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日本語の復権を

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田母神俊雄さんと西村眞悟さんの、選挙結果に関心を多大に寄せている。

このお二人の得る結果で日本が変わるか、変わらぬか。

キーパーソンだと思っている。

その西村さんの最近のブログが興味深かったので、抜粋させて頂く。

 

http://www.n-shingo.com/jiji/?page=1042

 

 

前略

  戦後体制からの脱却、日本を取り戻す。安倍総理も言っている。大賛成である。

 

  しかし、日本を取り戻すとは、具体的に何を取り戻すのか、安倍総理は言えない。

 

  だから私が言う。

 

  日本を取り戻すとは、

 

  奪われた憲法を取り戻すことだ。

 

  武装解除された軍隊を取り戻すことだ。

 

  教育勅語を取り戻すことだ。

 

  総理大臣が正々堂々と靖国神社に参拝することだ。

 

  そして、

 

  拉致された日本人を取り戻すことだ!

 

  尖閣を力で守り抜くことだ!

 

 後略

 

ーーーーーーーー 抜粋ここまで ーーーーーーーーーーーー

尖閣に加えて、竹島の奪還を言って頂きたかった。

そして・・・・

西村眞悟氏が上げられた「日本を取り戻す」ための条項に、わたくしは更にもうひとつ

付け加えさせて頂きたいのだ。

「壊されやせ細った日本語を再び日本人の手に取り戻す」

ゆとり教育の弊害の結果であるが、しかし源流を辿ればその昔GHQが仕掛けた日本弱体化政策に結局は行き着く。

日本文化の衰退は、日本語の衰退と密着している。

言葉とは実にその国の文化に他ならぬ。

言霊のさきわう国と言われた国の民が有していた言葉はかつて豊穣であった。

商売にしろ科学にしろ政治にしろ、人は「言葉を用いて考える」

従って、言葉が貧相になればあらゆる分野での思考が貧しくなるのだ。

交ぜ書きはなるべく止めようではないか。文章を見た時の視覚効果も
日本語の特徴であった。日本語の達人の一人である三島由紀夫もまた
視覚としての日本語に敏感な人であった。

交ぜ書きは文の姿として美しくない。

日本語を成り立たせている要素は3つある。

「姿」と「響き」と「調べ」である。

古来日本人は俳句や和歌で、その三要素を磨いて来た。

しかし今、美しい日本語、豊かな日本語は絶滅種に属しつつある。

言葉を護ることは実に国を護ることなのだ。

かつて安倍さんが「美しい国」と表現なさったが、具体的な

美しさの提示はあっただろうか。

わたくしはまず、日本語を美しい国の特性として挙げたい。

 


投票日に思うこと

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午前中に投票を済ませて来た。

東京は天気がよく暖かなのだが、これが投票率にどう反映されるだろう。

投票用紙への改竄が言われているのに、相変わらず鉛筆だった。

自分でボールペンを持参しようかとも思ったのだが、それが理由で

無効扱いもかなわないので、改竄やりにくいように、鉛筆で枠内ギリギリに大きな

文字で書いた。

調べてないので、鉛筆を備えている投票所でボールペンを使用することが

無効かどうか知らない。現場で訊いてみればよかった。

個人名は、残念ながら通りそうもないお方の名を書いた。

通るであろうメジャー候補の所属党の私はさしてアンチではないけれど、

この候補の街頭演説を聴いたことがあり、中身の皆無ぶりに仰天、

学歴経歴だけは華やかで、そういう上辺で公認した党のやり口も嫌い。

比例は、ここと当初から決めていた党へ。

結局、普段はベースの支持政党には双方入れていない。

通らないと解っている人への投票を死に票という人もいるが

そうではないだろう。民意の表現になるし、その方の将来の

励みになる。

裁判官の国民審査については、全員バツをつけた。

お一人、キャリアが浅く判例で判断出来ない方がいらしたが

申し訳ないが法曹界全体の汚染が目に余るので、一蓮托生拒絶表明を

させて頂いた。

ところで、私は立場もあり滅多なことで個人名をあげつらい非難することは

しないが、舛添要一氏は許せない。

韓国に都民の税金をどれだけつぎ込み、また日本人の誇りをわざわざ

韓国で踏みにじって来るようなことを、なぜなさるのか。

朴槿恵大統領を上目遣いに見るその目の卑屈さ、媚び。

あたかも宗主に対する奴隷国の使者のごとし。

就任早々まず中国に飛び、恭順の意を示し、次に韓国と朝貢外交の

順序どおり。

これだけ自分を低くして舛添氏はいったい、日本人でいらっしゃるのか。

さぞかし破綻寸前の平昌五輪にお金を差し出し、技術援助したくて

あれこれ画策なさっているのであろう。

都庁のご自分のデスクにある名前表示の標識にはハングルが添えられてあり、

朴槿恵大統領の2ショットが置かれてある。

厚労省時代には、いわくつきでその後問題になっている危険な子宮頸癌ワクチンの拙速な認可もなさっている。

政治資金上の問題も指摘されている。

いやそれらは、まだしも末節のことだ、舛添氏の韓国が日本より大事の国売り・貢ぎ姿勢に比べれば。

都民は舛添氏に中国韓国相手の外交を付託してはいない。

しかし舛添氏の“韓国詣で“の費用は短期間で1億円を超えている。

いったい、都税で何をなさっているのか。

安倍さんの全否定をする気は全くないが、都知事選の時の舛添氏応援は

いただけないことの一つである。

3歩進んで2歩下がることを余儀なくされる、妥協連続の“訳あり政権”運営は

解っているけれど、しかしいつまで続くぬかるみぞ。

安倍さんの言うことなら、と“騙された”都民も多いのではないだろうか。

舛添要一氏のリコールは、

解職請求可能日 2015年2月12日

必要署名数は約183万8000人

署名期間2ヶ月

 

である。

嘘をつかないメジャー政治家など、ほぼいはしないが、安倍さんの“嘘”に騙されて

舛添氏にうかうかと入れた方は

リコールで挽回して頂きたいと願っている。

舛添氏に関する情報は、こちらも参考になるかもしれない。

h

ttp://matome.naver.jp/odai/2140759773139727701

 

 

舛添要一氏の実父が選挙に立った時の、ハングル・ルビが振られたポスター。

 

平昌五輪、日本との共同開催に持って行かれ、お金をぶんどられぬように・・・・

しかし動きはきな臭くなる一方である。

共同開催して支援して感謝されるならまだしも、逆恨みされ、末代まで罵られるだけ。今までのパターンの踏襲であろう。

見返りに東京五輪も半分寄越せとさえ言いかねず、当然お金要求もついて来る。

東京五輪開催に対して、国民あげて反対と妨害運動をしていたのは韓国であったことを忘れまい。

平昌冬季五輪組織委員長 突然辞任=韓国 http://japanese.yonhapnews.co.kr/enter/2014/07/21/1000000000AJP20140721000600882.HTML

この趙亮鎬(チョヤンホ)会長は元々、日本での分散開催をきっぱり否定していた人物。

最近娘が問題を起こした大韓航空の社長だったような?(調べてない。後でチェックしてみる)

分散開催を拒否していた人物の後釜が何を主張するか、ということであろう。

選挙の翌朝に

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結果についてはもはや感想を言う気もない。

予想そのままの、何のためにやったか解らない選挙。

(安倍自民にとっての論理があるのは承知の上で)

