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会食だったので、着物着た

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昨夜は局と制作会社の方と、会食だった。

自撮りに初挑戦。

自撮りと言っても、これ姿見に写ったのを写している。

出かける間際に羽織は脱いだ。暑かったので。

 

 

根付を集め始めた。金色の折り鶴とか、グリーンの石とか、水晶玉。
気に入っていた瓢箪の根付は落としてしまった。

 

珍しく下駄はいたら、カランコロン心地よかった。

 

雨の和服用の和傘。本当は番傘にしたいのだが、
預けるときに、例のキーのついたところが使えないので。
かといって濡れた傘を屋内に持ち込めないし。

雨季を目前に和服の色に合わせて、と三色揃えてあるのだが・・・例えば
墨色の着物で、羽織も漆黒‥‥・・などという暗めの時には赤と黒の傘かな、と。
スタンダールファッション。

でもさす勇気なく、結局グレーと黒の濃淡のを使うのかもしれない。

紫は単に好きな色なので、求めた。はなから、これをさせるとも思ってないが、
パープル系の着物を着た時、夜陰に紛れてさしてみようかな・・・。

 


景色が歪んで見える「韓国メガネ」

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韓国の人々というのは、物事を正しく見えないメガネをかけているのではないだろうか。 というのは、エド・ロイス米下院外交委員長発言として、   「歴史的に見て独島(竹島)は、韓国領土」「韓国の東にある海は(日本海ではなく)東海だ」「慰安婦問題では必ず謝罪がなければならない」   などなどと、発言してくれた、と韓国メディアは大喜びであり、「安倍晋三首相の頬をひっぱたいたも同じ」とまで、浮かれているのだが、まずエド・ロイスという議員が参加したのが、   "在米韓国系社会を通じて米国議会と韓国国会をつなぐ”「三者対話(Trilateral Talk)」といういかにもな場であり、仕切ったのが「日本戦犯旗退出市民の会」という、いかがわしい組織。             しかも出席者がわずか150人。 これで「米政府は中立だが、議会が韓国の肩を持ってくれるなら、結局米国は韓国の方を支持してくれる結果になる」と、浮かれているのだ。   なにゆえ、韓国寄りの人物たちのみが集まった小集会での一議員によるリップサービスが、「米国議会が韓国の肩を持ってくれた」「ゆえに、米国は韓国の味方である」というごとき、三段論法になるのか、彼らの思考形態は相変わらず、理解に苦しむ。   それにエド・ロイス議員の選挙区を見れば、韓国・朝鮮系が7・9%、中国系が2・7%、日系は1・1%に過ぎない。評と金で動いている議員だということが一目瞭然の議員が韓国びいきしてくれたからといって、それが国際的説得力を持つことにはならず、むしろ逆効果であろうに?      ちなみに米国の竹島に関する正式見解はこうである。  

米国政府の正式見解

◆一方的な領海宣言(李承晩ライン)は違法である

◆ 米国政府はサンフランシスコ講和条約において竹島は日本領土であると結論している

 http://ja.wikipedia.org/wiki/ラスク書簡

 

「性奴隷」こと慰安婦に関しては証拠は皆無、目撃談なし、慰安婦自身の証言に
証拠を求めるしかないのだが、その発言内容がクルクル変わること、そして指摘されている矛盾点など、徐々にながら韓国側の捏造が知られ始めている。
「日本海」表記は米国の国防相のHPにあり、東海などは
どこにもない。

韓国は、日本海記載をしないどころか、平昌五輪のポスターの地図から日本列島を
消し去ったりなど、やり口の幼さに失笑させられる。

「首相の頬をひっぱたく」などの表現も、成熟した大人が口にすることではないだろう。

それにしても、半年前までは日本の側から「国交断絶」が頻繁に言われるのに対して韓国ネチズン側から言い出されることがあまりなくて、日本を失っては困ることを
知っているんだな、とその表の過激さと裏腹の冷静さがおかしかったのだが、
ここ数ヶ月間で、韓国側から「国交断絶」をひんぱんに聞くようになった。
しかも、それなりのメディアが口にする。   実際にやってみれば、日本からの部品輸入に頼る韓国企業は干上がってたちまち
音を上げるに決まっているのだが。一方日本は韓国に売らなくても他に
販路の開拓は出来る。   韓国と商売で関わっている人たちはそうも行かないだろうし、国交断絶は
国際的にも極端で実施は不可能に近いが、出来る限り近づかない、関わらない姿勢が正解であろうとは思う。

洗い張り

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洗い張りに出していた越後上布が、しつけ糸をつけて

仕上がってきた。

ついでに身幅も出してもらった。

和服は一見高価なこともあるが、一生ものであり、コストパーフォーマンスは

非常に良い。

越後上布は織手がいなくなっているとかで、これは現在求めれば

2~300万円だそうだが、30年前に誂えた当時はそんなには払ってはいない。

値が上がっても、むろん売る気はないから関係は無く、

それより織手の払底が気にかかる。

これだけは遺言をつけておいて然るべきところに

寄贈するようにしておいたほうがいいのかもしれない。

このクラスになると、文化財の域だろうから。

 

 

色が正確に出ないが、上下の中間ぐらいのところ。

やってもらったのは、人形町の「たんす屋」さんだが、行く途中

行列ができていたのは、シャモ鍋の店である。

「たま秀」といい、創業が1700年だそうだ。

私は鶏は不得手だが、好きな人はちなみに地下鉄人形町駅A2出口から徒歩数秒。

甘酒横丁の近くである。

人形町は歩くと、ふと意識が江戸時代にワープするような気がする時がある。

甘酒横丁を歩いていたら、創業明治40年という、がんもどきを商う店で「味付け湯葉」というの

を売っていたので買ってみた。

この店では、甘酒も商っていて、甘酒のソフトクリーム、豆乳のソフトクリームもあり

店の前の縁台に腰を下ろして人々が食べている。

人形町という町名の由来は、むろん人形作りが多くいたことからのようであり、

芸者の置屋、芝居小屋などもあり、町にそこはかとなく残る色っぽさは

そのせいだろうか。

 

日本の微笑

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信号のない短い横断歩道。トラックが一台、渡りそびれてじっと人並みが途切れるのを
待って止まっていた。

ところが人波はいっこうに途切れず、トラックは待ったきりである。
やっと人波が途切れようとすると、一人が渡り、トラックは止まったまま。
ほんの数秒間、立ち止まってあげればトラックは横断できるのに、
誰も止まらない。

と、私がそこまで観察していたのは、私は立ち止まっていたからである。
気性の荒い人なら強引にトラックの鼻先だけでも突っ込んで、流れを遮るだろうに
と思いつつ、途絶えない人波に索然とした気持ちを味わっていた。
「かつての日本人なら、こんな時譲っていたよなあ」と。

中国や、韓国、フィリピンならけたたましいクラクション、怒声、トラックと
人波との喧嘩である。

多民族共生ということは、そういう刺々しい日常に日本がなることを意味する。
運転手さんが、静かに待っているだけ、ここはまだ日本なのだ。

そういうことを思いながら、私も辛抱強く佇んでいたら、やっと一瞬
人波が途切れ、トラックはさっと動き、そして運転手さんが
私に向けてありがとう、と目で語りかけながら、片手を上げた。

斜めにさす夕日が、その穏やかな笑みを湛えた顔をつかの間、
スポットライトのように浮かび上がらせた。
日本の微笑だと思った。

虚偽で日本を貶める韓国

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なかなか、実感として日本が日々侮辱され、虚偽が世界にばらまかれていることを
感じにくいのかもしれません。日本人は相変わらずおとなしいようです。

韓国でのテレビ放送の実態を見てみてください。以下のURLにある動画です。

http://news.tvchosun.com/site/data/html_dir/2015/05/26/2015052690095.html

韓国語は解りませんが、強制された慰安婦という定番の捏造を報道していることに
間違いはないでしょう。

ところが少々、事情を知っている者なら、逆に強制の慰安婦などいなかった、という
証明になる写真が数枚紛れ込んでいることに、気づくはずです。

まず、日本におけるほぼ日本女性相手の慰安婦募集情景。
そう、「募集性」であり、慰安婦は日本人のほうが多かったのです。
そしてその日本女性からは誰一人、強制性や虐待の事実は語られていません。
朝鮮人慰安婦が格別に虐待されていたなどという証言も皆無です。

また、一枚の写真は米軍が慰安婦から聞き取り調査をしている情景ですが、
この時慰安婦が語った内容は「休日にはピクニックや買い物に行く」等々、
虐待や強制とは程遠いものであり、その聞き取り調書は米国の公文書館にあります。
調書は彼女たちを、キャンプフォロワーと規定しています。
つまり、軍の後を追いながら春をひさぐことを生業にしている女性たちである、と。

そして、朝鮮戦争当時の韓国人慰安婦たちの写真も紛れ込んでいます。
朝鮮戦争の時の、韓国の朴正煕元大統領が設営した慰安所に
日本は何も関係ありません。

韓国の報道番組で、こういうでたらめが流されていることを日本人は
知っておいたほうがいいですね。

「鬼郷」というタイトルで、在日の人達協力で慰安婦に関する捏造映画が
韓国で撮影中のようですが、正確な史実を知り得る日本という環境にいてもなお、
聞く耳持たず学ぶ気とてない人たちがいます。

