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Channel: 井沢満ブログ
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緋色の長襦袢を誂えるついでに、紫も欲しいと思って探すのだが、
イメージにある鮮烈な紫というのが見つからず、ついでに
色彩の和名まで勉強して、近い色がないか調べたのだが、ない。

お坊さんの法衣があれほど、赤、黄色、紫と絢爛豪華なのに、
たった長襦袢、なぜ手に入らぬか、浅草の舞台衣装を商う店に
ないかと、未練がましく探しているうち、なんとAmazonで
イメージに近い絹の反物発見。しかも紫で売れないのか
大幅値引き。

コメント欄に、私の和服の画像を載せてくれと奇特なリクェストを頂いたので、
お目汚しだが、載せてみる。

憲政記念館の、尾崎記念団でお話させて頂いた時のもの。

こうくすんだ内側に、ひっそり緋色や紫を隠そうと目論んでいるのである。
自分だけしか知らない究極の自己満足だが、心に
華やぎをまとう心意気、というと綺麗すぎるか。

仕付けの糸を切ったり、埃を払って畳んだりを面倒なことに思ってきたが、
その一連の動作を含めての和服だと最近は思うようになって来た。
小さな儀式を要求する和服の面白さ。

裁断は単純至極なのに、こうも着付けに複雑な手順を要する衣服も
世界に類例がなかろうと思いながら、その煩雑さが最近では
貴重なことに思うようになった。文化とはそういうものであろう。

まとうに、丹田を意識しながら多少の気合を要する衣類も稀であろう。
私が不慣れなだけであるのかもしれないが、気合は大事にしたい。

畳や床が清められていることを要求するという意味でも、和服は特有であろう。
白足袋は足裏まで、きっぱりと白くあらまほしい。

成人式に着物があふれるのは嬉しい事である。靖国神社のみたま祭りには
若者男女の浴衣が行き交う。

内館牧子が、着物は陽にさらして虫干しすると昔言っていたのを
思い出して、何枚かを冬の陽と風にさらしてみた。

すると、誂えた時は安価であったのに、織り手がいなくなって
現在では200万円(300だったか?)ほどになっているという、単衣の着物(名称は忘れた、丹後何とかだったか?)の袖口が、ほころびて
いるのに気づいた。

単純なほころび程度なら、洋服のリフォーム屋でやってくれることを
最近発見したのだが、この着物は洗いがてら専門家にやって頂きたい。
蝉の羽の透けを思わせる面白い着物であり、こういう種類も世界に、ない。

時々覗く人形町のアンティークの和服屋に、職人さんが来て
修繕や洗いの見積もりを兼ねて、店に詰めてくれるのが2月の某日。
その時、他の洗いものと一緒に持参、相談してみようと思う。

 

 

イメージしていたより、大人しく地紋だが、このくらいが程がいいのかも
知れない。性格が極端を好むので、人生も山と谷がありがちな
私には、これでよいのだろう、と何となく思い始めた。


古代紫

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紫で男物の長襦袢を作る話を書いたら、思わぬ関心を頂いたので続き。

本日Amazonから反物が届いたが、これが実際に見ると、

草木染で、古代紫というのが近い深い紫。

(イメージ)

地紋は、これだが↓実物はもっと沈んだ紫で、画像ほどには目立たない。

ネット出品品はライトを当てるせいか? 実物よりかなり明るめになるのかもしれない。

長襦袢の発想の時は、本紫かせいぜい江戸紫をイメージしていたのだが、地紋が目立たず落ち着いた紫なので、長襦袢は止めていっそ着物を誂えようかと
思い始めている。

そんなことをすると、今度は銀灰色・・・・くすんだ銀地の帯を探すんだろうなあ。

紫に、けばくなく溶け合う羽織って何色だ?

袷に仕立てるか、単衣か?

なんなら地紋を裏にして、裏返しに仕立てても面白いかも知れぬ。

反物を「衣香」の糸賀文音さんに見て頂き、相談してみようと思う。

しかし、ここだけの話、この草木染の反物は、Amazonで定価の七分の一で手に入れた。新品である。思わぬところに掘り出し物があるものだ。
ヤフオクで1円からなどと、けたたましいのも反物で出ているが、
パソコンを使った競りなど私には手に余る。

雨の日用の、レーヨンの黒い絽(もどき)の着物を出来合いでこれも
ネット通販で求めたが、レーヨンの反物も出回っているようなので、
探して見ようと思う。梅雨どき、雨の日用着物として合わせと単衣で
用意しておきたい。

着物を着倒して死のうと思っている。

不肖、歩く広告塔のつもり。日本男子に和服を着て欲しいので。 

言葉を飲み込んで語らず

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国家がテロで揺らいでいる時に、何をまぁのんきに着物の話など・・・

と思っている人もいるだろうか。

実のところ、無関心ではなく言いたいことはあるのだが、口を一旦開いたら

最後、あれもこれも全部ぶちまけてしまうので、控えているだけ。

そうでなくとも、一脚本家の矩(のり)を超え、いささか政治や歴史を語りすぎるのではないか、

という自省がある。

程のいいところで抑えた発言というのがなかなか出来ない性格。

根が実は極端。中庸に程遠い。

福田赳夫元総理の轍は踏むまい。と、これだけ書いてあとは、お腹の中。

 

・・・・・・紫の着物に合う羽織って、なんだ?

おそらく地紋のある方を表にすると思うので、無地の黒?

歌舞伎の男物の衣装の色使いを参考にしてみようか。

歌舞伎は大胆な合わせ方をする。空色と茶とか。

浅葱に鳶茶の組み合わせと、色彩も和名で言ったほうがよろしいのか。

この国の語彙はおそらく世界一に豊潤であるけれど、色彩名は

微妙な数段階のグラデーションまで含み、その多様繊細さに目まいがするほどである。

・・・・さて地紋のある着物に着る羽織は単色だろうが、何色だろう?

