起き上がれず、元旦は終日ベッドの中。
割に風邪には耐性があって、一晩寝れば快方に向かっていたのに
これだけ酷いのは久々。
起き上がれず、元旦は終日ベッドの中。
割に風邪には耐性があって、一晩寝れば快方に向かっていたのに
これだけ酷いのは久々。
今日もまたベッドの中。
食欲皆無。アイスクリームと、プリン、スポーツ飲料のみ。
胃の調子が久々、悪く重い。
動けないのでテレビばかり見ている。
あいにくまとめ借りしていたDVDも底をついた。
たまたま向井理くんが「わが家」の番宣のためバラエティに出ているのを
見た。
いよいよ、明後日放送か・・・・・。
(コメント欄にお見舞いのお言葉ありがとうございます)
30日にダウンして、今日までほとんどベッドの中。
お陰でテレビとDVD浸りで多少の勉強にはなった。
向井理くんが「わが家」の番宣のため、バラエティに出るのは知っていたが
番組名も日も失念していたのが、つけっぱなしだったテレビで
たまたま見ることができた。
「いいセリフがいっぱい」と宣伝してくれていて、まあそれって脚本のことだよね、
と「瀕死の床」でいささか血色が蘇る思いだった。向井くんありがとう。
明日のオンエアは出来れば、健康な状態で全国の見てくださっている方々と
思いを共有しながら見たいと願っていたのだが、この調子だと
放送の夜9時までには本調子に戻りそうだ。
ベッドを離れたのが、本日の午後。
風邪も一晩寝れば峠を越すような至って健康には恵まれここ20年間ほどは
過ごして来たので、健康のありがたみを改めて思い知った。
以前、入退院を繰り返していた頃病院で巡りあった青年の
「なぜオレだけがこんなつらい目にあって、死ぬんです?」
という言葉と表情がいまだ、耳に目に残っている。
抱きしめたかったが、私の心も躰も強張って、出来ずに終わった。
自身の体験と思いの井戸から汲み取りながら物を書き、
またこの世界の生きとし生けるもの全てから、時には動物と
植物をも含め思いの波動を共有しながら、私は物を書かせて
頂いている。
たぶんあと24年間、私は書き続ける。
一心に努めれば少しは進化もし、神の片鱗と触れ合うごとき
作品を一つは世の中にお届け出来るかも知れぬと、
それを励みに修行しようと思う。
「花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける」 古今和歌集 紀貫之
「英文脈」のセリフを、脚本の書き始めの頃は書いていたことがある。
英文脈というほど、ご大層なことでもなくまたさほどの英語力を有しているわけでもないのだが。
ことの発端は豪州シドニーに二十代前半暮らしていた頃、日本大使館の主宰で日本映画週間が設けられたことがあり、日本映画をオーストラリア人たちの中で観たことがある。日本人はほとんどいない。当時のオーストラリア自体が日本人にはまだ未知の遠い国であった頃だ。
白人たちと、息をひとつにして画面を見ていると自ずと彼らと共に呼吸を共にしているせいか、感覚が同じになって来る。彼らが思わぬところで失笑するのだが、私も感覚的になぜ失笑するのかは理解出来た。日本で日本人の観客として見ていたら、分からなかった箇所である。
字幕の翻訳の巧拙も無関係ではなかったとは思うが、しかしながら失笑や揶揄とは無縁に白人観客の感情が、映画の作り手の意図のまま運んで行かれたのが、黒澤映画であった。
作りがロジカルだからだろう。過剰な日本的情緒に溺れず堕さず、論理的構築であるという点では、全く肌合いは異なるが小津映画とてそうだ。
前者は世界スタンダードで作られ(おそらく黒澤監督の感覚自体がそうなのだ)、後者は日本を追求することで、世界スタンダードに達した。後者には溝口健二監督もいる。
前ぶりが大き過ぎて、自作を語りづらくなってしまったが、シドニー体験が私の脚本家としての原点となっている。すなわち、海外に出して失笑を買うごときセリフは書くまい、と。
そういう理由で、いったん英語のダイアローグを脳裏に書き、それを日本語にいんたプリートするごとき感覚で新人の頃は書いていた。あくまでも「感覚」であり言葉で言うほど、英語に堪能なわけではないこと先に述べたとおりである。
英文脈のせりふを、いつしか忘れ果てていたのだが今回の作品「わが家」では、久々に少々意識してみた。英語的セリフがさりげなく、少しずつ散りばめられてある。
というわけで、最後はスタッフの一人としての義務である番宣で締めさせて頂く。
本日夜9時より2時間、「わが家」(TBS,MBS系列にて)
見ていただいた上に、たくさん感想まで賜りありがとうございます。
お一人お一人にお返事はさし上げていませんが、書き込まれた言葉に託された
