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高倉健が作り上げた高倉健という「男」

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健さんと誰もがそう呼ぶ。ファンに愛されたくて、そのために

生涯を捧げたような方だ。本望だろう。

健さんの本に「あなたに褒められたくて」という著書があり、未読だが仄聞するところによると、母恋の記であるらしく、愛する母のために演じていたというようなことであるらしい。

しかし、私は思うのだが健さんの含羞でそうは言わないが常に「人々の愛が欲しい」
方でもなかったか。そのために、ひたすら銀幕で観客の求める男を演じ続け、
見えているようで全く見えていない私生活では、人々の視線をカメラ代わりに
これもまたひたすら演じ続けた。

息が詰まりそうになると、海外の某所へ遁走して、そこでのみ高倉健という
「役」から降りていらしたのだと思う。海外でも知られた方なので、私の耳に入る
その国のその地方の中でも、田舎のほうに身を潜めていらしたのでは
ないかと思う。共に息を楽に出来る人がそこにはいた、と思う。

共演した女優さんが私にこう訴えた。
「高倉さんと寄り添って歩くシーンがあるのだけど、私寂しくて、寂しくて。だって高倉さんの意識が私のほうに全然来ないのよ」

それを聞いた時の私はさもありなんと思い、しかしその時はどちらかというと
否定的な思いが伴っていたが、今は肯定する。

世界の高倉健だもの。

脇にいる女優に意識など向けず、ひたすらご自分がスクリーンにどう写っているかだけに集中なさればよろしい。

一時代を作ったスターであると同時に、偉大なるアイドルでもあり続けたのだから、スポットライトは常に健さんに当たっていれば良いので、女優はその陰にいればよい。健さんだからこれが言える。

カメラの写し方にもクローズアップ、バストショットとこだわりがあり、だからそれを仕切ってくれる監督としか組まない。概ね降旗康男監督だった。降旗監督とはしばらく年賀状のやりとりをしていたことがある。

正直に言えば、私が健さん主演映画のオファーをお断りしたのは
心のなかで呟いた理由が、ある。

(何を書こうとどうせ、健さんプロモーション・ビデオになるんだろうし、またそういう脚本しか受け入れてくれないだろうし、私は悪いけど健さんへの仕え人の一人にはならねーよ)

今はじめて、その時の気持ちを書いた。

書いたのは、去られてさしさわりがなくなったからではない、そのことを
私が包み込み許容し、肯定的に捉えられる年齢になったからだ。

健さんを神輿に乗せて担ぐ人しかスタッフには要らない。
いたって当然のことである。

だって、世界の高倉健だもの。

今だったら私も全身全霊で、高倉健というスターに仕える。仕えられる。
オファーを頂いたとき、私は若すぎた。
駆け出しのペーペー脚本家が、高倉健にタイマン張るの図。
要するに私に高倉健に向けて書かせるのではなく、私の本に
高倉健を添わせろ、と。
それなら書いてやらないもない、と。
いっそ、可愛らしいくらい愚かの極みである。
若さの勘違いというものは本当にどうしようもないものである。

今なら健さんに奉仕しつつ、自らを活かす道を探す。
あるいはいっそ、無我に徹してひたすら高倉健を輝かせるための
本を書く。

共演の女優は言った。

「スタッフから大事に大事に扱われていることが感じ取れないと、
すねて、ロケ先から東京に帰っちゃうのよ」

聞いた当時は否定的に聞いた。今は肯定である。

当然である。高倉健は常に常に、現場の意識の中心にいなくてはならない。

だって、高倉健だもの。

そのくらいの自己愛と矜持があって、スターになれる。

健さんが凡百と違っていたのは、人に要求するかわりに
ご自身も出番がないときに、ロケ地の片隅に佇むなどして
努力を怠られなかった。

嘘か真か知らぬのだが、私のとても好きな浅丘ルリ子さんの
エピソードがある。

監督がルリ子さんに、化粧を取るよう要求したら、

「出来ません。だって、これが私の素顔ですもの」

名セリフというべきだろう。

人の目にはこう見えて欲しい、と願ったそのままの姿を
最後まで演じきった健さん。

高倉健という仮面を取ったら、そこには素顔すらない、ただ虚(うろ)があるのみだろう。

見事で鮮やかで、幸せな一生であった。

健さん、生意気な若者であった井沢満です。音楽のプロデューサー宛の
お手紙で、フルネームを書いて頂きましたが、もうご記憶では
ないかもしれません。

今はじめて素直に言えます、
あなたが好きです。仕事を一緒にしなかったこと、とても悔いています、と。

私はきっと、すねてそっぽを向いていたのです。あなたという存在が放つ
光のまばゆさの中で、影にしか扱われないであろう自分が悔しくて。


スポーツ界に正義の風よ、吹き抜けよ

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寝こむ程の風邪からはわりに素早く立ち直ったのだが、いつもは
スパッと吹っ切れる症状なのに今回は「後遺症」が長い。

咳が頻繁でくたびれる。変な言い方だが咳に飽きてくる。

たとえば高熱はがん細胞や、悪しき菌を殺してくれる、と
思って耐えられるが、咳の役目がわからない。

これって、細菌を吐き出しているのか? 無知な疑問で笑ってくださっていいが。

平常時の咳は無論肺の異常のお知らせであり、私がヘビースモーキングによる
肺の衰弱化の際、警告を発してくれたのは咳だった。

ベッドにいることが多く、テレビをつけている。すると町田樹選手の
フランスにおける滑りが写って見惚れた。高橋大輔氏が去ってから
つまらなくなっていたのだが、町田選手よいたか、という感じ。

優美繊細に加えて、オトコっぽい野性味や荒々しさがあるのが
町田選手の特色なのだろうか。

フィギュアはどのみち知らない。詳しくない。たまた見かけて「へぇ」と
見入る程度。

織田信成氏には、ぜひ祭りの法被と下履きを衣装にねじり鉢巻で
ひばりさんの「お祭りマンボ」か笠置シズ子さんの「買い物ブギ」を
滑って欲しかった。

ところで、私は橋本聖子氏による高橋大輔選手へのパワハラ・セクハラが
スケート連盟でいとも無造作に許されてしまったことに、大変不本意な
思いを抱いている。

仕事柄想像力は発達しているほうで、橋本聖子氏が高橋大輔さんを
抱き寄せている一枚の画像で、私は舌を突っ込んで、なまぬるく
口中をかきまわしている、その感触までリアルに感じ、気色悪い
思いをした。二十代の男性であれを平気な男は、さほどいないだろう。

