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多民族共生、日本人には生理的に無理

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かつて「同窓会」という連続ドラマを書いた時、いわゆる社会現象的な話題となりそれは東南アジアのみならず、アメリカにまで広がりアメリカの大学教授が、日本の私の自宅にまで訪ねてきて、論文を書かれたりなどしていました。
国内でも論文を書いた教授の方はいらっしゃいますが、東大でセミナーを開いてくださったのが、当時は教授でいらした上野千鶴子・東大名誉教授です。 研究室にお邪魔して、男女のみならず男同士の珍しい浮世絵(春画)など拝見させていただき、その後しばらく書簡を交わし、ずいぶん知的な美しい文字を書かれるお方でした。 というと、美輪明宏さんとの交流と同じく思想的なことでツッコミが入りそうですが、そういう時私は「あなたは、政治信条をチェックしてから人と付き合ったり、友達になったりするのですか?」 と訊き返します。思想上はリベラルな立場の渡辺謙さんとも文通をしていたことがあります。随分、昔のことですが。 政治結社じゃないので、私は少なくとも政治信条が異なるから付き合わない、というごとき線引は致しません。自ずと遠ざかるようなことはございますが、それは意図的にそうするのではありません。話し合いも出来ないほど相手が頑迷であることに疲れる、とか他の要因です。 美輪さんとはもう何十年のつかず離れずという細い、しかし長い交友ですが、定期的になんで美輪さんと付き合うんだと皮肉な口ぶりでコメントを頂くので、いっそ経緯を書いておいてこれを読んでください、とやろうかなと、思ったりなど致します。 その美輪さんも、愛国の極にいらしたような三島由紀夫さんと密度の濃いご交流でした。何の不思議があるでしょう。 私は飼い犬を通じて、吉永みち子さんともお付き合いがありますが、それが何か? というところです。 政治の話をすればたぶん平行線ですが、吉永さんとは犬の話しかしてません。
美輪さんとは政治問題について、延々と電話でお話させていただいたことが、ありますが、平行線です。でもお話の中で、何点かは賛同する点もありました。それだけのことです。私はアーチストとしての美輪さんを尊敬、霊的感受性の素晴らしさに感銘を受けて、おつきあい頂いているのであり、思想で接近しているわけではありません。 韓国映画を褒めれば、親韓、俳優を称えれば韓国に批判がゆるい・・・・などと来て辟易とします。 私など韓国には、相当厳しいほうではないですか? と前置きが長くなりましたが、その上野千鶴子さんが日本人には、多民族共生は無理と一文を書かれ、左翼的お仲間からは総スカンを食らっていらっしゃるようですが、私も潔癖な日本人に共生は無理だと思います。 中日新聞に上野さんが書かれた一節。

 >日本はこの先どうするのか。移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか、難民を含めて外国人に門戸を閉ざし、このままゆっくり衰退していくのか。どちらかを選ぶ分岐点に立たされています。

 >移民政策について言うと、私は客観的に無理、主観的にはやめた方がいいと思っています。

>客観的には、日本は労働開国にかじを切ろうとしたさなかに世界的な排外主義の波にぶつかってしまった。大量の移民の受け入れなど不可能です。

 >主観的な観測としては、移民は日本にとってツケが大き過ぎる。トランプ米大統領は「アメリカ・ファースト」と言いましたが、日本は「ニッポン・オンリー」の国。単一民族神話が信じられてきた。日本人は多文化共生に耐えられないでしょう。

 >だとしたら、日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

抜粋は以上です。

私も同意見です。抽象的にきれいなことを言っていても「多民族共生」というのは「生活」なんです。日々の暮らし。ゴミの出し方一つ守れない、深夜に騒音を立て、列には割り込み、道に痰を吐き、そこらじゅうに排泄・・・・そう、信じられないような場所に排泄します・・・・そういう人々が、隣に来てあなたは、暮らせますか、ということです。