それぞれの思いを丹念に読ませて頂いています。
ありがとうございます。
岩下志麻さんから、「わが家」の感想メールを頂戴し、私信なので
無論公開は出来ないが、向井理さんを激賞してらしたので
ファンの皆さんには一言お知らせしておこうかな、とふと。
岩下さんの他にも、
向井さんの代表作になるのではないか、とか・・・・・
ドラマの中ではもう向井理が消えて、一歩しかいなかった、とか・・・・
他の方々からも向井さん賛辞を私宛にも頂いているので、そこも
お伝えしておきます。
2015年。平成27年。皇紀2675年。
年頭にあたって今年度の「予言」めくと占星術師のようだが 笑
私のは頭で予想できる単純なことである。
まず、戦後70年目であるという節目。そこに連動して日韓国交正常化50周年であるという節目。
節目だが、寿(ことほ)ぐたぐいの節目ではなく日本貶めが更に盛んになるであろうと思う。
そこは覚悟しておきたい。
自虐史観は新たな力を得て、韓国は国際社会に捏造厭わずアンチ日本ロビー活動に更に精を出し「正しい歴史認識を持て」と日本に迫ってくる。それに呼応する日本国内のある勢力。
日本貶めの胎動は思わぬ場所から新年早々、発信されているけれど、これが皮切り。
衆院選の結果を見ると概ね予測通りとはいえ、まっとうしごくな政治家がはねられる様、愕然とするばかりであり、暗澹たる思いにとらわれるが・・・・・・・
どれだけまっとうな日本人が、日本人として状況に対峙していくかが今後の命運を定めるのだろう。
何度か表明していることであるが、何が何でも日本が一番というごとき偏狭なナショナリズムをふりかざず意図は皆無。そんな恥ずかしいことはしない。
ただ・・・・・神道(すなわち日本と、日本人の精神性そのものである)が、行き詰まり状況にある世界の価値観に風穴を開ける可能性を感じることもあり、「日本」を大切に、と言い続けている。
文化や倫理観を含めての広義の「日本」ないしは日本的なるもの、である。
単なる風邪ならいつもは、一晩寝て翌日は峠を越しているのに
今回は酷かったなぁ、ひょっとしてノロウィルスだったのかもしれない、
などと今頃のんきに思いつつ・・・・
たまたま面白げな“ウィルス・プロテクトグッズ”をコンビニで発見、求めた。
名刺の半分ほどのサイズのカード形式なのだが、室内に置くか、
ストラップで首から吊るすだけで、周囲にウィルスへのバリアゾーンを
形成するという。
魔障を寄せ付けぬ結界のようなものか。
効能惹句はこんなふう。
「機能性二酸化塩素発生剤が拡散しウイルスの除去、除菌、消臭が出来る携帯型ウイルス対策グッズです。この二酸化塩素ガスが身の回りの空間に拡散してウイルスやさまざまな菌を除去します」
「アルミ袋の中に入っている機能性二酸化塩素発生剤が空気中の成分と反応し二酸化塩素ガスを発生し身の回りの空間を除菌・消臭します」
早速いそいそと購入。人気商品なのか、たまたまだったのか、コンビニの棚には
1個しか残ってなかったので、まとめて1年分ネットで注文。ついでにスプレータイプの液体も。(私は常に扱いやすい消費者である。テレビ通販にも、やすやすと乗ってあげる良顧客である)
二酸化塩素ガス発生グッズは、幾つかのメーカーのがあるが、効くかどうかは知りませぬ。人によっては気分が悪くなるとかの報告もあり。
私は今のところ未体験なので、お守り、気休めレベル。
ネット注文すると、期限切れ間近なのを送りつけられるケースもあるらしいので
用心をと言いつつ、私のがそれだったら報告する。笑ってやってくれ。
精油だと、ユーカリが有効だと思うがこれも効き目のほどは今ひとつ、分からぬ。
日本国憲法について、日本人が作った、いやアメリカからの押し付け憲法であると議論があるが、これはマッカーサー率いる占領軍が草案を作った、というより抵抗できない日本に押し付けてきた憲法であると見るのが正しいと私は思っている。
GHQの公式文書にもその旨記述があるし、国会図書館には確か草案の原文が所蔵されていたように記憶している。自主憲法制定派はむろん、アメリカ主導の「押し付け憲法」であるとの認識に依っての主張である。
押し付けであろうと、いいものはいいではないか、という議論もあるが今日はそこには踏み込まない。
明治神宮至誠館、荒谷卓館長から頂戴したメールに添付してあった館長の「自主憲法論」を転載させていただくので、各自調べ考えられたい。
「自主憲法制定と憲法改正は同義ではない」という館長の立場をここでindexとして紹介するに止め、私の感想は敢えて挟まない。過去、憲法がGHQ製であることは、白洲次郎氏などの言葉を引いて検証を試みたことがあるので、関心がおありならそちらを参照されたい。
