昨日11日、明治神宮・至誠館における「武道事始」に参列させていただいた。
軟弱な私に似気無(にげな)いことであるが、至誠館館長でいらっしゃる
荒谷卓氏にお招きいただいたのだ。
道場前の廊下で出会った荒谷館長はすでに白装束でいらっしゃり、私がインフルエンザで臥せっていた事をご存じなのか、しきりに体調を気遣って頂いた。
160畳程度であろうか、広い道場には暖房もなく、背中から冷気が押し寄せ、足元から這い上がり、震えすくみながら、若い男女の門下生たちに混じって、鹿島流祓いの太刀他の演舞を拝見した。
私は客人扱いしていただいたので、椅子であるが皆さん硬い床に正座である。
白人もいて聞けば、ポーランド、ロシア、イギリス、ノルウェー、スイス、ドイツ、フランス、チェコにも門人がいて、ここを訪れるという。
4,5歳かと思われる日本の子たちも、きちんと正座していて頼もしかった。
演舞はまず、神官の祝詞の始まりそれから一門要人の方たちの玉串奉奠で始まり、その後国歌斉唱だった。そして日本の武道へと連なったのだが、礼に始まり礼でおわる演舞を拝見しながら、日本の武道の特殊性・・・・というより卓越性をやはり思った。
礼儀作法が伴う武道。そこには神道の裏打ちがあり、相手の魂への敬意がある。太刀に憎しみは伴わない。
何やら武道はじめあれこれの発祥を自国だと強弁して喧しい国があるが、
彼らが決定的に模倣剽窃出来ぬのは武道に伴う精神性であり、様式に昇華された美意識であろうと思われる。
武道の「道(どう)」、が彼らには欠落しているのである。
華道、茶道いずれも同じ。いくら形をなぞろうとも、それに精進し宇宙万般の深奥を極めるに至る「道(みち)」がなければ、形のみ真似た武道や、華道茶道の形骸でしかない。
道場から弓道場へと場所を移し、片肌脱ぎで的を狙う人の姿に、
いずれかの時代にタイムスリップした思い。
的の据えられた中庭には、うらうらと冬の陽が照りわたり、遠くから
都会の騒音がそれでも、遠い潮騒のように聞こえて来る。
臥せっていたので、昨日が初詣であり本殿へと向かったのだが、
花嫁道中と出会った。神官に和傘をさしかけられながら、
しずしずと歩みを進める綿帽子の花嫁は、さながら純白の花だった。
冬の空は青々と高く、木々の息吹も青く清々しく、ようよう新年を
迎えた思いであった。
それにしても、神事や武道にまつわる言葉を知らない。
日々語嚢(ごのう)を豊かにすべく、言葉の渉猟はおさおさ
怠りはないつもりなのだが、ちょっと知らぬ世界へ足を踏み入れると
お手上げである。
上記の拙文も、実はごまかしながら綴っている。要するに該当語句を
知らぬので、「中庭」など当たらず触らずの言葉でぼかしているのである。
祓い太刀という使い方も正しいのかどうか、自信がない。
「和傘」は間違いないが、適切な言葉がきっとある。
「椅子」と表現したが背もたれのないそれには、他に正しい名称がある。
神官の衣装にしろ、何にしろ表現できないのだ、言葉を知らぬばかりに。
浅沓(あさぐつ)という言葉を知ったのは、靖国神社さんに訪れるようになり、
それに関する一文を書く必要に迫られてからである。
思うに対象を正確な言語で表現するまで、その対象を手の内に
入れたことにはならない。
言葉を一つ手に入れれば、その分世界が広がる。深くなる。
文中「おさおさ」などというもはや古語めく言葉を用いたのは、
万葉記紀もまた忘れたくないからである。
言葉が最小限の伝達のためにだけ単なる記号化しては、
日本人は日本の精神性を失うことになる。
憲法改正、あるいは自主憲法制定論に私がおぼつかなくながらも
傾くのは、実は日本国憲法の文章としての醜さもある。
憲法は本来の規矩(きく)正しい日本語であらまほしい。
本来世界でも類例のないほど、豊かな言語を持つ国が日本である。
そのことを自覚、言葉を大切にしたい。
国語が乏しくなるに連れ、国の心も貧しく痩せ細る。
以下は、至誠館に関する資料である。
http://www.meijijingu.or.jp/shiseikan/topic/index.html