一抹の奇跡と民の進化を期待したが旧態依然。

そして本当は一番日本を考えている一群がほぼ消された。

綺麗過ぎたのだろう。清濁合わせ呑まねば政治の濁流は

渡れぬ。頑固に美し過ぎる党首がいる。好きだが、それは若者の姿勢。

手練の政治家が取るべき姿勢ではなかろう、と後追いで言うのもフェアではないか。

それにしても、これが民度。そして棄権者の一団。それも含めてこれが今の日本のレベル。

舛添氏のリコールもこれでは期待できぬのだろう。

・・・・・・と言ってしまっては、気勢を削ぐか。

それでも出来るだけのことはやろう。

「わが家」の完成版を見た

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まだ私と同じく、選挙結果に重い心を持て余している人たちも多いと思うので

ドラマのことなど書くのも迷ったのだが・・・・

「わが家」の完成版を見たのはもう数日前なのだが、選挙に取り紛れ、

また書くのを控えてもいた。

自分が関わっているので、さして述べることも出来ないが、よい出来で

楽しんで頂けると思う。

監督をはじめ、スタッフの仕事ぶりも秀逸だが、役者それぞれが飛びきりいい。

向井理ファンにとっては、おそらく「一番見たい向井理」ではないかなあと、

思うのだが、好みはそれぞれなので解らない。

一人ひとりお名前は上げないが、皆さんがずば抜けていい。

サブのストーリーを担う役者さんたちも全て秀逸。

小説はお陰様で、出版後ほどなくして増刷がかかった。手にとって下さった方々、ありがとうございます。

なお私が以前、講師をつとめさせて頂いたご縁で、永田町の憲政会館に

ポスターを張ってくださる方がいらした。

ありがたいことである。

 

 

 

 

憲政記念館は、永田町の駅徒歩5分くらいの位置にある。自民党の本部もこの界隈で至近である。

憲政記念館

 

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/kensei/kensei.h               tm

1970年(昭和45)にわが国が議会開設80年を迎えたのを記念して、議会制民主主義についての一般の認識を深めることを目的として設立され、1972年(昭和47)3月に開館した。

 

「花嫁の父」再々放送です

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TBS(関東)12月27日(土)14:00~15:54
MBS(関西)12月30日(火)11:55~14:00

TUF(福島)12月29日(月)15:52~18:00
UTY(山梨)12月29日(月)15:55~17:54
NBC(長崎)1月2日(金)8:45~10:50
BSN(新潟)1月3日(土)11:55~14:00
ATV(青森)1月4日(日)14:48~16:54

※TBSバージョンは、短く再編集していますが、MBSバージョン・他
地区はノーカットだそうです。

 

「わが家」脚本掲載

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映人社の月刊雑誌「ドラマ」2015新春号に、「わが家」の脚本が掲載されました。書店以外にも、Amazonで手に入ります。古くからある月刊誌で、主に脚本家志望者と業界、マニャックにドラマに関心がある人のための雑誌です。

随分これまでに掲載して頂いていますが、保存版として作品管理をして頂いているようで、作家にはありがたい出版社さんです。

 

 

「わが家」関連取材でご縁の出来た毎日新聞さんに、高倉健著「あなたに褒められたくて」の書評を書きました。年明けのいずれかの日に紙面でお目にかかります。

「採れたてピチピチの野菜なの」

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選挙の集票について、田母神さんと何だかの得票比率を精査すると

比例に「次世代」がゼロというのは、どうにもあり得ず・・・・納得しがたく不信の念

を抱いているのだが、あいにく数字が不得手で、私がいじって検証してみても

計算間違いでとんだ赤っ恥かくのが関の山。

脚本でも数字が関わることに関しては、必ずと言ってもいいほど「あの・・・・・」と

スタッフからご注意が来る。

というわけで・・・・・

ドラマの話題にする。

小説のほうの増刷は発売まもなく、書店からの注文が相次いだ結果を受けての

ことであると版元の担当者さんからの連絡で、ありがたいことである。

面白がって頂けたなら、書いた甲斐があった。

小説中登場する一歩(向井理くん)の母(田中裕子さん)の実家の

和食の店に、ヒノキの一枚板のカウンターがあり、今しつらえたら家一軒買え

る、と描写したら、それがテレビ画面で映ることを楽しみにしている、とコメント欄

に2つも言葉を頂戴した。

あいにく、ドラマ脚本では母親の実家は出していない。

出したところで、テレビ画面ではヒノキの一枚板の重厚感も、なんとも言えない手

触りも解らない。

逆に合板に細工してもそれらしくは映る。

ただ、小説のモデルにした店は実在する。書いた通り、地下鉄神田駅の出入口

の目の前である。

何口であったかは記憶にない。

ヒノキの一枚板カウンターはそこで、女将さんから聞いた話であり、またその店

が契約農家から野菜を配達してもらっていて、配達のおばあさんが

「採れたてピチピチの野菜だよ!」と

届けてくれるのだと聞いて、面白いのでいつかセリフに使ってやろうと頭にメモし

ておいたのだが、意外に早く使うことになった。

「採れたてピチピチの野菜」は小説でも、ドラマでも双方使わせてもらい、一歩の

妹役をやった村川絵梨ちゃんに激賞してもらったが、自分のオリジナルでないこ

とは正直に伝えてある。

母親に「およしよ」などという言葉を使わせているが、これもそこの女将さんの言

葉を拝借した。いわゆる江戸弁でたいそう面白く、また残しておきたく耳をそばだ

てて脳内録音しておいたのだ。

ドラマでは、原稿用紙でせいぜい118枚、小説では300枚。自ずと、ドラマでは

省いてある部分もある。

かといって、映像は一瞬の情報伝達量が多いので単純にドラマは小説の3分の

1の内容しかない、ということでもない。

たとえば、衣装の描写など小説ではするが、ドラマでは特殊に必要なとき以外は

衣装部さんと役者のチョイスに委ねる事のほうが多い。

小説と、ドラマの関連部分を抜書きしておく。

ドラマはまっさらで見たいという方はすっ飛ばして欲しい。

小説も脚本もゼロから読みたいという人も。

 

代々東京は神田で続く老舗料理屋の長女で、江戸っ子ってやつだから「およしよ」なんて、時代劇みたいな言葉を使うし、うちの庭の畑で作っている野菜を「とれたてピチピチだよ」なんて自慢したりする。

 実家の料理屋が荒川区の農家と契約していたそうで、配達してくる農家のばあちゃんが、そう言って届けて来ていたそうだ。

 名は鯛子で、これは老舗の料理屋の娘として、縁起がいいってことでの命名なんだろう、とそう思っているだけで由来は聞いたことがない。

 名乗ると大抵「妙子」だと思われると、おふくろは言う。

 店はさほど豪華というわけではないが、明治時代からの名残りが店内のあちこちに、たゆたうように残っている。

今の東京のリズムとは異なる独特のゆったりした時間が流れているようで、カウンターのヒノキの一枚板は、今しつらえると、家一軒分の値段なんだそうだ。

 そのやわらかな手触りのカウンターに煙草の焼け焦げ一つないのも、おふくろの実家自慢の一つ。

 

上記が小説で、ドラマでは描いてない部分。

以下は脚本である。

○桜木家・表

鯛子「(麗美に)これ、採れたてピチピチの野菜。うちの畑のなの。それと、漬物」

麗美「嬉しい!ありがとうございます」

鯛子「これは一歩の分。(麗美に)お酒は飲む人?」

麗美「ガンガン」

鯛子「あら、おともだち!」

 