http://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/0476e78a04e03aa804f52b96739ff735
自主憲法の制定は国民の課題
荒 谷 卓
44年前、三島由紀夫は「檄」において、議会政治下での憲法改正(自主憲法の制定)はもはや不可能であると喝破して、自衛隊の行動に唯一の好機を期待した。
その後、「自主憲法制定」は、保守陣営の選挙票を期待する政治家の謳い文句として定着した感がある。現下の政治状況で、法的・民主主義的手続きをもって粛々と為しえる憲法改正は、国民の意識や政局以上に、米国並びに米国属日本人の影響力が大きいと思われる。彼らの憲法改正の最大の関心は、米国の戦略下に世界全域で自衛隊を米軍の指揮に入れて運用することだろう。自衛官を市場主義者(うしはく者共)の権益を保護する尖兵として戦闘させることは、断じて許せない。
自主憲法制定と憲法改正は同じことではない。自主憲法とは、わが国の伝統的価値観をもとにした憲法であるはずだ。三島由紀夫は「第一章「天皇」の問題と第二十条「信教の自由」に関する神道の問題を関連させて考えなくては、折角「憲法改正」を推進しても、却ってアメリカの思う壺に陥り日本が独立国家として、日本の本然の姿を開顕する結果にならぬと、再三力説した。」
私は、日本国の自主憲法の在り方について考えるとき、次のような視点が必要だと考える。
先ず、現在一般的に使用している「憲法」という法概念は、18世紀の近代啓蒙主義の中で誕生したネイション・ステートの統治原則を定めるために、欧米の近代諸国家が採用した地域的にも時代的にも独特の法概念である。
他方、日本のように、近代以前から国家として成立し法秩序を持って国家を運営してきた国々には、異なる統治の法が存在した。
しかし、弱肉強食のルールを正当化した欧米露諸国の力によって、彼らの独特の法概念が世界の法概念として標準化されてきた。
日本も、幕末に彼らの力に抗することができず不平等条約を強要された。しかし、欧米露諸国と対等なる主権国家として扱われない状況を打破する意思が日本国民から沸き起こり、明治維新によって政体を欧米式近代国家へと転換することで、彼らと対等なる主権国家としての立場を求めた。
そのような情勢下にあって、如何に日本の伝統的法秩序を保全しつつ、彼らの法概念を取り入れるかに苦慮しながらも、明治天皇を中心に日本国民が叡智を絞って作成した憲法が「大日本帝国憲法」である。
その後日本は、欧米露諸国家以外では例を見ない国際的政治力を持つ主権国家に成長したが、政府及び軍部が憲法の運用と戦争指導を誤り大東亜戦争で敗退した。
米国の占領下に、米国の主導により「日本帝国憲法」の改正と言う形態で「日本国憲法」が制定された。しかし、その内容は、日本版「権利の章典」のようなもので、天皇陛下の御位とともに日本国民の伝統的法秩序は米国の法概念の下に貶められた。これこそが、彼らが日本に戦争で勝利した最大の成果であろう。
欧米諸国は今、「市場原理による自由競争」を世界秩序として世界中の国々に強要している。金融・経済・貿易の国際自由協定が、国家の法より上位に機能する世界秩序である。
これは、必然的に国家の統治に大きな影響を与える。協定を違反したと判断されるとギリシャやイタリアのように、国家の統治権そのものが国民の手から奪われ国際機関に移管されるのだ。
「市場原理による自由競争」による世界秩序がこのまま進展すれば、ネーション・ステートの憲法は、投資や貿易等の国際自由協定と言う国際法の下のローカル・ガバナンス的役割(国家とよばれる地域を市場ルールの下に管理する程度)に過ぎないということになろう。
以上のような視点に立つと、日本国民の伝統的法秩序を貶める思想信条に立ち、かつ、国際秩序に身を任せる現憲法の性質では、もはや日本国家は国民の生命・自由・財産すら保護できない。このような現憲法の修正は、世界秩序の下のローカル・ガバナンスを強化するだけで、日本国民にとっては、なんら積極的意味を持たない。
自主憲法は、「大日本帝国憲法」の叡智を踏まえつつも、それ自体に戻ることは困難である。なぜならそれは、米国(連合国)の戦争勝利を否定することになる。日本の憲法(国体)を変えたことが米国の戦果そのものである。大日本帝国憲法が復活するということは、改めて連合国に宣戦布告をすることになる。
しかも、国際環境が、市場グローバリズムの時代に変わっているのに、国家至上主義時代へタイムスリップするようなものだ。おそらく、ドイツがナチスドイツに戻るのと同じインパクトを世界に与えるだろう。国際的な大儀がなければ戦いにならない。
