日本とはどんな国か?
と問われれば、答えは2つであろうかと思われます。
「すめらぎのいつくしき国」であり、「言霊の幸はふ国」です。
つまり天皇陛下がおわし、魂の宿った言葉が豊穣な美しい(いつくしき)国、これが日本という国の特質でしょう。
思うに、原初的なアニミズム(自然界の石、草木などありとあらゆるものに魂が宿るという思想と、シャーマニズム(呪術)が、古神道の原点であるような
気がしていますが、そのシャーマンの最高位がすめらぎ、すなわち
天皇ではないかと愚考しています。
言葉に宿る魂を用いて、神々に祈るのがシャーマンたる天皇であり、
その天皇がそのまま国体である、というごときことでしょうか。
現在天皇に、祈る存在としての要素が薄くなりつつ
あることを憂えています。「生前退位」の理由とされた、公務など
二の次三の次のことです。
言葉と神との関わりは旧約聖書にもあります。
「原初に言葉ありき」と。『ヨハネの福音書』にいわく
「初めに言葉ありき、言葉の命は光であった」
キリスト教圏では神が「光あれ」とアファメーション(宣言)してから
世界が始まった、という感知の仕方をしています。
日本では、言葉そのものの振動が宇宙を形成した、とわたくしは
思っています。マントラ(真言)も、おそらく言葉の意味ではなく
その特有の音の震えが、宇宙に呼応するのでなかろうかと。
ノーマクサーマンダバーザラダンセンダンマーカロシャダソワタヤウンタラタカンマン
わたくしの好きな不動明王の真言です。
言葉とはすなわち音声であり、音声とは
振動であり、その振動の大いなるものがビッグバンという宇宙の
はじめなのかもしれません。仏教でいえば三千世界の始まりと
いったところでしょうか。
あらゆる存在は「振動」vibrationだとされています。
宇宙は宇宙自らがその震えにより存在した、というほうが
神の創造物としての世界観よりも、わたくしの感性には
そぐわしく思われます。
量子力学で一端の説明が出来るような気がして、Wikiを
開いてみたのですが、わたくしの脳はその領域がまだ
拓かれていません。閉ざしっぱなし。
お断りしておきますが、わたくしの思い込みと想像を混じえて記しています。
学術的分野における定説は知りません。
神の存在と言葉とは抜きがたく相関関係があると思いますが、
日本に言葉が豊穣であるということは、すなわち神々が豊かに
住まう国であるということでしょう。
言霊の幸わう国だという認識は、『万葉集』にあります。柿本人麻呂の、
「磯城島(しきしま)の 大倭(やまと)の国は 言霊の助くる国ぞ まさきくあれ」
日本というこの国は、言葉に宿る魂に助けられてある国なのだ。幸多くあれ。
祝詞(のりと)が発生したゆえんでしよう。めでたい言葉を唱えれば、
その響きが宇宙の森羅万象に相呼応して、幸を運んでくるぞ、と。
このような、言葉の豊かな国に独自の書き文字がないことを、わたくしは
かねがね不思議なことに・・・・というより納得できない思いを抱いて
おりました。
そのような納得できなさの中に、時折隙間風のように忍び入って来るのが
「神代文字」(じんだいもじ、かみよもじ)という言葉でした。
漢字の伝来以前に、古代日本に存在していた文字だと言われています。
これに対しては諸説ふんぷんですが、わたくしは直感的に、神代文字は
あった、と思っています。
これほど豊穣な言葉の持ち主である民族が、書き文字を持っていないというのが不自然です。知能も相当高い民族です。
ならば、なぜ中国由来の漢字が主流となったのか、わたくしの仮説は
漢字の伝来、それから派生した仮名の時代になると神代文字は
もっぱら、秘密をむねとする神事を記すことに使われるように
なったのではないか、ということです。
忍者のハウツー本のように「秘事ニシテ流布セズ」。
密教のお次第書にも「ロイ」と言われるものがあり、大事な作法は
「口伝」で伝え、書き記さないということがありました。
「ロイ」とは「口伝」の呼び名で、漢字をバラせばロイとなります。
もっぱら神聖を大事に、衆愚の目に触れさせずという意味もあったのでしょう。
神代文字は、現在神社の護符などで見られます。
なお、上記は井沢満の独断に依る記述なので、よゐこの皆様は
決して記憶に定着させませぬよう。
文中、タイピングミスその他の瑕疵については後ほど推敲致します。