  ほの香が帰って来る。

 

ほの香「お兄ちゃん、来てたの!? ちょうどよかった!」

一歩「え」

ほの香「大変、病院でね(と、言いかけるが麗美の姿に口をつぐむ)」

麗美「私、一人で先に帰ります。お世話になりました」

 

引き写していたら、神田のその店に行きたくなった。そういえば、もうふぐの季節

ではないか。

お客さんの中で、小説を読んだ人がいたら、女将に話しているかもしれないが、

私は1年前にふらっと入ったフリの客なので、記憶にはなく最近はテレビに

顔を出してもいないので、身バレもしないだろう。

いやバレてまずいことはしていないのだが。

ところで小説を読み、更にドラマを観てくださる奇特な方に一つお願い。

小説にあって、ドラマで省いた箇所があるが、ここはドラマに入れたほうが良か

ったと思う箇所があれば、ぜひ参考までに聞かせて頂きたいのだ。

私自身がドラマ内で書くべきだったか、と迷っている箇所が2つほどある。

ただドラマをそのまま活字でなぞるだけの小説にはしたくなかったので

小説独自の世界は築くよう心がけた。

媒体の違いで小説では効果的でも、映像ではさして生きないこともある。

それでも皆さんの感じ方を今後の参考までに知りたい。

監督はじめスタッフには今度会った時、意見を聞いてみるつもりだが。

またまた余談だが・・・・・

向井くんが結婚するというので、今後もし再び彼に脚本を書くことがあるとして

従来のイメージでは書けなくなったなぁ、と漠然と思っていたら、結婚は可能性

がないでもない、程度のことで確定ではなく、スポーツ紙のフライングだと近い人

から聞いた。

ファンにはほっとする話か、がっかりする話かよくわからないが。

知性

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コメント欄に紹介を頂いたが新聞取材に答えられた「わが家」の父親役、長塚京三さんの
役の捉え方が知的で、感動した。
こういう頭のいい役者さんは、楽だ。
脚本に込めたメッセージを的確に捉え更にスケールアップしてくださる。

番宣兼ねて、これから脚本やシーンの一節を抜書きすることもあるので、
事前に知りたくない方はスルーなさって欲しい。

12月18日 高知新聞(19面)朝刊より。

来月4日・特別ドラマ「わが家」 長塚京三

静かな口調が少しずつ熱を帯び始めた。2015年、70歳を迎える長塚京三。
「一生懸命役を思えば、思った形で演じられる境地には来ている。そこから、もう一つ世界が開けてくる可能性がある」。芝居への意欲は衰えを知らない。
新春の特別ドラマ「わが家」(TBS系 1月4日夜)では、30年ぶりに家族の元に舞い戻る父親の武士を演じる。

息子の一歩(向井理)と娘のほの香(村川絵梨)は東京で別々に暮らす。妻・鯛子(田中裕子)は港町で家を守る。
ほの香の結婚話を発端に、バラバラだった家族が絆を取り戻していく。

物語は一歩の語りで進む。
「今を描いているが、一歩の回想でもあるような不思議な曖昧さを持つ作品。一歩の記憶の中で美化された武士をイメージして演じた」。

長塚は、リアリティーから少し外れた武士を「寓意的な父性の象徴」と呼ぶ。
そんな抽象的な「理想の父親像」を生身の長塚京三として具現化しなければならず、役者にとっては「残酷な作品だった」という。
「見ている人にどう思われてもいいやっていう強さが、この役のミゾだね」と苦笑いする。

ドラマのハイライトは、一歩との親子げんかの場面だ。
「触れ合いたくて仕方ないのに、大人になるとできない。父と子の“ラブシーン”みたいなものかな」

15年のNHK大河ドラマで、幕末が舞台の「花燃ゆ」にも、ヒロインで吉田松陰の妹・文の父・百合之助役で出演する。
「人生の究極の幸せは、すべて家族の中にある。素直に必要とし、必要とされる。大事なのは、そういうことじゃないかな」。
家族について語るその目には、穏やかさが戻っていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

長塚さんの写真に添えられたコメント
「息子というのは、若い時の自分ですね」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私が、うなったくだりは青字にしておいた。

早稲田からソルボンヌに留学の理由をうかがったら、
「あの当時は学生運動で、大学にいても勉強できなかったからです」
そう、淡々とおっしゃったが、だからと言って誰もがソルボンヌに行ける
わけでもない。

あちらの監督に見出され、それが俳優業へのきっかけであったようだ。

ハイライトの父と息子取っ組み合いのシーンの脚本を全部抜書きしておこうかとも思ったのだが、それはさすがに感興を削ぎそうなのでやめておく。雑誌「ドラマ」には、全部掲載されているが・・・・こちらでは、

セリフから一部抜粋だけ。

 

 

一歩「言いたくないけど、オヤジがいないせいだ」

武士「そう言われたのか」

一歩「言われないけど。お父さんはどこの料亭で働いてるのかって訊かれて、つい口ごもっちゃったんだ」

武士「今どきそういうことで、落とす会社はねーだろ」

一歩「言い切れる?」

武士「能力が秀でてりゃ、親はなくとも、世の中は拾い上げる。オレはそうだった」

一歩「腕一本の仕事と会社は違うよ」

武士「やる気の無さを、オヤジがいないせいにして、逃げてるんじゃないのか?」

一歩「はぁ!?」

武士「自分に言い訳するような生き方は止めておけ」

一歩「おふくろは離婚もしないで、毎日家掃除して守って、布団干して! ほの香は、結婚相手にも本当のこと言えず、苦しまぎれの嘘ついて。家族それぞれが、どんだけ!!」

武士「オレがオヤジに死なれたのは、三つの時だ。それでも、へこたれず仕事した。所帯も持ち、二人の子もなした」

一歩「捨てといてよく言うよ!」

武士「(瞬時見つめていたが、挑発する)女々しいやつだな」

一歩「はぁ!?」

武士「オヤジがいねーくらいで、何をくどくど。自分の半端な生き方を、オヤジのせいにして満足か。そういうの、卑怯者って言うんだよ」

 

  一歩、はじかれたように立ち上がり、武士を不器用に殴る。

  武士、一歩を鮮やかに殴り返し、一歩は見事に吹っ飛ぶ。

起き上がり、武士に獣の吠えるような声を上げ突進、むしゃぶりつく。

  もみ合う。二人の感情の背後には、永遠の別れを目前にした親子の気の昂ぶりもある。

  鯛子と、ほの香が現れる。

 


男の化粧

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午睡して変な時間に目が覚めたら、うっかりつけっぱなしだったテレビに
女装男子たちが写っていた。ついでに女装おっちゃんたちも。

時代が移ったなぁと思わせるのはスタジオのコメンテーターたちが
淡々と普通にリアクションをしていたことで、これが10年20年前なら
「えーっ」と、のけぞらないと収まりがつかないところ。

その前も、たまたまつけたテレビでいきなり、「男の子のメーク」というのが
あって、化粧道具を持ち歩いている男の子が映っていたが
それも、特殊な子という取り上げ方ではなく、淡々と単にレポート。