連盟の橋本聖子氏へのお咎め無しは、高橋氏が男性だから、どうということもないだろうという判断なのだろうか。

だったら、それは決定的に違う。中には女性から触れるだけで、鳥肌が立つくらい嫌悪感を抱く男たちもいる。高橋大輔氏がどうだというわけではないが、
人が性的接触に対して抱く好悪の感覚は人ぞれぞれで、嫌悪感も
苦痛も人が、尺度を決めることではない。
という意味でもスケート連盟の人たちの粗雑な神経に首を傾げている。

と、私がひとごとならず不快の念を漏らすのは私の知り合いで
某大企業の重役まで上り詰めた人が、配下の女性に軽く
キスしただけで、それまでの華やかな業績にもかかわらず、
馘首されたからである。

結局離婚へと至る滅びの道筋が軽いキスであった。
橋本聖子氏の、相手の頭まで抱え込んでのディープキスではない、
戯れの軽いキス。

相談を受けながら、また苦しみを目の当たりにしながら
男がするセクハラ・パワハラへの社会的制裁の凄まじさを
肌身で思い知っているだけに、橋本聖子氏の行動が
いともあっさり看過される、男女差別ぶりにやりきれない
思いと憤りを抱くのである。

それやこれやをきっかけとして、スケート連盟他フィギュアの
世界を調べ始めたら、腐臭の凄まじさに顔を背け、もう
二度とフィギュアは見ない、と思ったくらい私には衝撃であった。

世の中常に表の顔の他、裏の顔があることは知悉しているけれど、
しかしフィギュアの世界がサッカーよりも、あるいは汚染されている。

素人なので失礼なことを言ってしまうかもしれないが、スケート連盟と
選手との関係など、あたかも角兵衛獅子と親方ではないか。
選手を権力という鞭でこき使って、得る莫大な収入は選手たちに
正当に還元されているだろうか。医師の帯同、移動時のファーストクラス、
せめてビジネスクラスまで配慮されているのだろうか。

点数も大変奇妙なのは、カナダ以来、スケートファンならずとも、多くの
日本人が気づいたところではないだろうか。白日夢かと思うような採点がまかり通っている。

そういうことにいきり立っているファンに、なぜ抗議しないの? と訊いたら。
「してますよ!! しても無視されて終わりなんです!!」

困ったことだ、と思っていた矢先「次世代の党」http://www.jisedai.jp/outline#sec4

が、

 

次世代の党緊急座談会「国際試合に公正なジャッジを~Fair Judgement for all Athlete!」

政治家が初めて声を上げてくれたと思う。

フィギュアのおかしさをバンクーバーで気付き、それが政治的な目覚めにつながった人も多い。サッカーは、日韓合同サッカーで同じく。

スポーツも今や、ロビー活動が幅をきかす政治であろう、否応なく。

だったら政治でアプローチするしか、改革の道はないのではないか。

・・・・・と考える人は「次世代の党」を応援されてはどうだろう。

個人名はご贔屓の政治家の名を、比例には「次世代の党」を記入という方法もあるだろう。

個人的には中山成彬氏に落ちて頂きたくないな、と願っている。

 

2013年3月8日衆議院予算委員会 質疑

 36分30秒当たりから

 

党名だけで、無条件に投票する習慣も終わりにしたい。
屑に投票し、入党させ議席を増やしても党を食い荒らす白蟻を
増やすだけのことである。

今回の選挙はおそらく、放置していてもまた自民党であろう。
それならこの際、自民党を自浄させる如き投票の仕方もあろうではないか。

私自身がさして意味も見いだせない選挙にシラケていて、
その上結果は見えている茶番劇に寒風ついてわざわざ出向くことも
ないかもしれないとまで、一度は思い・・・・・しかし、とつらつら思い返し、
ああそうか、自民党の自浄を促す投票の仕方もあろうし、比例で
スポーツ界に正義の風を吹かすことも可能ではないか、だったら
やっぱり投票所には足を運ばねば、と今は思っていいる。

投票を怠ったことはないのだが、行くのやめようかと思うくらい
唐突な解散には納得せず、また腹も立っていた。

しかし、水間政憲にいわせれば、「実は安倍さん対財務省の戦い」だと言われればそういう見方もあるか、と思わぬでもない。

水間さんが何が何でも安倍さん支持というわけではなく「移民受け入れ政策」などには反対をしていらっしゃる。私も移民大量受け入れは、烏滸の沙汰であろうと思っている。(安倍さんが何かを言ったからといって、それが全部安倍さん個人の真意だというわけでもない。“複雑な”党であるから)

その水間さんが、比例区には「次世代の党」をと呼びかけていらして、似たような事を考える人もいるな、とそこは嬉しかった。

 http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/

 

紅白

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紅白に薬師丸ひろ子さんが、お出になるそうだ。

お付き合いはないが、「母。わが子へ」が某賞を頂戴した時、

薬師丸さんもNHKのドキュメントで受賞され、会場にいらした。

私が壇上で話をしている間、頷きながら聞いていてくださったと、

後で聞いた。

紅白はいしだあゆみさんが出られた回に、楽屋見舞いにうかがったことがある。

久々に歌われるというので「練習に付き合って」と言われ、カラオケに一緒に行った。

いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」を本人のカラオケで聴いたことが

ある人もさほどいまい。

初めて見る紅白の舞台裏だったが、出演者が大勢なので若い子は

大部屋にいた。

一度審査員で見物してみたく、当時の局長に「出してください」と言ったら「いいですよ」と

快諾を得たのだが、その局長がその年にお辞めになり、沙汰止みになった。

海の水平線

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小説版「わが家」は、とっくに校正を終えて、12月4日の出版を待つのみだが、

