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小和田恒氏の「反日」性について

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洗髪と洗顔も解禁、充血も取れて視力もおかげさまで

安定してきました。

元々視力に不自由があったわけではなく、

旧に復しただけといえばそうなのですが。

ただ、遠くの人の顔が以前よりは視えるような気がしています。

これまでコンサートや演劇見物のときだけかけていた

メガネが要らなくなったかもしれません。

不自由はたかだかこの一週間でしたが、随分長く感じました。

・・・・・

 

「Will」が、愛国派と見做されている各界、知識人の

「生前退位」への反対論・懐疑論をどっと堰を切ったように

載せ、その中には思い切った批判も含まれていて、

私など末端の者は随分、言葉を発しやすくなりました。

皇室大事、祭祀大事と思えばこその表白なのですが、一括して

「不敬」扱いにされていた偏頗な状況もやや、改善されつつあるように

見受けます。

皇太子妃のご尊父であられる小和田恒氏の反日性を

余りにも国民は知らなさ過ぎるのではないか、という思いをずっと

抱いており、とりわけサンフランシスコ条約における小和田氏の

非については、いずれ書かねばと思いつつやはり皇室にまつわることは

神経をすり減らすので、1日伸ばしにしているうち、

たまたま小和田氏で気になることがあるので、調べていたら

西尾幹二氏の鮮やかな一文に遭遇、わたくしごとき鈍才が述べずとも、

余さず小和田氏像を書いて遺漏がないと思われます。

 

ご本人のサイトからの、引用(2012年3月3日の配信)です。

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ttps://ssl.nishiokanji.jp/blog/

 

『週刊新潮』(2月23日号)に「『雅子妃』をスポイルした『小和田恒』国際司法裁判所判事」という題の記事を書きました。週刊誌をお読みになった方が多いかもしれませんが、お読みになっていない方のためにここに掲示します。

 「雅子妃」をスポイルした「小和田恒」国際司法裁判所判事

雅子妃が療養を始められてすでに8年が過ぎた。なぜ、このような事態が続いているのか。その謎を解く1つのカギは、父親の小和田恒氏(79)にあるという。評論家の西尾幹二氏(76)は、小和田氏を「皇室とは余りにそりが合わない人格」と分析するのだ。(注:昨年3月時点の年齢である。療養は始めてから10年目になる)

 雅子妃殿下のご父君、外交官小和田恒氏の七十九年の人生は、妃殿下の一連の不可解な行動がなかったら誰の関心をも呼ばず、無難に外交史の一隅に小さな名を留めるに過ぎなかったであろう。妃殿下は果して親孝行をしたのか、それとも親不幸だったのか。私の判定は後者だが、そう思うのは戦後史に迎合して必死に生きた小和田氏の生涯に多少とも憐れみを覚えているからである。

 私は今度、小和田氏の雑誌対談やインタビュー記事など資料9編を読んでみた。そこから浮かび上がるのは、アメリカ占領下の日本無力化政策にいかなる疑問も不安も抱かなかった、既成権力にひたすら従順で用心深い小心な一官僚の姿である。

 安全保障はアメリカに委ね自らは再武装せず経済福祉の追求に全力をあげるべしという「吉田ドクトリン」と、その基礎にある憲法第九条は、小和田氏にとっては時代が変わっても動かぬ永遠の真理、神聖な大原則であるかに見える。世界の新たな情勢下で、軍事力の分担すべき責任がふえている昨今、憲法を改正して再武装への道を開くべきだ、と主張する人がいるが、「この質問に対する答は『ノー』であるべきだ、と思う」とはっきり書いている(『参画から創造へ』第四章)。

 小和田氏が、日本は過去の自分の行動のゆえに国際社会の中で「ハンディキャップ国家」だと言い立てていることはよく知られている。中韓両国に永久に謝罪しつづけなければならない国という意味であろう。1985年11月8日の衆議院外務委員会で土井たか子氏の質問に答えて、小和田氏は東京裁判においてわが国は中国に対する侵略戦争を行った、これが「平和に対する罪」である、サンフランシスコ平和条約第十一条において日本は「裁判を受諾する」と言っている以上、「裁判の内容をそういうものとして受けとめる、承認するということでございます」と答弁しているが、これは百パーセント解釈の間違いである。