メークと女装は、するほうの動機も分野も異なるとは思うのだが、
いずれも時代の潮流ではあり、私もさして驚かなくなっているが、
ドン小西さんの日常を追う場面で、お化粧をなさっていて、
なさっているそのことより、報道する側がこれまたちっとも
驚かずとりわけコメントもなく、普通に流していることのほうに驚いた。

物書きなので、あらゆる欲望はいったん受け入れてみるし、一端は
解りたいとも思うのだが、女装願望も化粧願望も自分にはさほどないので
実のところよく解らない。

テレビに出るときはメーク室で塗ってもらうが、終わると急いで落とし、
落とすとほーっとするので化粧願望はほぼないと言っていいだろう。
顔に異物を載せ皮膚呼吸を妨げている具合で、女性は一日中よく平気だなあと
その都度思う。
テレビ出演時の化粧は、あの強面の元検事河上さんもやっていらっしゃるぐらいいで、出演自体は大昔からたまにだがやっているので、普通の男よりは男の化粧に抵抗感は少なく来たのかもしれない。身近な男優は軒並み塗っているし。

いいとも悪いとも何とも思わないというのが率直な感想だが、内館牧子などは「歓迎しないわね」とボソリという。比較的感性柔軟な人なのだが。
テレビの女装男子については、「日本男子として抵抗がある」と感想を漏らす
おじさんがいた。

女装に洋の東西はなく「日本」はとりあえず関係ないのだが。

男らしく、女らしくという概念が男が人前で泣くようになり、映画もドラマも
それを描くようになった頃から壊れ始め、「その人らしく」生きる時代に
なりつつあるのだと思う。

昔々、男の化粧について取材を受けた時「彼らは自分で戦争を起こすことはしないでしょうね」と答え、記者はなるほど、と感じ入った様子であったが今もそれは思う。

戦場にコンパクトやパフでは戦意喪失である。

平和憲法護持とか、9条にノーベル賞をというより「男も皆お化粧して、爪を塗りましょう」という運動をするほうが早いかもしれない。(むろん、やや冗談、やや皮肉である)

ただし、その運動をするなら世界規模で行うこと。日本男子だけが装って戦意喪失しても困るのである。自ら戦争は仕掛けなくても、日本を侵略したい国はある。

九条墨守を言うなら、世界にも広めないと、という理屈と同じ。
平和憲法で国が護れ、平和が維持できるならなぜ、世界中の
国が平和憲法を持たぬのか、よくよく考えるべし。

憲法という文字で書かれたにすぎないもので、平和が守れるとは
実はどこの国も考えてはいない。日本以外では。

都知事選、今回の衆院選と続いて呆れ果て
政治発言はもうすまいと思っていたのに、女装男子と化粧男子で
思わぬ平和憲法論になろうとは。

ノイズ

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実は音に過敏で、苦痛な時がある。

世田谷の2階屋に暮らしている頃、2階の書斎にいて、1階の居間で秘書がめくる

新聞の音が、耳に突き立つようで注意したことがあるから、病的なくらいに「音」が

苦手である。

静かなエリアだったので新聞紙の音が際立ったのだろう。

生活音のすべてが苦痛だというわけでもないが、どうも聴覚が過敏で困ることがある。

昨日、老舗の鰻屋に行ったら、一人声の大きい女性がいて鰻重を待つ間

彼女の声が拷問だった。

いったいに、場所の空間に合わせて声量の調節が出来ないのは中年女性たち

だと思っていたが、連れの男たちも声高だが、さして抵抗がないのは

男声は周波数が低いからだと気づいた。

その女性は、40歳前後。たまにいる、いやに滑舌のいい野太い、しかし

甲高さを伴う、まるで舞台で声を張っているような喋り方の人。

舞台の声だが、決してヒロインの声にはなれない、不快なタイプの音声。

辛抱している雰囲気が伝わったのか、気働きのいい女将さんが「こちらの

席に移られますか?」

と声をかけてくれたのだが、一人で4人席を占領するのは私のモラルに

反するので、ご辞退した。

場の空間が許容する限度を遥かに超えた音声に遭遇した時に、自分に

言い聞かせる言葉を胸のうちに呟いてみた。

(世界から人類が全て絶えて、たったひとり生き残った孤独地獄を考えましょう。

大声のあの方に巡り合ったら観音様です)

とひたすら念じて耐えていたら、

「ありのままにーーーーーー!!」

歌まで歌い始め、私は席を立ちその女性に突進、首を締めた。

脳内で、である。

耐えることしばし、やっとその女性を含めた一団は立ち上がり、しかし

その女性はまだ野太い甲高い声でしゃべり狂っている。

「ふなっしーの人って、あれ税金の控除は絶対に・・・・(云々)」

そして、

ガッシャーン!!

ご丁寧にテーブルから、灰皿だかなんだか床に落としたらしい。

私は割り箸を手に席を立ち、彼女に突進、お尻に割り箸を突き刺してやった。

脳内でである。

・・・・・・・・・

静寂。

私は、ありがたさに涙をこぼさんばかりであった。

と・・・・・・。

「携帯、忘れたーーーっ!!」

あの、大声怪獣がまた入って来たではないか。

「ないわねーーっ」

「ないわっ」

「バッグの中かしらっ」

「やっだぁああああああ」

・・・・・・・・・・・・

私は自身が首を吊りたくなった。

 

 

人工音と自然音

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昨日の「ノイズ」という文章に、思わぬ共感の声を頂き、

病的に過敏な聴覚の持ち主である私が、気難しいことを言い過ぎているのであろうか、

と危惧があったのだが、皆さんそれぞれ聞きたくもない「ノイズ」には

悩まされているようである。

部屋のサイズ・・・・場の空間の大小(天井の高低)などで、自ずと声の高さは

調整するものと私などは人にも期待するので、裏切られることが多い。

某国と某国の人たちが、公共の場でのお行儀の悪さと共に、傍若無人な

声の高さを言われているが、日本人も随分だめになって来た。

昔はそうでもなかった気がする。

というのは昭和も初期中期ごろまでか・・・・・? 松竹大船のホームドラマなど

静かなものである。

しかし30年近くも前パリで、セーヌを往来する遊覧船、バトームッシュに乗った時、

すでに大声で宴会をしている日本人の一団があったので、もうその頃は

ダメになっていたのであろう。

・・・・・・というより、日本は騒音に対しては諸外国よりも無神経であったりする。

例えば量販店の道まで流れる音楽、駅の説明過剰な繰り返しアナウンス、

どの店に入っても不必要な音量で鳴らされている音楽。

野山や海岸で鳴らされる音楽。風や水音を聴きたいのに、無念な思いをする。

日本の電車の離発着の正確さと事故の少なさは称揚に値するが

アナウンスの煩さは世界一。

たとえば、バンコクの電車では駅が近づくと静かな低い声で

「スクンビット」とか、一回アナウンスするだけで、

「白線から離れて」や「目白ー目白ー次は目白で停車しますー」

「お忘れ物のないように」などなど

大声の案内はなく、しかしそれでバンコクの電車で事故が多発している

という話は聞かない。

選挙カーのあの大音声もわけのわからぬことの一つ。

大声で名前を連呼されなくても、投票する人物などとっくに決めている。

ノイズに過敏で気難しい私ではあるが、しかし雷がどんなに轟こうと

嵐が吹き荒ぼうと、セミや鳥が鳴きたてようとちっとも気にならない。

むしろ、聴きたいと思う。

昨年「命」という森林を舞台にしたドラマを書いて以来、せめて小物で

ヒノキを味わいたいと風呂桶もヒノキにしているのだが、これが

床に「カーン」と鳴って、昔の銭湯の響きを思い出した。

木の橋や石畳に鳴る下駄の音も気にならない、どころかむしろ好ましい。

風呂桶がプラスチックであったら、床に落ちて音を立てても私は

眉を顰めると思う。嫌な音が予測できる。

自然の音は滝も大雨も気にならない。

外に出て、聞きたくもない音楽を大きな音量で聴かされる苦痛。

最近少なくなったが、かつて和食の店に入ると正月でもないのに

琴がかき鳴らされていて、辟易としていた。

あるいは非常に気取っているふうに読まれたら心外なのであるが、

たとえばモーツァルトを低く流していても気にならない。

あの頃の一流作曲家の作った旋律が、自然に近いということなのだろうか?

