恒例、靖国神社さんの灯籠祭りに献灯させて頂く、書(もどき)を
今、書き上げたところです。
今年の文言はこれです。
言葉は国の防波堤
敷島の大和の国は言霊の幸はふ国ぞ
世界一豊かで麗しい日本語を
大切に致しましょう
毎回、どなたの揮毫と並ぶか楽しみなのですが一番嬉しかったのは、台湾の
李登輝総統の見事な書と並んだ時でした。
中にはちょっと並びたくないなぁ、と思う方がいると書くのは大人げないでしょうか。
どの御方も、靖国神社に心を寄せられる方たちでそこは志が一緒です。
「言葉は国の防波堤」は、すでにどなたかおっしゃっているかもしれませんが
私がずっと、主張していることです。
一国を侵略しようとする側が取る手段は、解りやすい武力ばかりではありません。
彼らが、試みるのは伝統と文化、それに裏打ちされたその国の
民族としての精神性です。言葉がそこに、含まれます。
言葉を死守することは、日本の精神と感性を護ることなのです。
韓国式挨拶コンスが日本中を席巻していることを、昨日述べましたが
それもまた、侵略の一つの形です。
なぜなら礼儀という「所作」には、その国の民族としての「誇り」が添うからです。
ちなみに、小笠原流のお辞儀とコンスをやってみてください。
そして、その所作の時心に何が生じるか、微妙な感覚を観察してみてください。
古来の小笠原流のお辞儀をする時、お相手を敬う気持ちと共に自らへの
矜持がそこにあります。
ところが、コンスには自分を美しく見せようとする「我(が)」と共に、媚び
へつらいを感じませんか?
北朝鮮でのコンスを見たことがないので、おそらくコンスは韓国で比較的
新しい時代に作られたものではないかと思います。現在、公立学校で
正式なお辞儀として生徒たちに教え込まれています。
よそのお国は無論、自由です。しかしながら、こうも日本の挨拶が
ある意味で汚染されている状況には、危機感を持たざるを得ないので
言わせて頂けば、もともと韓国は李氏朝鮮以来中国の冊封(隷属)国として、
三跪九叩頭(さんききゅうこうとうのれい)で韓国の王が中国からの単なる使いに
這いつくばって額を床にこすりつけるごとき屈辱的な礼を強いられてきた国です。
「跪」の号令で跪き、 「一叩(または『一叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。 「二叩(または『再叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。 「三叩(または『三叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。 「起」の号令で起立する。
これを計3回繰り返すので、合計9回、「手を地面につけ、額を地面に打ち付ける」 (Wikiより一部転載)
コンスというのは、その所作からの派生ではなかろうかと思っています。
画像が拾えないのですが、韓国の学校で生徒たちがいっせいに床に額を
擦り付けている光景があり、ああこの立ち姿がコンスなのだな、と
思ったことがあります。画像が見つかればアップしておきます。
私が日本で、コンスを見かける時、思わず目を背けるのはそこに、
媚びとへつらいを感じるからかもしれません。
ソウルにあった迎恩門。
支那の属国であった朝鮮王朝の歴代の王が、支那からの使者を迎える為の門です。
建築技術の稚拙さも解りますね。
三跪九叩頭の礼を朝鮮王朝の国王が支那の皇帝にではなく、単なる使者に
行うという屈辱的な関係でした。
韓国は日韓併合の屈辱を言い立てますが、支那への屈辱的隷属が日本という
優雅な施政者に取って代わり、不満は多々あるでしょうが日本は自国から
持ち出して韓国のために尽くし、おおむね対等の相手として処遇していた
史料が複数残されています。
日韓併合を植民地化と言ってのける日本人もいますが、彼らは日本の統治まで
いかに韓国が中国に虐げられ、日本はそこからのむしろ救出者であったことは
言いません。
韓国の近代化は日本のおかげです。
私はご承知のように、何かを批判する時めったに実名を書くことは
致しませんが、日本における屈辱挨拶コンスの蔓延が、あまりにも惨状なので
今回は書きます。
小笠原敬承斎さん。この方はいけません。
小笠原流を名乗りながら、日本人に三跪九叩頭の礼ふうの卑しい心が添う
コンスを日本中に広めて、本物の宗家との裁判に負けながら、
しかもそれでお金儲けをなさっています。宗家が品の良さから
口をつぐんでいることをいいことにしての狼藉。日本の美しい
お辞儀の破壊者が礼儀作法を説かれますか。
あなた、恥を知りなさい。
日本橋高島屋のコンセルジュ 敷田正法さん。温和で礼儀正しい素敵な
コンセルジュですが、いまだ高島屋にて男コンスをおやりですか?
本の表紙にまでコンス画像を載せて広めていらっしゃいます。
どうぞ、コンスの由来をご研究ください。
あと、畏れながら申し上げれば昭和の御代まではなかった“コンスふう”が
皇室でも散見されるのは、まことに残念なことです。
上品げにシナを作るのは、かえって下品です。誇りと威厳の喪失です。
GHQが日本を弱体化しようとした時、彼らは今思えば舌を巻くほどの
巧妙な罠を仕掛けて去ったのですが、その罠はいまだオンタイムで
作動していて、日本のよき伝統を捉え、砕きます。
GHQの日本弱体化政策の中には、放送局占拠がありそれがNHKです。
国営に準ずる放送局として、信頼の厚い局ですが驚くべきことにいまだ
GHQの名残りをそこここに、感じることがあります。
それは、あらゆる分野、教育機関、法曹界、宗教などにも言えることです。
日米関係も変わりつつあります。私たちはいつまでも、
GHQの仕掛けた罠にはまる兎であってはなりません。
罠は気づき、見つめた刹那消え去ります。
それは自虐という名の、幻想だからです。
GHQは日本語表記をローマ字にしようとして、失敗しました。
しかしながら、国語の貧弱化には成功して、現在に至ります。
国語は全ての、思考の基礎です。
あなたが何かを考える時、頭のなかで日本語を組み立ててていませんか?
日本語が貧弱になるということは、思考も感性もやせ細る、ということなのです。
このところ、例の幼稚園の問題にからみ、ゆとり教育の寺脇研氏を
コメンテーターとしてテレビで見かけることが多いのですが、日本の教育を
壊したご本人が何の教育論でしょうか?
今日は、実名を3人もあげつらってしまいました。
一度奪われてしまった日本語を取り戻すのは、容易ではありません。
申し訳ないのですが、やむにやまれず。
でも一人でも自覚して、奪還を試みればその分、日本を言葉の防波堤で
護ることになります。国が美しく豊かに甦ります。
本当の国際化というのは、伝統と文化の破壊ではありません。
己の民族としての矜持(きょうじ)を保ちつつ、相手の民族性を尊重することです。
相手に城を明け渡してはなりません。
日本の心が死に絶えます。
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誤変換他、文章上の瑕疵は後ほど推敲致します。