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「君の名前で僕を呼んで」

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「日の名残り」の脚本家がアカデミー賞で脚色賞を得、
俳優他さまざまな賞を得たりノミネートされていて、
アメリカで大ヒットとか。(2018.4.10現在92受賞308ノミネート)
それに加え北イタリアの田舎と、この間訪れたばかりの
ローマが舞台だということで、何気なくAmazonから
取り寄せた映画が「Call me by your name」(君の名前で僕を呼んで)でした。

取り寄せたはいいが、字幕が広東語の選択があるのに
日本語字幕はなし。
イタリア語になったときだけ、英語の字幕が出る、という
難儀な見方をしたのですが、内容は解りました。

幸い、原作小説の翻訳版を合わせて求めていたので、
観終わった後、ついていけなかった箇所を小説版で
補強したのでした。それでも、ネットにある専門サイトで
予告編を観ただけで、とりこぼしたセリフがあります。

http://cmbyn-movie.jp/

 

4月27日(金)公開『君の名前で僕を呼んで』日本版本予告

 

以下、少し内容に触れるので観ようと思う人は
読まぬほうがよいと思うけれど。

1983年、北イタリアの果樹園に囲まれたヴィラで大学教授の父を持つ17歳の
少年は、ガールフレンドもいて、それなりの経験を持つそういう意味では
普通の少年なのですが、その夏ヴィラを訪れたアメリカの
若い研究者の男に強く惹かれてしまうのです。

男は少年を冷たく避けながら、その実彼もひと目見たときから
少年に恋しているのですが、その感情に正直に
向かい合えず、二人の仲はぎくしゃくとします。

そして結ばれる・・・・という話の運びなのですが、
アメリカに戻った男から電話で、結婚すると聞き、
祝意を伝える少年なのですが、電話を切った後、
暖炉の前で泣く。ひと夏の終わりです。セリフもないまま、延々と少年の
さまざまな感情が交差する表情をカメラは映します。延々と。
そして画面から少年の姿が消えてからなお、暖炉の薪の爆ぜる音が
残っている。というごとき余韻の残る結びでした。
映画のこういう終わり方を観るのは初めてかもしれません。
集中度の低い、画面の小さなテレビでは使えない手法です。
(後述 調べたら少年の表情だけを移し続けるラストは3分30秒だそう。
それでも、飽きないのです)

「日の名残り」のベテラン脚本家ジェームズ・アイヴォリー(90歳)の
脚本ですが、原作の末尾はごそっとカットして、しかし小説で描いた世界を
映像としてみずみずしく繊細に再現していて、鮮やかでした。

英国アカデミー賞 脚色賞および 第90回アカデミー賞 脚色賞 を初受賞、全米脚本家組合賞脚色賞、放送映画批評家協会賞脚色賞、サンフランシスコ映画批評家協会脚色賞、シカゴ映画批評家協会脚色賞、フロリダ映画批評家協会脚色賞、オースティン映画批評家協会脚色賞

小説はシノプシスにすれば、原稿用紙2枚もあれば
足る態度の展開なのですが、少年の繊細な心理を
呆れるくらい細やかに描写して、これは白人作家の
いい意味における執拗さで、学びたい点です。分野は
全く異なりますが、スティーブン・キングの、これでもか
と細部を描き尽くす作風を連想したのでした。

なぜ、男があれほど強く少年に恋しながら、間を置かず女性と結婚するのか、そこに疑問が残りましたが、おそらく彼は常識のほうを
選んだのだろうし、あるいはヘイターの父親を恐れたのかもしれないし、
またひと夏つかの間の恋が、永遠に続くものではないことを知っていたのかもしれません。

少年の両親は、少年と青年の恋に気づきながら
無言で見守っています。

父親のせりふが、原作でも映像でも図抜けて優れていました。

「炎があるなら吹き消すな。乱暴に扱うな」

「放っておけば自然に治るものを、もっと早く治すために心の一部を
むしり取ってしまえば、三十歳になる頃には心が空っぽになり、新しい相手と
関係を始めようとしても相手に与えられるものが何もないことになる」

「建前と本音。その中間にも多くの生き方がある。しかし本当の人生は
ひとつしかない。気がつけば心はくたびれ果て、体はいずれ誰も見てくれない」

(オークラ出版 マグノリアブックス アンドレ・アシマン著 高岡薫・訳)

示唆に富んだ言葉がもっと長くあるのですが、脚本家もやはりこの部分に
感応して、父親に延々と長台詞を言わせています。

 

『君の名前で僕を呼んで』インタビュー特別映像

 

映画への疑問はもう一つ、なぜ男性同士なのか、男女ではないのか、と
いうことでした。しかしながら、愛の本質を描くには世間一般の
誰もが受け入れる関係ではなく、一種の極限に二人を置くことを
作家は選んだのでしょう。

少年と青年がユダヤ人同士であるということが
キーだと思うのですが、ここは日本人である私には
実感では分かりづらい部分です。全く解らぬというほどではないのですが、
想像の域内です。同じ国内にいて「異邦人である」という民族意識を
日本人は持たず、おおむね周囲は同胞です。

映画に現れるローマが、旅行嫌いの私が当初はあれほどうんざりしていたローマが、
今は恋しく勝手なものです。美しい街です。
イタリア人の美意識は天性なのでしょう、田舎の建物の
一つ一つさえアートなのです。風雪に漆喰が剥げ落ち、レンガが露わになった
塀さえあたかも絵画。

日本の美意識は特有で卓越しているところもあるのですが、こと建物と
町並みに関しては美のかけらとてなく殺風景です。

イタリアの田舎で数日間を過ごすことは積年の夢ですが、
映画を観て、なおさらその思いが募りました。

ローマのホテルに日替わりで置かれるタオル地のスリッパです。
デザインがいいので、鞄に放り込んで来ました。

 

誤変換、他の地ほど。


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