韓国本国では学校で著しい嘘が教えこまれていて、日本政府レベルで本気に動かねば
濡れ衣は晴れないし、国民も事の深刻さを自覚せねば無関心で、
嘘の歴史はますますその残虐度を増しながら世界に定着してしまいます。

アメリカでは公立高校の教科書に「天皇が、14歳から20歳の韓国人女性20万人を性奴隷として軍隊に捧げた」という意味の記述がなされていて、日本政府からの
抗議は却下されています。なぜ抗議というレベルではなく、訴訟でもなんでもいい、
本気で対処しないのでしょうか。

アメリカの都合で動かされる敗戦国日本ですが、現在は風が、これまたアメリカの都合でながら、日本に吹いています。今がチャンスですが政府に動きは今のところないようです。

 

http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2015/05/16/0200000000AKR20150516021300073.HTML

 

日本国と天皇陛下と二重の侮辱を受けているわけですが、日本国民は多くがこの事を知りません。

竹島も、奪還の機を逸したまま徒に時が経ち、性奴隷とやらのいもせぬ女達のあざといフィクションもまた、機を逸すれば、永遠に事実として定着してしまいます。

日本人はなぜこのような侮辱に無関心なのでしょうか?
私などはほとほと理解に苦しむのです。

日韓友好などの前に、きちんとかたをつけておかねばならぬことが、ありはしませんか。
それらを棚上げにした友好など、蜃気楼ですぐ壊れ果てます。
何度も何度も同じことを戦後70年間繰り返してきています。

河野談話の継承拒否は、政府レベルでは出来ないと思います。政府がいったん
公式に口にしたことですから。心情のみを言えば、河野洋平氏を国会に呼んで、
談話を出した事情を詳らかにすべきだと思いますが。

政府ができぬなら民間で、河野談話の内容がその当時の韓国政府との
取り引きで出されたこと、その取り引きでの約束を韓国が破っていることなど
言い続けるしかありません。

もう一つ、対外的に有効な手立ては、河野洋平氏が個人の立場で当時の状況を正直に
告白することですが、河野氏が談話についての自己正当化をあちこちで語っているのを
見れば、河野氏が正直なことを今後も発表することはありませんね。
村山談話の村山富市氏も、自己正当化一直線、国守るより自己保身に汲々と
していらっしゃるようにお見受けします。
阪神淡路大震災の時、大嫌いな自衛隊出動を命令するにためらったのかどうか、
知りませんが、采配ののろさで、死ななくても済んだはずの人々が大勢亡くなった。
そのことへの反省の弁すら村山氏にはありません。

自らの偏った史観をベースに発した談話で、その後の日本がどれほど貶められ、
子供たちが負の財産を未来永劫背負っていくか、そのことへの思いもないのでしょう。

 

敢えて韓国民の身になって考えてみた

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佳子さまを慰安婦に、と口走ったマイナーながらジャーナリスティックな
仕事をしている男の取材を日本の週刊誌がしているのを、
ちらっと読んでみたが、ご本人確信犯で反省の弁とてない。

韓国人たちの言い分を、ネットで翻訳ながら読んでみて、
なぜこうも道理が通じないのか、歴史の真実というものを見ないのか、と
嘆息するのだが、実のところ相手は日本人に対して同様のことを
思っている。

これでは、いつまで経っても何をどう議論しても平行線である。

要するに、韓国国民には事実が伝えられていない。幼児期から史実に反することを
教えられていて、その教えられた中身について疑うということをしない。

ただ、わずかの韓国人は気づいている。自分たちが教わっていることは
真逆のことではないかと。

日本の場合は、皮肉なことに別の意味で真逆を教えられてきた。
つまり「一方的に日本が悪い」という「嘘」を。というわけで、長いこと韓国民と日本国民の
意見は一致していたわけだ。それで、それなりに「上手く」行っていた。
日本人は漠然と「何か悪いことをしたんだろうなあ」と思いつつ、そこには触れず、
というより、そもそも韓国という国にさして興味も示さず、時がそれなりに
平穏に流れていたわけだ。

韓国人の歌手が自然に受け入れられ歌がヒットして、でもそれをわざわざ
韓流などと、区分けしない時代があった。

ところが、韓国が国策として韓流を売り込むようになり、それに伴い、
ゴリ押しと言われる強引なやり口が見えて来て、だんだん日本人が
「妙だな」と思い始め、そこにかぶせるように思い起こせば日韓共催の
ワールド・カップでの韓国側の仕打ち、それからフィギュアにおける
不透明なあれこれで、それまで無関心だった日本人の心にクェスチョンマークが
芽生え、それから学び始め、種々知ってくると学校で教わったことの
多くが嘘に近かったと衝撃とともに思い知る人達が増えて来て、現在に至る。

国家が国民に教えこんでいることを、韓国国民が事実だと思い込んでいるとしたら、
謝罪もせず独島(竹島)は自分のものと言いはり、20万人もの性奴隷を
駆り集めた最悪日本、侵略して名前も言葉も奪い奴隷扱いにした日本、なのである。
怒って当たり前、憎んで当然である。教えこまれたことが事実であるならば、だが。

結局、韓国という国家が国民に嘘を教えこんでいるという事実に気づくまでは
永遠に韓国側の憎しみは止まらない。日韓友好など無駄である。
従って、政府レベルで対応するしか、基本の解決策はない。

慰安婦について安倍首相が「人身売買」という言葉を使うのは、河野談話に自縄自縛された中で、精一杯の言い方なのであるが、韓国民はそれがけしからぬと、憤るのである。
売買ではなく強制連行なのに、と。
14歳の少女が実際にかどわかされ、性的暴力を受け、叩かれたり、
生きたまま火に投じられていたと、本気で信じこんでいれば
平然とした顔の日本人は悪魔であろう。
募集は17歳、募集広告によっては18歳からである。14歳などあり得ない。
それに、14歳という年齢を現代の感覚で、酷いと思い込むのも違う。
成熟が今よりうんと速い頃の14歳である(実際は17歳からの募集)。

事実の側から見れば「人身売買」というのすら正確ではなく、内実は募集と応募である。
現在の自発的売春とさして変わるところはなく、ただ朝鮮国内の個々の事情で
親により、あるいは女衒により人身売買に近いことはあった。だが
日本がそれに対して責任を負ういわれはない。

といくら、日本人が説明しても韓国人は聞く耳は持たない。
当然だろう。国がそこまで大嘘をついて国民を騙すことはしない、と
普通は思う。だが壮大に騙している。敗戦時はGHQがそれに加担していたし、
彼らのやり口は「何が何でも日本人が悪い」で、韓国人は犠牲者である、という
構図作りもアメリカがやった。マスコミへの規制法であるプレスコードで
朝鮮人への批判を禁じたのもその一環である。
在日と言われる人々でさえ、この日本に暮らしながら本国発の捏造を
事実として、在日社会の共通認識で暮らしている。

韓国人と日本人の対論を、時折ネットで見るが食い合わないこと
おびただしい。日本人がいくら例証を上げても、韓国人は幼稚園の頃から、
いやその前から社会から親から教えこまれたことを、真実だと信じこんで
いるから、日本人が事実を認めず嘘を突き通していると思い込んで・・・・
思い込まされている。

どうすればいいのか。

日本が国家の総力あげて対処するのがいいのだが、やりそうにもないし
アメリカとの関係で、困難でもある。事実を暴けば源流はアメリカにあることが
露見してしまい、アメリカはそれを望まない。その意味では
いまだ敗戦国としての無力状況が続いている。

結局迂遠ながら、民間でこつこつやるしかなく、しかしあちらは
国家規模でかかって来る。個人レベルで対処するのは限度がある。
しかし、言われっぱなしでは余りにも理不尽であろう。

できれば、国家が経済制裁を行うのも辞さぬと腹をくくって欲しいのだが。
今の流れならアメリカもそう、阿漕(あこぎ)な介入もして来ないだろうと思われる。

韓国民の多くは、韓国が日本を失ったところで、どうということもないと
本気で思い込んでいる。これもまた、国威発揚で国からそう思い込まされている。
「韓日断絶」の声も最近は、ひんばんである。
いっそ、断交とは言わぬがそれに近いぐらい日本がいったん遠ざかってみたら、
どうなのだろう。

遠からず韓国民は、自国の置かれている位置を思い知ることになる。
思い知ったところで、事実にもとる反日教科書を改めるよう申し入れればよい。
・・・・と、口で言うのは簡単だが敢えて書いてみた。
事実がないがしろにされたところの、二カ国間の論争など
永遠に不毛で憎しみ以外、何も生み出さぬからである。

根付け

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根付を集める趣味は今のところないので、これが手持ちの全てである。

一番下の金属は、折り鶴である。

ただ、蜻蛉は何となく凝り始めて着物から半襟、扇子、手ぬぐいに至るまで
揃えているので、蜻蛉の根付がもしあったら欲しい。(ネットで探したらすぐ、銀細工の蜻蛉が見つかったのだが、残念ながら帯に留めるための金具がついてなかった)

こんなことを書きながら、亡き脚本家市川森一さんの言葉を思い出した。

「テレビであなたをたまに見てるけど、あんなに和服が身に馴染む在日の人はいないよ。あなたは紛れもなく日本人だ」

私が「日韓併合が終わる直前の京城(現ソウル)で生まれたもので、時々在日説が出まわるんですよ」と言った時の、市川さんの反応である。

ユニークな世界観をお持ちの脚本家だった。「淋しいのはお前だけじゃない」など、
作家性の濃いドラマをお書きの方だった。「黄金の日日」という大河ドラマも
市川さんだったと思う。