 平和条約第十一条は巣鴨に拘禁されている戦犯を赦免、減刑、仮出獄させる権限は講話が成立した以後、日本国にのみあることを明示している内容でしかない。英文では、その内容のjudgments(判決)を受諾する、と書かれていて、「裁判」を受諾するならtrialかproceedingsかが用いられる。国際法学者・佐藤和男氏は英語だけでなくフランス語、スペイン語の正文も参照して、日本は東京裁判そのものを十一条で「受諾」しているわけでは決してないこと、講話後もあくまでも東京裁判史観に縛られることを良しとする日本悪玉論が政府内にも残っていることに強い警告を発している(『憲法九条・侵略戦争・東京裁判』、原書房)。

 要するに小和田氏はその師・横田喜三郎氏と同様に、何が何でもあの戦争で日本を一方的に、永久に、悪者にしたい歴史観の持ち主なのだ。(青文字強調は井沢任意です)

 傲慢で権威主義者

 1990年に湾岸戦争が起こり、翌年、小和田氏は外務事務次官になった。審議官時代から、氏は自衛隊の派遣に反対の立場をとっていた。彼の非武装平和主義は湾岸戦争で破産したはずだった。櫻井よしこ氏から対談で、日本人は人も出さない、汗もかかないという国際世論からの批判があるが、と問い詰められても彼は何も答えられない。ドイツがNATO地域外に派兵できるように基本法を改正する件に触れて、「日本の場合は、まだそういう状況まではきていない」と彼はしきりに客観情勢を語ることで弁解する。だが、「そういう状況」をつくらないできたのは小和田氏たちではなかったか。櫻井氏に追い詰められ、「日本という非常に調和的な社会の中で、できるだけ事を荒だてないで処理したい」と思わず三流官僚のホンネを口に出して、私は笑った。

 すべての外務官僚がこういう人ばかりではない。現実を変えようと戦った人もいる。元駐米大使の村田良平氏は日本の自立自存を求めた理想主義者で、その回想録の中で、アメリカが日本の核武装を認めないなら、在日米軍基地を全廃するべしと言っている。

 アメリカの核の傘が事実上消えてなくなっている極東の現実を直視している。徹底した現実家だけが徹底した理想家になれる。小和田氏のような現状維持派は現実も見えないし、どんな理想とも無縁である。彼は船橋洋一氏との対談で、日本という「国を越えた共同体意識」の必要などと言っているが、それは理想ではなく、ただの空想である。

 理想を持たない空想的人格は決して現実と戦わない。戦わないから傷つくこともない。用心深く周囲を見渡して生き、世渡りだけを考える。ドイツ語にStreber(立身出世主義者、がっつき屋)という蔑視語があるが、小和田氏のことを考えると私はいつもこの言葉を思い出す。

 自分の国を悪者にしてこうべを垂れて平和とか言っている方が、胸を張り外国と戦って生きるより楽なのである。そういう人は本質的に謙虚ではなく、身近な人に対しては傲慢で、国内的にはとかく権威主義者である。

雅子妃の妹さんたちがまるで皇族の一員のような顔で振舞い、妃殿下が皇族としての必要な席には欠席なさるのに、妹たち一家と頻繁に会っているさまは外交官小和田氏の人格と無関係だといえるだろうか。

 確信犯的無信心の徒

 雅子妃は2003年9月以来、宮中祭祀にほとんど出席されていない。ご父君は娘に注意しないのだろうか、これが巷の声である。娘が皇室に入ったのは、ある意味で、「修道女」になるようなことである。覚悟していたはずだ。個人の問題ではなく国家の問題である。勤労奉仕団に一寸した挨拶もなさらない。スキーやスケートなどの遊びは決して休まず、その直前に必ず小さな公務をこなしてみせるので、パフォーマンスは見抜かれている。皇后になれば病気は治り、評価も変わる。今の失態を人はすぐ忘れると、ある人が書いていた。あるいはそうかもしれない。私もかつてそう言ったことがある。しかしそれは妃殿下にウラオモテがあり、畏れ多くも天皇のご崩御を待っているということであろう。天皇皇后に会いたくないとは、今までに前例のない皇太子妃であり、日本国民は代が替わってもこのことは決して忘れはしない。