あまつさえ、口を開けば日本と日本人の悪口。歴史は捏造したものを信じ込み、口を極めて日本の過去とやらを罵る。

これが多民族共生ということです。

上野さんは、「このままゆっくり衰退」と表現なさっていますが、GDPだけが価値ではなし、歴史と文化を持った誇り高い国であることは可能です。
輸出すべきものもある。観光資源は豊富。言うほどの衰退はないです。
自給率を元に近づけつつ戻しつつ、これからはゆったりと成熟へと向かえば
よろしいのではないでしょうか。

滞在一年間で永住権など、とんでもありません。

政府は、外国人の経営者や技術者が最短一年間の滞在で永住権を与えようとしています。青山繁晴さんが「世界の一流国で、一年間で永住権を与える国はない」と批判したら「韓国があります」と法務省。「韓国は一流国か」というのが青山さんの返しでした。

私が五輪をとにかく好かぬのは、利権で汚れすぎている腐臭に加え、日本の場合は五輪を言い訳に、どさどさ外国人労働者を入れ込んで、いずれはおそらくその家族ごと日本に住まわせるだろうからです。

私が、その思考の切り口とセンスが好きでブックマークもさせていただいている韓国人ジャーナリストの崔碩栄‏さんがツイッターに曰く、

碩栄@Che_SYoung 1月31日

 難民受け入れろ!受け入れろ!という人たちが多いけど、「はい、では不法滞在者を追放してその数だけ難民を受け入れましょう」と政府が言ったら、まったく同じ顔ぶれの人たちが今度は発狂するだろうな。米国でも日本でも。 ( ´_ゝ`)            ----------------------------------------------       日本は移民を受け入れない、と責められたり褒められたり両方なのですが、半島における貧困や政変による虐殺から逃れて来た半島の人々を相当数すでに受け入れています。 また、戦後のどさくさで不法に役所に届けて、居着いた人々も。 戦後数年間にわたる半島から押しかけ居着いた政治難民・経済難民の数は不明ですが、半島から押し寄せていた人数が半端ではないことは、吉田茂当時の首相が、マッカーサーに宛てた嘆願文・・・・・・韓国人を半島に送り返させてくれ・・・・を読むと,解ります。  

 

終戦4年後の夏・・・・・1949年8月末~9月初旬に総理府用箋に認められた、吉田茂当時首相が、連合軍司令官マッカーサーに宛てた書簡の内容が、以下です。

連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥閣下

 

親愛なる閣下

 

日本の戦後の諸問題のうち朝鮮人と台湾人に関するものがありますが、

彼らはかつて日本国民であり、現在もこの国に依然として滞在しているものです。

 

ここでは台湾人については、彼らが比較的少数であり、それほど問題を起こしておりませんので、しばし触れないことに致します。

 

しかし、総数約一〇〇万人、そのほぼ半数は不法入国者であるところの在日朝鮮人の問題について、われわれはいま早期の解決を迫られております。

私はこれら朝鮮人がすべて、彼らの生国の半島に送り返されることを欲するものです。

 

その理由は以下のとおりです

 

1.日本の食糧事情は、現在もまた将来においても、余分な人々を維持することを許しません。アメリカの厚意によって、われわれは大量の食料を輸入していますが、その一部は在日朝鮮人を食べさせるために用いられています。これらの輸入は、将来何世代にもわたって我が民族の負債となることでありましょう。もちろん、われわれはそのすべてを返済する覚悟を固めておりますが、この対米負債のうち朝鮮人のために生じた分まで、将来の世代に負わしむるのは、公正なこととは思えません。

 

2.これら朝鮮人の大多数は、日本の経済の債権に貢献しておりません。

 