当時世田谷区深沢にあった三田佳子さん邸で市川さん、唐十郎さん、私と脚本家3人が招かれて、一夜飲み明かしたことがある。

ドラマを見ていて、あ、これは誰それさんが書いたな、と脚本家名が解る時代はもう終わったのかもしれない。

市川さんといい、唐十郎さんといい、文体と世界観をお持ちの方である。

 

フグと城下カレイ

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所用で大分に一泊で飛んだ。

飛行機が整備不良とかで、出発が遅れるというアナウンスがあったのは
搭乗寸前の整備不良アナウンスは、何か胡乱である。
整備点検はもっと早めにやっておくべきではないのだろうか。
搭乗寸前に発見されるというのは、要するに問題箇所の点検を
直前まで怠っていて、機長がコックピットに入ってから、やっと
不備に気づいたということではないだろうか、といぶかしんだが、
大幅に1時間も遅れての離陸であった。それなりの短い説明は
あったが、どうにも訝しい。しかし機器に無知なのでツッコミも出来ず。
血の気が熱い若い頃なら、質問して食い下がったかもしれない。
国内便の1時間遅れというのは、仕事がらみだと大変なことになる
場合もある。その割に、JALの詫びはけろっとお座なりではあった。
日本人はおとなしいので、皆黙っている。
アメリカだと、ヘタしたら訴訟沙汰。訴訟社会で大儲けするアメリカが
いいとは全く思いはしないし、むろん、正当な理由での遅延なら
騒ぐほうが悪いが、どうも搭乗寸前の整備不良発見が
納得できかねる。

これだけの遅延は国内便では、初めてだったが国際線では二度経験がある。
一度は、アカデミー賞の授賞式見物にハリウッドに行った時で、
成田空港で一夜、止め置かれた。
テレビ小説を書いている最中の、寸暇をもぎとるようにしての渡米であったので、
痛かった。日本人のカップルが、いったん搭乗したのに、降りてしまったせいで、
その場合は爆弾仕掛けの可能性があるので、大掛かりな点検作業が
行われるのだ。

そのカップルがなぜ、航空券を捨ててまで降りたのかわからない。
体調が悪かったのか、成田離婚風に喧嘩したのか。
点検に手間取るうち成田離陸の時間帯を過ぎてしまい、結局
翌日のフライトとなった。こういうケースは、航空会社の責任ではないので、
なんの補償もない。踏んだり蹴ったりであった。

一度はどういうトラブルであったか忘れたが、東南アジアの何処かの国で
航空会社が取ってくれたホテルで一泊したことがある。
若いころだし、むしろ思わぬ国での無料一泊はそこそこ面白かった。

1時間遅れで、着いた大分空港であったが、市内まで延々1時間。
なんで、こういう辺鄙な場所に空港を開いたのか、行くたびに不可解な
思いをする。別府市内に行き着くまでに、空港に使えそうな土地は
有り余るほどある。成田と共に、日本2大不便空港である。私の主観であり、
似たように乗客に遠路を強いる空港は他にもあるのかもしれないが、これだけ
不便を強いられると、どの政治家が何の利権で? とつい考えてしまう。
1時間の遅延に加えての、市内までの1時間だったので、余計
くたびれた。

大分空港は昔は大分市内にあったのだ。
空港から海を比較的短時間で渡れるホーバーもいつしか
廃止になっていた。空港から市内があまり遠いと、市(まち)は
寂れはしないだろうか。
成田も、来日を億劫にさせるに十分な不便さではあり、日本にとっても
よろしくないと思う。

大分では、フグの料亭に行った。夏フグと言っていいのかどうか、春フグというには
もう暑い。計三人で、キモが一人当たりタラコ大のが出され驚く。
身も分厚く大きい。初めてフグ刺しを皿に残すほど、刺し身だけでお腹がくちくなった。
(くちくなる、ももはや死語か?)

翌日昼は、空港内の「宙(そら)」という寿司屋で、関サバ、真鯛、城下(しろした)カレイの寿司、とりわけ、城下カレイはめったに食べられないので、集中的に握ってもらった。
弟が大分に飛ぶたびに、寄っている店である。
城下カレイは日出(ひじ)の海中に真水が湧く箇所があり、そこでしか釣れない、魚の中でも
宝石クラス。スーパーで城下カレイと銘打っていても、まずは眉唾。それほど
気楽に出回るものではない。ビールで食したが、日本酒でもっと、たらふく食べて
置きたかったかなあ、と今頃軽く後悔しているのだが、何しろダイエット中なので、
少しはブレーキをかけたのだ。
キモのついたフグ刺しは、それ以上食べきれぬほど詰め込んだが、しかし城下カレイは季節限定、土地も狭く限定で、今後はいつ食べられるかわからない。と思うと、もっと
食べておくんだった、やはり思うのだ。

羽田空港浜松町間のモノレールだが、ただでさえ過剰な日本のアナウンスだが、それに
中国語と韓国語が加わるので、うるさくて仕方がない。
標識もあちこち中国語と韓国語。こういうのは相互主義でやるなら、文句も言わないのだが、
ソウルでも北京でも上海でも、日本語の標識やアナウンスなどありはしない。
やれば、国民的サイズの批判にさらされるだろうに、日本だけなんでだろうね。

むろん、領土を不法占拠されている国や、自らの所業を棚に上げ「歴史認識せよ」と
事あるごとにぶち上げる国に、なんでそこまでサービスするのかという思いもある。
中国人がどれだけ日本にお金を落としに来ているか、と私を諌める人もいるが、
日本が今まで、どれほど理不尽なODAを中国に渡してきたか、と私は応酬する。
彼らは日本にお金を落としても素手で帰るわけではない。
日本は、むざむざと取られっぱなしなのである。黄砂対策やら何やら、名目通りに
使われているかどうか、むしろ役人の懐を潤している公算のほうが高い
死に金である。大枚のお金渡したからといって返ってくるのは感謝ではなく、
非難と罵りである点も韓国に似ている。


「遣日使」という言葉の普及を  古代より諸国学びの対象であった日本

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日本は、誇らない、他者と比較しない、優れていても謙遜する。