土壇場で編集者の方からメールで問い合わせが来た。

「海の地平線」とありますが、よろしいのでしょうか、と。

むろん、よろしくはない。

水平線にしてください、とお答えしてからしかし、「海の水平線」という

言い方もいいのだろうかと、しばし悩んでいた。

水平線はほぼ通常、海なのだから。

しかし、湖の広いのには水平線があるし、他に呼び名もないし、

中国に行けば河にさえ水平線はある、ということでまあ

「海の水平線」という言い方でもよかったか、と今は思っている。

「海の地平線」というごとき間違いは時々する。短文を

打っている間はさすがにないが、長文を続けていると一瞬

エアポケットに落ちたみたいに、脳の言語回路が上手く

つながらない魔の瞬間がある。

本を出すときは、作者、編集者、校正の専門職と三者が目を皿に点検しても

ミスを見逃すことがある。

自分のミスではなく、レアだが、編集者か校正者の思い込みミスの例もある。

「つま恋」という小説で、「目交」という言葉を用いた。

今にして思えば、一般に流布されているたぐいの言葉ではもうないので、

ルビを振っておくべきだったのだが、印刷段階でとんでもない

ルビが振られていて、めげた。しょせん作家の責任になるので。

「目交」に、「めまぜ」だかなんだか、そんなルビが振られていて、

文章の意味すら通じなかったのだが、正しくは「まなかい」である。

目交をよぎる風景、というごとき使い方をして小説でも

そのような文脈で用いていたと思う。

それがなぜ「めまぜ」なのか、そういう読み方すら無いし、意味も通じずいまだ

謎であるがしょせん、作者である私の責任である。

最初から用心してルビを振らなかった私が悪い、ということなのであろう。

毎日新聞社さんから、短文の依頼があった。

文庫本を取り上げて論ずるのであるが、まだ決めていないが

三島由紀夫の「金閣寺」にするかもしれない。

三島を、その語彙の豊穣さゆえに読めない層が増えつつあり、由々しきことだと

常々、日本語のやせ細りゆくさまを懸念しているのでそのことを、いささか

述べるかもしれない。まだ決めてはいないが。

こういうブログでは、さほど気を張っているわけではないのでミスタイピングも

語句の誤使用もある。

だが端くれとはいえ、文筆のプロである以上、それは言い訳にはならないだろう。

末筆になったが、向井くんが結婚するそうで、となるともし、彼と次に

組むことがあれば、人物像を設定する時微妙に違って来る。

何が、と明確に言えるたぐいの事柄でもないのだが、その役を

通してみる役者への世間的印象というものがある。

「わが家」での向井くんは必然的に独身である設定だが、思えば

ギリギリセーフの時期に書いたわけだ。

こうして写真を見ていると、それぞれの俳優さんのスタジオ外での

素顔がふと思い出される。

村川絵梨ちゃんの、よく動く人懐っこい目がなつかしい。

「妹」というイメージが、これほどそぐわしい女優さんもあまりいないような

気がする。

 

表紙の絵は、ドラマの中の1シーンから取っていて、布団を叩いているのは
田中裕子さん演じる母親であり、帰っても来ない家族たちそれぞれの
布団を今日も、いつ誰が帰って来てもいいように、お日様に当てているのである。

 

小選挙区制

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立候補なさるなら票を入れたいと思っていた方が、東京から立たれたが

小選挙区制の壁に阻まれて、私にはその方への投票権がない。

小選挙区制のメリットデメリットを調べてみたが、どうにも

東京を25分割もする理由が定かではない。

ある政党を支持するからといって、そこに所属する議員を全員

支持するかというと、そんなことはない。

こんな屑は落とせ!! と叫びたい議員もいる。

小選挙区ゆえに、時に非常に鬱陶しい選択を迫られる、というのが都民としての

私の実感である。

もう少し、選択肢を広げて欲しいと思う。

25分割もされたら、狭く息苦しく誰も選びようがなく、いっそ棄権したい時がある。そういう時は、絶対当選しない人物の名を書いて、比例を活用するが比例は比例で、時に鬱陶しい人物が意外な浮上をするし。

それに小選挙区制って、地元にマメに愛想を振りまいて地元利権と

結びついた人物が当選しやすくならないか。

とかこちつつ、選挙区制度について具体的改革案を提示出来るほどの知恵もなし。

 

ふと見かけたテレビ

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小4になりすました大学生がいたが・・・・

テレビをちらっと見ていたらそれに対して安部総理が

「怒りすぎ」「もっと大きく構えて」と脳学者やタレントたちが

一斉に口を揃えていて、いささか驚いた。

内容に驚き、また台本があるかのように一斉に出演者たちが

同じ意見ということにも驚いた。

呆れたところで、テレビは切ったので話の流れは知らない。

安部総理が「最も卑劣な行為」と言ったことに対して

「他にもっと卑劣な行為はあるではないか」と突っ込んでいたタレントがいて

出演者たちはやはり一斉に頷いていて、これも気持ちが悪かったのだが、

「最も卑劣な行為」というのは、ひとつの「表現」としてあるのであって

揚げ足取りであろう。

私が素朴に嫌な気がしたのは、不正な行為をやった男がいて

それを怒ったほうが批判され、やったほうは擁護され、批判を受けているのが

選挙目前の党首であるという構図があるからだった。

また、選挙前だからこそ安倍さんも激怒なさったのだろう。

小4が放つ、なぜ解散なのかという「質問」は質問ではない。世間に対しては相当な

インパクトがある「批判」なのである。

身元が露見したからいいようなものの、そうでなければある程度の破壊兵器足り得た。

安倍さんを擁護するのとはちょっと違う。

ただ出演者全員が選挙前に1党の党首を引きずり落とすやり口に

どうも釈然としないものが残る。

問題の大学生が単なる大学生ではない、ある特定党と接点がある

極めて政治的存在であることを、テレビでは言ったろうか。

見てないので解らない。

高校生の時に北朝鮮に渡り、南北分断は日本に責任がある、と

述べている。

その文章を見た時に感じた違和感を私が引きずっているので

なおさら、テレビで彼を「無邪気」という観点から擁護することに

抵抗を感じるのかもしれない。

日本人なら北朝鮮で何をまず思うか、拉致被害の方々のことでは

ないだろうか。

それを、南北分断が日本のせい?