だが一番あらまほしいのは、音楽抜きの白紙でお店はありたい。

せめて気が付くと、ごくかすかに鳴っているという程度に。

指圧などに行くと、ヒーリングミュージックを流していて、ヒーリングなら

よさそうなものだが、それはそれで、うるさい。

ヒーリングミュージックを称して「空き缶におしっこするような音楽」と言った人がいて

感心した。

それで思い出したが、複数名の施術者がいる治療院で、ヒーリングミュージックを

じょんじょろりん、ちょろちょろとかき鳴らしていて、うるさいなぁと思っていたら、今度は

施術者の一人(女性)が甲高い声で、客に話しかけていて

「痛くはございませんかぁ?」

オメーの声がいてーんだよ!(内心の声)

「んまあ、北海道の出身なんですかぁ!?」

だから、どうした。

「肩甲骨の周りが超固いーーーー、うわぁああああああああああ!!」

相手している男の客の声は低くぼそぼそと、たまに応じているだけなので

気にはならない。何を言われたのか、声高指圧師、

「やだそうなんだぁ、あーはっはははははは!!」

帰りに、店の評価いろいろのアンケート用紙を渡されたので、

「求む静寂」と書いた。「肩はほぐれたが、鼓膜が凝った」

 

人肉のオイル焼き

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歩きながら、海鮮の店の看板に目を引かれた。
「サザエのつぼ焼き」「海老の丸焼き」「鮮魚の刺身」などなど
今度来てみようかなあなどと思いながら見上げていて、
ぎょっとした。

「人肉のオイル焼き」

とあり、どう目を凝らしても読み違いではなく、「人」を書き間違えているのかと
想像を巡らすのだが、それに代わるような漢字を思いつかない。
帰宅したら「人肉のオイル焼き」を検索してみよう、ひょっとしたらその食べ物の
ヒントがあるかもしれない、などと思いつつ歩いていて、あっと気づいた。
ここまでで、もう解った人もいるかと思うが「人肉」はおそらくニンニクの
当て字だろう。

調べてみたら、この当て字を使うスーパーも八百屋もあるようだ。
やれやれ。大蒜という漢字が難しすぎるからか、しかしそれにしても?

と首を傾げつつ、連想はアンジェリーナ・ジョリの日本侮辱の捏造映画に
連想が飛んだ。日本軍が捕虜の肉を食らっていたという彼女が監督をして
撮った「アンブロークン」である。

最もたちの悪い悪魔は善人の仮面をかぶっている。
彼女の「人道的行為」は賞賛の的であるが、しかし「アンブロークン」に限ってもいいが、悪魔の業(わざ)であろう。
彼女がベースを置く国連にはいまだ、敵国条項が生きていてその中には
当然日本が含まれている。国連が反日組織であるということを知らないどころか、世界平和を考える友好的な組織だと思い込んでいる日本人が多い。
日本にあり、日本がお金を出さされている国連大学もそうである。
明瞭に反日であり、日本はお金だけをたっぷり吸い上げられながら
理不尽に叩かれ続けている。
しょせん戦勝国対敗戦国の構造の上に成り立った組織であり、そこに
韓国人の事務総長が居座って、より反日に拍車をかける。

従軍慰安婦の強制性の大嘘を保証する「クマラスワミ報告書」も
国連人権委員会がベースである。

「アンブロークン」の背後には、某組織が関わっていると囁かれていて
その組織かどうか私には分からぬけれど、ある勢力が背後にあることは
彼女の配役の仕方などを見ても、あり得ることだと私も思う。

彼女が自発的に動いているのか、気付かず利用されているのか
そこは解らない。しかし自分の主演映画「マレフィセント」を
宣伝しにニコニコ笑顔を振りまく傍ら、日本人の人肉喰らいの
映画を撮るとは相当な根性の女性であろうとは思う。
最も強烈な侮蔑と痛罵の言葉を使いたいほどだが、控えておく。
略歴を見ると、精神を病んだ時期もありいまだその尾を引きずって
いないかな、ともふと思う。
精神の異形は、時にアーチストの勲章であるけれど、それが歪んだ正義感、
いびつな人道主義に走ると、厄介である。

彼女のことは置くとして、この度の選挙結果もそうなのだが、
日本人の自国を護る気概の薄さ、無関心に慨嘆するのである。
北朝鮮がいいとは全く思わぬし、忌むべき国の一つであることは
変わりないけれど、自らの最高指導者である金正恩(キム・ジョンウン)氏を
揶揄した映画を作ったアメリカに対して、猛然と牙を剥き、そのやり口には
賛同せぬけれど、しかし映画上映は中止に追い込んだ。

そして日本はといえば、アンジェリーナ・ジョリが来日して
レッドカーペットを笑顔で歩けば、「アンジー!」と親しみの声が上がり、
テレビもその姿を写して何の批判もない。
映画館に行けば、子どもたちが「マレフィセント」の魔女のコスプレで、
アンジェリーナ・ジョリの大看板の前でピースサイン、
親はスマホで撮影して、はしゃいでいるのである。
私はその光景を見かけ、ほとほと情けなかった。

アンジェリーナ・ジョリは入国禁止措置にすべきであるし、
映画は上映禁止にするべきだと私は思う。一つを許すから、
次が続く。母国で反日活動をやっているタレントが円を稼ぎに
来日しているが、入国させてしまう。
一方の韓国は、日本の政治家が鬱陵島視察に行くというだけで、
空港で追い返しているというのに。
日本の外務省が「アンブロークン」に抗議をしたという
声も聞かない。

日本は、ハリウッドにとってはビッグマーケットの一つである。
その日本がボイコットに出たら、あちらは退く。
しかし、これまで反日映画をスイスイ受け入れ、「パール・ハーバー」という
映画を単なる恋愛映画と思い込んで観る“無邪気な”日本の観客。
だから、なめられ反日映画は絶えることがなく、また世界も構えの
ゆるい日本を見て、それなりの見くびり方をする。
反日映画に出ても役者は批判もされない。

「死の行進」と呼ばれる日本軍の捕虜虐待の話も、日本の若い
女性ジャーナリストが風邪気味の躰で歩いてみたが、なんという 
こともない道のりであったとレポートされている。
私が調べたのはかなり前のことなので、記憶が曖昧だが、
確か「死の行進」と呼ばれるほど過酷な行進だとされたのに、
合間に水泳させたような事実もあったかと思う。間違っていたら
後ほど訂正する。