また、国内的には、やむを得ざる状況下で辛苦を乗越え国家国民の安寧を第一に考えられた昭和天皇、今上天皇の御事跡を否定あるいは無視することになる。このようなことは、日本の伝統に反する。現憲法の問題解決のため、元の憲法へ戻すという短絡的発想は戦略的にも戦術的にも選択肢たり得ない。
そもそも、明治の時代、真に日本が成したかったのは、近代欧米諸国の強要する法概念にとらわれず、日本の伝統的法秩序の正しさを国内外に宣布することではなかったのか。
「諸事、神武創業の始めに原づき」。それは、自国(個人)の権利を主張し国益(個人益)の増進のみを優先する近代憲法の思想ではなく、万民が家族のように助け合い共に成長する天下の家(社会)を構築する『八紘為宇』の思想であったはずだ。
そして、この共助共栄の文化思想は、行き過ぎた自由競争主義を経験した現代だからこそ、世界の人々から賛同を得られる「新しい人類思想」としての可能性を含んでいる。
われわれは、列強に強いられた不平等条約の是正のためやむを得ず立憲国家の政体をとらざるを得なかった明治の歴史、伝統国家を断絶され現憲法の屈辱も受け入れざるを得なかった苦い昭和の歴史を受け止めた上で、将来の日本を正していかなくてはならない。
君民一体となり天壌無窮の弥栄を祈念する憲法を制定するのであれば、建国以来、真にわれわれ日本人が望む社会の根本原理を憲法として示すべきではないか。
神武建国以来、日本人無意識の中に育んできた『八紘為宇』の伝統的社会文化、すなわち、「君民が心を一つにして、共助共栄の家(社会)を発展させ、苦楽を共にし幸福を分かち合う国家の創造」を国民の憲法として謳うべきであると考える。
武道の段位は、合気道六段、銃剣道三段、空手道初段、柔道初段。この他にも、世界各国の特殊部隊の近接戦闘術を習得した。稲葉稔より鹿島神流剣術を学び、明治神宮で折りに触れて演武を披露している。
今年の予測として、年頭に次のように書いた。
まず、戦後70年目であるという節目。そこに連動して日韓国交正常化50周年であるという節目。
節目だが、寿(ことほ)ぐたぐいの節目ではなく、日本貶めが更に盛んになるであろうと思う。
そこは覚悟しておきたい。
自虐史観は新たな力を得て、韓国は国際社会に捏造厭わずアンチ日本ロビー活動に更に精を出し「正しい歴史認識を持て」と日本に迫ってくる。それに呼応する日本国内のある勢力。
アンジェリーナ・ジョリの「Unbroken」に関しては、もう書いたし不快感も表明したので、なるべく報道は目にしないようにしているのだが、それでもパソコンをいじっていると、嫌でも見出し程度は目の端をよぎる。
「Unbroken」が日本で反感を持って言われていることに対してこの女優は、
「気にしない。真実を日本人の前に出したことが重要」
と答えたそうな。
商売しに日本に現れる時はニコニコと愛想を振りまき、ファンに振ったその手で、日本人が人肉を食らっていたという日本貶め映画の監督。いい根性である。
人肉喰らいが果たしてどれほどの確率で事実としてあったのか、資料は何を用いたのか、それが捕虜体験者の証言だけによるものならあまりにも杜撰で無責任。彼らが往々にして誇張と虚偽を述べることは「死の行進」他で実証済み。
それよりも、なぜ日本だけをあげつらうのか? 委細を語れば他国の悪口になるので控えるが、カニバリズムが本格的に存在した国は日本ではない。
寧ろ忌む。飢餓の極限状況を言うなら、それは何処(いずこ)の国とても。
それに「人道的見地」から戦争における非人間性を告発するなら、
なぜ自国を避ける? いちいち上げないがアメリカによる、胸の悪くなるごとき
蛮行が世界の各地である。原爆投下、大空襲はどうした。
この女優の背後に組織を感じる。感じだけで、検証する術は知らぬ。
(傍証としてはいくつかある)
いまだ日本を敵国と見なす敵国条項(Enemy Clauses)がある国連と密ではある。国連は日本人が思い込まされているほど、平和の組織ではない。
いずれにしても、今この時期。
彼女の反日映画の公開が、日本へのネガティブキャンペーン氾濫が予想される
今年という時期にぶつけられたこと、卒爾(唐突)ではなく
意図的必然だと私は思う。
昔、新しい炭鉱を発見して炭鉱夫が入って行く時、先頭の炭鉱夫は
鳥かごを下げていた。
人間が感知し得ない、炭鉱内の有毒ガスをカナリアがまず感じて
騒ぐから、そのためのカナリア先導であった。
ネットは随分貶められ軽んじられることが多いが、しかし
あれれもないほどの真実が100の真砂の内、一粒混じっているのが
ネットである。
チュニジアにおける民主化運動、ジャスミン革命はネット発であった。
知覚が鋭敏で、情報収集力と分析力に長けたブロガーがまれにいる。
