松井一郎知事が、忖度と斟酌という、一般にも差異が定かならぬとはいえ、
ごっちゃにして使われています。
松井知事は、安倍総理とマスコミに対して「忖度」という言葉を使われ、
「斟酌」は用いていらっしゃらないのですが、しかし忖度を斟酌の
意味合いで語っている箇所が安倍総理に対してありました。
「この問題の本質をきちっと説明できない、わからなくしているのは、僕は皮肉にも安倍総理だと思う。忖度(そんたく)はないと強弁しすぎているんです。なぜ籠池さんが言う神風が吹いてきたというスムーズに手続きが進んだのかという部分。これはまさに忖度だったというのを認めるのが一番だと思います」
多く活字で報道されているこの箇所の忖度という言葉の使い方が
違うのですが、松井知事のは忖度という、すでに出回っていて国会でも
飛び交った言葉を用いているので、そこは無問題として。
ただ、「忖度の意味」を、テレビで語っていらした部分に思い違いがおありです。
その部分を活字で拾えないかと、探してみたのですが見当たりません。
ですので、端的に「忖度」と「斟酌」の違いを述べます。
一言で言えば忖度は、単に対象のあれこれを想像する物理的思考。お役所的ニュアンス。
斟酌には、同情や愛情、思いやりといった心情が添って、人間的です。
相手の心情を単純に推し量るのが忖度。
推し量った上で、具体的に対処してあげるニュアンスが濃いのが斟酌です。
忖度、大雑把。
斟酌、きめ細やか。
とそういうニュアンス上の区分けもできそうです。
▼斟酌の用法
1 「犯人が未成年であることを―して責任は問わない」
「評価に、ちょっと斟酌を加えてくださいよ」
2 「市況を斟酌しての、販売路線方針」
この場合は、相手方から幾つか読み取れる選択肢の中から、採択するというニュアンスです。
3 「斟酌のない批評」
この場合は、手心を加えないというニュアンス。
いずれにしても、忖度と斟酌は似てはいますが、忖度に行動は伴わず、
斟酌には何らかのアクションが伴う、と記憶してもよろしいでしょう。
ということで、今回の問題で言えば忖度と斟酌の双方の要素がある、ということですね。
忖度だけなら、こういう思いでいるのか、と想像するだけで、
具体的対処はしていないということになるので、言葉の厳密な使い方で言えば、
「役所が忖度したからって、何が問題? 斟酌したってわけじゃないのだから」
ということになります。
私など日常言語化しているので、30歳代で書いた脚本にも
この言葉が出てくるし、コメンテーターの人たちが知らない、ということに
驚いたのですが、今は一般に意味が解らないどころか、読めないらしいですね。
やはり、若い頃書いた脚本のせりふに「烏滸の沙汰」と書いて、
プロデューサー氏が解らなかったのです。
そういう言葉遣いをするキャラクターだから書いたのですが。
日本語が、やせ細るばかりです。
母国語を絶滅危惧種化してはなりません。
ちなみに、母語と母国語も混同されますが、似て非なるものです。
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誤変換他、後ほど推敲致します。