黒しか思い浮かばない。ご意見募集。・・・・・白? ちょっと鮮烈すぎて

わしゃ多分ムリじゃわ。

グレーなら黒のほうが安定感、たぶん。

着物と羽織と、紫の濃淡もあるがなまめかしすぎて、着物が本人を
置き去りに妖しげな色気を振りまきそうではないか。

色相関の隣り合った暗めのブルーならいけるかも。

これも和名で言えば、滅紫(けしむらさき)に青藍(せいらん)合わせてみる、か。

と言いつつ、和の色名が指し示す、微妙なグラデーションに私は、

ついて行けてないのだけれど。

色彩感覚も磨けば発達するのかもしれない。竹色すすたけいろ煤竹色すすたけいろ

気働き

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某コンビニのドリップコーヒーが自宅で入れるより美味しいので、

せっせと通っているのだが、店員さんで気が利く人は

カップを先にくれる。

つまりカップを先に貰えば、他の買い物をレジに打ち込んでいる間に

ドリップがだいぶ進み、買い物が多い場合は買い物が終わった時には

カップが香り高く満ちているという機嫌のいい段取りである。

ところが気の利かない店員さんがいて、「カップを先に」と

催促しても「後ほど」と言ったきりレジ打ちを延々続けるのである。

すると他の店員さんで気働きのいいのが、こっちの状況を察して

スパッとカップを脇から出してくれるのである。

もっと気が利く人になると、私が何も言わぬのにカップを出してくれ、

たまにだが「いや、今日は要らない」と言うこともある。

どうもこのての気働きというのは日本人が優れているのではないかと

思うのは身びいきであろうか。

最近ではコンビニにも外国人が多くなっているが、この気働きと、

それから来店時、去る客の送り出しの挨拶、身ごなし、

どうも日本人が優れているように私は感じる。

北京のトップクラスのホテルマンのマナーの悪さ、香港の

空港で両替おじさんが、デスクに寝るように顔を載せ、お金を放り出していたことなど思い出す。

「気働き」を英語で何というかわからぬので、翻訳機にかけてみたら

翻訳不能、フランス語もそうだった。

恐らくどの国の言語にもないのではないか。

あの早朝の空気さえ臭う上海で、日本式のスーパー銭湯が大人気だという。

清潔でサービスがキメ細かいと人気なのだそうだ。

お湯の濾過装置に莫大なお金を費やしているそうで、大きな声では言えぬが

北京五輪の時には国から、「プールで大小便をしないように」とお触書が

出る国である。電車で子供に排便させもする。そのために股割れズボンを履かされている子がいる。

日本の温泉も、中国韓国からのお客さんは欲しいし、しかしマナーが・・・・
肝心の日本の観光客の足が遠のく、と悩んでいるとも聞く。

プールの中で大小便はしない~中国市民生活素養 上海万博

1分30秒ぐらいから。

 

このような国で、日本特有の清潔な観念が広まるのは本当に

いいことだと思う。

銭湯を仕切っている日本人の男性は、今後世界に作っていきたいと

目が輝いていたが、こういう形で「日本式」が広まるのは、素晴らしい。

おしぼりが世界に広がったように。

日本の精神性の高さは戦後随分、悪貨に駆逐されたがそれでも

DNAには残っていると、私は信じたい。それはいつか、また蘇るのだと。

対立概念が物事の基礎であった西洋が、自然との共生などとやっと言い始めているが

神道を基礎に置いた日本人の感受性は、いにしえより共生することを

心得ていた。

渡来人もごく自然に受け入れ、何の齟齬もなかった。

渡来したほうも日本の「家風」を尊重馴染んでくれたからこそ。

「多民族共生」も安易に捉えやらかすと、日本の美点を壊す。

もう始まっていて「戸外で大便をするな」と、ある言語で張り紙が

されていたりする。

移民の受け入れ政策も随分言われているが、日本の家風をしっかり

教え、心得てから入ってもらうべきだと思う。

基本的に移民には反対だが、背に腹を変えられぬとあれば、

どうぞ日本を壊さない形で、せっかくまだ高い精神性を保つ形で、

と願うのである。

嫌韓ではない

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イスラム国における人質事件には、反日韓国系がからむ、と当初より睨んでいたがその通りだったようで、しかし私が感じていたより更に背後は
複雑なようだ。

というごときことを書くと即「嫌韓」と言われるので困るのだが
政治や外交上の批判すべき点に触れるからといって、
その国や国民をまるごと否定するような人間ではない。

とりわけ、自分が関わる映画ドラマの領域では、俳優にも
監督にも敬意を表すべき方たちがいる。

それは中国に対しても同じである。映画が素晴らしい。蓄積された
過去の偉大な文化は、文化大革命により圧殺されてしまった感があるが。

私が韓流を批判するのは「反日国家」がもたらす構造としての
反日であり、個々の韓国作品やアーチストに対してではない。

かつてチェ・ジウさん主演の連ドラにはまって見続けていた時、
奈良ロケシーンが有りそこでチェ・ジウさんが「百済文化の影響を受けた街」
とかいう台詞があり、そこには私はクレーマーである。

百済と現代韓国に直接の接点はない。それに百済は倭の統治国であり、
武寧王も九州在住の王であったという説もある。

その芝居の質が好きな韓国の俳優にコン・ユさんがいる。
芸能人へのさん付けをケッタイだと思う人がいるだろうが、国が異なれど
業界の方への呼び捨てが私にはどうも抵抗がある。

八千草薫が、とか向井理がとか書けないのに近い。
一般には俳優であっても、私には個人的接触もある
「仕事相手」「仕事仲間」なので。

韓国の俳優さんといつ仕事するかもしれないし。実際一度、
オファーを受けたことがある。拙作の映画化の申し込みを
韓国から受けたことも。

まあでも、普段はいちいちこんな注釈をつけるわけにも行かぬので
「さん」はつけないことが多いけれど。

コン・ユさんの演技の質がとても好きである。
時々斬新な芝居もふと見せるので、ト書きを書くときの
勉強にもなる。などと書くとコン・ユファンの人たちが、色めき立つのかな?
この間谷口賢志さんを褒めて書いたら、瞬く間にファンの
間に広まったようで、びっくりした。この方のBL映画における
芝居にとにかく、ハマったので書いたのだが。
異性愛の男が、ある日すーっと部下の青年に
心が寄っていくさまが、自然でびっくりしたのである。
肩の力が抜けた芝居の質も好もしく、こちらまで
リラックスした。禁断の愛!! とか力まれて苦悩されると、こっちが
疲れるので。

私がBL映画を見たというので、驚かれたらしいが、この作品良いな?
とセンサーが動けば何でも見る。
少女コミックもかつてはよく読んでいた。
少女のセリフを書く時、その時養った感性が役立っている。

話が逸れた。

コン・ユさんの芝居は繊細でかつ大胆で力強く、ああこういう役者
欲しい!! と喉から手が出る思いでいることもあり、
随分作品を見ている。
最近も17回連続ドラマをずーっと見ていた。

