呉善花さんの思想的立ち位置も、また片言隻語としての言葉も
存じ上げているのですが、思えば著書を拝読したことがありません。
一夕、食事を共にして頂けるのにこれは失礼ということで「さらば自壊する韓国よ!」に続いて「なぜ『日本人がブランド価値』なのか」を、拝読している最中です。
後者は日本の美と日本人の優雅を語って倦(う)まぬ好著です。
いまだ読み終えてはいませんが、(元)韓国人である呉善花氏のなんとよく、
勉強なさっていること、そして言葉の優美なこと、豊かなこと。
感動しました。
わたくしなど、日本語のたおやかさや、日本人の精神の端正なことを
時折書いているものの、系統だった勉強はしていず恥じるばかりです。
学者ではないので、この程度でいいだろうとどこかで思っているフシがあり、
しかし人様に語るからには、学びは必須でしょう。
思えばわたくしは、日本の国体については台湾人の友人に、そして今、日本文化について元韓国人の方に学ぼうとしています。とりわけ理由もなく、自分らしいという気もするのです。
日本という、稀有の花を咲かせる土壌に天皇陛下がおわしたことは
自明の理ですが、しかしながら敗戦後GHQの関与により、伝統性と
なかんずく祭祀がおろそかになりつつあることを憂えています。
皇室の美学というものが、代々あったように思うのですが。
わたくしなど、どういうめぐり合わせか知らずにいれば
のん気でいられるものを、なぜか耳に入ってしまうのも
定めの1つなのでしょうか。
知り過ぎた不幸というものがありますが、知らずに幸せでいるより、
知っていることにより得る不幸のほうを、わたくしは選ぶ人種のようです。
もろもろ知ってしまった今、皇室を過度に美化はせず、過剰な理想化もしてはいませんが、最小限侵してはならぬ則(のり)と言うものはあるであろうと、考えています。
堡塁(ほるい)であった秋篠宮家ですが、眞子さまのご婚約により揺らいでいる保守・・・・それも、皇室の内情を知る人達・・・・が多いようです。
まずは、眞子さまとお相手(とされている)がお二人並んで会見されるのを
確かめるまでは気持ち保留としつつも。
ひょっとして、日本人はもはや神事を天皇陛下頼みにするのではなく、それぞれ個々人が天(神)につながるべき時代を迎えつつあるのか、という想念もふと脳裏をよぎります。
婚約発表が行われるという、7月8日を待って、その結果により心を定めようと思っています。まだ、どこか腑に落ちない奇妙な婚約報道です。
それにしても、宮家の内親王が民間の相手のバイトの都合による日時に合わせられ、しかも縁起でいうなら先勝の日の午後2時から6時は凶のはず。
六曜など、普段は気にしない人も結納や結婚式には吉日を選ぶのが、『日本人』の感性でしょうに? しかも当日は金日成の命日とは一体何の悪意なのか、とつい思ってしまうのは、背後に何やらうごめいているものを感じるからでしょう。
どうせなら、祝って差しあげようと思えないのは、今後の皇室の命運の一端がそこにかかっているからです。
神道は基本的に六曜と無縁の存在ではありますが、探れば皇族がたも暦は考慮して諸事をおやりになっている形跡があります。仮に世俗の単なる習わしであっても寿ぎの日にわざわざ「凶」? と思いはそこへまた向かうのですが。相手の男性自体がわたくしは眞子さまには凶と思っていますので。びっくり箱のように、全く別の男性が眞子さまのお隣に座っていて欲しいものです。
悠仁親王が、無事天皇陛下に即位なさる日の来ることを祈りつつ記す。
片言隻語 (へんげんせきご) ほんのちょっとした言葉
堡塁 (ほうるい・ほるい) 敵の攻撃を防ぐために、構築 された陣地
六曜 (ろくよう・りくよう) 暦上の日を6種の吉凶日に 分けたもの
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