彼らは世相のカナリアである。
現在の社会的常識ではよもや、まさかと思われることを時に彼らは
裁断し「予言」する。
彼らの言うことに思考停止の世間が従(つ)いて行くまで、3年から5年のタイムラグがある。
玉石混交のネットの大海から、一片の真実を掬い上げる事のできるのが
現代の教養であると思われる。
賢明なネット渉猟者でありたい。
昨日11日、明治神宮・至誠館における「武道事始」に参列させていただいた。
軟弱な私に似気無(にげな)いことであるが、至誠館館長でいらっしゃる
荒谷卓氏にお招きいただいたのだ。
道場前の廊下で出会った荒谷館長はすでに白装束でいらっしゃり、私がインフルエンザで臥せっていた事をご存じなのか、しきりに体調を気遣って頂いた。
160畳程度であろうか、広い道場には暖房もなく、背中から冷気が押し寄せ、足元から這い上がり、震えすくみながら、若い男女の門下生たちに混じって、鹿島流祓いの太刀他の演舞を拝見した。
私は客人扱いしていただいたので、椅子であるが皆さん硬い床に正座である。
白人もいて聞けば、ポーランド、ロシア、イギリス、ノルウェー、スイス、ドイツ、フランス、チェコにも門人がいて、ここを訪れるという。
4,5歳かと思われる日本の子たちも、きちんと正座していて頼もしかった。
演舞はまず、神官の祝詞の始まりそれから一門要人の方たちの玉串奉奠で始まり、その後国歌斉唱だった。そして日本の武道へと連なったのだが、礼に始まり礼でおわる演舞を拝見しながら、日本の武道の特殊性・・・・というより卓越性をやはり思った。
礼儀作法が伴う武道。そこには神道の裏打ちがあり、相手の魂への敬意がある。太刀に憎しみは伴わない。
何やら武道はじめあれこれの発祥を自国だと強弁して喧しい国があるが、
彼らが決定的に模倣剽窃出来ぬのは武道に伴う精神性であり、様式に昇華された美意識であろうと思われる。
武道の「道(どう)」、が彼らには欠落しているのである。
華道、茶道いずれも同じ。いくら形をなぞろうとも、それに精進し宇宙万般の深奥を極めるに至る「道(みち)」がなければ、形のみ真似た武道や、華道茶道の形骸でしかない。
道場から弓道場へと場所を移し、片肌脱ぎで的を狙う人の姿に、
いずれかの時代にタイムスリップした思い。
的の据えられた中庭には、うらうらと冬の陽が照りわたり、遠くから
都会の騒音がそれでも、遠い潮騒のように聞こえて来る。
臥せっていたので、昨日が初詣であり本殿へと向かったのだが、
花嫁道中と出会った。神官に和傘をさしかけられながら、
しずしずと歩みを進める綿帽子の花嫁は、さながら純白の花だった。
冬の空は青々と高く、木々の息吹も青く清々しく、ようよう新年を
迎えた思いであった。
それにしても、神事や武道にまつわる言葉を知らない。
日々語嚢(ごのう)を豊かにすべく、言葉の渉猟はおさおさ
怠りはないつもりなのだが、ちょっと知らぬ世界へ足を踏み入れると
お手上げである。
上記の拙文も、実はごまかしながら綴っている。要するに該当語句を
知らぬので、「中庭」など当たらず触らずの言葉でぼかしているのである。
祓い太刀という使い方も正しいのかどうか、自信がない。
「和傘」は間違いないが、適切な言葉がきっとある。
「椅子」と表現したが背もたれのないそれには、他に正しい名称がある。
神官の衣装にしろ、何にしろ表現できないのだ、言葉を知らぬばかりに。
浅沓(あさぐつ)という言葉を知ったのは、靖国神社さんに訪れるようになり、
それに関する一文を書く必要に迫られてからである。
思うに対象を正確な言語で表現するまで、その対象を手の内に
入れたことにはならない。
言葉を一つ手に入れれば、その分世界が広がる。深くなる。
文中「おさおさ」などというもはや古語めく言葉を用いたのは、
万葉記紀もまた忘れたくないからである。
言葉が最小限の伝達のためにだけ単なる記号化しては、
日本人は日本の精神性を失うことになる。
憲法改正、あるいは自主憲法制定論に私がおぼつかなくながらも
傾くのは、実は日本国憲法の文章としての醜さもある。
憲法は本来の規矩(きく)正しい日本語であらまほしい。
本来世界でも類例のないほど、豊かな言語を持つ国が日本である。
そのことを自覚、言葉を大切にしたい。
国語が乏しくなるに連れ、国の心も貧しく痩せ細る。
以下は、至誠館に関する資料である。
http://www.meijijingu.or.jp/shiseikan/topic/index.html
明治神宮は至誠館における「武道事始」を見学させて頂いた話は
書いた。
合気道の演武もあったが、演舞で高速度撮影風のスローモーションで
解析的に演じてくださると、小柄な女性が大男を投げ飛ばすのも
