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Channel: 井沢満ブログ
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夢と現の間にボヘミアンラプソディー

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夢とも現(うつつ)とも知れぬ間(あわい)に聴き覚えたばかりで
しかし耳朶(じだ)に刻印された旋律と声が聞こえてきて、
ぼんやり目を開けたら55インチのテレビ画面に映し出されて
いたのはQUEENだった。

テレビをつけっぱなしで、ベッドでうつらうつらする悪癖があり、
この時もそうだった。しかし、悪癖のお蔭でQUEENの
ドキュメントを見逃さずに済んだ。放送があることすら
知らなかったのだ。これもご縁というものであろうか。

映画的効果のために脚色した箇所を除いては、映画が比較的
現実を忠実に写し取ったものであることをドキュメントの
お蔭で知った。

楽曲の並びが映画では時系列に沿ったものではない、という
ご指摘をコメント欄に頂戴したが、それも映画的効果のための
意図的作為であり、私も脚本家であればそうする。
かつて杉田久女という俳人を田辺聖子さん原作でNHKの
ドラマ「台所の聖女」で描いたことがあり、(樹木希林さんの
主役であり、この作品を機として希林さんとの長くはなかったお付き合いも
始まったのだが)、作品では久女のモノローグの代わりに
久女の俳句を使った。しかし作品の生まれた順番は意図的に無視、
シーンに最もそぐわしい俳句を用いたのだった。

時系列の乱れを指摘されたのは、鈴木清順先生の奥様であり
清順先生の口からそれをお聞きした。
確信犯であったので、それで揺らぎはしなかったが、詳しい
ファンには気になる点であろうことは、理解できる。

映画ではフレディの日本への思いは、時々羽織る華やかな
女物のキモノによって表現されていたが、ドキュメントによれば
陶器への関心も深く、また自宅の庭は日本人に
作らせた庭園があった。

GUEENの楽曲にいち早く感応したのは本国イギリスではなく、
日本の若い女性たちであったという。
曲に込められた精神性が、日本人の心を揺さぶるのであろうし、
ゲイとしてのフレディの感性の繊細さが、まず訴えかけたのが
敏感な若い女性たちであったことも頷ける。

フレディは巧みに絵を描き、陶芸を学びそしてファッションのクリエイターとして
美の領域を渡り歩き、音楽にたどり着いた。

映画で演じたメンバーの一人が、旭日旗のシャツを着ていたとかで
韓国の人々が騒いでいて、怒るより物悲しくなる。
いつまでこの人たちは、旭日旗狩りをして憂さを晴らす
つもりなのか。ボヘミアン・ラプソディという人類が
生み出したこの豊穣な映画を前に、何という貧相。

旭日旗にしろ、慰安婦にしろ徴用工にしろ、ある時期までは
話題にすら上っていなかったのであり、明らかに後追いで
人工的に盛り上げられた日本撃ちである。

日本を戦争犯罪国として旭日旗をナチスのハーケンクロイツと
同一視するごときは、所詮無理でありその無理をしかし、
韓国の人々は飽きもせず続ける。

クロード・モネの絵画「ラ・ジャポネーズ」における
女の赤いキモノを、もしモネが現代に生きていたら
キモノではなく、BTSや他の韓流を画材に取り上げていたであろう、
と大真面目に書いているのが、これが韓国の大学教授であり、
ほとほと、何という人たちか、そこまで日本文化に
羨望と劣等感を抱くのか、と吐息が漏れる。
ゴッホも浮世絵を絵のモチーフに用いているが、同じことを
言うのだろうか。

「日流」か韓流かというごとき狭隘な次元に画材はなく、
欧州のアーチストたちが感応したのは、日本の絵師たちの
遠近法に制限されぬ闊達な感性に対してである。
それは日本のアニメの隆盛にも連なっているのであり、
韓国アニメが日本に追いつかないのは、伝統の
裏打ちがないからだ。悲しい民族、いや言ってしまえば
哀れな民族だと思う。むろん、一部に卓越した感性の
アーチストはいる。紙芝居的な面白さでは、上手な作品も
幾つかあるが映画において芸術の高みに上り詰めた韓国映画を
私は1本しか知らない。韓国における実在の殺人犯を
取り上げた作品で、タイトルはとっさには思い出さないのだが
これは秀逸だった。

話題が一転して飛ぶが、基礎科学研究の学徒たちに日本はお金を使わない。
日本文化がこれほど花開いたのも、当時の権力者や豪商がスポンサーとして
いたからだ。
科学とて同じことであろう。
このところ、日本は立て続けにノーベル賞の受賞者を輩出しているが、
現状では先細りになるかもしれぬ。
受賞者を一人も出していない韓国の研究費より大幅に安いと聞けば
愕然とせざるを得ない。

国は中国人の若者たちを呼び寄せ学ばせるお金があるなら、なぜ
日本人の学徒たちに回さぬのか。将来、親日的な中国人を
養成するためなのだそうだが、日本にたかだか数年いて
日本で学んだらといって親日になりはしない。あの、韓国という祖国への
熾烈な愛国心を持っていた呉善花さんも、日韓の歴史の真実を悟るまで
延々と時間を費やしている。
それも、主体的に日本文化を理解しようと務めた上でのことである。
中国政府の号令一下、五星紅旗を振りたて長野に参集して
怒声を上げたのが中国人留学生であったことを忘れまい。
ターゲットは中国のチベット弾圧に抗議する人々であった。
政府の偽りの義のもとに、本物の義は打ち据えられた。

国費を用いての留学生受け入れは単に一例として上げたまでのことで、
要は不要の冗費使用を止めて、日本人の若者、つまりは
日本の未来に投資せよという主張である。

たとえば「戦略的広報」とやらで立ち上げられた「ジャパン・ハウス」、この
クソくだらない(失礼)施設に費やす予算が500億円なのだ。
500億を、日本の基礎科学の学びの場に回すほうが100倍も
日本のためである。

QUEENを語ればなぜか日本文化に行き着く。
何かがきっと通底しているからであろう。ロックを毛嫌いしてきた
私の胸にさえ、QUEENの楽曲は素直に染み入る。
根っこがオペラという古典と通底しているのではないか、という
私の直感も外れてはいなかったようで、彼はオペラの
プリマドンナと共にオペラも歌っている。
タキシードに威儀をただしてフレディが歌い上げるオペラに私は
ひれ伏す思いであった。
直感と言えば「ボヘミアン・ラプソディ」はフレディのゲイとしての
苦悩から生まれたものではないかと薄々映画で感じたことも、間違っては
いなかったようだ。
一人の女性に一生の愛を捧げながら、晩年は同性の恋人と穏やかに寄り添い
生を終えたフレディは多面体で、幾つもの複雑な光を見せる。

というごときことを考えながら拙文を綴り、途中で調べ物があり
いったんブログを閉ざして、ついでにコメント欄を覗いたら、
まさしく、私が本稿で書こうとしていたと同じテーマの
投稿があり、シンクロに不思議な思いをした。

フレディが生きていれば、私の一歳下である。
凡才は天才の倍生きねば、この世の真実も美も掴めぬ。
恥多く生きながらえてしまったこの身を浅ましく感じていたが、
生きてあることの必然をこの頃やっとしぶしぶ感じ始めている。

人生は、悲しみと苦しみを湛えながらしかし祝祭である。


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