それが古来よりの日本人の性質であった。

敗戦以降、自信を失くして極端に自己否定に走り、そこに追い打ちをかけたのが

GHQ発、中韓による日本貶めである。

「欧米では」という比較論も戦後しばらくは流行ったが、今どき欧米と比較して

日本がどうのという言い方をする人もいなくなった。

ただ漠然と「日本は劣った悪い国である」と思い込んでいる人が多く、それは

あたかも慢性の疾患のように、日本病ともいうべき状態を示している。

こういう折から、私は日本に「遣日使」という言葉を定着させたいと思う。

知る人ぞ知る言葉であるが、遣隋使や遣唐使に対しての造語であろう。

隋や唐に日本から学びに渡った日本人たちがいたのは事実だが、しかし周辺諸国から

日本に学びにも来ていて、それが「遣日使」なのである。

と、偉そうに講釈するわけでもないのは、私自身東北大名誉教授でいらっしゃる

田中英道先生のご著書を繙く(ひもとく)までは知らなかったことだからだ。

田中先生のご著書は好きで、数冊拝読しているが、篤実な論を確かな文章で述べられる方で

先生のおっしゃる遣日使が、突飛な論であるとも思えない。

先生の著作「日本の歴史 本当は何がすごいのか」(育鵬社)によると、

隋からは裴世清(はいせいせい)はじめ高位の役人が32艘の船を引き連れ、

日本に学びに来たという。これは史実にある。

*裴 世清(はい せいせい、生没年不明)は、7世紀前半に中国王朝隋の煬帝による命令で俀國(倭国)を訪れた使者。《Wiki》

天智天皇8年(669年)には、二千余人が日本に学びに訪れていて、新羅からは

三十数回も、日本に来ているという。渤海(ぼっかい)からは33回の来日。

渤海というのは、現在の中国の満州から朝鮮北部、ロシアの沿海州まで

版図を広げた国のことである。

要するに遣隋使、遣唐使という形で海外に日本が学びに行った人数と回数より

海外から日本に学びに来た人数と回数のほうが、遥かに上回るということである。

百済滅亡の時には、大勢が百済から逃れてきて日本に住み着いているが、

日本は彼らを排斥せず、彼らも穏やかに日本の家風に馴染んでいつしか

日本人となっていった。だから、日本人がとりわけ排斥主義であるということはない。

本来間口の広い、懐深い民族であろう。

拒否するなら、する理由があってのことである。端的に言えば、日本の良き風習に馴染まず

低きへ日本を持って行きかねない外国人に対しては嫌悪拒否感を示す。

いささか余談に逸れるが「朝鮮通信使」を、日本全国の各自治体がイベントとして

盛り上げようとしていて、それは結構なことであるが、しかし朝鮮通信使が

「文化の低い日本へ、高い韓国から教えに来た一団が朝鮮通信使である」と

韓国が主張しているその内容まで、肯定しては町おこし名目で

日本の名誉を傷つけることなので、止めて頂きたいのだ。

朝鮮通信使は、日本に朝貢に来ていたのである。「教えてやるほう」がなぜ、

将軍に貢物まで持って、わざわざ危険な海路を渡って来るものか。

学びたい対象があれば、日本のほうから出かける。遣隋使や遣唐使のように。

朝鮮通信使が「文化の低い朝鮮から高い日本へ来た使者であった」ということは、

他ならぬ彼らが著した「日東壮遊歌」があるので、町興しのために

朝鮮通信使のイベントを盛り上げたい各自治体の関係者は読んで頂きたい。

「日東壮遊歌」で検索をかければ、資料はネットでも容易に拾える。

韓国の言われるまま頷いていると、慰安婦と同じ運命で彼らが

言い続ける嘘がいつしか事実として定着してしまう。

たとえば朝鮮通信使は、日本の水車の技術を朝鮮に持って帰ろうとするのだが、

李氏朝鮮で水車が出現するのに、500年間の時を要した。日本では庶民である

百姓が軽く作っていたのが水車である。また左右同じ大きさの車輪を作る能力が

なかったので、朝鮮の貴族が乗っていたのは猫車のような一輪車である。

このような史実を踏まえての、ユネスコ登録ならいいが、韓国が躍起になっているのは

朝鮮通信使に託して「文化的に優位だった朝鮮。劣っていた日本」という捏造史の

定着化であるから、日本の関係者諸氏は乗せられないようにして頂きたい。

お立場がお立場なので、いつも右代表であげつらう形になってしまうが、

安倍昭恵氏による朝鮮通信使イベントへの協力推進は、いささか浮薄であろうと思う。

他にも日本毀損の人物への妙な協力やら、中国工作員への接近やら、

いくつもいくつも論外な言動がおありなので、再度申し上げておきたい。

かと思えば靖国参拝などなさり、その事自体はむろんご自由だが、この方の

立ち位置が全くわからない。ガス抜き要員だという説もあるが、それにしても

挙措が終始一貫していず、単なる浅慮による妄動ではなかろうかと私は見ている。

私が実名を出して批判するのは、数名しかいないが昭恵さんもそのお一人である。

軽挙妄動はどうぞ謹んで頂きたい。とりわけ朝鮮通信使イベントに加担なさるなら、

その前にじっくりお勉強をなさって頂きたいのだ。

 

軍艦島の遊郭

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母方の祖母が、軍艦島(端島)が見える家に住んでいたので、

島の話は、時々聞いていた。廊下から見えていたその島を

私もぼんやりとながら記憶している。

島には、そこで働く朝鮮の人々相手の遊郭があった、という祖母の話を

ふと思い出して、奇妙な気がした。

というのは、軍艦島の世界遺産登録にからんで韓国がまたぞろ「強制連行」を

言い出してきたからである。

ここで素朴な疑問が湧く。

強制連行して来た男たちのために、遊郭が用意されるだろうか。

(資料をあたってみたが、確かに朝鮮人専用の遊郭が2棟あった)

遊女が無料奉仕だということもないだろうから、給金が支払われていたということでは

ないのだろうか。

炭鉱の給料は、当時は破格だった。

通常の倍はあったように、記憶している。

当時の外務省発表によれば、韓国が言い立てる“強制連行”は

「戦時徴用」のことであり、戦争末期の7ヶ月間しか適用されていず、

全部で245名に過ぎない。

(募集に応じて来た人たちを、強制連行として捉えると、人数は万単位になるが)

 

日本に留まった人たちは、全員自由意志での日本居住であり、帰国したい人は全部、

朝鮮半島に帰っている。

この辺りの消息は、孫正義氏の父親が実情を率直に語られているのを

週刊ポストで読んだことがある。

孫正義氏の父親の言葉なので、誤解しないで頂きたいのだが、

「あの当時まっとうな朝鮮人は全員、朝鮮に帰った。残ったのは・・・・(以下の正確な文言を

記憶してないのだが、カスだか、クズだか相当強烈な言葉ではあった)」

戦時徴用は、年齢に達した日本人すべてが対象であり、朝鮮の方々は、

当時日本人扱いだった。(併合には反対もあったが、それは日韓共に同じ。

概ね双方が合意しての、国際法上も無問題の合邦であった)

しかし、ねじ込まれた日本政府は軍艦島に、朝鮮人従業者のための

慰安所まで用意されていた「優遇」であったことは、伝えない。

この驚くほどの、弱腰はいったい何なのだろう。

当時の慰安所は合法であり、世界スタンダードでもとりわけインモラルなことでもない。

 

 

 

 

一方、吉田茂がGHQのマッカーサに当てた嘆願書によれば、在日本朝鮮人100万人のうち、
ほぼ半分は、密入国の不法滞在者である、として本国への送還を、日本の費用持ちで
願い出ているのである。敗戦後、日本がまだ食うや食わずの貧しい時期での
ことだから、よほど悩まされていたのであろう。犯罪率も異様に高い、と吉田書簡にはある。

上記の事情を鑑みれば、さて「強制連行」などというものはあったのかどうか?
そういう国に戦後数年しか経っていない時期に、密入国までして
押しかけてくるかどうか。強制連行どころか、違法に続々と日本に上陸されていた
過去を日本人は知らねばならない。韓国の人々も。マスコミは報じない。

 

http://hosyusokuhou.jp/archives/25267694.html

画像はこちらから拝借した。

 

 

448ページより

親愛なる閣下

連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥閣下

 日本の戦後の諸問題のうち朝鮮人と台湾人に関するものがありますが、

 彼らはかつて日本国民であり、現在もこの国に依然として滞在しているものです。

 ここでは台湾人については、彼らが比較的少数であり、

それほど問題を起こしておりませんので、しばし触れないことに致します。

 

しかし、総数約一〇〇万人、そのほぼ半数は不法入国者であるところの在日朝鮮人の問題について、

われわれはいま早期の解決を迫られております。

 

私はこれら朝鮮人がすべて、彼らの生国の半島に送り返されることを欲するものです。

その理由は以下のとおりです

 1.日本の食糧事情は、現在もまた将来においても、余分な人々を維持することを許しません。

アメリカの厚意によって、

われわれは大量の食料を輸入していますが、その一部は在日朝鮮人を食べさせるために用いられています。

これらの輸入は、将来何世代にもわたって我が民族の負債となることでありましょう。

 

もちろん、われわれはそのすべてを返済する覚悟を固めておりますが、

この対米負債のうち朝鮮人のために生じた分まで、将来の世代に負わしむるのは、

 公正なこととは思えません。

 2.これら朝鮮人の大多数は、日本の経済の債権に貢献しておりません。

 3.もっと悪いことには、これら朝鮮人は犯罪を犯す割合がかなり高いのです。

 彼らは我が国の経済法規を破る常習犯です。

 

かなりの数が、共産主義者かその同調者であり、最も悪質な政治的犯罪を犯しがちなのです。

 投獄されているものは、既に七〇〇〇人を超えています。

 戦後今日まで裁判に付せられた、朝鮮人による刑事事件は以下のとおりです。

 

年次          事件数   朝鮮人関係者数

1945(8月15以降)   5334件  8355人
1946          15579件  22969人
1947          32178件  37778人
1948(5月末現在)  17968件  22133人
合計          71059件  91235人

 さて朝鮮人の送還計画としてわたしが考えるのは次のようなものです。

1.原則として、朝鮮人は全て送還され、その費用は日本国政府の負担とする。

2.日本に在住を希望するものは、日本政府に許可を申請すべきものとする。

 在住許可は、日本経済の再建に貢献しうると見なされたものに与えられる。

以上述べました私の考えが、貴官よって原則的に承認を得られた場合は、

 送還に伴う予算その他の具体的措置について、改めて案を提出いたします。 

 敬具 吉田茂

                  ---------------転載終わり  --------------

 

あとがき

調べてみたら、孫正義氏の父上の談話は週刊ポスト2011年2/18号だった。

正義氏の父親の話では、孫さん一家がそもそも正義さんの祖父母の代からの
密入国であった。

正義氏の実父、三憲(元サラ金勤務)氏が「時効だから」として語っていらっしゃる。


正義氏の曽祖父は日本に来てそれから北朝鮮の金山で死去なさっている。
北朝鮮の金山へ、採掘人夫として出かけ、そこで死亡したようで、
以下は私の推測に過ぎないが、日本の・・・・端島の炭鉱など北朝鮮のそれに
比べれば、極楽ではなかったか?