自分が講師を短期間務めた女学校の生徒たちに、焼肉弁当を

30万円近くおごっていたりして、資金的な面からみても

果たしてこの二十歳は「個人」なのだろうかと思う点もある。

今回のことで辞任したが某NPO団体の代表を務めてもいた。

いずれにしても、日曜日在宅者の多い午前中にテレビで

安倍さんを人気のありそうな出演者全員で非難することは、公選法に鑑みて

ひっかからないからこそ、オンエアしているのだろうが、

私には何か腑に落ちないものが残る。

こうして文章で書くほど気になるなら、ちゃんと見ておけばよかったのだが、

呆れ果てて即切ってしまったので、数分見た限りの断片への

感想でしかない。

 

ケント・ギルバート氏の尽力による、強制慰安婦不在証言

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その昔、私の推薦でケント・ギルバート氏にテレビ・ドラマに出てもらったことは記した。

お会いはしていないが、ここに来て慰安婦問題で氏のお名前と再会するとは思わなかった。ありがたい方である。

米国の腹黒さとずるさは時に中韓を上回るが、しかし一方で常に正義の声は上がる余地を残している。東京裁判の直後にすら、まっとうな自国非難の声は存在した。

それにしても、アメリカ自身の手で慰安婦の実態は調査され、強制性など皆無、相当な高級を支払われ、自由もあった旨の報告書が他ならぬワシントンの国立公文書館に存在するというのに、いまだアメリカ国内で韓国のロビー活動にインボルブされた手合いが、性奴隷などという真っ赤なウソを言い立てている・・・・

どころか、日本訪問直後に韓国に立ち寄ったオバマ大統領があらぬことを口走り、この大統領が現れた初期、格調高い演説に幻惑された人々も、すっかりメッキのはげ落ちた大統領の姿に、吐息を漏らした。

さて、ケント・ギルバート氏であるが、

http://ameblo.jp/workingkent/entry-11958461771.html

著名な米国人ジャーナリストであるマイケル・ヨン氏と連絡を取り、彼が昨日発表した記事を、日本語に翻訳して皆さんに紹介する許可をもらいました。

一部を拝借、抜粋して紹介するが全文はケント・ギルバート氏のブログで読んで頂きたい。

ケント・ギルバート氏よ、ありがとう。(あのドラマ台本にあった、井沢満という名をご記憶でしょうか)

Michael Yon, a highly respected and skillful U.S. author, gave me permission to translate into Japanese and share with you an article which he put out yesterday.

 


https://www.facebook.com/MichaelYonFanPage/photos/a.235978145664.135781.207730000664/10152528275045665/?type=1

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 Japan-Korea: Were Korean Men Cowards during World War II?
日韓問題: 第二次世界大戦中、韓国人男性が臆病者だったとでも言うつもりか?

 A vexing question
なかなか晴れない疑問

 

 There are growing, unsubstantiated questions about whether the Japanese Imperial Army kidnapped 200,000 sex-slaves (Comfort Women) in World War II. Mostly from Korea.
 第二次世界大戦中、大日本帝国陸軍が20万人もの韓国人女性を強制連行して、性奴隷(慰安婦)にしたという疑惑について、裏付けの取れない主張が現在も拡大し続けている。それらは主に韓国からの主張である。

 

 A $30 million US Government Study specifically searched for evidence on Comfort Women allegations.
 慰安婦たちの主張を裏付ける証拠を求めて、米政府は3000万ドル(30億円超)の費用を掛けて調査を行った。

 

 After nearly seven years with many dozens of staff pouring through US archives -- and 30 million dollars down the drain -- we found a grand total of nothing.
 約7年の歳月を掛けて、大勢の米政府職員や歴史学者が過去の公文書を徹底的に調査した結果、有力な証拠は何一つ見つからなかった。結局3000万ドルが無駄に費やされた。

 The final IWG report to Congress was issued in 2007. (Linked below.)
 IWGの最終報告書は2007年に米国議会に提出され、発表された(文末のリンク参照)。

 

 Nobody should be writing about Comfort Women issues without reading this report cover to cover.
 誰も、この報告書を最初から最後まで読むことなく、慰安婦問題について書いたり語ったりする資格を持っていない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

抜粋以上

全文読みましたが、短文ながら付け入る隙のない堅牢な文章です。

 

参考資料 : 米政府の慰安婦問題調査で「奴隷化」の証拠発見されず…日本側の主張の強力な後押しに

http://www.sankei.com/world/news/141127/wor1411270003-n1.html

怪しげな

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風邪の微熱が時折再燃する。

そのせいでもあるまいが、ごくたまに書いている怪しげなことを

今日も書く。

三次元の常識を超えたことを「カルト」として唾棄する方は、読み進めないで

頂きたい。

私はいわゆる霊能的な資質にはさして恵まれていず、半端に

あるだけで、それでも体外離脱、物質化、死者との対話、天使の可視化、

テレパシー、予知映像、前世、高次元可視化・・・・・などひと通り、ごく浅く体験している。

中には物質化のごとく「ほら、これ」と第三者に示せるものもあるが

概ね主観領域で説得力は皆無である。

物質化にしても、私に奇術師としての能力があれば

可能なので、さして客観的説得力はない。

というわけで、ごく主観範囲内で超常ワールドの断片は

ひと通り経験済みなのであるが、神との対話は一生縁がないと

思っていた。

しかし、唐突にそれは来た。

対話ではなく、私の今後の生き方・・・・使命についてであるが唐突にかつ一方的に、

「こうこうこうせよ」と来た。

命令形だが、しかし威圧的ではない。

洗面所で顔を洗った後の、何気ない瞬間である。

物故者と「会話」した時もそうであったが「言葉」として

伝わってくるが、言葉が発せられているわけではなく、

降ってくるメーッセージを脳内で咄嗟に言語変換している感じ。

「神」と思しき存在の「声」は力強い男の声であったが、

それも脳内である種の「波動」を変換しているだけだと思う。

神は無性である。そのパワーの表出する側面により、

女性性が勝ったり、男性性が強かったりするだけであり、

それを人間が感知する時、男性に変換したり女性に変換したりして

像が出来る。

たとえば、宇宙の根源主たる大日如来も無性であるが

大いなる慈母として、優美に描かれることも多いが、

その変化身の一つは、男性的憤怒を表現した不動明王である。

エネルギーであるので、密教的に造形すれば不動明王、キリスト教徒が

感知すればおそらく、大天使ミカエルとなる。

話が枝葉に逸れたが、誰しも日々ある想念は湧き続けているので

それを「神」の声とどう区別するのかというと、説明が難しい。

「淡々たる確信」であると同時に、感情的にはかなり激しく

反応する、出所不明のメッセージである、としか言語化はできない。

深層意識の大海からの声であったのかもしれず、しかし

それをしも名づけて神というのかもしれず。

ともかく「その日」の11月22日は、私の人生の中でも記憶に留まるであろう

日にはなった。

珊瑚を盜みに中国船が大量に小笠原に押し寄せた年であり、高倉健さんが

去られた年である、と多分そう記憶するだろうが、いやいかにも神からの

メッセージの日の記憶には似つかわしくない。

あと、ふと思ったことは神への真摯な問いかけを日々積み重ねていると、

ある日ふと、レスポンスが来る・・・・・ような気がした。

いや、半端で貧しい霊能者未満のたわごとである。


会食

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千代田区になるのだろうか、駅で言うと淡路町や小川町、竹橋の界隈。

