韓国が「我が国と価値観を共有する法治国家」だと
思ったことはない。政治的リップサービスで
著書にそう記した安倍総理も、もはや言わない。
感情が司法に勝る情痴国家である。韓国ネット民の
書き込みを見ていると、つくづくそう思う。
彼我も共にネット族の極端に歪曲化した言い分自体は変わらず、
根っこにあるのは、その国民性の歪んだ形での
表出であるにしても飾らぬ本音も潜む。
彼我の本音を見比べてみても、基礎の道理は日本人のほうに
あると私は思う。
そういう必ずしもレベルが高いとは言えないサイトの
日本語訳の書き込みを見ていて、「日本の神代文字はハングルを
真似たもので、捏造である」という言い分を見て、相変わらずだな
とは思ったが、とりわけ自分の関心が深い神代文字についての
歪曲だったので、一言書いておきたくなった、というほど
日本の古代文字だとされている神代文字に付いて、学んで
いるわけではない。学説でまだ定着してはいないものを
声高に主張するほどの確信があるわけでもない。
ただ、直感的にそれは「あった」と思い、そこから
傍証を探りつつある段階である。
韓国の低レベルの書き込みに対して、彼らと同じ次元で
言い返すとするなら、それほどハングルが漢字、平仮名とカタカナを
混交した日本語より優れているなら、なぜ世界最古の長編小説が
日本でしかも女性の手で「源氏物語」として誕生したのか、と女性の
地位が低かった韓国のネット民に問いたいのである。
同音異義が驚くべく多いのも、ハングルが未発達な文字で
あることを示している。漢字を捨て去ったせいで、韓国の
文字はより混乱を来すこととなった。
長い間の文字の蓄積がなければ同時期に書かれた「枕草子」の誕生もない、
というのも神代文字が存在したと思われる理由の一つである。
清少納言の「枕草子」は、西洋でエッセーの始まりとされている
モンテーニュのそれより執筆時期が古い。
「枕草子」に続く、これは男の手になる「方丈記」や
「徒然草」もモンテーニュよりも前に書かれている。
日本の三大随筆は、西欧より早いのだ。
文化はそれまでの蓄積の土壌に花開く。
それゆえ中国から文字が入ってくるまで、日本の伝達法は
口承であったという説を私は取らない。
韓国からの貶めに対して、あちらと同じ感情で返すなら
ではその優れたハングルでなぜ、ノーベル賞が
獲れないのか、世宗大王が「愚民が読み書きできる文字」として
創案したハングルを一般に広めたのは、併合時代の日本で
あったという事実を見ぬのか、と問いかけたい。
文字すらない蕃(蛮)国に中国が「漢委奴国王」の金印を
授けるわけもないではないか。金印は文書に押されるものである。
すなわち日本国に文字でなる文書があったという証左であろう。
漢字伝来とされる年より500年近くも前に、金印が
授けられたことは中国の歴史書である『後漢書』に
記されている。
金印は中国の相手国に対する最大級の敬意であり、
軽んじていれば銀印、銅印(泥印)とランクが下がる。
文字持たぬ国への金印はあり得ない。
ちなみにこの時代には、朝鮮半島の南半分が
倭国の領土であった、という説がある。だから
同等の隣国としての倭国と中国は誼(よしみ)を通じる
必要があっての金印であったという推論があり得る。
朝鮮通信使を引き合いに「朝鮮の高い文化を、日本に
与えてやった」というのも韓国側の言い分の定番であるが、
その朝鮮通信使が自国で教え込まれていた日本の
文化の低さが嘘であったことを来日して初めて知り、
嫉妬と悔しさで身悶えしているさまは『日東壮遊歌』に
詳しく自らの手で記している。
朝鮮通信使の中には、科挙を経てきた官僚として
儒教の教養を持っていた人もいた、とこれはフェアに
記しておくが、総じて朝鮮通信使は日本の民家から
鶏を盗むなど、質が高くはなかった。
濊(わい)は中国の史書である『三国志』や『後漢書』などに記されている
古代民族であり、すなわち朝鮮人である。そして濊は糞便を意味する。
理由は知らぬが汚穢族と書くべきところ、中国は氵を用いて濊の
字を宛てた。
我ながら酷いことを記していると思うが、事実である。
事実であっても、韓国が余りにも日本を不当に貶めにかからねば
言い立てはしない。韓国のみならず他国を貶めるごとき
ことを、わざわざ書きはしない。
併合前のソウルが、垂れ流しの糞便混じりの泥道であったことは、
訪れた外国人たちが記していることであり、詳らかには
書かぬが韓国と糞便とのある種の「親和性」については、
知る人ぞ知る。家の中にトイレが出来たのは日韓併合後の