連ドラは2作品見ているので30時間程度、単発作品まで
合わせるとまる2日間ぐらいは、コン・ユさんを見つめ続けている
計算でそう考えると、びっくりである。なんだか凄い。今後も見るだろうから、
人生のうち何日間をコン・ユさまのために費やすのであろうか。
おまけに相手役の女優の芝居(最近ではユン・ウネさん)まで好きになると、もうその作品にどっぷりである。
韓国ドラマの時にベタで、強引な設定と展開を腕力で突っ切って、
爽快だったのが、「コーヒープリンス1号店」というコン・ユさんと
ユン・ウネさん主演のドラマだった。

というわけで、私はそんな単純な「嫌韓」とか言う人種じゃないよ、と
言おうとしてコン・ユさんの話になった。

時々、私が韓国人であるという噂が流れるが、日本人である。
いちおう母方は長崎の武士の家系。と、たまに書いてないと
また言われるので。それに、いかなる宗教団体にも
属してはしていない。

靖国神社さんと明治神宮さんには、ご縁があり神道に心を
寄せているが、葬式を神式でやるたぐいの人間ではない。

 

なんのために生きるのか?

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コン・ユのDVDを見ようと、テレビをつけたら着物の洗いをなさる
職人さんが映っていて、思わず見入ったのだった。

着物が、解くと反物に戻るようになるように「設計されている」という
表現も面白かったし、専門の着物の洗い職人さんの繊細な
技は拝みたいほど。

色変わりした着物に、思いもしない色彩をかけて修復する凄技。

更には、どうしても修復出来ないシミの箇所には、着物の柄に絵を合わせて
描き入れるという絶妙の技で、これはもうお一人しかいないということで、
はたの私が心配で残念なことである。

それにしても、着物の凄さ。世界のあらゆる衣装の中で、これまで
使い倒し、着倒し、しかし価格は天井知らず・・・・・という美術品の
ごとき存在は唯一ではないか。

それにしても、職人さんは若き頃より着物と向き合い、人様の
着物の修復に一生を費やされるわけである。
凄いことだと思う。
言ってみればそれがなくても、人が生きていくに困るわけではない
世界で職人を全うするというのは、こわいし勇気の要ることだし、
むろん根気は言わずもがな。

私の仕事とて、世の中になければ人が困るというものでもなく、
思えば儚い仕事であろう。しかし、半生をそれに捧げることになる。

人はなんのために生まれ、なんのために生きるのか。

まず己が何者かを知るために。知ったら人様のお役に立てる仕事をするために。
この2つが1セットで、人は生きるのではあるまいか。

書けなくなったら、命を絶ちたい。自死は選ばないので、生き延びるかと思うが
書かない時間が延々と続くのは、緩慢な地獄のようでつらい。
書ける僥倖を噛み締め感謝しつつ。

古代紫

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今日、いつも着物の相談に乗って頂いている笹島式着付け「衣香」の、糸賀文音さんに

古代紫の反物を見て頂いて、単衣がいいだろうということになった。

長襦袢用の、お坊さんの法衣のごとき、鮮やかな紫は、

白生地を染めていただくことにした。

サンプルに鮮やかな、というより「けざやかな」紫の布をお持ちいただいたのだが、

それを半襟に使おうという有難い話になった。

紫の長襦袢に、色合いの微妙に異なる紫の半襟。和の色彩が得意な、
微妙なグラデーションの世界である。

グレーや茶、黒の多い男物の着物に、僅かに覗く半襟が

紫というのは、面白いかもしれない。

あと緋色も準備中。

長襦袢はむろん外からは見えず、これは心意気。

古代紫の着物が単衣と決まったところで、さて今度は

それに合わせる羽織の思案である。

皆さまからも色々、アイディアを頂いた。

着物が仕上がったら、コメント欄で紹介頂いた銀座の店に

持参、相談して生地を選び、仕立ててもらうのもいいのかもしれない。

蘇る

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人様にお会いする時は、帝国ホテルのラウンジが多い。
理由は誰も道に迷うことのないことと、私が日比谷公園を
歩きたいからだ。

昨日は帝国ホテルではなく、日比谷公園内の松本楼を
指定させていただいた。

約束の時間まで、小一時間ゆったりと公園内を散策して
普段は飢えている、土の感触を足元に踏みしめ、地のエネルギーを
頂きつつ、木々の放つフィトンチッドを浴び、小鳥の声を
頼みしみながら、細胞がよみがえるようであった。

松本楼では、戸外のテラス席に座って、こちらでも緑を楽しんだ。

以前、世田谷の緑深い辺りに暮らしている頃、忙しさの最盛期でもあれば
体調も崩していたので、ほとんどエリアから出ず、物書きとしては
都会の息吹から遠くなり、まれに街に出るとその空気を精一杯、
体内に取り込んだものだが、今は逆。
緑のエリアに足を踏み入れると細胞を前回に空気を取り入れる。

いい作品を観ることも、エネルギー補填になるが、このところ
追いかけているコン・ユの「サスペクト」を見たが、圧倒的な
力作で、次から次息苦しくなるほどの展開で、コン・ユが
圧倒的によく、また北の元特殊工作員設定のコン・ユを追うパク・ヒスンが
圧巻で、この俳優を知らなかったので調べてみたら、むしろスラリとした
美男でほとほと驚いた。映画ではアクの強い、男っぽい骨格の
「おじさん」だったので。もの凄まじいほどの演技の力であり、
コン・ユもまた顔つきからいつもとは異なり、躰はこのために
鍛えなおかつダイエットしたのであろう、見事であり彼がいかに
禁欲的な役作りをしたか、よく分かる。

韓国の俳優はほとほと凄い人がいるなあ、というのが偽らざる実感である。
脚本、監督ともに素晴らしかった。監督は単なるアクションだけではなく、
美意識をも持っていらっしゃる方でそこが凄い。

シーンの派手さから巨額予算だろうと思っていたら、インディーズ並みの
低予算だと聞いてまた絶句。役者スタッフ打って一丸、魂を込めた
作品のエネルギーのほとばしりを、ほとんど、襟を正すようにして拝見、
終わったら滅多にしない拍手をしていたのだった。

