コン・ユのDVDを見ようと、テレビをつけたら着物の洗いをなさる
職人さんが映っていて、思わず見入ったのだった。
着物が、解くと反物に戻るようになるように「設計されている」という
表現も面白かったし、専門の着物の洗い職人さんの繊細な
技は拝みたいほど。
色変わりした着物に、思いもしない色彩をかけて修復する凄技。
更には、どうしても修復出来ないシミの箇所には、着物の柄に絵を合わせて
描き入れるという絶妙の技で、これはもうお一人しかいないということで、
はたの私が心配で残念なことである。
それにしても、着物の凄さ。世界のあらゆる衣装の中で、これまで
使い倒し、着倒し、しかし価格は天井知らず・・・・・という美術品の
ごとき存在は唯一ではないか。
それにしても、職人さんは若き頃より着物と向き合い、人様の
着物の修復に一生を費やされるわけである。
凄いことだと思う。
言ってみればそれがなくても、人が生きていくに困るわけではない
世界で職人を全うするというのは、こわいし勇気の要ることだし、
むろん根気は言わずもがな。
私の仕事とて、世の中になければ人が困るというものでもなく、
思えば儚い仕事であろう。しかし、半生をそれに捧げることになる。
人はなんのために生まれ、なんのために生きるのか。
まず己が何者かを知るために。知ったら人様のお役に立てる仕事をするために。
この2つが1セットで、人は生きるのではあるまいか。
書けなくなったら、命を絶ちたい。自死は選ばないので、生き延びるかと思うが
書かない時間が延々と続くのは、緩慢な地獄のようでつらい。
書ける僥倖を噛み締め感謝しつつ。