なるほど、不可能ではないなと得心される。
私の勝手な想像なのであるが、合気道というのはおそらく
敵対ではなく、むしろ相手に合わせてその力を利用するのでは
なかろうかと。合気というのは「気を合わせる」ことなのではなかろうかと。
ざっと、調べてみたら当たらずといえども遠からずというところだろうか。
合気道の創始者植芝盛平をWikiで当たってみたら、
「合気道」とは「天地の“気”に合する道」の意、とあった。「小よく大を制することが可能である」と。
技の稽古を通して心身を錬成、自然との調和や世界平和への貢献を理念とするのだという。
これは日本の武道全般に通じる理念であり、世界に類例を見ない優れた感性ではないかと思うのだが、どうなのだろう。
西欧の騎士道は人間相手であり、宇宙の森羅万象と向き合う精神的深みはない。
こうして御託を並べている間に、とっとと合気道の初歩でも始めればいいのだが、さすがにもう手習いは遅かりき。
植芝盛平は出口王仁三郎の信奉者であったそうで、これは意外だった。
出口王仁三郎は、宗教の分野の巨人である。
修行中に、黄金の光りに包まれ宇宙と一体化するという神秘体験を
経ての合気道であるようだ。
面白い。
体と精神を別物に考えるのは西欧の二元論だが、東洋では
心身不二と説く。
魂が肉体の容れ物から離れてしまえば、肉と魂は分離して別物だが、
呼吸がある間は不即不離の関係であろう。
「生き」はすなわち「息」であろうか。
私が文部科学大臣だったら、児童に日本の詩歌を音読暗唱させ
日本語の響きの美しさを体にすり込むと同時に、語彙を豊かに
させるが、体育には合気道を取り入れたい。書道の時間を増やしたい。
茶道も学ばせたい。
勉学が全て「道」に連なるような学習カリキュラムを夢見る。
日本を極めることが、実は世界に通じる。
本当のグローバル化とはそういうことであろうと思われる。
毎日新聞に寄せた書物の短評である。
掲載済みだとのことなので、転載する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
高倉健著『あなたに褒められたくて』(集英社)を今頃読んだ。
こんな大俳優の主演映画のオファーを、にべもなく断ったことがある。しかも新人の頃である。健さんが気に入られたのか、私の書いたテレビ・ドラマを見ての注文だったらしいが、健さんが映画を撮っているロケ地に来てくれと言われ、人に物を頼むのに、出て来いはないだろうよと、ツムジを曲げたのである。若く、素敵に愚かで傲慢だった。
健さんの良さを全く知らずにもいた。任侠映画全盛期の七十年代前後。大学生であった私は、安保闘争にも無関心で、豪州を放浪中、当時が盛りであった健さんの任侠映画を見たことがなかった。私は「高倉健という時代」に乗りそびれた乗客であった。健さんに何を書けばいいのよ、「北」に「忍耐」に「男」かよ、つまんねー、とも思っていた。
著書の中、健さんは「とっても」という言葉を多用している。健さんにしては、柔らかな肌合いの表現である。思うに、最も女性的な女というのは歌舞伎の女形であり、最も男らしい男は宝塚の男役なのではないか。
「らしさ」を計算で創造するという意味で、健さんは「男」を銀幕でストイック表現すると同時に、実生活でも男を演じ抜いた方なのかもしれぬ。
最近DVDで任侠ものを初めて見たが、萌えなかった。耐え抜いた男が、ついに白刃をひっ掴み寒風をついて、着流しで敵陣へと孤独に向かう。しかし現代の悪者はあんな分かりやすい顔をしてはいず、独りで闘える時代でもない。
著書の中、ポルトガルの寒村で健さんは絵葉書を書く。「あなたのことをとっても思っています」と。だが絵葉書は出されない。なぜなら、それは具体的な誰かに宛てて書かれたわけではなく、絵葉書はトランクに入れられ、日本に持ち帰られやがて忘れ去られた。
この一行を読んだ刹那、私は恋に落ちていた。
今なら、健さん、私はあなたに最高の脚本を恋文として捧げられる。来いというなら、どこへでも。でも、どのロケ地を訪ねても、あなたはもういない。
高名なイタリアの女優さんが逝去されたそうで、
私などは隆盛期にオンタイムで銀幕で拝見していた方である。
が、晩年の画像の変貌ぶりが息を飲むほどだった。
華やかだったお城の廃墟を見る思いで、そぞろ無常の感に打たれる。
男優も若いころ美貌であった人の凋落ぶりがすごい。
まるで人生の儚さを教えるように、無残に崩れ去る。
それにしても、日本の男女優のほうがきれいに保つのはなぜだろう。
数年前にお会いした山本富士子さんは、その時も間近に拝してお綺麗だったし・・・・
池部良さんや、あと誰だったか、比較的綺麗に保たれていたように
思う。
食べ物のせいなのだろうか?