3.もっと悪いことには、これら朝鮮人は犯罪を犯す割合がかなり高いのです。

  彼らは我が国の経済法規を破る常習犯です。かなりの数が、共産主義者か

  その同調者であり、最も悪質な政治的犯罪を犯しがちなのです。

  投獄されているものは、既に七〇〇〇人を超えています。

戦後今日まで裁判に付せられた、朝鮮人による刑事事件は以下のとおりです。

 年次          事件数   朝鮮人関係者数

1945(8月15以降)   5334件  8355人

1946          15579件  22969人

1947          32178件  37778人

1978(5月末現在)  17968件  22133人

合計          71059件  91235人

 

さて朝鮮人の送還計画としてわたしが考えるのは次のようなものです。

 

1..原則として、朝鮮人は全て送還され、その費用は日本国政府の負担とする。

2.日本に在住を希望するものは、日本政府に許可を申請すべきものとする。

  在住許可は、日本経済の再建に貢献しうると見なされたものに与えられる。

 以上述べました私の考えが、期間によって原則的に承認を得られた場合は、

送還に伴う予算その他の具体的措置について、改めて案を提出いたします。 

 

敬具 吉田茂

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・抜粋終わり

備考 朝鮮戦争 1950年6月25日 - 1953年7月27日休戦)

日本の敗戦後、北緯38度線によって南北に分断された朝鮮半島で、1950年6月25日、北朝鮮軍が38度線を突破して南下、以後、53年7月27日の休戦協定調印まで続いた戦争。

そこにソ連とアメリカが加わり、代理戦争の趣を呈した。

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余談ですが、韓国と北朝鮮は休戦しているだけです。言葉を変えれば韓国への修学旅行など、いつ戦火が火蓋を切るか解らない土地へ生徒をやることであり、無責任です。戦争に巻き込まれて怪我をしたり死亡しても、誰も何の保障もしてくれはしません。

マッカーサーが吉田茂の嘆願を聞き入れ、朝鮮の人々を本国へ返したかどうか、わかりません。一説には同意はしたものの、半島での有事により、出来なくなったとも言われているようです。

「昭和二十一年四月九日付連合軍総司令官発帝国政府覚書に依って本邦在住の朝鮮人、台湾人、中国人合計約五十三万人ヲ来る九月三十日迄に送還する」

この五十三万人という人々が、どうなったのでしょうね。

また李承晩ラインをめぐって、半島へ拉致され虐待されていた日本人漁師ほぼ4千人を救うための条件として、日本政府は収監中の韓国人犯罪者を釈放させられたのみならず、永住権まで与えさせられています。

*1965年までに、韓国人に殺傷された日本人漁師は44人、 拉致され虐待を受けた被害者は3929人、拿捕された漁船は328隻。

いずれにしても、日本は海外から思われているほど、また日本人自身でさえ思い込んでいるほど、難民を受け入れてないわけではありません。

どころか、欧州が移民問題で破綻をきたす遥か前から苦しんで来ているのではないでしょうか。今更排斥などという次元ではなく、日本があまりにも不当評価されているので、このことはきちっと世界へ向け、発信すべきと思うし皇后陛下の思想的ご盟友でいらっしゃる緒方貞子氏(元 国連難民高等弁務官)に、日本が難民を受けれないと非難されるゆえんはない、と申し上げたいのです。難民問題ではむしろ、世界に先駆けて先輩です。

 

前出の崔碩栄さん‏のツイッターに、帰化した在日三世の方がこんなツイートをしています。

 『大学4年生当時の俺 vs ド左翼日本人おやじ』

大学4年生の頃、ある会合であったド左翼おやじとやりあった話。

俺の名前をみて即座に「差別が大変だったでしょう」ときやがった。

(ド左翼にありがちないい人ずらの上から目線、ハイ出ましたうざいです)

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この方は差別一切ありませんでしたと答え、左翼おじさんはそんなはずはないと、言い張るのです。

日本は敗戦を機に、奇妙にねじれた国になりました。外から叩かれるより、内で壊そうとする人々の害のほうが大きいのです。

そういえば、南京大虐殺も慰安婦問題も、自称日本人発です。

*誤変換他 後ほど推敲致します。

      


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