孫氏の父、三憲氏は佐賀県鳥栖市の朝鮮人部落で生を受け、密入国者の子として育ち終戦を迎える。


「戦前は日本に二百何十万の朝鮮人が来とったでしょう。それが戦争が終わると、ほとんど帰って、二、三十万人しか残らなかった」

それが吉田書簡によると、その後5年間でまた100万人にまで増え、その半数が密入国であったということであろう。

 

上記うろ覚えで書いた三憲氏の言葉はこうであった。
「その残っている朝鮮人は、落ちこぼればっかり。日本にはカスばっかり残っとるんですよ(笑)」
 
当時の密航の様子については、

「ボロ船で・・・朝鮮人ばかり五、六十人乗っていましたね」

密入国の様子については、マルハンの韓昌祐(ハン・チャンウ)会長も語っている。

特別永住許可は、戦後のどさくさにまぎれて市役所で貰った、とも告白している。

どさくさまぎれの不正な永住権獲得は相当多かっただろう。でないと、数の平仄が合わない。

これほど多くの在日の方々が、特別永住権を本来手になさっているはずはないのだから。
なぜなら、特別永住権は戦前から日本に在住していた朝鮮の人々が対象であったからだ。

ありていに申せば、マルハンの会長のごとく、戦後日本の混乱に乗じて、特別永住権を手にした人たちも多いということだろう。

「戦前から日本にいる」という自己申告が通ったほどの、混乱に当時の日本はあった。
「無理やり連れて来られた」は、その時の決まり文句であったのだろう。
たとえ密入国であっても。

あと、竹島を戦後のどさくさに乗じて盗んで行った李承晩元大統領による
韓国人の大量虐殺から逃れて、日本に逃れて来た「難民」
に対して日本政府は、25年の滞在許可を与えた。(引取を要求した日本政府に
対して、韓国政府は《受取拒否》した)

 

韓国最大のタブー  The maximum taboo in South Korea

 

最大のタブー2  The maximum taboo in South Korea

 

韓国最大のタブー4  The maximum taboo in South Korea

 

しかし25年経ったら帰国せねばならない、韓国からの難民の人たちが、帰国したくないばかりに、「無理やり連れて来られたのだから、永住権を寄越せ」と、主張。
母国の大量粛清から逃れてきた韓国人を日本政府が助けてあげて、
礼どころか、無理やり引っ張って来られた、と言われては立つ瀬がないのは、
政府も国民も同じことであろう。

現在の在日の方々の多くが、自国政府による済州島の大量殺戮から
日本に逃れてきて、日本により救われた人々である、そして
25年経ったら本来は祖国へ帰っていなければならなかった人々だということを
日本国民は無論だが、在日の方々にも知っておいて頂きたい。

難民にまぎれ、いわゆる政治的工作員も日本にその時来て居着いたとも言われている。

孫正義氏の父親は「戦前の日本に、朝鮮人差別などはなかった」とも
語っていらっしゃる。

それが事実なら、では、戦後に差別と日本が言い立てられるそれには、然るべき理由があってのことではないか、とも考えられるのではないか。

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宮中晩餐会の佳子さまが、愛らしく美しく、久々に

心が明るむようだった。

私の亡き親友の娘さんが、秋篠宮家にお泊りするほどの仲良しさんで、

ちらちら噂を耳にするので、ひとしお親しみがある。

しかし、もはや晩餐会に出られるほどのお立場になられたら

それなりに遠くなってしまうのだろうか。

憂鬱な情報が多い日々に、花一論添えて頂いたようで、ありがたいことであった。

 

銀細工の蜻蛉の根付け、結局手に入れた。

適当にピンを付けて、帯に垂らすことにする。

 

日本の「永遠」

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田中英道先生の著作で知ったことだが、パルテノン神殿も法隆寺も

同じ美の黄金比率で出来上がっているらしい。

ギリシャ、日本共に古代の人々の美的直感の共通項に

息を呑む思いだが、共通でないことは

パルテノン神殿は石で、法隆寺は木で出来ていることだ。

しかるに、堅牢な石の神殿は柱を残して潰え、木の寺は完全な形で生き延びている。

むろん、歴史はパルテノン神殿のほうが遥かに旧いので、同じ地平での

比較はアンフェアだが、おそらく法隆寺はこれから先も延々と生き延びる。

永遠性を夢見て石を積み上げるのが西欧なら、万物いずれ滅びるものとして

木を使う日本の精神性の違いで、滅びると観じて作る日本の建造物のほうが

息が長いというパラドックス。

焼き討ちに合うことが少ないという日本の平和も傍らにあってのことだろう。

日本は永遠を物質には求めない。万物流転の中に実は永遠を見る。

伊勢神宮の式年遷宮。壊しては建て、建てては壊して、また創建する。

生と滅は一体であり、それがすなわち宇宙の法則が指し示す永遠なのだから。

自然と対立しての永遠などあり得ない。

対立構造が西欧の思考と感受性の基礎にあるが、すでに行き詰まっている。

日本は永遠の何たるかを知っている。

世界の立て直しは日本から始まる。

日本の余白

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「○○は、韓国が発祥」と言うのが好きな韓国人が、MERSは韓国発祥とは言わない。

と、いささか不謹慎なジョークを言われているほど、韓国の発祥好きは有名で

イエス・キリストにすら韓服を着せ、乳出しチョゴリの聖母マリア像が韓国の

某教会の前に設置されている写真がある。

「剣道は韓国が発祥」と言いながら、その宣伝ポスターに「用心棒」の三船敏郎さんと、「座頭市」の勝新太郎さんを使う整合性の無さ。

茶道も韓国発祥なのだそうだ。

亜寒帯エリアの多い韓国で、茶道にふさわしい茶葉が生育出来るのか? 

とまともに突っ込む気にもなれないし、韓国茶道とやらが行われている室内に

トイレット・ペーパーが転がっていたり、湯が魔法瓶に入っていたりするのは

ご自由にどうぞ。

だが彼らが決定的に解らず、また模倣出来ないのは、

剣道、茶道、華道、柔道・・・・と、なぜ「道」が付いているのか、道という一語に

込められた精神性であろう。

韓国の自称茶道には、茶室がない。そのうち、作るかと思われるが。

しかし、日本の茶室を模して蹲(つくばい)や躙り口(にじりぐち)を

作ったとて、そこに込めた心を解さねば形だけのことであろう。

蹲は、神社の手水鉢の発想と軌を一にするものであろうかと

思われるが、心身の清め。それも、身を屈めて手をそそぐ。

なぜなら茶室が「結界」であるからだ。

そして、躙り口(にじりぐち)は身を屈め入ることで、高慢な心や浮世の身分を

そこで手放す。

躙口は高さが2尺2寸(約67cm)。正座で中に躙り寄る。

 

狭い茶室が、更に狭い躙り口の設置で広がりを持つ。

茶室を宇宙と観じる。枯山水に、実際にはない水の流れを見るように、

日本人は心の目でものを視る。

精緻に作りこまず余白を作ることで、広がりを持たせる。

鹿威し(ししおどし)は、静寂を際だたせるための音である。

静寂それ自体は静寂を表現しない。

音が鳴って、人は静寂を知る。

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という芭蕉の句もそうである。

蝉の声ありて、芭蕉は静けさの深さを知る。

「古池や蛙飛びこむ水の音」も静寂を詠んだ一句だと私は思う。

茶の湯の心得がないので、偉そうには言えぬが茶の湯釜で沸く湯音も、

様式の中にはいるのではないだろうか。魔法瓶の湯で茶道は成り立たぬ。

茶室は結界でもあるが、瞑想空間でもあるのではないか。

道は、また人間を超えたsomething greatへ至るための道でもある。

芸を極めることが、神仏の境地を知ることでもある。

韓国がまだ「ウリが発祥」と言っていない、数少ないものの中に

浮世絵がある。

西欧の画家たちに多大のインスピレーションを与えた浮世絵。

北斎のあの波など、写実でスタートした西欧の画家たちには、

驚きであったろう。

波大きく、富士山小さく、表現としての誇張を日本は古くから知っていた。

雨は斜めの線で描き、日本のコミックが世界のトップランクに位置づけされるのは、

伝統の素地があるからだ。

茶の湯も知らずにほざいたので、妙なことを口走った箇所があるかもしれない。

心得ある方からの、お叱りを待つ。

日本語の宝庫 唱歌と童謡

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朝、日本テレビを見ていたら、局としてのプロジェクトの一環に、プロの歌手を学校に

派遣して、唱歌や童謡を歌ってもらうというのが紹介されていた。

おぼつかない記憶によれば、確か東京は練馬区の下石神井小学校の校長先生だったと
思うが、日本テレビのプロジェクトを受け入れる理由として「たおやかな日本語を生徒に知って欲しい」とおっしゃっていて、

かねてより文部省唱歌と童謡が日本語と、日本の情緒の宝庫だというのが

持論である私は、思わずその校長先生の手を握りしめたくなった。

先生は「たおやか」という言葉は使われなかったが、それに近い表現だった。

先生の使われた言葉は、記憶から滑り落ちている。

ソプラノ、メゾソプラノ、テノール、バリトンで構成される歌い手の皆さんは、

まず校歌を歌い、それから唱歌、童謡とマイク無しで滑舌よく歌い上げる日本語の

心地よさ。

子供たちも、しっかり聴き入っていて頼もしく、また心から嬉しいことであった。

音楽の時間に今の流行歌を歌わせるのも、親しみという点ではよかろうが、

どうぞ、唱歌と童謡をと思うのだ。

廃れさせたくない日本の言葉と情趣の宝庫であるから。

 

     (1)                       (2)
木枯らし途絶えて 冴(さ)ゆる空より    ほのぼの明りて 流るる銀河
地上に降り敷く 奇(くす)しき光よ      オリオン舞い立ち スバルはさざめく
物みな憩える 静寂(しじま)の中に     無窮(むきゅう)を指差す 北斗の針と
煌めき揺れつつ 星座は巡る        煌めき揺れつつ 星座は巡る

 

「冬の星座」(訳詞・堀内敬三 )からだが、

この短い歌詞の中に、「降り敷く」「奇すしき」「しじま」「星座が巡る」「ほのぼの明かりて」
「オリオン舞い立ち」「スバルはさざめく」「無窮」と、喪いたくない言葉と感性が
びっしり詰まっているではないか。