日本軍が全てにおいて正義感のもとに、清潔に動いていたとは言わない。
どの世界にも痴れ者も変質者も卑怯者も暴力愛好家もいる。
しかし全体として軍規厳しく、整然たる軍隊であり、兵隊の一人ひとりは
気の良さで知られる、まさしく日本人そのものであったろうと、私は
その当時のことを調べるにつけ、残された画像を検証するにつけ、
その思いを深くするのだ。

しかし、日本人。
言われっぱなしで、何とも感じない人たちが増えてはいないか。
どころか、言われるままに「日本は悪いことをした」と思い込まされてはいないか。

世界は日本のようにお人好しで満ちてはいない。自らの罪を
日本になすりつけて平然と、どころか日本を打ち据えてくる国すらあるのである。
消費税反対を言い立てる国民が、出さなくてもいいお金を莫大に
諸“外国”に貢がせられていることには、気づかないらしい。
それらを止め、取るべきところからきちんと税金を取れば、増税の
必要など皆無であることにも気づかないのだろう。

 

「アンブロークン」の内容を一蹴した日本海軍の歴戦の搭乗員たち

フグは「ふぐ」食べたいのだ

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表題はむろんダジャレであるが、いつの頃からかダジャレが
オヤジギャグとして軽侮され、いつの間にか絶滅種に属してしまった。

言葉遊びの部分もあり、切れっ端ながら文化ではないか?
と、思うのだがしかし、よく考えてみるとダジャレというのは
言っている本人が面白いと思っているわりに、聴かされて
いるほうは、ちっとも面白くないのだ。

亡き和田勉さん名物のダジャレを時に朝から晩まで浴びせられていた
私は、聴くほうの疲労感もわからぬではない。
最初は勉さんのダジャレに付き合って、笑っているのだが、
だんだん、日も傾き夜になる頃合いには作り笑いも苦痛になって来るのであった。
取材旅行で一日中一緒だったある時、勉さんが「井沢さんっ、ジャニーズ事務所の連中が別れ際にはねえ」と、おっしゃるので私は一日中のダジャレの洗礼に、
耳が疲弊していたこともあって、「じゃーにーって言うんでしょ」
と先回りしてしまったのだったが、勉さんは「井沢さんっ! 私はねえ、人にダジャレを先回りして言われると不機嫌になるんですよっ!」

それから1時間ほどは、お陰で静かであった。
今もなつかしく、時折思い出す。勉さんとは、信州、鹿児島、マレーシャと
取材でご一緒した。

さて表題のフグは「ふぐ」食べたい・・・・・であるが、食べたいと思い立ったのが
一昨日のこと。思い立ったら矢も盾もたまらず、小説版の「わが家」に登場する
ヒノキの一枚板のカウンターのある老舗に電話したら、「あいにく満杯でございまして」と女将さんが言う。

口開け5時ならなんとかなるだろうと踏んでいたのだが、6時から予約が満杯なので、5時にいらして頂いても、1時間で慌ただしく召し上がって頂く事になりますので・・・・との説明だった。慌ただしくてもいい、と言いかけたがお店にしてみれば、きちんと食べさせたいのであろう。

しかし、脳内はフグは「今ふぐ」食べたい状態なので、チェーン店で展開している店に電話してみたら、やはり口開け5時には空いているが、しかし6時から満杯なのでと老舗の女将さんと同じ説明。
しかし、私がどういう言葉で粘ったのか忘れたのだが、
ひょっとしたら、哀れっぽい声を出したのかもしれない。
「じゃあ4時にいらしてくださいませ」と、私一人でしばらく
大きな店を貸しきることになったのだった。

てっさは、私は肝で食べる本場で子供の頃から馴染んでいるので、
肝の使えないフグはだめである。肝をポンズに溶いて食べたことの
ある人はわかると思うが、味の深みが天地ほどにも違うのだ。

だから、てっさはそこそこ、狙いは白子である。私は塩焼き派である。
大皿に盛られたぶつ切りが、ピクピク動いていて驚いた。
鮮度なのだが、私は実は苦手。活き造りがダメなのだ。
昔から「他者の命を奪って生きる浅ましい人間」というのがあって、
そのために長く拒食症気味であったぐらいだから、今もどこかで
罪悪感と自らの卑しさに嫌悪感がある。
皿で動かれると嫌でも、命を奪って食らっている現実を突きつけられるのだ。

しかし魚はまだ痛点がにぶそうなのと、屠殺場に引かれていく牛ほどの
想像力や勘がないので、罪悪感が薄い。
結局食らうのだから、きれいごとでしかないのだが、しかし極力
やはり四足は避けたく、となると昔の日本人は素晴らしく優しかった
と思うのだ。イノシシやタヌキは食していただろうが、一般的では
なかったろうし。

それにつけ、食した魚たちの供養をする日本は精神性において
本当に高いところに本来はあったと思う。
使った針から人形まで供養をする民族的優しさ。

うまうまと潜り込んだチェーン店の開店前たった一人の迷惑な客であったのだが、私のフグへの愛が伝わるのか、迎えてくれたお兄さんも案内の
和服のおねーさんがたも、とびきり優しく丁寧であった。

悩んだこと一つ。白子は塩焼きかタレの好み選択で、私の頼んだコースには
入っていたのだが、もう一人前白子を単品追加で頼むかどうかということだった。
老舗に比べると、チェーン店のコース価格は三分の一程度なのだが、
必ずしも値段の問題ではなく「身に過ぎた贅沢」は慎みたい。

小さな葛藤の末、結論に迷うときの常の質問を自分にしてみた。
「あなたはこれをしないで、臨終の床で後悔しませんか?」

する、と即座に「後悔する」と明朗な答えが来たので、私はいそいそと卓の呼び鈴を鳴らしたのだった。
2度目の白子は、極上の美味であることに変わりはないけれど、
1度目の感激はもはや薄れていて、これならまだ食したことのない
白子の天麩羅にすればよかったかな、と軽い後悔をしたのだが、
白子を揚げるのはいかがなものか? でも今度きっと2度目の白子は
天麩羅で頼んで、結局塩焼きがやっぱりベストだな、結論付ける気がする。

昨日は、フグ老舗のランチに行こうかと思った。
お昼は鰻重をやっているそうで、評判が大変いい。
女将さんは鰻のことを「おウナさん」という言い方をして面白かった。
「わが家」のドラマ版でも、小説版でも一部この女将さんの
口調を拝借している。

しかしフグ老舗のランチタイムの時間帯が分からず、時間はもう
2時半であったので、また電話してふられるのもつらいので、
そうだ、『チャーハンならうちの店で』と看板を出していた中華に行こうと
思い立った。チャーハンという言ってみれば、あまり当たり外れのないジャンルで、しかし実は結構難しい調理であるチャーハンをわざわざ特筆大書
しているからには、そこそこ美味であらめ。

と、探すのだがありゃしない。方向音痴の私はすぐありかを見失う、というより
私の感覚では建物が私の目の前から姿を消し、どこかに身を隠すのである。
失せ物探しも甚だ不得手。わが家では、実に色んなものが、身を隠したり、
家出したり蒸発してしまうのである。

