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Channel: 井沢満ブログ
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「不敬罪」復活に一抹の懸念がないわけでもない・・・・

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タイに、王宮泊で遊びに行かないか、とお誘いを受けたことは

以前書いたことがあります。

お顔がお札に載っていらっしゃる方の「お家」に泊めて頂くことに

いたく心は動いたものの、忙しくて見送ったのが今でも心残りです。

随分昔のことなのですが、その当時からプミポン国王や秋篠宮家と

お親しい国王の二女シリントン王女への

国民の信頼と人気と裏腹に、長男でいらっしゃる

当時の皇太子、ワチラロンコン新国王の不行跡は有名でした。

他国の王の不行跡ぶりをいちいち列記するのもはばかられるので

控えますが、しかし日本人の感覚からしたら言語を絶します。

欧州の王室とてお行儀の良くない方たちはいらっしゃいますが。

それにつけても、思われるのが憲法改正論者の人たちの

何人かが上げる天皇を元首の地位にして、不敬罪の復活という

点です。

わたくしは憲法改正派であるし、原則的に天皇を象徴というごとき

曖昧な位置から元首としてお据えすることにも賛成、不敬罪も

度を過ぎた批評への線引きという意味であってもよろしいと

思っています。海外ではどのみち、天皇陛下は元首としての待遇です。

ただ、タイ国の例を見るとこの不敬罪が、王室の健全化と浄化の足を

著しく引っ張っているように見受けるのです。

個人的不行跡の他に、新国王がタクシンと結びついての

汚い利権の追求など。もっとも一説には、タクシン氏とは距離をとり、

プラユット氏との関係を強化させているともいわれています。

いずれにしても、政治と利権とに結びついた形での王室に対して

不敬罪が機能するとあらゆるまっとうな批判さえ口封じされ

危険です。

王位に就くお方が、心清く行い整然と、国と民を一義に

振る舞うお方なら無問題ですが、そうでない場合・・・・

天皇の不行跡など日本の歴史の中にもあり・・・・王族も

そうですが、皇族も無邪気な「無謬説」が常に正しいとは

限らない、ということをどうもこのところ日本人は忘れつつ

あるような気がするのです。そのことへの警戒心と申しますか、

無関心も含めて危機感が薄いように思います。

「不敬罪」も諸刃の剣であり、運用を誤ると北朝鮮になって

しまいかねません。

日本のマスコミも、皇室と“ある種の問題”に関しては「自主的

不敬罪の適用」をしているのではないかと、このところ

とみに感じています。“ある種”に不敬という言葉は

必ずしもそぐいませんが、自主規制の部分ですね。

あるところまで報道されるのに、いきなりピタッと報道が止まる状態など

見ていると、日本の言論の自由など限度があることを思い知ります。

しばらく報道番組を含め、テレビに出ていた時期にも、(果たして

この日本に言論の自由は存在するのか)とスタジオでリアルに実感したことが

あの問題と、この問題とかの問題に関して何度もあります。

自由にものが言えず、しかしそれを局側から必ずしも要請されるわけではなく、

自明の約束事として自主規制してしまうのです。だから、ある種の疲れ方を

することもありました。率直に言えない、という点に関して八方気を

配りながら語るので。

ある日、某番組にコメンテーターとして呼ばれたとき、隣の

評論家氏がその言わず語らず皆が触れずにいることを口に出すという禁忌を

冒し、生放送だったのでスタジオは凍りつき、

司会者は青ざめ、単なるゲストである私に助けを求めてくるほどの惑乱ぶり。

「どうしましょ、いや困った、井沢さん、どうしましょ!?」と

あの時の司会者のこわばった顔をいまだ思い出します。

他の問題ならフォローも出来るのですが、日本で禁忌として避けられている

話題がもう電波に乗った後、方策はありません。

それ以来、そのスター評論家は表舞台からぷつりと姿を消しました。

ただ淡々と事実を指摘しただけのことなのですが。

 

誤変換及び、文章の瑕疵は後ほど推敲致します。

 


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