日韓併合時代に、日本が朝鮮語を使うことを禁止したとか、
名前を日本名に改名するよう強制したとか、もっともらしい
嘘を韓国の人々が信じ込んでいるのはまだしも、
日本人でとくとくとして、それをいまだに言う人がいることに
慨嘆を禁じえません。
ちょっと調べれば資料が容易に拾えるのに、なぜ
言われっぱなしで、黙っているのでしょうか。
無言は国際社会では「肯定」と同義です。
日本語は、それぞれの学校の校長(韓国人)に採択の有無が
まかされていました。
黒板に、ハングルを書いて教えている当時の教室の光景も、画像で残っています。
創氏改名、つまり和名への変更は義務ではない、と日本政府から通達した書面が資料として残っています。
ただ戦況が厳しくなると、日本語のみを覚えるように強制したなどという
事も言われていて、それが事実かどうか今の段階ではわかりづらいな・・・
と思っていた矢先、コメント欄に読者さんから書き込みをいただき、当時は
日本語の放送と、韓国語の放送と2種類があるということで、意を強くしました。
朝鮮語を奪ってなんかいません。敗戦を喫するまで、朝鮮語の放送は
あったのです。出典 昭和9年 ラジオ年鑑
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%94%BE%E9%80%81%E5%8D%94%E4%BC%9A
随分、立派な放送局です。日本は韓国のインフラを整え、学校や病院を整備、韓国人の寿命は飛躍的に伸び、識字率は大幅に高くなりました。日本は文字を奪ったどころか、当時貴族が寡占していたハングルを広く
朝鮮全土に広め、庶民も文字を使えるようにしたのです。
前稿に書いた如く、韓国語には日本語がたくさん取り入れられています。
むろん、日韓併合に反対の人たちは抗日の姿勢でしたが、多くはなかったのです。現在の韓国の近代化が、日本との併合時代のおかげであることは
事実です。長きに渡る中国の奴隷国、また李氏朝鮮の圧政から韓国を
開放したのが日韓併合です。
日本は国防上の理由で、韓国を併合しましたが、それ以外のメリットは
皆無でデメリットのほうが高かったのです。現在でも日本は韓国にとって
生命線ですが、日本にとっての韓国はさほどでもありません。
仮に国交断絶でも大怪我はしませんが、韓国は虫の息になります。
それでも韓国は強気の反日、日本は弱気のまぁまぁ路線。
通貨スワップは、結局締結させられてしまうのでしょうか。
日本にとってはデメリットしかないのに、韓国からはさんざん
罵られながら。
ある方とお話していたら、五輪に向けて空港から街のあちこちに
旭日旗を飾ったらいい、と言います。旭日旗嫌悪で大騒動してる
連中だから、来なくなるだろう・・・・とおっしゃるのですが、私は
「いや、それでも押しかけて来るでしょうねえ」と答えたのでした。
日本製のビールで、寿司をつまみながら反日に燃えているのが韓国人です。
ちなみに旭日旗は正規の自衛艦旗で、他国に
とやかく言われる筋合いはありません。
もっと突っ込んで書くつもりでしたが、時間がなくなりました。
ミスタイピング、誤変換他、後ほど推敲します。
備考
Wikiをちょっと当たってみるだけで、日韓併合がいかに韓国にとって恩恵であったか、がわかります。
■日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が二つしかなかった。 盗む側と盗まれる側である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。「搾取」 と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、どの職位も売買の対象となっていた。
—イザベラ・バード、『朝鮮紀行』講談社〈講談社学術文庫〉、1998年、pp.343 f
■金完燮は、当時の朝鮮は腐敗した李朝により混乱の極みにあった非常に貧しい国であり、日本が野望を持って進出するような富も文化もなかった、とする。彼によれば近代日本の歩みは列強、特に当時極東へ進出しつつあったロシアとの長きにわたる戦いであり、日清戦争から日露戦争そして韓国併合に至る一連の出来事は全て日本の独立を守るための行為であった。当初日本は、福沢諭吉の門下生の金玉均を始めとする日本で文明に触れた朝鮮人を通して、朝鮮が清から独立し近代国家となって日本にとっての同盟国となることを望んだ。しかしながら朝鮮人自身の手で朝鮮を改革しようとする試みは頓挫し、福沢諭吉が脱亜論を著したように方針を転換。
■元韓国空軍大佐の崔三然も、「アフリカなどは植民地時代が終わっても貧困からなかなか抜け出せない状態です。では植民地から近代的な経済発展を遂げたのはどこですか。韓国と台湾ですよ。ともに日本の植民地だった所です。
■日本内地へ多くの朝鮮人が流入したことによって、内地の失業率上昇や治安が悪化したため、日本政府は朝鮮人を内地へ向かわせないよう、満洲や朝鮮半島の開発に力を入れるとともに、内地への移住、旅行を制限するようになった。また、朝鮮半島内でのインフラ整備に重点をおいたため、東北地方のインフラ整備に遅れが生じた。