう何かがあります。極めて感性的でロジックとしては脆弱ですが、そもそも皇室は非論理の世界です。神話が実在であろうと、フィクションであろうと、そこを受け容れなければ皇室は単なる「機関」と成り果てます。
皇室とは、国民がこぞって見る聖なる夢のようなものであるのかもしれません。
1億人が同じ夢を見るなら、それはもはや現(うつつ)でしょう。その現が
あればこそ、日本はずっと同じ民族による日本であり続けました。
皇室へ忍び寄る危機として、国連の女子差別撤廃委員会の動きを観察しています。ここは、必ず女子への差別だとして、天皇は男子に限るという点を国際世論を喚起しつつ日本にゆさぶりをかけて来ます。「女子差別撤廃条約」を締結したのは、雅子妃のご尊父であらせられる、小和田恒氏です。
https://www.youtube.com/watch?v=iN0yuPdY8x4 小和田恒 条約局長が女子差別撤廃条約を締結した。
0:30より数十秒
国連が女子差別撤廃を旗印に日本に揺さぶりをかけて来たら、ぐちゃぐちゃにされる、と述べているのはジャーナリストの水間政憲氏ですが、わたくしもその点を懸念しています。国際世論を煽りつつ、日本のマスコミもそれに乗り、「生前退位」がもたらすあれこれも、女性天皇擁立の危険性も解らず90パーセントの国民が賛成するような寒々しい状況なので、極めて危なっかしいのです。
憲法違反を歴然と犯してまで、何かがなされようとしていることを
知って頂きたいと思います。諸事に停滞を及ぼす皇室典範改正やら
特措法などではなく、すっきりと摂政制度があるのに、なぜそれが
忌避されるのか、考えようともしない人たちが多いのはまことに
残念なことです。一人でも身近な人に伝えて頂けたら、と切に願って
やみません。
しかしながら、安倍政権が妙なたくらみに、いささか抵抗しようと
しているらしい様子はうかがえ、そこはせめてもの救い。
末尾に、思考のよすがに記しておくと、村山談話や河野談話に先駆けて、日本悪人論の自虐史観を唱えたのは、昭和六十年十一月八日、衆議院外務委員会での小和田恆外務省条約局長(当時)です。
一見バラバラに散らばった情報のピースをはめていくと、真実の絵柄が見えて来るのは、あたかもジグソーパズルのようです。
(誤変換他、拙文の遺漏は後ほど推敲します)