実作者でもあれば、現場も多少は知っているのでおそらく
この映画の凄みとエネルギーは、一般の方々より
感知できていると思う。

こういう作品を見せていただくと、ふと日韓の関係もいずれは
分かり合える日も来るのではないかと、普段は決して思わぬ
望みを抱いたりもする。心がさほどかけ離れているわけでもない、
いわく言いがたいが、絶望的に離れている部分もあるが万国共通の情は
お互いに分かち合える部分ではあろう。

と言いつつ、夜が明けまた眉を吊り上げるような韓国発の
情報を目にすることになるのだろうが。

 


猫ふんぢゃった 袴ふんぢゃった♪

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「わが家」の小説版を出していただいた竹書房の担当のAさんと
お会いするので、着物を着た。
人様にお会いする時はこのところ、なるべく着るようにしている。
回数勝負で着物は躰に馴染むし、着るのが一番の手入れと聞きもする。

ふと思い立って袴をつけてみたら、着流しから2,3段は格が上がって
驚いた。・・・・・のはいいのだが、袴をつけると私の脳裏には
「猫ふんぢゃった」の旋律が、かすかによぎるのである。

というのも、「母。わが子へ」が賞を頂いたのだが、その授賞式に
袴をつけたのである。場の格式から、袴がいいと
思ったからなのだが、実はつけ慣れていず不得手である。
なんでだか、ゆるゆる落ちて来るのである。

会場がある六本木までは無事付き、途中でスタッフの人たちと合流、
大沢樹生ちゃんと久々にぱったり遭遇したりなどしながら、機嫌よく
会場に向かっていたら、不意に草履の足先に違和感、と共に、
ビっと微かに布の避ける悲鳴がして、私の足に裾を踏みつけられた
袴のどこかが、微妙に裂けていた。

裂けて垂れ落ちてくる袴を素知らぬふりで手で押さえたまま、私は会場入りし、
階段を上がり、エレベーターに乗り、今思えば人に気づかれぬよう、なんという高等テクニックであったろう。

会場のあるフロアに着いた私は、その足で洗面所に向かい、
幸い無人の洗面所で素早く、裂けた袴を脱ぎ捨てたのだった。
会場では、ステージ上での挨拶もあり、裂けたのが壇上でなくて
本当に助かった。テレビカメラが入っていて、NHKが全国放送
していたのである。後で録画したDVDを見たら、裂けた袴の
ショックの色も見せず、エールを頂いた宮城県知事さんに
感謝を述べつつ、ちゃんと挨拶していて、観客席から
薬師丸ひろ子さんが拍手してくださっていた。

それ以来、私の脳裏には「セーラー服と機関銃」の歌声と共に
「ふんぢゃった」つながりで、袴を見ると
「猫ふんぢゃった」が鳴るのである。それもピアノではなく、
古びたオルガンで、ふがふがと鳴るのである。

今日は無事だったが、それでもやはりずり落ちてくる。
サスペンダーを使ってみようかとふと思った。羽織を
着れば隠せるかもしれない。サスペンダーがバレたら、
これ、新しいファッション、とでもうそぶいてればいい。

竹書房のAさんとは今後書きたいかも知れない小説の材料について
幾つか喋らせて頂いて、喫茶店にはジュースやカフェオレを
お代わりしつつ、4時間間近くも座っていた。
ひと通り話し終わったら、Aさんが小説だけではなく、
ノンフィクションもいかがかと、仰る。
私に書けるノンフィクションってなんだろうと、きょとんとしていたら
たとえば「愛国心について」やさしい言葉で、と仰り
ああそのラインなら書けなくもないか・・・・と思った。
ブログでそれっぽいことを、たまに書くのを読んでくださっていての
提言であった。中高生にも解る国家論や日本語論をいつか
書いてみたいと思ってはいた。国家論と日本語論は合体も出来る。
・・・・・何を書かせて頂くか、いまだ頭の中は混迷の霧が漂っているが
いずれ整理したい。小説とノンフィクションと平行して書くというのも
面白そうだ。

Aさんからは、珍しいせんべいを頂戴した。
醤油味ベースだと思うが、付属の山椒の粉を
まぶして頂くのである。午前中に売り切れる人気せんべいなのだという。
癖になる味だった。

楽しいバスタイム

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入浴は桶と椅子と、すのこをヒノキにして遊んでいるが、
入浴剤は炭酸系のあれこれ、無論目につく限り試し済み、

他に日本酒、生姜入り甘酒、精油と塩混合・・・・・
など、やってみているが、今のところ一番しっくり来て
回数が多いのが、薬草風呂でこれは5種類ほどの薬草を
乾燥させ、ティーバッグ上にしたものがネットで買える。

以前はもっと多種類の薬草を使った商品を使っていたが、
それはネットでは手に入らないので、手軽に手に入る製品で
済ませているが、他種類薬草のは、お湯にまったり感が出て、
ひときわ湯心地がいいので、また探してみようと思う。

海外で薔薇風呂にも入ったことはあるが、花びらを傷めるというので
ほとんど、水に近いぬるま湯。その割に薔薇の香りがするわけでなく、
さして好きではなかった。

稼いでいる頃は馬鹿高い、ローズオットーという薔薇から抽出した
精油をバスタブに垂らして遊んでいたが、もう出来ない。

ジャスミンの精油も好きだが、これも高い。

もともと、自分で工夫してあれこれやるのが好きなので
育毛剤も自分で作っている。ローズマリー、柑橘系などを混ぜ、
そこに、せんぶりを入れる。

花と小鳥がフェティッシュに好きなのは、前世と関係有るのだろうか。
やたらエジプト時代の記憶があるので、精油はまあ分かるのだが、
小鳥はなんだろう。

花といえばそういえば、寒い地方に生まれた記憶がない。
いずれも暖かい、ないしは暑いところばかり。

もっとも、美輪明宏さん指摘によれば日本での転生もあるそうだが
私の記憶にはない。美輪説によれば(初めて人に話すが)
人に恨まれて死んだ芸者だったとかで、超面白く無いので
エジプト時代の神官とか、格好のいいのだけ自分では
「視る」のだろうか。

突拍子もない話だが、以前マツケンサンバの振付師である
マジさんこと真島さんと食事していたら、真島さんが
いきなり箸を止め、涙ぐんで私を見つめる。驚いて訳を尋ねると、
私がいきなりエジプトの帽子をかぶり、笏を持った手を
胸の前で交差している姿が「視えた」そうだ。

あれ? なんの話がこうなった?