 小和田氏は代替わりした皇室に対し外戚として何をするか分からない。(色文字は井沢任意ですが、同様の懸念を抱いています)

彼の師・横田喜三郎氏には皇室否定論の書『天皇制』(1949年)があるが、横田氏にせよ小和田氏にせよ、左翼がかった法律家は日本の神道の神々に対しては確信犯的な無信心の徒である。

日本の民のために無私の祈りを捧げる「祭祀王」としての天皇が、天皇たりうる所以である。祭祀を離れた天皇はもはや天皇ではない。

 

 


 

「もし愛子内親王とその子孫が皇位を継承するなら、血筋が女系でたどる原則になるため、天皇家の系図の中心を占めるのは小和田家になる。これは困るといって男系でたどる原則を適用すれば、一般民間人の〇〇家、△△家が天皇家本家の位置を占めることになる。

 どちらにしても男系で作られてきた皇統の系譜図は行き詰って、天皇の制度はここで終止符を打たれる。

 今から30~50年後にこうなったとき、『万世一系の天皇』を希求する声は今より一段と激しく高まり、保守伝統派の中から、旧宮家の末裔の一人を擁立して『男系の正統の天皇』を新たに別個打ちたてようという声が湧き起こってくるだろう。他方、左派は混乱に乗じて天皇の制度の廃止を一気に推し進める。

 今の天皇家は左右から挟撃される。南北動乱ほどではないにせよ、歴史は必ず復讐するものだ。有識者会議に必要なのは政治歴史的想像力であり、この悪夢を防ぐ布石を打つ知恵だったはずだ。

私は小泉内閣の皇室典範改正の有識者会議を憂慮して、2005年12月3日朝日新聞に次のように書いたが、これを今改めて提出して本編を閉じる。

 

「もし愛子内親王とその子孫が皇位を継承するなら、血筋が女系でたどる原則になるため、天皇家の系図の中心を占めるのは小和田家になる。これは困るといって男系でたどる原則を適用すれば、一般民間人の〇〇家、△△家が天皇家本家の位置を占めることになる。

 どちらにしても男系で作られてきた皇統の系譜図は行き詰って、天皇の制度はここで終止符を打たれる。

 今から30~50年後にこうなったとき、『万世一系の天皇』を希求する声は今より一段と激しく高まり、保守伝統派の中から、旧宮家の末裔の一人を擁立して『男系の正統の天皇』を新たに別個打ちたてようという声が湧き起こってくるだろう。他方、左派は混乱に乗じて天皇の制度の廃止を一気に推し進める。

 

後略


 

ーーーーーー転載はここまでですーーーーー

全文は本体でお読みください。

  西尾幹二氏プロフィール

1935年東京まれ、東京大学文学独文科卒業。同大学大学院文学修士、文学博士。電気通信大学名誉教授。若い頃から、文学、教育、政治、国際問題等に関する評論活動を展開。著書に「ヨーロッパの個人主義」、「ニーチェとの対話」、「国民の歴史」「西尾幹二の思想と行動」(全3巻)、「江戸のダイナミズム」ほか。

 

ニーチェを読まれるとは、なかなか柔軟なお方だと思われます。

といってわたくしがニーチェを読んだのは遠く学生時代「ツアラストラかく語りき」で、一種の超人、英雄論、選良論として捉えました。

18歳の読書なので、いかほど本質を捉えたかどうか、血が騒ぎ面白かったのを思い出します。

西尾氏が触れていらっしゃらない一件ですが、両陛下がタイ王国を訪れた時、あちらは不要と言ってきた反省と謝罪の言葉を強引に天皇陛下の晩餐会のスピーチに入れ込み作文したのが小和田氏です。

日本は悪いことをしたハンディのある国なので、「ひざまずき外交」と言われる
自虐的外交姿勢を主張なさったのも小和田恒氏です。

こういう御方の娘さんが入内なさったことが、あり得ないこととして、いぶかしかった時期もありますが、もろもろ背後で動いてのことですね。

ところで、しばらく緑の多い温泉地に籠もります。

ネット環境がどうなのか、PC原始人なので、しばらくここも留守するか
あるいはつながるか、解りません。

書き込みが途絶えてもどうぞ、ご心配なきようお願いします。

皆様お風邪など召さぬよう。

 

誤変換及び、文章の瑕疵は後ほど推敲致します。


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