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Channel: 井沢満ブログ
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静かさや・・・。聴覚の狂った日本。

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所要で銀座に行ったら、地下鉄駅構内の騒々しいこと。

騒々しさの正体は、アナウンスです。

「狭くなっていますので、注意してお通りください」

工事中で通路が狭いので、用心して歩くようにとの内容です。

しかし、こんなん必要か?

狭いの見りゃ解る。

しかも、同じ内容をほぼ10秒間隔置きで、繰り返す。

傘の置き忘れに注意まで、JRの大声のアナウンスは

世界に類を見ないのでは。

あの騒音に満ちたバンコクでさえ、駅のアナウンスは

車内に、一言低い声で次の駅名を告げるだけ。

日本の街を歩けば、店舗が客引きにかける大音量の音楽。

軍歌を大音量で鳴らし、日の丸と愛国心を貶める街宣車。

選挙カーに、どれほど実質的効果があるでしょうか。

日本、いつからこれほど聴覚が狂った?

以前、同業の方から書いている脚本のことで、相談の電話を

貰ったことがあります。

「あるシーンで静寂を表したいんだけど、難しい。どうしたらいいんでしょ」

それに対して、私はこう答えました。

「時代劇なんだね。だったら、軒端に風鈴をチリンと僅かに鳴らしましょう。

人が静寂を感じるのは、物音が最初からしてない状態ではなく、音が

途絶えたその一瞬なんです。音で静寂を表現するのは日本の伝統芸で、

たとえば歌舞伎では、雪のシーンに、とろとろと太鼓を低く打ち鳴らしますね」

音で静寂を表現したのは、芭蕉翁です。

閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声

古池や蛙飛び込む水の音

全くの静寂より、蜩(ひぐらし)の鳴き続ける、その一瞬に生じた空白が静寂を

人に感じさせます。

岩に染み入る、としたことで背景の無音をなお、際立たせました。

室内にいて、ちゃぽん・・・・と小さな水音が聞こえるほどの

森閑と音が途絶えたさま。

これは実景を描いたわけではなく、芭蕉の俳人としての

心境なのかもしれません。

西洋人が騒音と感じる虫の声も、日本人はその背景の静寂が

あるゆえに、愛して来ました。

静寂がなければ、虫の声は絶えるし聞こえないのです。

・・・・・・・ことほど左様に、音と静寂に大して敏感であった

日本人の聴覚の麻痺は、がなりたてる西欧の音楽・・・・・ロックが

入って来てからではないでしょうか。

風の間に間に漂う新内の風情は、失せました。

風のそよぎ、小鳥の声には耳を傾けず、波音を音楽で

かき消してしまう、そんな騒々しい日本になりました。

それと共に、言葉に対する音感も鈍くなりました。

古池や、の句における蛙がなぜ、カエルではなくカワズなのか。

なぜ古い池でなければ、ならないのか。

前者は音(おん)としての音が喚起する世界観の微妙な差異であり、

日本語独自のことかもしれません。西欧ではfrogはfrogでしかありません。

日本には実在の蛙と、美的形而上世界にも蛙がいて、その名称は

カエルではなく、カワズなのです。

なぜ古い池なのか。古い池は藻や泥でどよんとしていて、蛙の

飛び込む音は新しい池より、くぐもって静かだからです。

「静かさや」ではなく「閑さや」は音より視覚としての日本語の差ですね。

なお、岩にしみ入る蝉は、油蝉、みんみん蝉と論が分かれています。

句が詠まれた元禄2年5月末は太陽暦では7月上旬、油蝉はまだ

鳴いていない。ということから、みんみん蝉説が定着しているようですが、

私は直感で蜩(ひぐらし)だと思っています。季節的にも齟齬はありません。

 

 

 

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誤変換、他の瑕疵は後ほど推敲致します。


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