「漁楽洞」という店に出かけたのが昨夜。内館牧子の設定である。

仲間はもう一人共通の、昔からの知り合いである銀座でお店をやっているママさん。

沸騰する湯にもずくをしこたまいれて、それでハタハタをしゃぶしゃぶで食べた。

内館は相変わらず、神道を学びに大学に通っているそうで、「神道を学ぶほどに、

日本の素晴らしさがわかる」と。

私は内館のように神道を系統だって学んだことはないが、しかし

心から同意する。

神道が日本である。神道が日本の精神の背骨である。それは必ずしも宗教枠ではない。

日本の風土が生み出した自然発生のアニミズムであり、日本人が本来内在させている魂の源流であろう。

内舘本人は、相撲を探求すると否応なく神道に行き着くので一念発起して学び始めたらしいのだが。

神道が蘇るか廃れるか。それが日本再生の鍵で、廃れればもはや日本という国は

消滅して、別の国に変質する。

 

後述   内館がかつてしていた朝青龍批判を私はもっともなことだと思う。

相撲に関心のなかった私が多少相撲のことを考え始めたのは

内舘の朝青竜論がきっかけであった。

相撲は神事であり、土俵内は結界である。

朝青龍はそこを心得なかった。お断りしておくが朝青龍の横綱としての

力量を云々しているのではない。神道に根ざした日本に関わるからには

その基本を理解せよということで、理解すれば「強ければいい」ということにはならない。

礼節を踏み外すことさえ娯楽の一要素であるプロレスとは、そこ違う。

これが実は他国と日本を区分けするシンプルで最大の境界線であろう。

朝青龍批判で内館は、朝青龍のファンであるおばさんたちに道で取り囲まれた

こともあるそうだが、取り囲んだ人たちはおそらく内舘の真意を理解していない。

その後内館はある集まりで櫻井よしこさんと一緒だったそうだが、

櫻井さんが寄ってきて「内館さん、あなたの仰るとおりよ」と言われたそうで、

解る人には解っている。

「わが家」関連情報

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本日朝10時、「わが家」60秒ダイジェスト動画が、YouTubeと番組HPで
アップされるそうである。

公式HPも画像他情報が増えているので、興味のある方はどうぞ。

http://www.mbs.jp/wagaya/

 

小説版は4日発売と聞いていたが、もう店頭に出ているそうで、早々と読んでくださった方からメールを頂戴した。

竹園監督も早々と読んでくださって、話の内容はご存知なのに「面白く、何度も声を立てて笑いました」とメールで感想を頂いて、ほっとした。

ドラマを見れば分かる話をわざわざ活字に起こすからには、映像とは少し
違う世界をと心がけたので。ドラマと大筋一緒だが、小説はもっと
細部に踏み込んでいる。

脚本は今月半ばぐらいに発売の雑誌「ドラマ」(映人社)に掲載される。

 

「わが家」予告編

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高畑充希が中島みゆきの名曲をカバー 

向井理主演SPドラマの予告動画 MBS・TBSで1月4日放送

高倉健さん

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新聞の文庫本書評で高倉健さんの「あなたに褒められたくて」を取り上げたくて、

Amazonに注文したのだが、いっかな届かない。

調べたら目下「ベストセラー1位」だとかで入荷待ち。

急いで、中古を注文、今日やっと届いてさ読み終え、さっき原稿を書き終えたところだ。

「男」としての概念でしかイメージがなかった方だが、繊細でプリズムのような

多面体である。

会おう、来い、と言って来てくださったときなぜ意地を張って会わなかったのか

残念であるが、これもまたご縁。すれ違いもご縁。

昭和任侠伝だか残侠伝だか「白刃の盃」というのを見た。

今は昭和残侠伝「唐獅子牡丹」が届くのを待っている。

あと「新幹線爆破」

いずれも届くのには時間がかかりそうである。

「唐獅子牡丹」に三田さんがでていらっしゃるのを知らなかった。

 

「あなたに褒められたくて」

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高倉健さんの著書「あなたに褒められたくて」の書評は、とっくに書き上げたが、

何しろ字数をさほど頂いている原稿ではないので、書きたいことの十分の一も

入らない。

あれを書き加え、これを消し、丹念に文章を磨いている最中である・・・・

というのは、書評は健さんへの詫び状でもあれば、恋文でもあるからだ。

詫びというのは、せっかく声をかけてくださったのに、そっけなく

お断りした自分の、輝かしいまでの若さと馬鹿さに対して。

恋文は、著書を読んで初めて健さんの肉声に触れた思いで、

こういう繊細な人だったのか、だったら脚本を書けたのに・・・・

という悔いか恋心かわからぬ感情である。

いつも同じ表情の、「男」を演じている人という認識しか

私にはなかったのである。早計だった。

同じパターンを演じ続ける役者の仮面のその奥の素顔に

今なら気づくのに、何しろ私は若かった。

今、任侠ものを初めてDVDを見てもさして、面白いとも思えぬ。

時代の熱気の後押しがない。

が、当時なぜ男たちが、そして女たちが熱く健さんを見つめたのかは

よく分かる。

理不尽な状況に耐えに耐え、ついに切れた健さんは女房を置き去りに

寒風に向かい、白刃をひっ掴み独り敵陣に乗り込むのである。

当時のスタジオは寒かったのだろう、吐く息もリアルに白くいい感じ。

スラリとした長身の着流しに、素足につっかけた雪駄。

そこに歌が流れる。「オレがやらねば、誰がやる」。

待ってました! 健さんっ、と声を掛けたくなる気持ちもわからぬではない。

たとえば土曜日のオールナイトの映画館。あの当時は映画館にも

煙草の煙が充満していた。煙の向こうの健さん。

とにかく、男っぽい。だが作られた冷静な計算ずくの男っぽさ。

それが凄い、と今にして解るのだ。

半世紀に一人、出るか出ないほどの役者であろう。

実生活では寡黙ではなく、気に入った人間には饒舌であると聞く。

私がお会いして気に入っていただけたかどうか、まったくもって

分からぬけれど、私が紡ぐ言葉はお好きだったのだろうと思う。

そう、音楽プロデユーサー宛ての健さんのお手紙にはあったから。

北の宿屋の、例えば囲炉裏のほとりで語らいながら、お互い納得の行く

話を探り、書いてみたかった、と今にして思うのである。

その後悔を込めての書評・・・・・というよりは懺悔であり、遅い

恋文である。

小選挙区

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普段なら党優先で入れているが、どうしてもこの人には入れたくない、という

