民主党大勝の時は、事前に予測していたのでさほどの衝撃もなかったのですが、
今回は、いくらかの「意外な結果」を期待していたので、昨夜来のどんよりした気分をいまだひきずって、日拝も梅雨の曇天であったこともあり晴れやかさに欠けました。
脳裏に浮かんだのは「あきらめの朝」という言葉です。
イメージ転換を図っていた千昌夫さんに詞を書いたのは私です。
もう半世紀も前のこと。
唯一の演歌作詞ですが、ヒットせず埋もれました。平尾昌晃さんの曲はよかったのですが、千さんから泥臭を抜き取ろうとすることじたいに無理があったのかもしれません。欠点は往々にして最大の長所です。
国は、これから険阻な道へさしかかるだろうし、眞子さまの1件を含めて皇室も、こころもとない状況です。
国民から見れば皇室と絶対に関わってはならないお相手ですが、仄聞するところに依るとお相手の出自も承知での容認ということなので、それが事実ならもはや申し上げることもありません。
ご婚約会見を拝見するまでは軽々に言えぬことながら、万事休すの思いしきり。
先にも書きましたが、旧来の存在価値としての皇室は存在しなくなる流れにあるのかもしれません。ならば、日本の神々とのつながりは、私達が個々、心がけるしかないでしょう。
国は悪しき方向へ激動を余儀なくされるでしょうが、個々人はしっかり歩を進めて参りましょう。固定された歴史は存在せず、常に流れ流れて変化します。