新元号「令和」は、見慣れた「和」が入っていることもあり
私は元号それ自体はスンナリ受け入れた。
違和感は元号に関わらないことで、二つ。
まず、日本国の新元号を論じるという格式の高い場に紬の着物、
それもかなりカジュアルなデザインで現れた女性がいたこと。
あまりうるさく言うと、若者が着物を着なくなるという
意見を見かけたが、それとこれとは違う。
私は常々、洋服と着物のコラボなどと言っており、
着物にブーツでもセーターでも「解って着崩すのはいい」と
立場だから、四角四面に伝統を守れ、などとは
言わない。ただ、ある格が要求される場にはふさわしい衣装を、と
思っている。
昔、一流ホテルのパーティにうかうかとセーターで
出かけ(自由業だし、立食だし、ま、いいかくらいの心持ちで)、
同席の樹木希林さんに、やんわり注意されたことがあるのを思い出した。
蛇足だろうが、紬はいかに高価であろうと
「普段着」である。個人の信条として大島を敢えてまとうにしても、
国家と天皇陛下が関わる場にはそぐわしくないのではないか。
二つ目はこれも女性だが自身を含めた有識者懇談会の人々を「私ども」と
言ったことだ。辞書的に言えば、「ども」という接尾語の
使用はあながち間違いではないのかもしれないのだが(個人としての
”わたくし”を、丁寧に述べる言葉という説明もある)、
しかし現代では「手前ども」とほぼ同義で、自らが属する集団を
へりくだって言う時に使われている。
・・・・・念の為、動画でその女性作家の言葉をチェックして
みたのだが、明らかに他の有識者懇談会の人たちを含めての
言葉だった。誤用であろう。
新元号については、尖閣を狙い、時に日本に敵対的な
国の漢籍から採取するのはいいかげん止めたらどうかと
思っていて、今朝人と話している時に偶然「万葉集から拾えばいいのに」
と言っていたぐらいだから、大友家持の歌から
選択したことを喜ばしく感じた。
これとてしょせん漢詩の影響を受けている、として気難しく指摘する
人もいるが、肝心の中国が「脱中国」として報道しているのだから、
和の色が極めて濃い命名であることに変わりはない。