候補者が地区にいる。

この間の衆院選で、街頭演説を聴いて萎えて以来ダメである。

中身の無い音声を発しているだけだった。

学歴と職歴が華やかなだけで、なぜ公認するのかとむかっ腹が立って来る。

いったい、何を基準に選んでいるのか解らない。

学歴と目立つ職歴。そしてたぶん女性で集票しやすいから。

鬱陶しいことだ、また今回も抵抗と批判票として、通る気遣いのない他党の

候補者に入れてやろうと憂鬱に思っていたら、比例はこの党にと

思っていた党の人物が立候補したので、ずいぶん気が楽になった。

たまたま政治家志望者から政治家、何人かお目にかかる機会があり、

ふさわしくない人が相当数いることが、よくわかった。

ずいぶんプロ比率が少ない世界であると思う。

大臣は職域に精通する時間もなく、ころころ変えられるし。

政治家は、今の人数は全く必要ない。五分の一は

無能力、不適格者である。

小選挙区制のメリットって? 

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今回、私の居住する選挙区では迷わず投じたい候補者がいるので

助かったが、前回の衆院選では選択肢がなくて酷い思いをした。

支持政党は立候補していたが、その人物には金輪際入れたくなかったのである。
学歴と職歴が華やかだけで、街頭演説聴いてコケさせられた女性。

批判と不満票として、絶対通らないであろう候補者に入れ、いたく不発感の
残った選挙であった。

今回は、あちこちから入れたい候補者がいない、と悲鳴のように聞こえて来る。

不勉強で何も断言できないのだが、小選挙区って果たして、

国民のためのものなのか?

比例区も意味不明。

小選挙区で否認された政治家を、国民の意志と無関係に比例名簿上位に置いて、
ゾンビのように永田町に生き返らせるための制度ではないのか?

だとしたら、国民のためではなく政治家のための延命装置じゃないか。

当時の小選挙区論者の一人が河野洋平氏であったと思うが、
どこまで日本を損ねれば気が済む?


青春期

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大学時代に中井秀人という友人がいたのだが、生涯忘れ得ぬほど

よくしてもらったのに、きちんとお礼を言わぬまま

事情で別れてしまったことが気にかかっている。

後に「週刊新潮」の掲示板だったかな? 探し人が出来る

欄から声がかかった時、消息を尋ねようかと思ったのだが

全国的に名を流し、あるいは負担になるかな、と思って止めてしまったことがある。

何でまたこんなこと蒸し返して書いているかというと、中井秀人の夢を

見たからだ。

大学生の時の若さのままだった。私は何かを伝えたくて

たまらないのだが、夢の中でも機会がないのだった。

大阪出身の中井秀人さんを知っている人はいないだろうか。

陸上をやり、バイオリンを弾いていた。

父上がどこかの大学の教授だったと思う。

お元気でお暮らしなら、それでいいのだが。

一言、井沢満が「ありがとう」と言っていたとお伝え願いたい。
「今でも心から、感謝している」と。

平昌五輪への協力は無しに

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平昌冬季五輪の日本での分散開催が言われて久しいが、朝鮮日報がその社説で、

平昌と東京の五輪種目交換開催は検討に値する、と社説に掲げるに及んで

現実性が出て来た。

というより、私は東京五輪の開催自体が、平昌五輪支援を条件の
水面下交渉事項ではなかったかと思っているのだが・・・・・。

冬季五輪に全く不的確な平昌が開催地に決まったのは、当然のことながら

金銭の介在を疑う。

あらゆる諸条件を鑑みて、平昌が開催地足りえるわけがない、積雪量も交通も

韓国の経済状態、インフラ含めた会場作りの能力を含めて。

文鮮明氏の土地が開催地に含まれることから、私は文氏からお金が出ていた

のではないかと想像している。

ところが逝去されて頓挫。

IOCの誰がお金をもらっているかもらっていないか知らぬけれど、

IOCのお偉方の責任になるのは目に見えているので、日本に

その尻拭いをさせること条件の、東京開催ではないか、と

私は思うわけだ。

でないと、東京の条件がマドリッドに比べて著しく悪いのに、そこを

押して開催となった正当な理由が思いつかないのだ。

東京での五輪開催の是非論ではなく、何やら不透明な要素を

日韓がらみで感じるので、どうも釈然としない。

合同開催に関しては韓国の人たちが早速敏感に反応していて

むろん、反対論が圧倒的である。

日本も御免被りたい。韓国と組んでろくなことがない、どころか

散々な目に遭うのは、「韓日共催ワールドカップ」でさんざん

思い知っているではないか。

古くは日韓併合。望まれて合邦して、いざ終われば強制的に

植民地支配だったとさせられてしまい、戦ってもいないのに

日本は韓国にとって敗戦国にさせられてしまう。

「慰安婦の強制性を認めたら水に流す」と言われお人好しに認めてしまったら、
(認めた連中も愚かしいが)いもしなかった強制連行慰安婦のことで末代まで罵られる始末。

しかし、互いの国民の思惑とは別に、ことは動いて行く。

日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長は

「正式に要請があれば前向きに協力していく」

と断言しているし、都知事は韓国へ貢ぎたくて仕方がない人、

都知事のみならず政財界には、日本より韓国が大事な人が

たくさんいる。

あの、日本も世界もさんざんな思いを味わった「韓日」合同W杯に対してでさえ

日本サッカー協会(JFA)会長を務められていた川淵三郎氏は、

「韓国と共同で開催できてよかった」

と言ってのけ、虚脱させられる。

「現在両国の関係は今ひとつ良くないけれど、あのW杯をきっかけに日本と韓国の文化交流が深まったのは明白だからね」

凄すぎる。凄い・・・・。しかしこれが日本の一角の現状である。

朴槿恵大統領は「第二の『漢江の奇跡』を起こす」と、ぶちあげていてこれも凄い、凄すぎる。

冬季五輪が財政難で呼吸困難に陥っている最中に、何をおっしゃっているのだろう?

それに韓国の奇跡的復興を支えたのは日本の支援なのであるけれど?

その間の事情は父上の朴正煕元大統領は当然承知、娘さんである朴槿恵大統領もご存知のはずだが?

