雨が降ってくれなければ稲が育たないのだし、と梅雨時の雨を
かこつことは控えているのだがつかの間の息抜きのように
日がうっすら差してくれるとありがたい。
しかし、政治に目を向ければ晴れ間とてなく雨の降り続けで、
せめてそこには触れずにおくほうが精神衛生には
いいのだが、かといって言わぬのも腹に毒素がまわる。
香港における「逃亡犯条例改正」は中国がいかに否定しようと
中国からの指令であることは明らかだろう。「一国二制度」を
根本から突き崩すこんな条例を香港自らが言い出すはずもないのだから。
百万人デモとも言われるデモの実数は警察と主催者発表とに
乖離がありすぎて解らぬが、少なく見積もっても50万人以上が
激しい抗議を中共政府に向けて表明したことは大きい。
日本におけるデモとは異なり、あちらでは命を賭けてやらねば
出来ないこと、デモの熱量と覚悟の激しさがひしひしと
伝わって来る。
香港行政会が「審議続行は不可能」としたことは、香港市民の
勝利であった。
これは無論、G20の開催を目前に世界に中国の負の側面に
注視を避けたい中国政府の意向であり、必ずしも市民の絶対勝利とは
言えぬ。
とりあえず棚上げにしておいて、デモに関わった首謀者たちの
抹殺から始め、抵抗体が失せて来たところを目掛けて条例を
一方的に通してしまう、という可能性を悲観的に述べる
人もいて、これもその通りなのだがしかしながら、それを
もって香港市民の最終的敗北という説に私は与しない。
仮に、中国政府の思惑通りにことが運んだとしても、
中国は自らの歴史に黒い刻印を残したことは
文化大革命、天安門と同じである。これは中国政府ある限り、永久に
世界で語り続けられよう。
そして、「審議続行は不可能」とまで民意によって追い詰められたことは、
その点では中国政府の敗北であり、政権が盤石ではないことが世界に
知れ渡った。平和と独立を希求する人たちのとりあえずの勝利では
あろう。
私事ながら今まで二度、私は上海のテレビ関係のイベントに招待を
受けている身であり、こんなことを書いてはリスキーではある。
うかうかと訪れたら何かの理由をつけて拘束される可能性が
絶対にないとは言い切れぬし、そこまで行かずとも入国拒否は
あり得る。拒否されたら、それは自らまいた種であり
致し方ないが、仕事の関係者に迷惑を及ぼす。
些末な私でさえ、発言にはささやかな覚悟を要する。
自らのふと兆す怯懦を省みるにつけ、香港市民の文字通り命を賭したデモを
私は強く支持し、参加の市民一人ひとりを尊敬する。
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
寺山修司の短歌だが、祖国に象徴される「人として闘わねばならぬ
大事な何か」はあろう。
それにしてもアグネス・チャン氏はどうしたのか。常日頃、
日本の歴史教育が間違っているなどと、日本批判と
人権・平和でご飯を食べているようなこの方が、祖国のこんな大きな
出来事になぜ口をつぐんでいるのか。
自らをスターとして育て上げてくれた日本を貶めつつ、かつての
祖国の難儀には知らんぷり。この方の脳裏には、自分と
自分の家族が生き延びる知恵はあっても、祖国の延命と苦難には
関心がないらしい。
以前あるパーティでお目にかかり、私をどうやら知ってくださって
いたらしくとびきりの笑顔を向けてくださったが、
私はこの方を人として信用していない。