ことである。李氏朝鮮に「清潔」の観念をもたらしたのは
日本であった。
縄文展を観に行った時、一驚したのは
そのメソポタミア文明における出土品の技術と
引けを取らぬ精巧さであった。
日本が濊族から文化文明を授けて頂く余地など、かけらもない。
五十音の存在も、漢字伝来以前に日本に文字があったとしないと、
説明がつかない。
神代文字とされているものは30種類を超え、中には
ハングルと見紛うものもあるのは事実。しかしながら
それをもって神代文字がハングルの盗用であるとするのは
烏滸の沙汰であろう。中にはメソポタミアの楔形文字に
似ているもの、アラビア文字に似通うものもあるのだ。
そして上記に共通するのは、五十音であるということなのだ。
ありようは、日本の各地でそれぞれ異なる文字が使われていた、
ということではなかろうか。
それを漢字の導入を機に統一が図られたというのは
私見である。古事記にある天武天皇の
「書き文字の統一」への意志を見れば、なおさらその
思いを深くする。
天武天皇と自分を並べるおこがましさを寛恕願えると
するなら、私のかねてよりの持論「言葉は国の防波堤」である
という言葉への緊張感と危機感を天武天皇も
お持ちだったのではないか、とここまで来ると妄想めくが。
中国もまた日本を「中国の漢字を使って中国の悪口を言う日本」と
謗るのだが、その漢字を丹念に保って来たのは日本であり、今や
日本製の熟語を多種、中国が使用しているではないか。
漢字の便宜性を柔軟に取り入れ、平仮名カタカナを混ぜて、
書き文字としても美しい文字を編み上げたのは日本である。
中国3千年、4千年の歴史と誇るが、日本は縄文時代を入れれば
そんな若造の国ではない。11万年前から石器を使っていた。
1万6500年前には世界最古の土器の出現、
1万2500年前には漆が使われていた。
中国2千年がいつしか、3千年となり現在は4千年、5千年説まで
出ていて、南京大虐殺とやらの犠牲者数がいつの間にか
増えている国である。
石器時代を含めなくてもいいが、縄文時代から日本人は
ほぼ単一の日本人であり続けた。計算が不得意で
何年かは解らぬが軽く1万年は超すのではないか。
中国風解釈計算によれば、と添えておくが。
しかも、中国は度重なる外部からの侵略で漢字を編み出し文芸を
産んだ漢民族など今の中国にほぼいないではないか。
文化革命で中国は人民を圧殺したが、文化もまた弑(しい)された。
世界も中国の勢い(人口と国土の広大さ)に眩惑されて来たが
その治世の現実と、国民の人間としての質を問わずに来た。
中国は異文化、異言語の人々による「一見国家」だが
単一民族としてのそれではなく寄せ集めであり、20世紀になるまで
国家という概念すらなく、そこにあったのは個々の
集合体である。
「漢民族」というのは後漢末期の戦乱によりほぼ絶滅し、
北方より侵入の乱暴狼藉の遊牧民の末裔が
現代の中国人である。論語や漢籍、漢詩などは彼らの
ものではない。
「中国」という単一国家が4千年存続して来たことはない。
日本を含めた世界は、しかし中国の放つ巨大な国家CMによる
幻想を信じ込んで来た。
紀元前221年に清の始皇帝に統一された中国だが、
しかし土地も人種も幾多の変遷を繰り返している。
日本と同じ意味における国家の存在形態ではない。
日本という土地に根ざした日本人とは異なり、遊牧民の末裔が
中国人である。性格の底に、モンゴル人の残虐さを秘めている。
故意に貶めるのではない。チベット、ウィグル地区新疆における
残虐非道を見よ。
それは一つの年で500万人を辱め殺し町ごと破壊したモンゴル帝国の
延長線上にある。
モンゴル軍の残虐さは、今もユーラシアの各地で語り継がれ
その血は現在の中国人に流れている。
日韓ともに、もし彼らの日本への狼藉がなければ上記のことなど
取り立てて述べはしないが、斬りかかられた刀は払わねばならぬ。
日米安保に不滅の安定性はない。日々迫りくる中国の日本侵略と
韓国が北朝鮮と一緒になった時を見据えて、日本は
憲法改正を急ぐべきだ。遅きに失しているが、急ぐべきだ。
文字論が横道に逸れ防衛論となってしまったが、
平仮名もカタカナも、神代文字からの発展形なのだ、と
私は仮説として持っておきたいと思うのだ。
この分野については営々と学びたい。日本という国を
正しく解き明かすにとても大切な要素を含んでいると私は思う。
初詣でお守りを頂いた方は、そこに記されてるかもしれない
神代文字に目と心を澄ませて見つめて欲しい。
言葉をないがしろに捨て去った時、国の滅びが始まる。
日本語は国の防波堤である。