肉食が多いと老化が激しい気がするのだが、どうなのだろう?
根拠があって言うわけではない。
ふとヒッチコックの映画を見たくなって、「フレンジー」「ロープ」と立て続けに見た。
楷書体で描かれたサスペンスで、いまだにお手本であろうと思われるが現代のサスペンスの毒々しさに比べて、大人しく犯人さえ品が良い。スリル感は食い足りないが、その代わり人間の心理を細かく追うので飽きはしない。
「ロープ」にはジェームス・スチュアートが出ていた。この方の「翼よあれがパリの灯だ」を見てファンレターを出したのが、中学生だったか高校生の時だったか。
驚いたことに、万年筆の直筆でサインと短いコメントを入れたモノクロのポートレートでお返事が来た。
今のように、世界が狭くなく日本の銀幕スターもそうだったが、ハリウッドのスターさんなど、雲の上の人々だった頃であるから、地方の少年にとっては地を揺るがすほどの大事件であった。
ジャームス・スチュアートの署名入りポートレートは自分のアルバムの間に挟んでずっと長いことあったが、今はどうなっているだろう。
「フレンジー」の俳優さんの名前を顔も知らなかったので、調べてみたら
(名はもう忘れた・・・・・ジョン・フィンチだ)自宅で70歳で逝去、原因不明とあった。
原因不明が気にかかる。
スクリーンでは輝くほどのセクシーな美丈夫である。共演の、フルヌードをさらした女優がメーキングのインタビューに応じていたが、メロンがしなびた蜜柑になっていた。
人生は本当に儚い。
長いこと年賀状のやりとりがあった女優さんからの年賀状が
いつの間にか途絶え、そういえば最近見かけないな、とある日ふと気になって調べてみたらすでに逝去されていて、自宅で死亡しているところを発見とあり、その方は独身でいらしたので、どうなさったのだろうと今更ながら胸が塞ぐ思いをしたが、死はどういう形にしろ死である。
住み慣れた自宅で去られた、という意味ではよかったのかもしれないと思い直した。
私は「孤老死」という言葉に、余り過剰な悲劇性をまとわりつかせたくない。病院で管に繋がれて延々と生き延びるのとどちらを選ぶかともし問われれば、私は「孤老死」を選ぶ。住み慣れたわが家で事切れるのはある意味幸せなのだし、苦しむ時間がなかったのならむしろ僥倖。息を引き取った時に周辺に人がいなかったというだけで、独りで充実して暮らすことの出来る人々もいないわけではない。一括りに不幸呼ばわりも失礼ではなかろうか、と私は思うほうだ。
死は歓迎すべき卒業の時、という感覚であるので、人と多少考え方が違うかもしれない。「もういくつ寝るとお正月♪」という歌を私は死を思う時、思い出す。
指折り数えてその時を楽しみに待っている節がある。
「もう幾つ寝るとご臨終♪」
二十代の頃からだから、随分待たされている。
この間いとこの夫婦に自分の病の場合と死と葬儀について、軽く遺言したらだいぶ気が楽になった。墓は要らぬし、骨は不燃物で捨てて貰っていいが、残されたほうはそうも行かぬので、まあ適当にということで墓は自分で用意したのがあるが、東京から離れているので弟のところの墓に納めてもらうことにした。
死後あんな辛気臭いところに、私は立ち寄りもせぬし、まして居続けはせず、とっとと他へ行く。
篤い病の時は、出来れば放置そのまま逝かせて欲しいが(これも二十代の頃から考え変わらず)、だが周囲はそうも行かぬので、過剰な延命措置は絶対に止めて欲しい、とだけ伝えた。
管で栄養を注入するようになったら、私には逝き時である。
どうぞ邪魔をしないで欲しいのだ。この世での命をたかだか数年延ばして何になろう。
私の場合はであり、それでも生きたい、生きていて欲しいという人々も
いるのだろう。
献体すると、死後処理の物理的な厄介が消えるのだっけ?
