今日は、森繁久彌さんに託して「響き、リズムとしての日本語」について
述べるつもりでいましたが、昨夜テレビで思わぬ方の思わぬ姿を拝見したので、
そのことについて記したいと思います。
世田谷の住宅街に暮らしている頃、家の前が歯科医で時々
行っていました。
ある日、予約をいれてから訪れると待合室に見た顔が座っています。
(あ、真屋順子さんだ)
と思う間もなく立ち上がられ、
「いらっしゃると、こちらの先生にうかがいお待ちしてました。作品のファンですの」
と、「欽どこ」のあの温かい人懐こい笑顔でおっしゃったのでした。
初対面でした。そして、それっきりお会いすることもなく、時が経ちました。
歯医者さんでご挨拶を頂いてから、それとなく真屋さんのお仕事に関心を
抱いていたたのですが、いつの頃からかお姿を拝見しなくなりました。
それが、いきなり昨夜のテレビ。脳出血を機に寝たきりになってらして、
自発呼吸も出来ず、言葉もままならない状態で胸をつかれました。
介護に親身だったご主人も癌で逝かれ、なんと過酷な人生を生きて
いらっしゃるのでしょう。
ただ、救いは息子さんがご健在で面倒を見ていらっしゃることです。
「欽どこ」に出演していた子役が今は長じてアメリカ人と結婚、
会いに来たその子を見た瞬間の真屋さんの、驚きに見開かれた目。
それまで無表情だった目にいきなり、感情が灯った瞬間でした。
バラエティの舞台の親子とはいえ、それなりのご縁なのでしょう。
人の世の絆は卒爾ではありません。
*卒爾(そつじ)=偶然
後記 コメント欄に非公開指定でご注意を受けました。
卒爾に偶然という意味はないのではないかと。
卒爾=にわかなこと。また、そのさま。 だしぬけ。突然。「驚ろかされた人のように、―な質問を掛けた」〈漱石・明暗〉2 軽率な こと。また、そのさま。かるはずみ。「為朝―に死すべからず」〈読・弓張月・続〉3 失礼な ...
辞書的字義は、以上です。
私の上記の文脈において「卒爾ではない」と否定形で用いれば「突然ではない=偶然ではない=必然である」というごときトーンで説明したのですが、
確かに、ご指摘の通り卒爾という言葉の説明を単独でもし捉えられれば、偶然とするには無理がありますね。
お詫びして訂正します。
(文章内の用法は偶然というニュアンスで使っていますが、これは間違いではないので訂正しません)
指摘してくださった方に、感謝申し上げます。
誤変換他、後ほど推敲致します。