今どきの流行り歌にはない、語句と感性があるのは、旧い演歌も同様である。
かつては忌避していた演歌に、しみじみと聴き入ることがある。

昔の作詞家には言葉の達人がいた。

映画の中の着物

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山田洋次監督の「小さなおうち」という作品を、今頃見た。

原作としての小説があるようだが、そちらは未読である。

実は山田洋次監督の作風が生理的に苦手で、かなり迷いながら

DVDを借りた。

独特の美意識に満ちた画面作りにまず驚かされた。

出だしの焼き場の煙突の煙に、小津安二郎監督の影響をふと感じた。

いつもの山田作品とトーンがぜんぜん違う。一人の演出家がこうも

画然と作風を変えることが出来ることが、興味深かった。

外出した人妻(松たか子さん)の、一本独鈷の帯が出掛けと逆になっていることに

気づく女中(黒木華さん)の視点が、上手で唸る。なるほど。

これは小説にあるくだりがどうか知らないのだが、ここは圧倒的に

映像の世界。映像の説得力。

要するに、出かけるときにはお太鼓の左側にあった線の模様が、帰って来た時は、

右側になっていた、という説明で伝わるだろうか。

いかにも女の視線であり、男はこういうのに気がつかない。

映画は、人妻の情事をいっさい見せないが、出掛けの帯と帰宅後の

帯の締め方が逆になっていることで、解かれた帯の衣擦れの音まで

連想させて、かえって隠微なのだ。

山田洋次監督がこれほど、女のしぐさを色っぽく撮ることができるとは

失礼ながら存じあげなかった。

松さんが、出かける前に帯締めを締めるその手つき、青年との逢瀬の後帰宅して

鏡の前で帯を解いていく時の仕草など、ドキドキするほどの、色っぽさ。

着物ならでは。

洋服に衣擦れはない。裾をさばくときのあの、絹の音も。

以前、深町幸雄さん(夢千代日記)にドラマを書いたことがあるのだが、

女が着物を脱ぐその過程で、鏡に腰紐をだらりとかけるト書きを書いたのに、

帯締めの硬いのを鏡にかけていて、すると腰紐のしどけなくまつわる

さまが出ず、ト書きにもっと詳しく書き込んでおくのだった、と後悔したことがある。

杉田久女の「花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ」という句を具象化したシーンであった。

 

演出家がそのシーンの意図を読みきれてなかったくだりであり、

そこはプロデューサー(女性だった)と共に、悔いた。ここ決定的に違うよねえ、と。

深町さんにはお伝えしたかしないか、忘れた。

作品が仕上がった後で、言っても虚しいとお伝えしなかったかもしれない。

女性の演出家でない場合、こういう「女感覚」のシーン指定の時は、

噛み砕いたト書きでないと、伝わらないようだ。

擬古文でト書きを書き、これを試みた人は余りいないと思うが、

これも深町さんは、私が奇をてらったと思っていらしたようだが、

そうではなく、現代ものの連ドラを書いている最中、よんどころなく

突っ込まれた単発であり、頭を切り替えるための工夫だった。

それも説明するのが面倒くさくて誤解のままに放置してしまった。

お伝えすべきであったかもしれない。

深町さんも、この世から去られてしまった。

 

山田洋次監督は着物をよくご存知でいらっしゃる。

監督作品で初めて見る、耽美性と色っぽさを楽しみながら、

1つセリフで、気になったのがあった。

老いた元女中(倍賞千恵子さん)が、「南京陥落の戦勝セールが楽しかった」と追想記に

書くのだが、その孫(妻夫木聡)が「南京じゃあ、大虐殺が起こってたのに」と、批判するのである。

これは、そう教えこまれた若者がいかにも言いそうなことではあり、脚本のせいではない、

監督のせいでもないのだが、私などは小骨のようにひっかかる思いを味わう。

だからと言って、私がもしその脚本を書いても、そのくだりはカットするか、

「大虐殺なんて支那がついた大嘘だよ」と元女中に言わせるしか策はない。

しかしその女中が、そういうこというセリフかなあ、と考えこみ

悩ましいのである。

しかし、妻夫木聡くんって、こんなにいい役者だったっけ。

以前、人を殺して女と逃げる青年の役を演った時から見なおしてはいたのだが、

今回、これといった見せ場もない役を、さらっとしかし丹念に演じていて

好感の持てる芝居を見せてもらった。

これから見る人のために詳述はしないが、どうも女中が美しい奥様に対しても

憧れをやや超えたある恋情を抱きつつ、また相手の若い男にも揺らいでいなくもない、

という万華鏡みたいな恋心も繊細で面白かった。

青年のほうも一途に奥様に焦がれながら、女中も憎からずは思っている、

と、その描写もなかなか、大人っぽい恋愛映画なのだった。

 

著作権上、難ありと知りつつもスチル写真をアップする誘惑に抗しかねる。
まだDVDも発売されていて、宣伝に協力という言い訳でお見せしたい。

 

映画では、男も着物を着るシーンがあり、それが長襦袢をまとうシーンから見せて、珍しい
シーンではあった。

 

 


古代より世界に秀でていた日本文化 仁徳天皇陵

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韓国のなんでもかんでも「ウリが起源」は、まともに付き合うのも馬鹿馬鹿しいものも

多いのですが、「朝鮮通信使は、文化の高い韓国が低い日本に

文化を教えに行っていた」という虚言は放置できません。

日本の優秀性を捏造で否定することだからです。

町興しの一環としての「朝鮮通信使」祭りには、反対はしませんが、

しかし、朝鮮通信使とワンセットでくっついてくる「文化の高い韓国が低い日本に

文化を授けた」という条項には明確に否定の意思を示さないと、

日本人も同意ということで、ユネスコに遺産登録されてしまいかねません。

実のところ、朝鮮文化が高かろうと低かろうとどうでもよいことで、

内側で高い自己評価をして嬉しがっているのも、自由です。

ただ、そこに日本を必ず引き合いに出して日本を貶め語るので、迷惑なのです。

今日は「お墓」を例に、話してみたいと思います。

仁徳天皇陵が世界最大規模の墳墓であることはご存知かと思います。

文化の低い日本に世界最大があり、朝鮮になぜないのか、で韓国側の

論調は一発論破かとも思われますが・・・・・世界で初めての長編小説も

日本であって、韓国ではないのだから「文化の高い朝鮮が、低い日本に

教えに来たのが朝鮮通信使」とは言えないはずですね。

そもそも、韓国人が誇るハングルがリャンパン(両班)という貴族階級に寡占されていたのを、

広く一般に広めてあげたのが、日本帝国です。

仁徳天皇陵は五世紀の建造です。

ピラミッドや秦の始皇帝の墳墓より巨大ですから、当時の日本の

底力が解りますね。

現代に換算すると運び込まれた土の量、ダンプカー25万台ぶん。

建造に要した延べ人数6百80万人強。

期間は15年8ヶ月。

工費 現代換算で796億円。

(以上は大林組プロジェクトチーム「よみがえる古代大建設時代」東京書籍より)

その規模の巨大さもさることながら、日本という国が一度も解体されることなく

連綿と連なってきたその要に、天皇という存在があったことを改めて

思わされますね。

もっとも、ピラミッドは石を高く積み上げねばならない別のスキルが必要であるし、

時代も異なるので単純な比較は出来ません。墳墓ではないと言われるピラミッドも

存在するし。

上記の大林組の試算によれば、クフ王の大ピラミッドは、現代の工事で換算するなら、

総工費1250億円、工期5年、最盛期の従業者人数3500人という数字だそうです。

 

仁徳天皇のお墓ではないという説もあるようですが、しかし当時これほどの

力を持った存在を、天皇以外に想定することは難しいですね。

ひとまず仁徳天皇陵であるということでよろしいかと思うし、

五世紀にこれだけの規模の墳墓を作る力が日本にあったということの

左証には違いありません。

縄文期の火焔土器なども、日本民族の文明度の高さを示したものでしょう。

世界で一番早い土器の出現は、日本です。(縄文時代前期。1万6千年前)

西アジアに、土器が現れるのはそれから8千年後のことで、しかも

日本の土器のように火にかけて煮炊きが出来なかったので、もっぱら貯蔵器としての

土器でしかありませんでした。

高温で焼き上げる技術を持っていなかったからです。

この間、テレビ局の人と話していたら、最近は日本上げの番組が多過ぎて

なんだかな、とその方はおっしゃってましたが、まあ上れば落ちるが世の習い、

いずれは、下火になろうかとは思うのですが、私はいい傾向だと思っています。

今まで日本は自国を自ら貶め過ぎました。

日本弱体化を狙ったGHQのまんまと思う壺です。

「日本いけない国。劣った国」という刷り込みに、中国と韓国が、やれ嬉しや、と

乗っかって来て、戦後70年間のていたらくでした。

おごり高ぶる必要はないし、また日本人はそのような気質も持ち合わせませんが、

不必要に低い自己評価からは脱する時が来ました。

実のところ私は、世界の行き詰まりを打破する鍵は日本の精神性の中にこそ

あると思っています。

古代よりしばらく続いた、やまとの精神性であって、昨今の浮薄な日本のことでは

ありません。

 