近親者の同意書と判子が要るそうなので、今のうち作っておくのもいいかもしれない。
死を語っていると心が安らぎ、少しわくわくする。
一般からすると変なのだろうが、私にとって死は祝祭である。
ただ、好きな人が去るのは寂しく悲しいから、妙なものである。
小説版の「わが家」で描写した、ひのきの一枚板のカウンターがある店に
昼食を摂りに行って来た。
ふぐ料理を商うが、昼間はうなぎである。
一度わざと時間帯を外して行ったのだが、遅すぎてもう火を落としたと言われ、
今度は用心して、12時前に赴いたのにひのき一枚板のカウンターはもう
スーツ姿が鈴なり。オフィス街の人々であろう。
「二階でご相席どうぞ」
と言われ、急勾配の狭い階段を手すりにすがりながら上がったのだが、相席は
先客一組(お二人)と顔突き合わす狭さであり、お相手にも
ご迷惑だろうし、遠慮して階下に降りた。
「12時半にいらしたら、作っておきます」
女将さんに言われ、珈琲ショップで時間を潰し改めて出向いたら、
先ほどの鈴なりが、潮の引くようにいなくなっていた。
11時半開店だが、大体皆さんその前に現れるそうである。
うな重は、ふっくらと美味であったがそれ以上に感動したのは
山椒である。
ひょうたん型の容器の栓を外した途端、鋭角のイメージで芳香が四方八方へと
ピチピチと飛び散り、香りが生き物めいていた。
香りの漂う範囲がこんなにも広い山椒に初めて遭遇した。
次回、山椒はどこで仕入れているのか、聞いてみよう。
MBSの宣伝部の方から送って頂いた。
ドルチェアンドガッバーナの女性物の売り出しに、男が列をなす時代に
それにしても、男物の着物が地味で遊びが少ないのを
かねがね残念なことに思っていたのだが・・・・
そうだ、いっそ長襦袢を目の覚めるような緋色か紫にして遊んで
みたらどうだろう、と思い立った。
むろん外から見えはせぬ。だが見えぬ羽織の裏地で遊ぶのが
和服の心意気である。ふとした瞬間に、紺や黒の着物の裾や
袖口から、ちらっと炎の色がこぼれ出るのも面白いかな、と。
聞けば、女ものの長襦袢生地で男物を仕立てる人たちはいるそうで
ある。もっともお女郎のような緋色や、紫をまとっている方がいるかどうかは知らない。
私が欲しいのは女ものではなく、目の覚めるような緋色か紫なのだ。
というわけで探すのだが、これが見つからぬ。
和服で困った時、相談をかける笹島式着付け教室の衣香、糸賀文音さんに
メールしてみたら、懇意の呉服屋さんで緋色をあっさり見つけて下さった。
が、呉服屋さんの話では「今はなかなか、ないでしょうね」とのこと。
紫はいずれ洋服の生地をあたってみたい。
以前、生家が遊郭を営んでいた方からうかがった話だが、
父上が情婦と蚊帳の中に寄り添っていて、父上が素裸に
ぞろりと、羽織っていたのが女の長襦袢だったそうで。
といって、私がそのての退廃(デガダン)をやりたいわけではなく、
傾いた(かぶいた)美意識を、ひっそりやってみたいだけの
ことである。
歌舞伎では男も、赤や紫などの原色をまとってきた国なのに、
日本の男たちの色彩感覚がくすんで来たのは、戦争を境になのだろうか。
イタリアのベルサーチなどはメンズも華やかで、私も、昔は
求めたことがあるが、和の華やかさではなく、けばけばしい、
と言ってはジャンニ・ベルサーチ氏に不当評価か、
たとえば南イタリアの白い強烈な日差しのもとで華やぐ色使いなのであって、
湿度高く、ほの闇の美意識を持つ日本の風土にはなじまない。
そういえば、お女郎さんのまとう赤も、蝋燭のチラチラする
火明(ほあかり)の中でこそ、さこそ艶めかしかったのであろう。
ということを、口の悪い友人に話したら、「年取ったら、赤いパンツをはくと元気が出るらしいよ」と嫌味を言ってくれたのであった。長襦袢なら、もっと元気横溢ってか。
私が死体になったら、経帷子の代わりに緋色の長襦袢を着せてくれ。
嘘。