友人である内館牧子の「すぐ死ぬんだから」を
一気に読み終えた。
さすが映像畑の作家で、読んでいるとシーンが目に浮かび
会話が音声で立ち上がる。
歯切れのいい文章で綴られ、軽やかな足取りで物語は
ぐいぐい展開するが、いい塩梅に深みも添えてある。
78歳の女が主人公だが、彼女は世間の「楽なほう」に流れる
世間一般の老いが嫌いで「人は外見だ」として、若さの
維持とファッションに気を配るのである。
「これなら浮気もしない」と見込んで見合いをした
夫とは円満。長男が掴んだ嫁がババで、その長男も
出来がいいほうではないが、「お前と結婚してよかった」と
手放しで言ってくれる穏やかな夫との暮らしに満足していて、
つつがなく人生をまっとうしそうであったが、夫の
急死で、物語の中盤にとんだどんでん返しがあり、
主人公は波乱の中に叩き込まれ、しかしその中から
彼女は恨みつらみを捨てることの快適さを
つかみ、残りの人生を生きてゆく、と上手な
あらすじではないが、おおむねそんな話である。
内館がまだ物書きにならないOL時代からの付き合いであるが、
年数を経て手練(てだれ)になったなあ、と思う。
それにしても、タイトルが昔から
上手い。初期の作品「BUSU」は鮮烈であったし、
最近作では「終わった人」そして今度の「すぐ死ぬんだから」。
「人は内面である」やら「シワが美しい」やら、私も
かねがね、こんな嘘っぽいことよく言うなあと思っていたのだが、
内舘の小説は、世間一般に流布されているこれらの
偽善的な言葉を吹き飛ばし、痛快であった。
内面が外見に表れるのは事実であるが、外見が内面を
左右もする。外側をつくろうことは、中身を
整えることにつながる。
老いは汚いのだ。汚いから、努力しないともっと汚くなる、
と小説は語る。「楽」に流れ、体を締め付けない
ゆるゆるの(耳に痛い)、それも灰色を来てセンスの悪いリュックを
背負って徘徊する老人たちを、作者は主人公の口を通して罵倒するのが
小気味いい。こんなこと、素で語れば袋叩きに合うのだろうが
小説の中のことなので、抵抗感がない。
『自然に任せていたら、どこもかしこも年齢相応の、汚くて、
緩くて、シミとシワだらけのジジババだけになる。孫の話と病気の
話ばかりになる』
小説の中の一節である。
かといって作者は主人公を甘やかさず、娘の言葉に託して
主人公を厳しく批判することも忘れていない。
私も孫の話を過度に聞かされると
(ああ、あなたも人生からお褥(しとね)滑りしたんだね)と
密かに呟いている。孫が可愛いのは重々解かるが、他人には
面白くもおかしくもない。
と、そのことを測れるセンサーがもう、鈍化しているのだ。
老齢による社会性の喪失への第一歩である。