今朝、トーストに目玉焼き、ベーコンエッグという定番朝食が欲しくなり
カフェに向かう道すがら、媚薬のように鼻孔をくすぐる香りがあり、
見れば白い陶器めく梔子(くちなし)です。
街路樹のかたわらに群れ咲いて、この花の香気は雨季を含んだ空気の中でこそ
引き立ちます。ジャスミンと並んで官能的な香りです。
ジャスミンは、香油も精製した後の香りの残るジャスミンウォーターも
持っていますが、梔子のそれはありません。
以前インド産の香油を手に入れましたが、梔子とは似ても似つかぬ匂い。
雨のあわいに、つかの間開く花の香気と思えば余計に香りが貴重です。
花は香りで存在を訴えかけてくれますが、月もひょっとしたら
「気配」で語りかけてくるようで、夜道を歩いていて
ふと見上げたらほぼまんまるな月で、調べたら満月は明日ですが、
しばし足を止め、見上げていました。
「雨月(うげつ)」というのは、名月が雨に隠れて見えぬさまを
言いますが、見えない月にまで名を与える日本人の心映えを
ゆかしく感じます。
「雨に咲く花」は井上ひろしという歌い手さんが歌い、往時ヒットした
曲名ですが、その歌詞の一節に、
およばぬことと あきらめました
とあり、自分の身の丈に合わぬ高嶺のお方に懸想した切ない
恋心を当時の人々は「及ばぬ」と慎ましく表現し、
しかしこの言葉も今は廃れつつあるでしょうか。
歌は、
ままになるなら、いまいちど
ひと目だけでも逢いたいの、で結ばれますが
「ままになる」「ままにならない」も、使わなくなりつつあるのかも
しれません。
あめにうたれて さいている はなが わたしの 恋かしら。
何番目かの歌詞の結びです。
文中の「懸想」は「けそう・けしょう」と読み、恋い慕うという意味です。
そういえば・・・・昭和も初期の日本映画のせりふには
「お慕い申し上げております」などという、これもつつましい
恋心の表白がありました。
と書きつつ、ふとまた思い出したのですが高校生の頃、通りかかった
体育館の裏手で、井上ひろしさんに遭遇しました。
当時はコンサートが体育館で行われていました。楽屋がないので、通路代わりに
体育館の裏手を移動していたのでしょう。
高度成長期にあったか、差し掛かっていたか、という時でしたがまだ
国民は経済的には豊かとは言えない時代です。でも情調はまだたっぷりと、
日本人の心にありました。
中学生の頃、川口浩さんのコンサートは体育館の水を抜いたプールの底に
ござか何かを敷いて客席にし、行われたのでした。川口さんは
不良っぽい坊っちゃんのイメージで、市川崑監督、岸恵子さん主演の「おとうと」での
役柄はそのまま、うってつけでした。
井上ひろしさんの、舞台化粧が当時は男の化粧は珍しく記憶に残っています。
首をちょっと傾げながら、優美なしぐさの人でした。
井上さんは44歳で、川口さんは55歳でこの世を去り、花だけは
雨の中に馥郁と蘇り咲き続けています。
誤変換他、後ほど。