古代、と表題に打ってから、はて古代とはどの期間を指したのだっけ、と
念のため知らべたらこうでした。

西洋においては、古典的な三時代区分の一つであり、古代ギリシア・古代ローマを指す。歴史を語り始められるに足る資料がある時代。

諸説あるも、基本的に古代ギリシアにおける文明の成立から西ローマ帝国の崩壊(476年)まで。

中国では秦王朝の成立(紀元前221年)から、後漢王朝の崩壊(220年)または唐朝の崩壊(907年)まで。

 日本では、飛鳥時代から平安時代中期までの「王朝時代」。聖徳太子の政権掌握(593年)から。1080年代以降の院政期、1160年代の平氏政権の成立あるいは1185年の鎌倉幕府の成立まで。あるいは奈良時代と平安時代まで。

三時代区分法(three age system)は、石器時代、青銅器時代、鉄器時代に区分する。
しかし日本は、青銅器時代を持たぬまま、一気に鉄器に移行した。日本では、金石併用時代は石器、青銅器、鉄器の三者が併用されていた。

青銅器=銅と錫

 

防衛の「権利」

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 知人夫婦が「安倍政権が戦争をしたがっている、酷い」

と言うので、「私は集団的自衛権については、勉強が不十分で、断言は出来かねるけど」

という前置きで、GHQの日本弱体化政策に端を発したあれこれを話させて頂いたのだが、

食事の席であったので、十分伝わったかどうか。

憲法や防衛について思うとき、三島由紀夫が憲法改正案について書いた

文章の中の、2つの言葉が脳裏をよぎる。

すなわち、

「天皇は国体である」

「日本国民は祖国防衛の崇高な権利を有する」

防衛の「義務」ではなく「権利」と言ってのけたのが、三島由紀夫であった。

集団的自衛権の論議は、実のところ日本がその権利を持つか捨てるかの

話ではないのだろうか。

「天皇は国体」という言葉に関しては、肯んじながらもいささか現状に鬱屈する

思いがあるが、私は「国語は国体」であるとも思う。

と言うのは、戦後GHQは日本語の駆逐も謀ったので、「日本人の識字率を上げる」

という美名のもとに漢字追放そしてローマ字化が画策され、識字率テストが行われた。

ジョン・ペルゼルというハーバード出の若い将校の「日本語は漢字が多いために

覚えるのが難しく、識字率が上がりにくいために民主化を遅らせている」という発言が、

発端である。英語ごとき言語を操る者が、言霊のさきわう国の言語を評するとは笑止。

GHQジョン・ペルゼルが驚いたことには、「未開民族」日本人の識字率は、100点満点で

平均78.3点という大変な高得点。

というわけで、日本は漢字含めた日本語を失わずに済んだのであるが、

言葉を失った時点で、日本は「国体」をも失っていたであろうと、私は思う。

日本の精神性の、魂の、喪失である。

とはいえ、ジョン・ペゼルの思い上がった愚かしい関与のせいで、日本は多くの漢字を喪失し、

当用漢字という狭いエリアでしか言葉を使えなくさせられた。

しかし、ないよりは遥かにマシであろう。

志賀直哉がローマ字化やフランス語化を主張していたことへの

反感で言うわけではないが、私は高校の教科書で志賀直哉の文章「城崎にて」に

接しても、どこがいいのかさっぱり解らなかった。

なぜ「小説の神様」なのか、解らない自分悪いのだろうと思っていたが、

しかし、三島由紀夫の文章には震えが来るほど感動して、学校の図書室から

三島を借りては通学かばんをパンパンにして、家で読みふけっていたものだ。

ほとんど、その文章に陶酔しながら。

志賀直哉と同じく、教科書で知った芥川龍之介の「トロッコ」や「蜘蛛の糸」は

幼いながらに文章の一節を暗唱してみせて、中学の先生を驚かせていた

ぐらい好きだったから、私は単に志賀直哉と感性が合わないだけなのかもしれない。

日本語駆逐を言っていたおじさんだと知った今、むしろ好きにならず、どこか

胡散臭く思っていた、自分の幼いながらストレートな感受性を今はむしろ、

許容したい。

韓国の「ウリが起源」病

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生花も、俳句も、日本刀(!)も。霜降り和牛(!)も、風呂敷も、折り紙も

全部、韓国が発祥、と日本は言われ慣れているが

韓国は、タイでもやらかしたようで、日本に対してと同じように

「ムエタイ」は韓国発だと言ってしまい、総攻撃を受けているそうだ。

ついでに「忍者」も韓国が起源だと言ったようだが。

http://desktop2ch.org/news4plus/1433898071/

日本以外の国で、ウリが起源と嘘を言ったらこてんぱんにやられることは

学んだほうがいいだろう。

それにしても、なんでこう韓国民は起源にこだわるのだろう?

韓国発祥と言えるものがないからか?

オンドル? 中国とモンゴルにもある。 キムチ? 秀吉軍が唐辛子を持ち込んでから。

漬物はそれ自体が発見というわけでもなかろうし。

マッコリ? どぶろくは日本にもあるし、河内菌というマッコリの菌は

日本人が、韓国人に渡し持ち帰らせたものだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%86%85%E6%BA%90%E4%B8%80%E9%83%8E

何かないかと探してみるに、見事になにもない。

李朝白磁がかろうじて? しかし、陶磁器の英語名称はJAPANである。

他に韓国オリジナルは思いつかなくもないが、韓国の威厳と名誉を損ねるものばかり

なので遠慮しておく。

日本人が韓国民に対して怒るのは「劣等感から」だそうで、これは

割に言われていて、私などは目にするたび脱力する。

「日本人は歴史を直視しろ」と同じく。「正しい歴史を学べ」と言われるたび、

へなへなと、へたる思い。

起源説に関しては、宇宙の起源も韓国なのであろうと揶揄されているが、

日本の米の起源が韓国である、半島から日本に伝わったと言われると、私などそこだけは

妙に癇に障るのは、なぜなのか。

おそらく日韓併合時に灌漑、植物防疫、施肥法など伝授、稲作を手取り足取り教えて

あげたのは、日本なのに何を言っているのだろう、という思いからか、

あるいは、食は国のある意味「基本」だから不快なのか。

しかし、韓国は大まじめに米は韓国起源だと、ジャーナリストさえ言い放つ。

そして、なぜ韓国が発祥なのに、ささにしきや、こしひかりのように

美味しい米が韓国では出来ないのか、と本気で考えこむのである。

ちなみに稲の韓国から渡来説は、染井吉野(これもウリが起源と言い張っている)と

同じくDNA工学の見地から否定されている。学問上、否定されているのに

ジャーナリストや大学教授などのそこそこインテリが言い張るのも、韓国の特徴である。

日本の稲作は縄文時代にすでに、痕跡がある。

 

以下は、著作権がまつわるので掲載を迷ったが、7月に出るコミックだそうなので、

宣伝に一役買わせていただくということで、スルー願えるだろうか。

笑えたので、つい。

 テコンダー朴: 白正男(作), 山戸大輔(画)

7月発売

 

 

時代は嫌韓からおちゃらかしに、移行する気配を感じなくもない。

嫌うというのは、ある意味対等視しているからだろうが、笑い飛ばされる

ようになったら、末期ではなかろうか。

 

 

はいはい、そーね、そーだね、としかし、笑い飛ばしつつ女子サッカーW杯カナダ大会の

日本対スイスの競技場で、日本人サポーターが持っていた「旭日旗」を、

カナダ在住の韓国人女性がFIFAにクレームを入れ取り上げさせた、などという

ニュースを聞くと、本気でまだまだ腹が立つのは修行不足か。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150611-00000038-rcdc-cn

 

しかし、旭日旗をナチスのハーケンクロイツ並みに忌避されたら、まっとうに

怒るべきではなかろうか。

試合場に政治を持ち込むな、等と言われると半分怒りつつ、半分笑ってしまうのだが、

スタンド席での政治的罵りボードの掲示などは、韓国人のお家芸なのだし、

「独島は韓国領」というボードを掲げて、会場を走り回った韓国人選手の

ことはいまだ記憶に新しい。

その昔、人種差別に反対意志を示した黒人選手はそれにより、メダルを剥奪されたが

この韓国人選手は微罪扱いで、メダルはそのままだった。

韓国人の理不尽なクレームに対して応じるFIFAもFIFAであり、

またこの期に及んで韓国との「友好試合」等と言って選手を韓国に

送り出す日本サッカー協会も相当のものではなかろうか。

友好はいいとして、抗議すべきは抗議してからのことにして頂きたいのだ。

しかしそれにしても、領土をこれほど長く不法占拠され、また

捏造の「性奴隷」とやらでかくも侮辱を受けながら、なお存在し得る

「友好」とは果たして何なのか。しょせん、偽りの蜃気楼。

そして韓国は、これだけ日本を罵りながら、また世界遺産登録や五輪招致を

妨害しながら、「平昌五輪と東京五輪では協力し合いましょう」

と言ってくるその凄さ。

平昌五輪での協力とはすなわち日本が韓国を支援させていただくことであり、

東京五輪での日韓協力とは、客の流れをこっちにも向けてね、ふうの

日本側からの支援体制のことを言うのである。

韓国の言う友好は、日本があちらの言いなりにお金や技術を渡すことなのである。

そしてまた、それに応じる日本人がいる。

そして、自分らは日本を嫌う正当な理由を持つが、日本ごときが

韓国を嫌うのは不可解でありけしからぬ。

ウリが一番で、ウリがいつも正しく、しかしながらその割に

国民の多くが海外に出たがっていて、しかし出てもなお反日に燃えたぎる

その心根。

愛国心とはいささか別物だろう。

常に相手との優劣を見、しかもでっち上げでも何でも優位に立たねば

落ち着かない騒々しい心。

愛とはもっと、落ち着いた静かな心のありようであろうに。

日本人は日々の暮らしにそれを知っている。

軒端の雨音、季節にそよぎ色づく葉、和服の衣擦れ、お膳に色とりどりに

整然と並ぶ小鉢。

「こんな国」と自国大韓民国を自嘲しつつ、捨て去って海外に移住。しかし、

持てない揺るぎない自己。不安定な心は常に敵を求め

それを「やっつける」ことで、優位性を確認。またぞろ反日の種を

鵜の目鷹の目で探し歩き、重箱の隅をつつきしばらくは落ち着く。

気の毒なことである。

 