ま、いっか。

髪のケア

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猫っ毛で、しかもややくせっ毛だが、髪のコンディションは大変よい。

ふさふさしているし。

昔、新聞の投書欄で白髪もない、フサフサだと自慢している人がいて、

1日に200回(だったかな)、ブラッシングをしているというのを読んで

私も始め、ほぼ毎日欠かさない。200回やっているかどうかは

わからない、凝ると長続きしないので、いい加減。

ブラッシングは頭皮の血流をよくするためと、硬化を防ぐためだろう。

頭皮の血流促進はセンブリなので、椿油に浸して抽出したり、

あるいは抽出液を買ってそれを、自作の育毛剤に入れたり、

油に溶かして使っている。

ただブラシはナイロン系だと静電気が起きて逆効果、イノシシの毛とか

獣毛が良好。

自分で育毛剤などこさえてしまうのは書いたが、

ここしばらく試みているのは、椿油か柚子油あるいは五種類油の混合で、これらは

自作ではなく市販。

五種類油はとりわけ面白く思っているもので、中身は椿油、米ぬか油、

米胚芽油、クルミ油、ゴマ油のブレンドである。

風呂あがりまだ濡れた髪に、せいぜい1滴つけて伸ばすだけで

ヘアオイルの代わりになり、光沢も出てしかしベタつかない。

入浴前の地肌にすり込んで入浴、しばらく置いて洗い流す

使い方もある。

自然系オイルなので、肌につけてもよい。

ハンドクリームは使わないが手はすべすべであるし、かかとも

滑らかである。

安い。簡単。

ただやや失敗したのは、椿油配合のウォーターバージョンで

スプレーで使えるので買ったのだが、こういう加工品は

もしや? とチェックしてみたら案の定、私が忌避してやまぬ

ある種類の防腐剤入り。(営業妨害は意図にないので、具体名は書かない)

皮膚から浸透するものは、食べることと同じことである。

できるだけ自分で作るのは、添加物や防腐剤を避けたいからでもある。

もっとも、人生が終わるまで持ち時間がさして無くなって来たので、

それまで肉体が保てばよいので、だいぶ気が楽になって来た。

というわけで、以前は避けていた添加物の食品も

最近はわりに無造作に口にしている。

防腐剤入りスプレーは、捨てるのももったいないので

皮膚に浸透しないように、髪の表面に軽くスプレーするだけに

しておこう‥‥・・と思ったものの、毎日のこととでやはり気色が悪い。

廃棄決定。

事前にチェックすればいいようなものだが、成分表なんて字が小さくて

店舗に虫眼鏡持参しなければならなくなる。

苦労するのがシャンプーで、防腐剤抜きはなかなかなく、あっても

いやに高い。通常の5倍価格以上で今まで使っていたものが、

通販が利かなくなって、面倒くさいことになった。

しかしシャンプーまで作る根気がない。

さして労力も時間も食わないと思うけど。

髪の保全に関しては、頭皮は顔の地続き、髪は皮膚の一部と

捉えると対処法が解る。

専門家でもないのに偉そうに講釈しているが、自分を実験台に

結果が出ているのである程度は自信を持って書いている。

・・・・・政治発言は止めておこうと思いつつ、こんなのんきなことを書き連ねているが
イスラム国の事件に関しては最小限触れておこうか・・・・

私はあれは宣戦布告に準じたことだと捉えているし、
いつもの日本政府の定番「遺憾の意」という腑抜け言語が用いられなかったことに、
政府にもまた相応の緊張感があったのだと思う。

それにしても平和憲法も、他国の暴虐の前では無力であった。

とっておきの美容法

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「お手入れ系」の文章が案外好評なので、また・・・・

もう随分長くお会いしていなかった方(女性)に、思わぬ再会をして
驚いたことには、肌麗しく髪つややかで、若々しい。

私のことも激賞してくださり、二人で永遠の若さをー笑ー
讃え合ったのであるが、保つ秘訣を伺ったら、
思わぬことに私が教えたことをこの二十数年間
実践なさっているという。

それ、なんですか・・・・と訊いたら、少し声を潜め、

「お臍にオリーブオイルを垂らす、あれです」

思い出した。

私がその方法を知ったのは、丸尾長顕という日劇ミュージック・ホールの
演出をなさっていた方の書き物によってである。
裸をさらす踊り子さんたちの、とっておきの美容法として
丸尾長顕さんが授けたのは、オリーブオイルをお臍に1滴垂らし込み、
内部に浸透するように軽く揉みこむ、というものだ。

私は裸はさらしもせず、ナマ足ー笑ーを振り上げて踊りもせぬので、実践に至らなかったが、毎日湯上がりに二十年やり続けた方が輝かしい「成果」として
目の前に現れたのだった。

ついでにオリーブオイルは、手にも足にもすり込むとおっしゃるので、

「あーいやいや、手と足のオリーブオイルは体験済みだが今ひとつ。なんてたって、椿油他4種の混合オイルが至って良好。それぞれの箇所に1滴でよろし。経済にも、美化にも至福を得られるであろう」

と、わが手をサンプルとして差し出し、解説したのだった。

前稿を読まれた方はご承知だろうが、椿油他・・・・・というのは

椿油、米ぬか油、米胚芽油、クルミ油、ゴマ油のブレンドである。

ヘアオイルとして使ったついでに、ふと手足に伸ばしてみたら

効果は随喜の涙もの。・・・・・・・って、こういう時の定番で
体質によりけりだろうが、と「逃げ」の文言も書き添えておく。

・・・・・と書いて、ふと思ったのだが、オリーブオイルの臍使いで
卓効あるものなら、5種ブレンドオイルは尚更ではあるまいか?