まあいい、韓国の国民から反発と罵りが来るぐらいに韓国はまだ
元気なようだ。是非、自国で自力開催して誇りを守りぬいて欲しい。

 

 

 

バーチャルな恋

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PCの音声を、女性の声でと指定した男が、その発達したPC機能がきめ細かく発信してくる

言葉に惹かれ、恋してしまう・・・・と、機械に疎いので上手に説明出来ないが、

そんなアメリカ映画(だと思う)をDVDで観た。

相手の実像は無視、恋に恋するという、恋の本質が現れた作品である。

いずれの恋も、相手を知るまでのバーチャル、幻なのだ。

パソコンの出会い系掲示板で生じる恋心も珍しくないが

むろん幻想である。

恋による美化の時期を過ぎ、相手を知る頃になってもまだ続いていれば

恋が愛へと変わり、年数を経るごとに深まって行く。

PCに対してバーチャルな恋をする、と同じ発想で、コミックの原作を書いたことがある。

それが、30年ほども前のことであったから、時代の先取り的には早かったかもしれない。

「少年マガジン」に単発として載り、読者アンケートで2位の評価を得た。

通常アンケート上位に来るのは、連載もので人気が定着している作品なので

単発で2位獲得は異例だった。

売れた本もあり、コミックの世界で順調、編集者の方々にも随分お薦め頂いたが、テレビのほうが面白くてコミックの世界からは、じき抜けた。

題材によってはコミックのほうがいいものもあるし、今なら何か書いてみたいものもあるのかもしれない。

勉強を兼ねてこのところDVDをまとめて観ているが、私はウディ・アレンがどうも

生理的にダメなようだ。

素材はどれも面白く感じるのに、見るとつまらないのだ。

最近見たのは「ブルージャスミン」という映画で、おそらくテネシー・ウィリアムズの

「欲望という名の電車」に着想を得ている。

美意識豊かだが、高すぎる誇りが嘘をつかせてしまい、やっと

男に巡り会うが、その嘘ゆえに破綻してしまい、最後は気が狂って

精神病院送りになる、と「欲望という名の電車」のほぼそのままの

話の仕組みであるが、「欲望」のヒロイン、ブランチの狂気も嘘も

美しく心を打つのに、ウディ・アレンの造形したヒロインには全く

感情移入が出来ないのは、どうしたことだろう。

作家の品位のごときものかもしれない。テネシー・ウィリアムズの作品には

「滅びの美学」があるが、ウディ・アレン版のヒロインには愚かしさしか

感じない。ブランチの嘘は誇りと彼女(と作家)の美意識に根ざして切ないが

ウディ・アレンのヒロインは単に傲慢で、見栄っ張りからつく嘘だけなのだ。

ウディ・アレン版でヒロインを演じるケイト・ブランシャットは、巧みに演じていて

世評も高いそうなのだが、後味が悪かった。

天才と目されているウディ・アレンに対して僭越だが、他の作品は

さておき、「ブルージャスミン」に関しては「欲望という名の電車」から

換骨奪胎したものの、テネシー・ウィリアムズ作品の読み違い、「詩」の高みにまで

純化、達することは出来ずに不発だった。

 

伊勢海老カレー

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一昨日、昨日と伊勢海老カレーを食べに鳥羽に行って来た。

鳥羽観光ホテル。伊勢湾が窓外にパノラマで広がる高台のホテルであった。

伊勢行きに関しては皆さんからさまざまアドバイスを頂戴し

心丈夫だった。改めて感謝申し上げたい。

伊勢海老カレーだが・・・・・

まずカレーはタイ風カレーであり、パクチー他の香草が味蕾をキック、

具は鳥羽湾の新鮮な魚介が、プチプチと歯の間ではじける。

当初、伊勢海老をカレーでまぶすことに多少の疑問・・・・くどくないか?