金食い虫 杜撰競技場

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新国立競技場建設のゴタゴタで、ふと大分空港のことを思い出した。
とにかく市内から遠いのである。土地がないならいざしらず、
空港から別府市に至るまで、ほぼ山、林。大分別府市の至近に
作れそうなものなのに、わざわざ遠いところへ開いたのは
利権がらみの政治家関与の可能性はないのか、とこの間
訪れた時思ったのだが・・・
東京大分間を、結構長時間のフライトでやっと空港に降り立ったと
思ったら、やれやれこれからまた1時間かい・・・・と、疲れが
更に体と心を重くする。

空港から市内まで1時間以上かかる地方空港ってあるのだろうか。
東京の感覚で1時間はさほどの距離ではないが、地方での
1時間は相当遠い。町が寂れる元だと思うのだが、
大分県の人々は空港開設当時、特段、問題にもしなかったのだろうか。

 

と国立競技場のトラブルにも、政治家の影を感じないでもないので
大分空港を思い出したのであったが。政治家が妙な口出ししてないかなあ、
という意味で。

ロシアがモスクワ五輪(1980年)で使った陸スタを、2018・W杯のために
改装中とサクサク事を運んでいるのを横目で見ながら、日本の体たらくを
余計暑苦しく感じる。

五輪はもともと個人的に乗り気ではないので、余計心がかさつくのかも
しれない。東京に決定したことじたいに、胡乱な背景を感じるのと、
実際問題、8月の炎暑で焼けたアスファルトをマラソンさせるというだけで、
これ、海外では実情を知らないから賛成票を入れてくれたのかもしれないが、
そもそも、呼ぶべき季節ではない。呼んではいけない。いざ蓋を開ければ
ブーイングだろう。

そんなことは等閑視で、力とお金との関係だけで決まったのかも
しれないけれど。何しろ雪がろくに降らない平昌が冬季五輪開催地に
選ばれるぐらいだから、裏側は相当ばっちい。

というわけで、新国立競技場のトラブルが、余計鬱陶しく感じるのだ。
うとい分野のことなので、無責任放談は予めお断りしておくし、
間違ったことを口走ったら、訂正を願いたいのだが・・・・・

大体、あの珍奇なデザインの屋根をコンペの優秀設計として
採用するときに、なぜ施工のプロを置いて概算でも
予算を出さなかったのだろう?

シドニーのオペラハウス建設の時、私はシドニー在住で
意見を求められるたび、「珍奇な形が好きでない」と答えていた。
建物に関しては私はオーソドックス派であるらしい。
オペラハウスは、海のそばであり年中温暖な季節がもたらす
光と澄んだ青空の効果で、建設中の時に感じた珍奇さは
いい具合に風雨と時に洗われて、落ち着きよくなっている。

だから、新国立競技場の超近代的なあの屋根を一概には否定はしないし、
単にデザインとしてみれば、悪くもないとは思う。

だが、あの図面を描いた人は、神宮の杜を知っていたのかな、と
思う。辺りの光景から、浮くのだ。あの界隈、
東京では珍しく統一感のある落ち着いた佇まいなので、余計
違和感として感じるのだ。

デザイン採用時点でなぜ、概算予算をはじいてから採用不採用を
決めなかったのか、ということに加えて、壊し果ててから
なんで、初めてお金のことを言い出すのよ、と。
1300億の見積もりが、蓋を開けたら3000億の不思議。
しかも、壊してしまってから言い出されても。

ごたごたの核に、余りその響きが美しくない政治家お二人の
名前を耳にするが、そこら辺の事情は私には、解らない。
土建関係にその政治家から何か流れてでもいるのかしらん?

いっそ、国立にこだわるのを止めて「味の素スタジオ」を使ったら
どうかという意見を見て、調べてみたら悪くはない。
今年の国体開催で、国際競技仕様になったようだし。

新宿駅から京王線だったかな、飛田給駅まで20分。駅から
スタジアムまで徒歩5分。いいではないか。

消費税アップやら高齢者社会の到来やら、抱え込んでいる時に
屋根に何千億はいいよ、勘弁してよと思う。

在りものを、なぜ有効活用しないのだろう。現在公表されている建設費は1625億円
だそうだが、500億円を都に負担せよとか、したくないとか、暑苦しい。

壊す前にお金のことは弾いてくれよ。デザインを採用する前に予算を
弾いてくださいよ。

IOC会長が日本のトラブルに苛立っているようだが、「あんたが悪い」。
日本みたいに条件の悪いとこ(招致が決まった当時の悪条件の
重なり具体が半端なかった)になんで、決定するのか。
いやそれ以上に、なんで平昌? 雪すらろくに、見込めないのに?
文鮮明氏のお金がからんで始まったのが、氏の逝去で足元が
崩れたのではないのですか?(もろもろの背景から感じる邪推ですが)
 朴槿恵大統領は、訪れた二階俊博氏をお使いに、
平昌五輪と東京五輪を協力し合わないかと、日本政府に持ちかけてきたが、
図々しいこと言語を絶する。

領土を不法占拠し、いもしなかった性奴隷で日本を侮辱、
東京五輪に大反対キャンペーンを世界に繰り広げていたのは
どこだったっけ? 端島の遺産登録阻止のために、外相が
わざわざドイツに飛ぶそうで物好きなことである。
そして日本に「お互い協力を」としゃらっと言ってくる、その面の皮の暑さ。
内実は日本のほぼ一方的援助であろうに。

渡辺謙さんと、コン・ユさん

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俳優さんに関して、この人は大きくなるよ、と「予言」してまだ外したことがない。

渡辺謙さんもそのお一人だった。まだ無名の頃、拙作のドラマに
ご出演願い、本読みの席でお目にかかり、「あ、大物になるぞ」と思い、
内館牧子に「清潔感とスケール感が半端ない」と
何気なく喋ったら、渡辺謙さんにその後会ったらしく、井沢満が
こんなこと言ってたよ、と伝えたそうで、そしたら渡辺さんは
「いやぁ」としきりに照れていたと聞いた。

その後、どちらが先に出したのか、何の用だったのか忘れたが
書簡のやりとりがあった。
メールもファックスもない時代で、お互い手書きの封書である。
整然ときれいな文字を書く人だった。

その後病気という苦難を経て、そこをくぐり抜けられてから
徐々に大きくなって行かれた。

ある日私のメールボックスに「ラスト侍・配役候補」という
メールが入っていて、ズラリと俳優名が並んでいて、その中に
渡辺謙さんのお名前があった。

何だろ、と思っていたら「送信間違えました。見なかったことにしてください!」と
メールが来て、「ラストサムライ」の日本側プロデユーサーからだった。
ラストサムライは試写室で見た。

その段階では候補であったが、オーディションを受けられたのだろうか、
役を捉まれ、一気にハリウッドの階段を駆け上がられて、「王様と私」では
ブロードウェイに進出、トニー賞にノミネートまでされた。

奥様の南果歩さんとも、仕事でご一緒したことがあるが、心遣いの
細やかな方だった。お二人並んで、トニー賞受賞の華やかな席に
いる姿をテレビの画面でお見かけした。

真田広之さんとは、ご縁がないままだが墨田区の小さな劇場に芝居を
観に行ったらロビーにいらして、私をご存知だったらしく、会釈をくださった。
真田さんもハリウッドで立派に位置を占められた。

さて突然コン・ユさんである。私がその存在を知った時にはすでに
ビッグでいらした。だから「予言」対象ではないのだが、その後
素朴に感じたのは「ハリウッドサイズ」のスケール感の持ち主だと
いうことである。英語も何かの映画でちらっと聞いたが、大丈夫。
ただ、ハリウッドに関しては縁があるかないか。その時の
企画によりけりで、ちょうどハマる役に巡りあうかどうか、
運の領域である。
何となく勘だが、コン・ユさんもハリウッド意識はしているように感じる。

もしハリウッドから、良い仕事のオファーが40歳前後までに
来たらハリウッドでも大輪に咲くことの出来る人だと
私は思っている。

私個人とご縁のある人かどうかは、全く解らない。
ただ気になっていると、20年後にその人とテレビに対談で
出ていたりするので、先のことは解らない。

国内の人だけではなく、レスリー・チャンという香港の役者さんが
しきりに気になっていたら、すらっとお会いするチャンスに恵まれた。
その後まもなく自死を遂げられたのだったが。不思議な方だった、
いろんな意味で。レスリーも、ハリウッドは意識して英語にも自信が
あったようだが、自ら去ってしまった。

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