ちなみに、ブレンドオイルはまったりと、感じの良い芳香を放っている。
かといって、しつこく残る香りではない。

思う所あり憲法前文を読んでみた

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さて久々に、政治分野の発言。

イスラム国の人質の一件で、世界の一方的横暴に対して

平和憲法が無力なのではないかという疑義があちこちで散見される。

それで、憲法の前文に目を通してみて、いささか、うなった。

私は紙に書いた文言で国防がなるとは、もとより思ってはいないが

それにしても、相手を「善(い)い人」として前提においた憲法に

危うさを感じる。

ちなみに前文ではあるが、日本国憲法の一部である。

以下抜粋。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

              ー抜粋ここまでー

どうであろうか

私はこの抜粋した箇所に著しく躓くのだが。とりわけブルーの濃い箇所に。

>人間相互の関係を支配する崇高な理想

人間相互の関係を崇高な理想が支配してなどいない。あるのは国家間の打算と駆け引き、欲望、として嘘とはったり、恫喝である。

>和を愛する諸国民の公正と信義に信頼

諸国に公正と信義あらば、どの国も防衛に汲々とはしない。
お金はもっと生産的なことに回す。

イスラム国のテロリズムも、準戦争なのであり、ある戦争は巨大な
テロでしかない。

>政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務

政治道徳を責務と心得る国があれば、どの国にも軍隊は不要であろう。

しかし、毎度思うのだがなんという悪文であろう。日本語として醜い。
GHQアメリカの押し付けであるか否かの論議をさておくとして、この言葉の
歪み方に私は憲法を好まない。

よほど文章の未熟な人が書いたのか、あるいはいっそ横文字を無理やり縦にしたのか、と実は穿って思う。

誠意と真実の希薄な、から文句。(あくまでも、日本語の文章としての見地からである)・・・・・・いや正直に言えば、これが日本人の自発的な文章か?
と思う。文章のレベルだけではなく、その発想がありえないお花畑。

一度番組で一緒したことのあるパッくん? が平和憲法護持を
テレビで訴えていた。有難いが、しかし日本に言う前に
アメリカに言ってあげたらいかがだろう(祖国はアメリカだったような。
まあどこであれ、祖国に訴えて欲しいのだ)

九条にノーベル賞を与えよという運動が起きるほど
絶賛されている憲法なのに、なぜ他国は持たぬのか。
日本だけなのか。
永世中立国のスイスにすら国民皆兵制で徴兵制があり、各家庭が
自衛の武器を備えているのは何ゆえか、
思案を巡らす価値はあるのではないだろうか。

2013年に徴兵制を廃止したウクライナでは、翌年発生したロシアのクリミア侵攻の後に徴兵制が復活した。

ちなみに私は強く平和を希求し、あらゆる戦争を忌避する者である。
自身が美だの芸術だの志向する軟弱者であり、武器や匍匐前進など
出来りゃ避けたい。
しかし、そんな私が日本の憲法で戦後70年の平和が担保されたとは思ってはいない。
日本を守ったのはアメリカの核の「恫喝力」(敢えて抑止力というきれいな言語は
用いない)であると思っている。

そのアメリカも、自国を核の危険にさらしてまで、日本を守ってくれはしない。

世界の発言権は、残念ながら核保有の有無に比例、反比例する。

 

・・・・・ちなみに「穿った見方」というのは、実は深い本質を捉えた見方と
肯定的な意味が本来なのだが、昨今、「平均的見方とは違う」という
誤用が国民の半数近くでなされているという。

私は、本来の意味3,誤用7ぐらいのニュアンスで「穿って」と用いた。

言葉の変遷期にはこういう落ち着きのない使い方を余儀なくされる。
とりわけ正誤が半々の使用のされ方の時期には。
おそらくいずれ、誤用が取って代わると思われるが。

私はいまだ、悩むのが「習い性と成る」である。

これを「ならいしょうとなる」と読むか、「ならい、せいとなる」と読むか、
迷う。後者が正しいが、前者が余りにも市民権を得すぎている。

変換ミス、うっかりミスをやらかすブログで余り偉そうにも書けないが。

“コン湯”浸り

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韓国の俳優、コン・ユの芝居の質が好きで、このところずっとDVDで見ている
話は書いたが、まだまだ飽きず見呆けている。
なんで、こう上手かなあ。いや下手上手の域を超えて、
俳優というのは肉体を使った表現者なのだなあと、今更ながらの
感想を抱く。100年に一度出るかどうかの逸材であろうと思うし、
仕事で組みたいと願っている。

突拍子もないようだが、かつてレスリー・チャンに脚本を書いてみたいと
思っていたら、レスリーの親友(女性、日本人)から電話が来て、レスリーがらみの仕事をせぬか、と。二つ返事で承諾したのだが、実らぬうちに
自死を選ばれてしまった。男関係の懊悩だったというが、
彼がカナダに妻子(妻だけだったかな)がいたことを、その当時は
香港のファンさえ知らないと、レスリーの親友から聞いた。

タイで落ち合って、一緒にエステをするのだとその親友は言ったが
私が行っても、交流の邪魔になりそうだったので遠慮した。
彼が東京でコンサートを行った時、舞台裏でお会いして
写真も一緒に撮ってもらったのだが、どうしたことか写真が忽然と
消えた。
あまり写りのいい写真ではなかったので、美意識の高かった天国のレスリーが
廃棄処分した、と何となく妄想しているうちに、彼の
ことを思い出さなくなっていたが、たまに映画関連の情報で
彼の写真を見かけると、胸に小さなきしみが走る。

コン・ユの「スクリーン」というタイトルの連ドラを、ぶっ続けに見ていて
仕事にならず、いっそ一気に見てしまおうと試みたのが昨夜。DVD3枚で、
6話分。ところが、もう1枚2話分のDVDがあるのを、見終わった後で気づいて
切歯扼腕。

最終回だと思い込みながら見ていたのだが、このテンポと展開で
終わるのは至難の技だよなあ、とつぶやいたら案の定、あと
2話あったのだった。

DVDの発売元が「わが家」を出版していただいた竹書房さんなのだが、
うんと昔のことである。最近だったら、つてを辿ってコン・ユに辿りつけたかも
しれないのに、残念。
と言ってる暇に、コン・ユ宛に脚本を書いて、これやりたいと局や制作会社に持ち込んだほうが早いのかもしれないのだが、私は新人の頃から持込みや売り込みをやったことがない。

「スクリーン」は映画界の話でコン・ユは助監督で、シナリオも書く設定だが、相手役のキム・テヒが下手で下手で、いらいら。
顔ばっかりで芝居ができない女優というのが私は好きではない。
日本の女優さんの名を上げるのは、はばかられるので
キム・テヒをあげつらい申し訳ないのだが。

竹島(独島)は韓国の領土キャンペーンを、わざわざ海外にまで
出かけてやっているこの女優を私は元々好きではないのだが、
それはそれ、と割り切るにはこの女優、反日を大々的に
やりながら、日本のドラマからオファーが来るといそいそやって来て、
大枚のギャラと待遇を要求。どうも好きではない。
反日を大々的に看板にしておきながら、日本の化粧品のCMに出演、
その一方で韓国で別の化粧品のCM出演。節操のなさも、いかがなものかと
思われる。

