天皇陛下の叔父上にあたられる三笠宮崇仁親王殿下の薨去に際し、殿下の正確な「前歴」を報道するところはないであろうと、思われます。
国民はこうして、きれいごとのうちにまた一つ、真相を知らぬままにされ
お花畑の住民として置かれるので、それはわたくしは、よろしくないことと
思います。
哀悼の意は無論、常識なのですが・・・・・しかし、歴史の一角を狙ったお方ですから、その「歴史」の部分は、つまびらかにせねばなりません。
まず日本弱体化を狙ったGHQが、日本人の精神の牙城である皇室の弱体化を狙わぬわけがない、というのは解りますね。
当時の皇太子殿下(今上陛下)には、GHQ工作員としてバイニング夫人が密着、ジミーと殿下の名をアメリカ少年ふうに呼びつつ、いかに日本がアジアに対して悪いことをしたか、アメリカに原爆を落とされても仕方のない邪悪な国であったのかが刷り込まれると同時に、三笠宮殿下にはカナダ外務省の共産主義者、GHQ勤務のハーバート・ノーマン(カナダ外務省)が張り付いています。
英語の教授が名目でしたが、目的は洗脳だと思われます。
自らの戦地の体験を踏まえ、三笠宮殿下は宮中で開かれた晩餐会に現れた江沢民に、あろうことか「日本軍の残虐行為について」謝罪なさってしまったのです。南京で何事もなかったとは言いませんが、大虐殺などは中国の捏造でそんなもの現実にはなかったことが証明されているのです。
しかし、三笠宮の中国要人への謝罪は中国の歴史に刻印されることとなってしまいました。三笠宮殿下の動機は、1人の人間としての善意と誠意からであったのでしょう。
しかしながら、殿下の大いなる錯誤はご自身が昭和大帝の弟君であられるという、公人中の公人であらせられることを、弁えられなかったことです。
たとえ、1人の人間としての良心の発露であったにせよ、皇族の言葉はほぼ日本国と等身大に、相手国には受け取られてしまいます。
政府に無断で(ということは、国民に無断で)一方的に謝ってしまうと、外交バランスがそこで、一気に中国有利に傾いてしまいます。中国が清廉潔白であったならまだしも、ことは真逆でしたからなおさら、謝罪など口が裂けてもおっしゃるべきではありませんでした。
神武天皇の存在を否定なさり、しかしそれは皇室の神話的、形而上的存在基盤を否定することですから、そこに矛盾が生じるのはお気づきであらせられなかったのか、その後も皇室を舌鋒鋭くご批判なさりながら、「天皇の人権」など“左翼語”を用いながら、しかしご自身は皇族の身を離れることなく、皇族としてのお金を受け取りながら裕福な暮らしを続けられ、この点を当時の愛国者たちから著書まで出版され「出て行け」とまで痛罵されました。
クーデターを画策なさり、しかし仲間が過激過ぎるとして自ら通報、いわば仲間を「売る」ようなことをなさり、しかしながら皇族としてのご身分のゆえにことは有耶無耶のうちに収められ、「罪状逃れ」もいわばご自身の忌避なさる皇族としての超法規特権であったのですが、そこはご自覚であらせられたかどうか。
皇室批判で自己否定なさりながら、皇族としての身分から得られる庶民から見れば莫大な特権に関しては、生まれつきの高い身分であらせられるので、さほど敏感ではなかったかもしれません。
戦争は肯定さるべきものではございませんが、しかし皇族が大東亜戦争を「戦争の罪悪性」という言葉で否定なさるというのは、一般論とは意味が画然と異なり、あの戦争を誠意を込めて戦い抜き、戦地で斃れた方々への侮辱となってしまうこと、皇后陛下の「戦犯」発言と、軌を一にした迂闊でまた敢えて申せば国民に対して礼を逸した言葉かと思われます。
殿下に限らず、「戦争はよくない」という言葉に関して人はうなずきます。
しかし戦争一般論と先の戦争の評価を一緒にしてはなりません。見失うものがあります。
戦争を全肯定する必要はありませんが、あの戦争で日本は、白人に牛馬のように使役されていた植民地主義からアジア人を開放したのです。世界の様相がそれで、一変したことを日本人は余りにも教えられません。
日本に感謝する国が多いのです。捏造で日本を貶めることで、国内統一を謀っている中国と韓国、そして日本ゆえに植民地を失ったイギリス、フランス、オランダ以外は。