伊勢海老の味を消さないか? という危惧を抱いていたのだが、

それは杞憂であった。

濃厚美味なタイカレーに、伊勢海老が添えてある、というのがシンプルな

説明。まぶして食べるもよし、濃厚カレーに飽きそうになったら、

海老の淡白さで舌を洗うもよし、という饗応の仕方。

まぶしても、伊勢海老の淡白さは実は強靭で、濃い南国カレーの

味にも負けず、自らの味を主張するのが想像の埒外であった。

味は想像を大きく逸れることはなかったけれど、海老がカレーとは

溶け合わず、また溶けて、海老は海老の存在感を程よく主張することは

意外だった。伊勢海老の性根は淡白なようで勁く、これは日本人とも

相共通する資質かもしれぬ、というのは大仰か。

と、私は絶賛だが、香草のきついタイカレーが不得手な人には

お薦めしない。

もし苦手でなければ、私が生涯で味わったカレーの中で第一位であったと

星5つを進呈する。私はインドでもカレーはさまざま食べてきたし、パキスタン人が

経営するカレーショップで皿洗いのバイトをしていたこともあるから(若いころの

シドニーでだった)、カレーはこれでも本場を食べている。

鳥羽の、伊勢海老カレーがそれでもピカ一であった。

しかし、フロントで伊勢海老カレーを予約しようとしたらフロントマンに

怪訝な顔をされ、「ありません」と言われて本気で焦った。

「え゛」(と、「え」に濁点をつけるニュアンスで)眉をひそめ、

「そのために、来たんです。伊勢海老カレーを食べに東京から鳥羽のこの

もんど岬まで!ランチタイムに間に合うよう、早朝5時起きで来たのです!!」

5時起きは嘘で、徹夜した流れであるに過ぎない。でも起きてはいたので

まるっきり嘘というわけでもない。

私の哀願だか勢いだかに気圧されたように、私がメールで質問した時の

写しを開いて目を通したフロントマンであったが、メールにはもちろん、

「伊勢海老カレー!!」と明記してあるのだ。

これは逃げられないとおもったのか・・・・笑

フロントマンはレストランに、電話していたが

「ございます」という返事。

その時の安堵感。嬉しさ。

いそいそと、海を広々と見はるかすレストランに陣取れば、延々と

出て来ぬカレー。カレーなど、最もてっとり早く出て来るのに、きっと

伊勢海老で手間取っているのだな、と待つことの苦手な私が延々と待つ。

待つことしばし、蓋付き白磁の容れ物に入れてカレーが運ばれてきて、

それと別に更に白米と、伊勢海老がまるごと載っている。

「カレーをおかけしますか」

給仕の黒服氏に言われ「お願いします」

・・・・・まずカレーとご飯を口に含んで悶絶。

タイカレー絶品。これだけでも、訪れる価値あり。

それに、焼いた伊勢海老の至福が添えてあると思われたし。

伊勢海老単独で食し、またカレーと併せて口に含む。

再度説明しておくが、カレーのベースは新鮮な魚介色々入りで

すでにそれだけで、深い味のカレーなのである。

至福のカレーを食し終えたら、あとはもうおまけ。

と言っては申し訳ないが・・・・タクシーで鳥羽から、伊雑宮へと

飛ばしてもらう。乗車約30分、5千円ちょっと。

伊雑宮は亡き親友と20年ほど前に訪れた場所で、それだけで

涙が噴き上げる。

訪れる人も少ない隠れ里のような神社だが私は好きである。

帰りはタクシーを待たせず、敢えて上之郷という無人駅から

電車に乗って鳥羽まで帰り、寒かったが面白かった。

ホテルは「潮路亭」という別館を備えていて、ここは和室専門で

大浴場の温泉がある。

しかし、いつも満室。私は和室より洋室を好むので構わなかったが、

趣味と建物のしつらえは圧倒的に潮路亭がよろしい。

伊雑宮詣でで冷えた体を、潮路亭の露天風呂で温めたのだが、

暮れゆく空を眺めながら浸かる湯の心地よさ。

躰は温かく、頬に吹き抜ける冷たい潮風の、悦楽。

おまけに、湯は真珠風呂。

乳白色の湯がライトを浴びて、キラキラと煌めき、手でかき混ぜると

星雲のごとく渦巻くのだ。

そして湯質のなんという、柔らかさ。

ミキモトパールの企画案らしいが、あられもなく現実的な想像を言うと

真珠を加工する際の屑真珠やら、あこう貝の中の何かやらを入れているのではないか。

半端ではない湯の乳白色と、煌めき方なのであった。

タイのフアヒンで米国系の贅沢なホテルに泊まり、その時味わった

薔薇をこれでもかと浮かべた薔薇風呂の数倍の贅沢感であった。

ちなみに、別館は知らないが洋風ホテルの方の本館の宿泊料金は

土地に比してさほど安くはない。ただし室内も廊下もバスルームも質素。

だが、鳥羽湾がパノラマで広がる窓外の景色込みなら、豪華である。

伊勢海老カレーも細かくは覚えてないが、一人前5千円弱。

別のホテルなら、倍以上する。最初はここを考えたのだが、お参りに不便そうなので

止めた。

東京のホテルでこんなもの食べたらきっと恐ろしい値段。

伊勢海老カレーとパール風呂のホテルを、朝6時半にチェックアウトして、

タクシーで伊勢市へ。朝食を頼んであったので、諦める形になり

少々心残りだった。伊勢海老カレーのあの旨さからすると、バイキング形式の

朝食は果たして・・・・と後ろ髪引かれながら、しかし伊勢神宮は

早朝にお参りしたい。

(明日に続く)

 

 

伊勢神宮参拝

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伊勢市には電車で向かい、駅のコインロッカーに荷物を預け、駅前から延びる

参道を歩いて外宮へ。

「御垣内参拝(みかきうちさんぱい)」というのもしたくて、そのためにスーツにタイという

出で立ちである。

御垣内というのは、通常垣根の外から参拝するのを、内側に入れて頂くのである。

式年遷宮のための寄付を2千円以上すると、内宮外宮共通で誰でも入れて頂ける。

しかし、男はスーツ(上着を来て、スニーカーの類でなければよいと聞いたが、私は

念のためスーツにネクタイをして訪れた)、女性も上着を要求される。

伊勢神宮一体が砂利道で、ヒールのある靴はお薦めしないが、とりわけ

御垣内参拝は、玉砂利が大きく凹凸が半端ではないから、ピンヒールなど不可能、

要注意。

同行した人も同じことを言っていたが、外宮の「気」のほうが、男性的といおうか

強い。いい意味で荒々しい。

勉強してないので、意味は解らないがひょっとして外宮には内宮を護るごとき

役割でもあるのだろうか。

外宮参拝を終えて、バスで内宮へ。15分ほど乗ったか?

20年前参拝した時より、うんと長い歩行に感じた。

鳥の声がしきりで、空気は森閑と澄み渡り、同行の人は風邪で

ずっと咳き込んでいたのだが、伊雑宮、外宮、内宮と神域に身を置いている間、

咳が止んでいた。

外宮の参道半ば・・・・

同行の人が霊感強い人で、「この木のここ、何か来る・・・・」と手をかざしているので

見たら、これは私が気づいたのだが、神様が顕現していらっしゃり、四方へ(光背)オーラを

放っていらした。

とりわけしめ縄も張られず、柵で囲まれているわけでもなく、ひょっとしたらごく最近現れた

神様でいらっしゃるのかもしれない。

星の第一発見者になったような気分を味わったが、気づいた人は他にもいるかもしれない。

しめ縄と柵の結界で保護される前に、素手で触れさせていただけて、幸運なことであった。

このたびの参拝ではなにか、不思議が起きる気がしていたが、これがそうだったのかもしれない。

光背を背負い杉の幹に顕現されていた神様のお姿はいまだ目に焼き付いている。

伊雑宮、外宮、内宮と当然のことながら個人的お願いごとなどいっさいしてはいない。

世界平和、日本の安穏と発展、皇室弥栄。

この3つだけである。

傍流の神様お一人のみには、いささか個人的祈願は込めたのだったが、これも

自分一人だけのことでもない。

無事、外宮内宮と参拝を終えても、まだ10時前。日帰りも十分可能であろう。

精進落としで、おかげ横丁に至る商店街で松阪牛の丼を頼んだのだが、もともとの肉好きではなく、

レアが苦手、言っておいたのだが、それでも生焼け、赤身が気持ち悪く再度頼んでチリチリに火を入れてもらったのに、

ご飯にうっすら血が滲んでいるのを見たら食べたくなくなった。

口の中が気持ち悪いので、口直しに赤福本店に行き、赤福を食べた。

その後、あわびの串焼きを路上で買った。

赤福の本店もそうだが、古い家屋だが路上に面して開いたオープンテラスみたいな

店が多くて、寒い日は入るのに気後れする。

火鉢が置いてあり、おそらく江戸時代からの店のしつらえを

守っているのであろう。

雨に打たれると桜の花びらが浮き出るという和傘を、着物用に買おうかと

思ったのだが、雨に和服はめったに着ないし、傘を東京に持ち帰るのも

難儀なので諦めた。

同行の人が、財布を休ませてあげるという財布用風水座布団を買っていたので

私もつられて、買った。

傘で諦めた桜模様の、財布さん用座布団である。

江戸娘の衣装のような布地の座布団で、愛らしく華やかである。

 

 

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