政治外交面で韓国を批判する事が多いので、「嫌韓」と
一括りにされることもあるが、個々の芸能やそこに
携わる人全員がダメだと言ったことはない。どころか
尊敬する監督も俳優もシナリオライターもいると再三表明している。

ただし好きな役者も作家も、監督もいるが全面的に心を開いて韓国と接しているかと問われれば、いいやと答えるしかない。

 

セックスしない男たち

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毎日新聞社の、性に関する調査が興味深かった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150205-00000012-mai-soci

<セックス離れ>若い男性、性の「絶食化」 3000人調査

関心がないどころか「嫌悪している」という
項目まであり、うなった。

一部抜粋してみる。

>性交経験率が5割を超える年齢は「29歳」

>セックスについて、「あまり、まったく関心がない」と「嫌悪している」を合わせた男性の割合が18.3%で過去最高に

ものの書き手としては、大いに考えるべきことで・・・・というのは
古来、性への衝動が男の野心と結びついて来たのであり、それは政治にしろ
商売にしろ、文化にしろ。

いい女を手に入れたいという一心で、不器量な小男も仕事に励み、
出世し、美しい雌を手に入れてきたのだ。その構図が根底から覆りつつあるとしたら、
ものを書く側の意識も旧態依然の人間観、男女間では捉えられなくなる。

「わが家」における一歩はそれなりに時代の風は感じ取っていて、
普段は修道院にいられるぐらい性欲は淡いが、一度火がつくとそれなりに、
という人物像として描いたのだったが。

女性の性への本能の希薄化については、男ほど最初からダムが決壊するたぐいの
瀑流ではなく(人により差が激しくはあるが)、それなりに忘れて過ごすことも
可能だと言うのは解るのだが、男が本当に変わりつつあるようで、
それは身辺でも思う。

男が化粧する時代となり、女が男っぽい言動をするようになり性差が縮まったことにも
原因があるのだろうか。異性としての謎がなくなり、探求するときめきが
少なくなった、というもっともらしい説明はできるけれど。でも何か、もっと基本的なことか。

天がこれ以上の人類の増加を望まなくなった、という仮説。しかし世界的に見て
その傾向なのかどうか。

このままの人口増加が続くと、世界規模での食糧は尽きる、と言われている。

歳月を経た夫婦のセックスレスはそれなりに解るので、さして考察の対象にはならない。

二十代三十代の男たちに、個別インタビューしたいぐらいである。

私は、少子化について何かを語るほど考えたり調べたりをしていないので、
何かを断言する資格は皆無なので、それを前提にした単なる「感じ」でしかないのだが、特段困ったことではないような気がしている。
おそらく数を望むのは、生産を最重視した国家的視野での
次元であり、国内で生産栽培でき、海で穫れるものだけで、
静かに慎ましく暮らしましょうという選択肢もありそうな気がするのだ。
やや比喩的表現で言うなら、食いまくるから原子力や石油のエネルギーも要る。

むろん、防衛力のみは万全に保ってのことであるが。
乱暴なことを言うなら、核を保持したら防衛自体にさほどの
人数は要らないのではないか。

とここで思考が飛躍するのだが、そもそも人がこの世に生まれてくる目的って
生産性を求めて、あくせく働くことなのか?

私の考えるユートピアでは、人は体や精神まで酷使しては働かない。
住まいは、低層階で要するに土と緑に近い暮らし。
小鳥の声が絶える場所が現れたら、要警戒地域として
緑を増やし、川の埋め立てなどもっての他、地球は地球自身の意図で
水を流している。

アスファルトで固めては地球の「皮膚呼吸」を妨げ、窒息させるので
最小限にして、両端と中央はベルト上の土、そこには草木や花が生い茂る。
かくして最も激しい往来ですら、季節が巡れば虫がすだき、蝉が鳴く。

若者から性衝動が薄れた話から、なぜユートピアに話が及ぶのか
我ながら思考の脈絡を辿れぬのだが、ひょっとしたら現代の
若者から性衝動が希薄になって行くことを、私は「進化」の
過程として捉えているのかもしれない。
その心を述べれば、もっと紙幅を要する。

いずれ、地球もその生命を終える時が来る。
そのことを、恐怖として捉えるより静かな至福の感覚で捉える私は
少数派であるだろうか。自分の生存時期に地球の命脈が
尽きることはないという安心感で言っているわけではない。

もう私は、転生してここに戻って来たいとは思わぬが、
輪廻転生は、自分の意志が働くシステムでもどうやらなさそうで、
案外地球の終末期に生まれて来ないとも限らない。
地球と共に滅びるか、他の星に移住するか道はおそらく
二つに一つ。

こんなことを考えていると、地球と語らいたくなる。
たぶん、私は変なのだろう。

 


やるなあ HottoMotto

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かつて弁当屋のドラマを書いたことがある。

HottoMottoが優秀だとは、噂で聞いていてどんなものかと
好奇心を抱いていたのだが、通りかかることがあったので
入って買ってみたら、なるほど。

まず店員教育が端々まで行き届いて、万事遺漏がない。
挨拶も、ファミリーレストランやハンバーグ店のような
マニュアル化されたロボット的発声ではなく、とりあえず人間の声である。
慣れに従い、機械化せぬよう願いたいところ。

味はとてもよかった。まずご飯の美味しいのが取り柄。
更に感じの良かったのが、割り箸なのだが丸箸なので
口当たりがいいのだ。タニタの弁当などもメニューにある。

これで営業、8時から夜10時まで。最強だろう。ネット予約もきく。

ただ、弁当屋ドラマの取材の時思ったのだが、とにかく
弁当は揚げ物、肉が多い。和食系をもうちょっと、入れると
いいと思った。需要度によるかもしれぬのだが、HottoMottoのように
長時間営業で配達付きなら、いずれ高齢者も利用するようになるだろう。

それにしても、店員のキビキビした動きと挨拶、そして
気働きの良さは、やはり日本人特有。
外国人ばかりのコンビニと、日本人ばかりのコンビニの両方へ
行くので、良く解る。

移民政策に私が懐疑的なのは他に本質的な理由もあるが、日本特有の
良さが損なわれることを怖れることにもある。悪貨による良貨の
駆逐である。逆ならいいのだが、人はとかく低きに流れる。