日本が、戦勝国の復讐裁判で理不尽な裁きを受けている間に、再びアジアに侵略の手を伸ばしたのは、イギリス、フランス、オランダでしたが日本に、有色人種でも立ち上がって白人相手に戦える、ということを教わった彼らはもはや、屈しませんでした。
先の戦争には負の要素ばかりではありません。負の要素ばかりに目を向ける人たちを自虐史観の徒と呼びますが、皇族がそうであっては、ましてそれを公言するようでは、皇族としての本分にもとります。国民が捧げるお金でお暮らしですから、国や国民への(結果的に)侮辱を表明なさるなら、皇籍はお離れになり、それによってもたらされる贅沢なお暮らしは捨ててからであるべきだ、という当時の愛国者達の言い分には、それなりの理があろうかと思われますが、これについて殿下がどうお考えであらせられたか、解りません。。
皇太子殿下(今上陛下)に張り付いて洗脳に勤しんだバイニング夫人と同じ船で来日したのが、聖心女子大学初代学長エリザベス・ブリッド女史でした。
敗戦当時、GHQが日本弱体化のツールとしてカトリック、プロテスタント問わずキリスト教を手段として用いたのは事実です。
その精神風土から誕生なさったのが、当時の正田美智子嬢であり現在の皇后陛下でいらっしゃいます。聖心女子大の敷地は、旧 久邇宮(くにのみや)邸の御常御殿(おつねごてん=日常のお住い)で、香淳皇后は大正13年1月御成婚の折、ここから嫁がれました。
思えば、敗戦の構図そのままに皮肉なことです。日本の神道の場を、アメリカ経由のキリスト教がのっとった形。(キリスト教自体への批判ではございません。あくまでも、日本弱体化ツールとして使われたキリスト教について、述べています)
戦後間もなく映画会社の持ち物であった敷地を、聖心女子大が表向き順当に買「買った」ことにされていますがGHQによる「接収」に近いものであったのでは、とこれは、わたくしの個人的疑念に過ぎません。
すべての事象は、ないまぜになりながら日本と皇室弱体の方向へと、仕組まれたとわたくしは見ていて、その一環を担われたのが三笠宮殿下でいらしたと思います。
皇后陛下のご実家である正田家が、皇后陛下の入内の前からGHQ(つまりはアメリカ)の小麦粉利権でつながっていた事実を国民のほとんどは知りません。
大変因縁めくのですが、入内の過程にふと不自然な要素(神道の皇室に嫁がれるのに、カトリック教徒の関与が異常に多い)を感じ、当時の国会議事録をめくっていたら、平井義一氏という議員が舌鋒鋭く皇室問題に突っ込んでいらして、よく国会の場でこれほど、皇室に対して遠慮会釈ない発言が許されたと驚いたのですが・・・
その平井議員と、私が一度飲んだことのある“相撲協会のおじいちゃん”と同一人物であることに気づいたのは、うんと後のことだったのです。
飲食の席では皇室問題などいっさい語られず、芸能界、スポーツ界の訳知りな裏話に終始されたのでしたが。内館牧子も同席でした。
そうと知っていれば、おそらく国会では口をつぐんで語らなかったであろう内容を、お尋ねしておくのでした。しかし当時のわたくしは皇室に対しては関心も薄く、無知であったのでしょせん今となっては無益な後悔です。
平井氏が議員であった頃、皇后陛下が皇太子妃として入内なさった年の、激しく鋭い追求に対しては、いずれ論評を加えつつご紹介することもあるかもしれませんが、今はいささか気が重いのです。皇后陛下の思想的基盤に言及せざるを得ず、それは日本国民として決して愉快なことではございません。
ただ、正田美智子嬢の入内を日本の政府より、アメリカが先に知っていた、という驚愕の事実だけは記しておくべきでしょう。皇后入内の前に、正田家はGHQと結託していたという事実と共に。(正田醤油の記念館に、その記録が展示されています)
三笠宮殿下の薨去にあたり、本来なら慎むべきところ、むしろ明らかにしておきたい思いにかられての記述です。ご存在そのものが「歴史」でいらっしゃるので、三笠宮殿下を語ることは歴史の大切な一端を語ることに等しく、マスコミと識者の意見がご逝去後の常識でおそらく美化一辺倒であろう中、ご寛恕願いたいと思うものであります。
末筆ながら、殿下のご冥福をお祈り申し上げます。
誤変換他、文章の瑕疵は後ほど推敲致します。
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