レスリー・チャンとの2ショット写真など、ある日忽然と消え失せそのうち
ご本人も自死の道を選ばれてしまった。
ウォンカーウァイ監督「ブエノスアイレス」メーキングを見ていたら
レスリー・チャンとトニー・レオンが画面に息づいていて、
私がレスリー・チャンと会って言葉を交わしたことなど、夢のように
思われる。美しい男であったが、素顔は普通。
スクリーンや舞台でふいに輝きを放つタイプなのであろう。
光を浴びるときらめく宝石。
彼の主演である「覇王別姫さらばわが愛」は映画史上に残るであろう秀作である。
内に男性性と女性性を秘めた妖しく不思議な俳優さんであった。
香港に男性の恋人がいたことは知られているが、その一方カナダに
妻子がいたことは、ファンも余り知らないようだ。

方向音痴なので道も迷うが、話も時折横道にそれる。

チャーハンの話だった。
目当ての中華屋に姿をくらまされた私は、「ベーコンチャーハン」という
看板を見つけ、その店への階段を上がっていた。
秘密クラブめかした扉のしつらえに臆したが思い切って引き戸を引くと、
SMの鞭も鞍馬(使ったっけ? 使ったような?)もなく、駅前にしてはだだっ広い店。
カウンターの男と、給仕の女は広東語(中国)を喋っていた。

ベーコンを縮まるまでカリカリに焼き焦がしたのをまぶしたチャーハンを
想像して、階段を上がったのだったが、出て来たのは中国ソーセージ(のごときもの)を小さくぶつ切りにしたもので、失望。チャーハン自体は普通のチャーハンだった。しかし、値段は老舗でフグのフルコースを食べた時の九十分の一だった。

あれも人生、これも人生。

贅沢と質素を織りませながら、ぼちぼちやっていきましょう、と実は分に過ぎた贅沢が好物の私は思ったのだった。

聖夜に神道を学ぶ 明治神宮荒谷卓館長

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結び   神道とその精神性

昨夜、明治神宮至誠館の、荒谷卓館長と会食の機会に恵まれた。

場を設けてくださったかたがいらっしゃる。

館長とお会いするときは、和服と決めていたので、アンティークで

手に入れた黒繻子の襟に、棒縞と江戸町人風で砕けすぎているが、

ずっと袖を通さぬままなので、この機会に着ておきたく、せめてと羽織を羽織って

黒足袋に紅い皮草履という出で立ちででかけた。

早めに行ってお持ちする形にしたのはいいのだが、室内にお入りになられ

取り急ぎの会釈をした私は、早々と掘りごたつ形式のテーブルの下に

足を突っ込み、しかしふと横を見ると荒谷館長は正座していらっしゃる。

おそらく、改めて畳に手をつかれご挨拶の構えだったかと思うのだが、

私はもう足を投げ出していて、パッと敏捷に足を掘りごたつから抜き

瞬時に正座するだけの運動員神経がもう失せている。贅肉で体も重い。

よっこらしょと、改めて正座し直すのもかえって不調法なので、そのまま失礼申し上げた。

礼儀作法は守るほうだとうぬぼれているのだが、館長のような丁寧なご挨拶を

なさる日本人にここ何十年、遭遇していないのですっかり油断していた。

憲法のこと、皇室のことさまざまご意見を賜り、ありがたい夜であった。

みいつ【御厳/御稜威】という言葉を数回使われたのが印象に残っている。

新年、至誠館における荒谷館長の剣さばきを拝見できそうだ。

ご招待頂いたので。

動画「結び」は荒谷館長が神道のエッセンスについて、平易に語られている。

お礼のメールを差し上げたら、ご返信を賜り、

「では、ご機嫌麗しく年の瀬をお過ごしください」

と結びにあった。

亡き大女優杉村春子さんが去り際に「ごきげん麗しゅう」と仰る方でいらした。

この言葉を聴かせて頂くお二人目が荒谷館長でいらした。

「ご機嫌麗しく」。失いたくない言葉だ。

 

以下は荒谷館長について書いた過去の駄文である。

 

ご縁http://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/b77299131cd19b302538843b4734ded4

憲法http://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/0476e78a04e03aa804f52b96739ff735

 

「わが家」取材記事

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毎日新聞 12月25日

 

 

向井理くんからは、面と向かってはあまり言ってもらえないのだが、紙面では随分手放し賛辞で番宣用に盛ってくれたかなあと思いつつも、私は素直に思っていることを語ったので、向井くんの言葉もそのまま受け取ることにしようかな・・・

そのほうがハッピーだし。

役者と作家として相思相愛でよかった、よかった。

次、何書こうかなあ・・・・ってわずかに腹案はあるのだけど。

年上人妻との一夜の行きずりの恋が発端の、サスペンス調恋愛劇。

たとえば。

まあでも役者とのタッグもご縁のものだし、次があるかどうかは知らない。
ありそうな気はするけれど。

村川絵梨ちゃんもいいし(本当に可愛い、素顔も。芝居の質も好き)、田中裕子さん、長塚京三さんもぜひまたご一緒させて頂きたい。これだけ好きな納得できる俳優さんたちと仕事出来て、冥利に尽きる思い。

ところで、久々にちょっと書いてみたいなあと思う役者さん発見。
BLジャンルのコミックで売れている作品だというので、コミックと映画化作品と両方見てみた。「どうしても触れたくない」という作品である。

なるほど、こりゃ売れるだろうなあ、と思った。
かなり非日常設定なのだが、きれいごとに堕さず、生活感の中で
描いていて、コミックは会話もリアルだ。
映画では、原作の生々しいがリアルな会話をカットしていて、そこは惜しかったが。
ノンケ(普通の男)とゲイの青年のラブストーリーで、ノンケのほうが
演じるのが大変である。異性愛の男がある日突然、同性を愛してしまう、
それは現実にない話ではないにしろ、事例は僅少。それをフィクションで
説得力を持って演じるのは至難。

それを、軽くスラっと演じていた俳優が谷口賢志(たにぐち まさし)さんであった。
ご本人は軽くという如きことではないとは思うのだが、演技の
背後の葛藤を見せず、軽々とやれるのが才能なので。
モデルと舞台俳優と、そして映画に出ていらっしゃるようで
37歳ということだが、しきりにこの人に書いてみたい気がする。
久々に素材に萌え感。
素の喋り方その他も見たくてメーキングのDVDを手に入れてみたが、
やはり感覚が面白く、興味をそそられる。
多面体で、色んな側面を持っている人。
何かを引っ張り出せるぞ? と思わせてくれるのだ。
「素」と言っても、役者がいったんカメラの前に立ったら
「素」を「演じる」に決まっているのだけど、それを差っ引いても
面白い。何かがアンテナにひっかかる・・・・・。
来年は舞台を見に行ってみようと思う。
小舞台ばかりなのも、興味をそそる。要するにまだ業界が
未発見の役者さんなのだ。コアなファンクラブはあるようだが。

私がかつての、一線売れっ子で連ドラと単発をたくさん書いている頃なら、
即ご指名で作品に呼んでもらい、世の中に押し出すお手伝いをさせて
頂けたのだけど、今や年間1作の寡作状態なので、思うようには行かぬ。
しかし、書いてみたい。書いてみたいと思える俳優に巡りあうことだけでも
幸せである。どういう役なら一番引良さを引き出せるかな? とあれこれ考える楽しさ、時に苦しむけれど。

脚本というのは役者の性別問わず、脚本家がその人宛てに書く恋文であるときが、一番うまく行く。

向井くん、相思相愛でわしゃほんま嬉しいよ。(俳優と作家としてである、念のため。BLの記述の後に、こんなん書くと誤解されるかも、と今ふと脳裏をよぎったので蛇足。よもや誰も思いはしないだろうけどw)