コン・ユにはまって韓国ドラマを見ているが、残念なのは
食事のシーンで、女優がラーメンを食べる時に鍋の蓋で
食べること。これは韓国では当たり前のようだが、単に
習慣の次元ではなく、暮らしにおける美意識の根本的差異ではないかと、
私には思われる。特に下品な育ちという設定でもないのにヒロインが
食卓に肘をつき、姿勢を前傾させ、顔を器に俯けて食べるのも気になる。

しかし日本にも多くなったのかもしれない。かつて
脚本家志望の女性に人を介して合わされた時、
食するときに、組んだ足をぶらぶらさせているのにいたく
驚かされたことがある。おまけに、出された食事を大量に
残すのに、一言も無い。(私の払いである)
その後、提出された履歴書を見たら、履歴書の端っこに
通信文が書いてあり、またしても驚かされた。

しかし、何に品性や育ちが出ると言って、食事であろう。

介護の現場の人手不足など言われると、政府が画策しているらしい
何とか特区に一概に反対も出来かねるのだが、もし日本を
終の棲家に選ぶのなら、日本という家風を大事にして欲しいのだ・・・・・
と言えるほど、その家風が乱れて来ていることが口惜しいことであるけれど。

日本は必ずしも排他的ではなく、古来より渡来人を自然に受け入れ
齟齬もなくここまで来た。それは相手が客人としての分を心得、
日本流に染まってくれたからであろう。客として住み着き、いつしか
彼らは自然に日本人となった。

一人を慎む

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何にその人の品性や、親の育て方がわかるかと言って食事の
最中の姿勢だと先の記事で書いた。

それで思い出したのが亡き向田邦子さんのエッセーで読んだ
「一人を慎む」という言葉である。

向田さんがある女性と食事しながら対談なさっていた時のこと、
対談相手の方が、いきなり箸を伸ばし器の端にひっかけ、
手元に引き寄せ、向田さんは(ああ、この方お一人の時の癖が
つい出たのね)と。

そして向田さんは他人ごとならずとして、自分一人でいる時も、
所作もマナーもきちんとしよう・・・・・と思われるのである。

「一人を慎む」というのは、極めて日本的な発想であるかもしれない。

誰しも人の目がないときは、しどけなくなる。特に食事の最中に。
心したいと、我が身に言い聞かせる。

誰が見ずとも天が見ているぞ、と思いたい。

水と油

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河上和雄さんの訃報を聞いた。元東京地検特捜部長である。

河上さんが「バンキシャ!」に毎回レギュラーで出ていらっしゃる頃、
私も頻繁に番組に呼んでもらっていたので、よくご一緒させていただいた。

当初、(なんだ、このやろ)と思っていらっしゃることが、よく
解った。そう思うのも当然だろうとも思った。
私は河上さんの思考回路も感性も理解できるが、あちらにとって
私は異星人だろうなあ、とも。

二人が並ぶと、水と油で妙におかしい、面白いと言われた。
水と油であり、硬と軟でもあろう。

男がドルチェアンドガバーナの女ものの新作発売に
列をつくる時代なので、女学校に男子が出願しても
驚かない、今は男らしさ女らしさの時代ではなく
「人間らしさ」の時代だ、などと私が飛ばすのを、
隣で苦虫を潰すようなお顔で、聞かれていた。

しかし、何度か番組で顔を合わせるに連れ、あちらから
話しかけてくださるようになった。たぶん、軟弱でどーしようもない、
と思われていた私が意外に硬派の要素があるのに
気づかれてから‥‥・・だと感じていたが、ご本人に伺ってないので
解らない。

水と油がいくらか融合し合うようになった頃、
河上さんは、番組を降板され私も滅多に呼ばれなくなった。

晩年に再婚されたが、喪主が長男さんになっていた。
籍は入れられなかったのだろうか。

河上和雄さん、つかの間の浅いご縁でしたが全く違う世界の方との
接触、面白かったです。ご冥福をお祈りします。

のどくろ三昧

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昨日は、元NHK局長でいらした小林由紀子さんと会食だった。
結婚され小林姓になられたが、元々岡本由紀子さんとして
「おしん」はじめヒット作を多く送り出した方で、
私も多大にお世話になっている。

プラハでグランプリを得た「みちしるべ」は小林さんプロデュースである。

のどくろの塩焼きと煮付けが入っているコースだったのだが
開きも欲しかったので、単品注文した。

これだけしじゅうのどくろを食べに来ていて、私の中の
ベスト3,毛がに、ふぐ、伊勢海老は不動である。

 

向井理くんと、コン・ユさん

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昨夜、向井くんの「永遠のゼロ」を見て、ふと気づいたのだが
コン・ユと芝居の質とグレードが似ている。
繊細で直感的で、かつパワフルであるところは質として
似ていると言っていいかもしれない。

「花嫁の父」で向井くんと組むまで、実は彼に対して
私はほとんど知識がなかった。
それが作品が出来上がって、舌を巻いたのだった。

これは脚本家でなければ解らないことなのだが、セリフと
ト書きにこちらがこめたこと、そのまんま1ミリも狂わず受け止めて、
小細工なしの正攻法の芝居。

このたびの「わが家」でいよいよ、その思いを深くした。

コン・ユは私は100年に一度の逸材だと思っている。
年を重ねると100年という単位はさして、長くはないので
過褒ではない。

二十歳そこそこの頃からの作品から現在の45歳に至るまで
行ったり戻ったりしながら、コン・ユの芝居を見続け、
この人は天才であると同時に、ストイックなまでに演技に
誠実に向き合う人だと感じている。
それは日本で言う「道」の感性でもある。

華道、茶道、柔道、剣道、書道・・・・などなど、究めることが
天の何かに通じる如き、求道であること。

芝居も常に進化、体も役者の表現道具だと心得ての
鍛錬もコン・ユと向井くんに共通の魂を感じる。

組んだことのある某役者のぶよぶよした肉体を作品で
見て辟易としたことを思い出した。芝居は個性的で面白かったが、
芝居そのものにも贅肉がついていた。
少々売れ始めているが、この人は大成しないと予言しておく。
それに、これが最も大事なことだが、人としての品格に決定的に欠ける。

向井くんは若いので、100年に一度の俳優と言い切るには
まだ早いかもしれないが、私はそう予感している。

と勝手なことを吹いて、ふと振り返る我が身の重さ。
いいんだもん、顔で売ってるわけでなし、体に値段がつくでなし。

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