インバネスとボ-ラーハット

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インバネスが欲しくて三越の和服売り場に出かけた。

もうサイズが不揃いになっていて、普通のウールのインバネスを求めるつもりが

カシミアになってしまった。普通ウールの倍価格である。

今頃冬物を求めに来るのが下手なのだ。

しかし流行り廃りがないので、一生もの。体系の変化にほぼ影響を受けない。手入れが良ければ孫子の代まで伝えられる。購入するときは息を整えねばならないが、結局さして高い買い物ではないことは、和服と同じである。

夏の和服に帽子が好評だったので、冬の帽子も求めた。

「ボーラーハット」で頭部が丸く、山高帽の一種であり英国発祥。

ダービーハットとも言うそうだが、これにインバネスを羽織ると
まるでシャーロック・ホームズだ。
ワトソン役は向井理くんに頼みたい。
求めたボーラーハットはウサギの毛で織ってあるそうである。

写真を写すのが面倒なので、ネットで拾ったイメージ画像で

およそこんなの。

 

インバネスだと和服にブーツでもよさそうな。

明治大正、和服にインバネス、革靴は普通の風俗であったように
記憶しているが、どうだったろう。

洋服にも着られる。

買い物には、ちょっと用件もあったので、着付け「衣香」の糸賀文音さんに
お付き合い頂いた。私が小説中の人物に和服を着せるとき、相談に乗って
頂く方で、「花嫁の父」(小説タイトルは「ゆきの、おと」)でも
お世話になったが、「わが家」でも着付けに関して教わった。

「わが家」より

 

鯛子の母親は着物で店に立っていたので、鯛子も着物は仕込まれていて、友子のまとっているのは千草鼠に南蛮船と小花、白銀の青海波の帯は本綴と素早く見て取り、それに白い草履も趣味のいいことと感心している。

笹島式着付け教室 衣香のきものめしませ 藤沢(湘南台)

http://bebeka.exblog.jp/

「花嫁の父」再々放送

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昨日14時から「花嫁の父」再々放送であったが、報告によると

《ツイッター盛り上がっていましたね。若者たちが、「花嫁の父」ヤバイ、号泣!・・・等等。》

だそうで、3度めのオンエアで嬉しい限り。

この作品で向井理くんと出会っていなければ、新春放送の「わが家」はなかった。

 

 

 

今見るとなつかしく、あちこちからつい画像を拝借した・・・・・

向井理くんと、村川絵梨ちゃんが番宣出ます

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向井くんが1月2日 18時から 「ドッキリアワード」

村川絵梨ちゃんが1月4日 19時 「駆け込みドクター」

小説版「わが家」出足好調です、ありがとう。

年の瀬の雨の日、インバネスで出かけた

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自らのインバネス姿をアップするのも気恥ずかしく、ネットのありもの画像で

代用していたのだが、コメント欄で多大に関心を示してくださった奇特な

方がいらしたので、思い切ってアップしてみる。

お見苦しくて申し訳ないことである。

 

甥っ子とその嫁が博多から上京して来たので、日比谷の蟹を食べさせる店に

連れて行った。

雨なので、着物はテトロンである。

長いこと忌避していたテトロンだが、最近は質も向上して雨の日には

神経を使わなくて済む。

焼肉屋の煙も平気。たばこを隣で吸われても、内心眉を顰めなくても済む。

銀座のおねーさん方、どうしてるのかと思ったら洗える着物をお召しだと

聞いた。ライティングの関係でそれなりの生地には見えるのだとか。

なるほどね。毎夜紫煙の中、安くもない和服と帯がニコチンにやられているだろうと、他人事ながら心配していたので ー笑ー

それにしても、女性が見るから高価な和服を着ている場合、男は

焼き肉や鉄板焼きには連れて行かぬよう。教養です。

いや偉そうには言えぬので・・・・・実は一度私がやられて

思い知ったのである。

安くはない和服を来て出かけたら、編集者が連れて行ってくださったのが

焼き肉。ぶきっちょな私は脂身を膝に落とし、数万円と1ヶ月もかけて

洗いに出したことがある。

もっとも数万円は、某有名クリーニングチェーンの価格で

専門の店に出せばうんと安いようだ。

いや、クリーニングは数万だったかなあ? 2万円?  だんだん自信が

なくなって来たが、安くはなかった記憶。

写真だが、帽子はウサギの毛を編んだ英国製。

インバネスは多分和製で、カシミアである。内側に「井澤」と

旧字体で刺繍していただいた。

カシミヤは軽く、そしてコートに更にケープを

羽織った形で、暖かい。よく考えたものだ。

ふとロンドンの石畳に馬車の音が聞こえる気がした、雨催いの曇天であったし。

草履も雨の日用の安物。

 

紙袋の中身は甥っ子の嫁が持ってきてくれた「糸島産あまおう苺」をねりこんだラスクが入っている。

甥っ子はまだ二十代半ば、嫁もそのくらい。

合コンで知り合ったのだそうな。お互い気が進まず出かけたら、運命の人が

そこにいたようで、半年後には結婚。

赤ちゃんが生まれた後に式と披露宴はあり、それに出たのが今年のあれは

いつだったか。単の和服で出たので暖かい頃である。

甥も嫁も若いので、お年玉を渡した。

赤ん坊にはレッグウォーマー。

蟹は毛蟹とたらば蟹とが入ったコースにして、更に一人前毛蟹のフルコースを頼んでこれは3人で分けて食べた。

これで私の三大好物、伊勢海老(鳥羽で)、ふぐ(神田で)、毛蟹(日比谷で)と早々と全て食して満足。

 

ちなみに、日本にあるほとんどすべてが、我が国の発祥でそれが日本に伝わった(日本刀や忍者まで!)と主張する某国が、折り紙もわが国発で

日本ではないと言っているようであるが、それはない。

端的にその国の民族服と和服を並べてみれば良い。

折って畳んでまた折っては、まさしく和服の畳み方。

帯の複雑な結び方も折り紙である。

彼の国の民族服はもっと単純であろう。

風呂敷も、とかの国は言い張っているが・・・・・いや風呂敷の多彩な

使い方結び目も日本独自であろうし・・・・・布一枚のことだから、あるいはお互い

別々に発祥していたのかもしれぬけれど・・・・・感覚的には

「和」だよなぁ、と私は思う。

ダウン

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正月早々気勢の上がらぬことであるので、黙っていようかと思ったのだが

新年のページ、真っ白で挨拶抜きも変かもしれない。

実は31日に風邪でダウン。「わが家の」サブプロデューサー深迫さんから

「風邪ひきました」というメールを受けた直後であったので「携帯通して

伝染された!」と私はクレームメールを出したのであるが、

無論原因は他で、歳末に部屋の空気を入れ替えようとあちこちを

開けはなち、日が陰ってからもそのままに、そしてうっかりベッドで

寝てしまったのだ。

ゾクゾクっと来て目覚めた時は遅し、頭痛、吐き気、鈍痛、おまけにしゃっくりー笑ーと

昨夜から悩まされ中。

ふぅふぅらしているので、パソコンにもやっと向かえた次第。

年のはじめになんと、しょぼい話でもうしわけないことである。

皆様がご多幸の年であらせられるますることを。

4日の「わが家」よろしくおねがいします。

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